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Photo by Tamara Menzi on Unsplash 元NBA選手のレイ・アレンが8月3日、”Why I Went to Auschwits” と題してアウシュヴィッツ訪問記を公開した。 私の友人のタケウチさんが翻訳してくれたので、全文紹介する。 また豊富な写真が掲載されているので、ぜひ原文にもアクセスしてほしい。 台所の床に小さな穴があり、その下に秘密の隠し場所がある。
このイメージが私の記憶に焼き付けられている。 その空間はたぶん5フィート四方ほどだったと思う。 家主は「ナチスが来るとなったら、ここに6人の人が隠れました」と語った。 彼の名はタデウシュ・スコツィラス、そして私たちがいる家は彼の家族が第二次大戦中に所有していたものだ。 チェピエルフというポーランドの町にある小さなレンガ造りの家だった。 赤い屋根を持ち、だいぶ古びている。玄関の扉は通りからすぐだ。裏庭には小さな小屋や納屋がいくつかある。 ポーランドにきてすでに数日が経っていたが、私は体験する歴史の恐ろしさに圧倒されていた。 しかし、これはまた少し違っていた。大変個人的なものだったからだ。 私はこの小さな空間を眺めていた。 6人の人間が死を逃れてここに隠れている様子を想像した。 6人の、生身の人間。 私の目の前にある小さな穴をくぐり抜けて。それほど昔の話ではない。 歴史書でもない。 博物館でもない。 それは、まさに、この場所だった。 タデウシュが説明してくれた。 1942年のある日に、密告によってナチの兵士たちがこの家にやってきた。 村の誰かが、一家がユダヤ人をかくまっていると知らせたのだ。 この家にはスコツイラス家の10人家族が住んでいた。 この日、兵士たちがやってきた時、末の息子は家にはいなかった。 ナチは疑惑を深め、家探しを始めた。 彼らは穴と隠し場所を見つけたが、家族がかくまっていたユダヤ人はいなかった。 すでに脱出していたのだ。 ナチは何も言わずに隣家へ行き、その一家の息子を連れてきた。 ユダヤ人をかくまった罰は一家皆殺しであり、人数を合わせる必要があったのだ。 兵士は10人を裏庭へ連れ出し、まさに今まだそこにある小屋や納屋の前で、処刑した。 小さなスコツィラスの末っ子が戻ってきた時、彼は家族が全員殺されているのを目の当たりにした。 その少年がタデウシュの祖父だ。 その家はずっとスコツィラス家のものであり、祖父はこの家に住んでいた。今はタデウシュと母が暮らしている。 信じられない。 家の中を回っている間に、私をそんな感情が襲った。 歴史がまさに私の目の前にある。 それは現実だった。 手を伸ばせば触れることができる。 指先で触れ、空気の匂いを嗅ぐことができる。 感じることができるものだった。 この旅をしたのはほんの数ヶ月前だ。 ポーランドを訪れるのは初めてのことだった。 ティーンエイジャーの頃から私がとりつかれていたことについてもっと学ぶためだーホロコーストについて。 たくさんの本や記事を読んできたが、ページ上の文字を読むことは実際に間近に見ることと同じではなかった。 そこで、ワシントンDCにあるホロコースト博物館を訪ねた。 1998年、ミルウォーキー・バックスでプレイしていた時のことだ。 夏の間にオーナーのハーブ・コールに会いにDCへ行った。 滞在最終日に少し自由な時間があり、コール氏がホロコースト博物館に行ってはどうかと提案してくれた。 2時間の訪問の後の気持ちは決して忘れることができないだろうー2日間でもそこに過ごすことができたと思う。 まず感じたのは、誰もがここへ行くべきだ、と言うことだった。 中でも特にある一室のことをよく思い出す。 それはあるポーランドの町に住んでいたユダヤ人の写真が飾られた部屋だった。 壁一面に並べられた写真は空に向けて伸び、天窓からは光が注いでいた。 この写真の人々の90%は殺された。 強制収容所に送られる前、あるいは処刑される前に、彼らは大切なものを友人や家族に残して行った。 これらのユダヤ人コミュニティの人々は人間の本能の極限にまで追い詰められた。 ただ、生き延びたいと願ったのだ。 そこから生まれた兄弟愛や同胞意識の物語には畏敬の念を覚えるしかない。 人間の精神がどれほどのことが可能なのかー善にも悪にもーを思い起こさせてくれる。 率直なところ、私は自分自身がまるで無意味な存在であるかのように感じた。 それは、若いNBAプレイヤーで、世界の頂点にいるような気分にあるはずの人間としては不思議な感覚だった。 この経験は、私の狭い世界の外にもっと大切なことがあるということを気付かせてくれたのだ。 私はチームメイトにも同じことを感じて欲しかった。 そこで、それ以降に所属した全てのチームで、ウィザーズとの対戦でDCを訪れた時にはコーチに頼んで博物館に行く時間を取ってもらった。 体験はその時々で違っていたが、誰もが連れてきてくれてありがとうと礼を言ってくれた。 みんなの目を見れば、彼らがこの経験の後で、人生の新たな視点を知ったということがわかった。 私はホロコーストがなんであるか、それが何を意味するかを知っているつもりでいた。 もっと学ぶために親友を何人か連れてポーランドに行った。 しかし、この訪問が私にどれほど深い影響を与えたかは予想を超えていた。 アウシュヴィッツに関する映画やドキュメンタリーをたくさん見てきたが、実際にそこに行く体験の準備となるものは何もなかった。 あの鉄の門を初めてくぐった時私が感じたのは…重さだった。 私の周りの空気が重かった。 囚人が到着する鉄道の線路に立った時、列車がやってきて止まる音が聞こえたような気がした。 深呼吸をして自分の体制を整えなければならなかった。 それはあまりに近かった。 あまりに圧倒的だった。 バラックやガス室を回ったが、私が最も鮮明に覚えているのは聞こえてきたもの--無だ。 これほどの沈黙を経験したことはなかった。 足音以外に何も聞こえない静寂はほとんど不快なほどだった。 薄気味悪く、かつ目が醒めるような。 あれほど多くの命が奪われた場所に立って、その空間で起きたことと精神がなんとか折り合いをつけようとしている。 一つの疑問が脳裏に浮かんでは消え続ける。 どうして人間が他の人間にこのようなことができるのか? どうやってこれを実行することができたのか?自分にはできない。 これは歴史ではない。 これは人間だ。 これは今なのだ。 人として我々に突き付けられる、生きた教訓だ。 タデウシュ・スコツィラスが家を案内してくれたあと、しばらく外で一人、経験したことを反芻していた。 なぜホロコーストを学ぶのか? このようなことが二度と起きないようにするため? 600万人の人が死んだから? その通りだが、もっと大きな理由があると私は思う。 ホロコーストは、人間が--現実の、私やあなたと同じような現実の人間が--お互いをどのように扱うかということなのだ。 スコツィラス家が命を賭けてよく知りもしない人々を守ったとき、それは彼らが同じ宗教だからでも同じ人種だからでもなかった。 彼らがそうしたのは、まともな、勇気ある人間だったからだ。 彼らはあの小さな穴に隠れていた人々と同じ人間だったからだ。 そして、彼らが不当な扱いを受けているということを知っていた。 私は自分に難しい質問を課した。私なら同じことができただろうか? 真剣に、私にはできただろうか? アメリカに戻った時、ソーシャルメディアで私の旅行についてうんざりするようなメッセージを受け取った。 私がポーランドに行き、そこで起こったことについての意識を高めるために時間を使ったこと、ブラック・コミュニティをサポートするために時間や労力を使わなかったことが気に入らない人もいた。 お前の祖先がお前のことを恥じるだろうとさえ言われた。 ネットにトロールがいることは知っているし、気にするべきでもないのかもしれないが、これには頭にきた。 どういうところからこういう意見が出るかわかっていたからだ。 今、この国に十分すぎるほど問題が溢れていることはわかっている。 だが彼らはこの旅行を曲解している。 私はポーランドに黒人、白人、クリスチャン、ユダヤ人という括りで行ったのではない。 ただ一人の人間として行ったのだ。 「このようなことが二度と起こらないようにするために行った」というのは簡単だ。 だが、私はホロコーストで実際に何が起きたのか真実を学ぶため、そしてそこから何を受け取れるかを知るために行ったのだ。 私が自分の時間を正しく使っていないと信じている人たちは、そもそものところがわかっていないのだ。 人に対してお前はこれだ、あれだと名札を貼るべきではない。 そうすることが先入観を植え付け、まさに今のような恐ろしい状況を作り出しているのではないか。 私たちは2017年の社会を蝕んでいる無知や視野の狭さ、分断を打ち破っていかなければならない。 小学校の時、世界の人と文通をしたりしたことを覚えている。 外国の人から返事が来た時とてもワクワクしたものだ。 彼らがどのような生活をしているのか知りたかった。 彼らの人生を知りたかった。 その感覚を私たちは少し失ってしまっているのではないかと感じている。 私たちは「我々」のことだけを見ているようだ。 「我々」のことだけ気にしていたいようだ。 「我々」が何を意味しているにせよ。 タデウシュの家族のことを考える。彼らは「我々」を誰と定義したのか? 彼らは「我々」をすべての人間と考えた。 見た目や信仰に関係なくだ。 彼らはすべての人間に守る価値があると考えた。 そのために命を賭けても惜しくないと思ったのだ。 このことは覚えている価値がある。いつまでも。 レイ・アレン
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Photo by Jack Hamilton on Unsplash この数年、ロック・ミュージシャンの訃報が相次いでいる。 考えてみれば、リスナーである私のほうも50代後半に差し掛かっているのだから、ミュージシャン側はさらに高齢化しているのも当たり前と言えば当たり前である。 しかし中にはプリンスやジョージ・マイケルのように若くして亡くなる人達もおり、70才を超えられない「70の壁」があるような気がしたので、2015年から2017年7月にかけて亡くなったミュージシャンを死亡時の年齢で並べてみた。 ロック・ミュージシャンの死亡時の年齢 網掛けは癌が死因だった方(Wikipediaを参照) 世界保健機関のデータでは、2013年時点でのイギリス男性の平均寿命は79才、アメリカ男性の場合は76才となっている。
90才近くまでライブを続けていたチャック・ベリーやB.B.キングは別格として、やはり「70の壁」を超えずに亡くなった人が多い。 残念でならない。 特に癌で亡くなった人たちを網掛けしてみたところ、60代に集中していることが見えてきた。 私自身は医学の知見が無いので無責任な発言はできないが、ロン・ウッドは今年5月に検診で発見された肺癌を手術で克服しツアーに復帰、チャーリー・ワッツも2004年の咽喉癌発覚後の治療により76才になる現在まで現役であることを考えると、亡くなった人たちの中にも早期発見と適切な治療で救える命があったのではないだろうか。 モーターヘッドのレミーは、癌が発見された時には既に全身に転移し、もはや手の施しようが無かった状態だったとのことである。 一方、ロン・ウッドの場合、ツアー開始前に必ず受診する検診で初期の癌が発見され克服することができた。 別にミュージシャンでなくても、中高年になったら検診から逃げ回らず、定期的に受けておきたいものだ。 それにしても、2015年夏のフジロックでモーターヘッドを観てから、半年も経たない年末にレミーは逝ってしまった。 クリス・スクワイアはイエスで最後の来日後、アラン・ホールズワースもビルボードでの久しぶりのライブからさほど時間をおかないでの訃報である。 もう来日したミュージシャンのライブは予算と時間が許す限り、片っ端から観ておくしかないのかもしれない。 自然の摂理とは言え、寂しいものだ。 今回のブログは落ちも結論もない。合掌。 Photo by Dark Rider on Unsplash 7月29日の毎日新聞に「東京五輪 34度超え予測、熱中症対策早急に」と題した記事が掲載された。 桐蔭横浜大学、東京大学都市工学科、環境省、さらには日本ランニング協会まで、研究者や専門家らが「夏の東京は運動を中止すべき危険なレベル」と口をそろえている。 なぜこうした声が今まで出てこなかったのか、まったく不思議なくらいだ。 実際、連日30度を超える猛暑となった7月の東京では、3日に32人が熱中症で搬送、うち3名が重症となっている。 さらに気温が上がった9日は59人が救急搬送され、男性1名が意識不明の重体となった。 また東京消防庁のデータでは、平成23年から27年までの5年間で熱中症により救急搬送された人は20,593名におよび、これらは7月と8月に集中している。 月別の熱中症による救急搬送人員(東京消防庁による) こうした方々の救急搬送時の初診症状は、入院の必要がある「中等症」1,840人、生命の危険が強いと認められる「重症」130人、生命の危険が切迫している「重篤」43人となっており、4人が死亡と診断されている。極めて深刻な事態である。 では2020年に向けて政府の対策はどうなっているのだろうか。 平成27年から「東京2020に向けたアスリート・観客の暑さ対策に係る関係府省庁等連絡会議」が不定期に開催されており、直近では6月19日に会議が持たれ、議事録として各省庁の取組が公開されている。 この資料によると、具体的な暑さ対策は「競技場の屋根設置」「路面温度上昇抑制機能を有する舗装」「競技場周辺の街路樹」となっているが、いずれも根本的な解決策になるとは思えない。 他にも「熱中症等関連情報の発信」や「救急体制の整備」が挙げられているものの、周知活動や事後対策だけでは余りにも無力であろう。 一方、東京都は、5月25日に「東京2020大会に向けた暑さ対策推進事業」の一環として「補助対象地域の決定及び補助事業者の募集開始」を発表している。 具体的には東京国際フォーラム、東京スタジアム、武蔵野の森総合スポーツプラザの三か所の周辺にミストや日よけを設置する内容となっており、各地域にそれぞれ5,000万円の予算を割り当ててはいるが、これも広い東京全域から見ればいったいどれだけの効果があるのか甚だ疑問である。 文字通り焼け石に水と言わざるを得ない。 先日の記事「専門職スキル軽視の蔓延」で指摘したように、五輪スタッフの多くをボランティアに頼る構造になっているが、こうした人たちの健康への配慮に対しても、考慮や議論が為されている形跡が観られない。 ところでこの件をリスク・マネジメントの観点から考えてみたい。 リスクは、発生可能性と影響度の積で表される。 このリスクを分析・評価し、コントロールによって低減させることがリスク・マネジメントである。 では東京五輪での熱中症リスクのケースではどうだろうか。 現実的に予防策はほぼ無策に近いうえ、東京の蒸し暑さに慣れない海外からの選手や観客が大量に訪れるため、数千人規模で熱中症患者が発生する可能性は100%と言える。 むしろ例年よりも多いと考えるほうが正確だろう。 また影響度を軽減するためには、発生した事態から早急に原状回復することが求められるが、医療関係者や救急搬送設備の数には限界があることに加え、五輪開催による幹線道路の封鎖も考慮する必要がある。 したがって「大量に発生する熱中症患者の生命の危機」であるリスクは、現状のままでは軽減されないと考えなければならない。 そしてリスクを受容できるレベルまで軽減するためには、10月以降の開催とする、もしくは中止という選択肢しかなかろう。 毎年同じ季節に開催されているフジロックが2020年にどうなるのか、私には知るすべはない。 しかし確実に阿鼻叫喚の熱中症地獄と化す東京を避けるため、一か月ほど苗場あたりに山籠もりでもしようかと真剣に考え始めているところである。 追記 (23:00 7/8/2017)
屋外でのスポーツや作業中に熱中症で倒れ死亡する事故が全国で相次いでいる。こんな季節に五輪開催とは正気の沙汰ではない。 高校野球部の女子マネージャー 練習後に倒れ死亡 新潟 熱中症か アメフット練習中に学生死亡 札幌 熱中症? 浜松で45歳男性が死亡 伊万里の50代男性、熱中症疑いで死亡
このところ専門的なスキルに対する誤解と軽視の風潮がひどい。
まず一つ目は4月16日、地方創生担当大臣・山本幸三の「学芸員は観光マインドが全くなく、一掃しないとだめだ」との発言である。 この人はいったい学芸員を何だと思っているのだろう。 文部科学省のサイトでは、「学芸員は、博物館資料の収集、保管、展示及び調査研究その他これと関連する事業を行う “博物館法” に定められた、博物館におかれる専門的職員」と紹介されている。 そして学芸員になるためには、大学で文部科学省令の定める博物館に関する科目の一定数以上の単位収得が最初の条件となっており、そのうえで学芸員資格認定試験に合格しなければならない。 文部科学省が提供している「学芸員資格認定受験案内」によれば、試験はこれだけの範囲に及んでいる。 博物館運営に関するあらゆる知見を求められているのである。
では実際に学芸員の方々はどんな仕事をこなしているのだろうか。
折しも山本の発言の直後である5月4日の「タウンニュース町田版」に「教えて!学芸員さん どんな仕事をしてるの?」という特集が組まれていた。 副題に「〜がんじゃない本当のこと〜」と付けられていることから、激烈な言葉はひとつも出てこなくても、山本の発言に対する怒りの特集であることは明らかだ。 この特集はぜひ元の記事を全文ご覧いただきたいが、ここでいくつか引用させていただく。 例えば「陶磁の保存管理、調査研究」のほかに「ダンボール箱を運ぶ力仕事も展示作品のネーム(キャプション)札作りもポスター・チラシの発送準備も、何でもやります。電卓抱えて予算書を作ったりもします」と自己紹介される方。 「史料の発見→整理→保管→研究→活用が主な仕事」としながら、「講師や展示解説をした際、熱心な方とお会いするとやりがいを感じます」と語る方。 どの学芸員の方も “博物館法” による専門的な業務に加えて、限られた予算の中で如何に来館者に喜んでもらえるのか、必死で知恵を絞っている。 よくも「観光マインドが全くなく、一掃しないとだめ」などと言えたものだ。
そして次は、経済評論家を自認する人物の「薬剤師は有害無益な免許の最たるもの。今や処方箋に書かれた薬を売るだけの仕事に、なんで免許が必要なのか」という6月5日付のツイートである。
これにも開いた口が塞がらない。 改めて言うまでもなく、薬剤師になるためには大学で6年間の専門教育を受け、薬剤師国家試験に合格する必要がある。 薬剤に関しては、医師よりも深い知識を有している専門職である。 ではなぜこの御仁のような浅薄な誤解が生まれるのだろうか。 ここでは公益社団法人日本薬剤師会のサイトから引用させていただく。 薬剤師といえば、医師の処方箋にしたがって薬を出してくれるイメージが先行し、薬局は「薬を調剤してもらうところ」と生活者の9割が考えています。 経済評論家ともあろう方が、日本薬剤師会の指摘するような認識そのものであったのだろう。 しかし実際には同会が紹介しているように「薬が開発・製造され、病院や薬局を通じて生活者の手に届くまで、すべての段階において薬学の専門家として薬の安全性に責任を負っている」のが薬剤師なのである。 消費者に対面する現場では、医師の処方箋に基づいて薬剤を調剤するだけではなく、薬に関する相談に乗ったり、処方箋の不要なOTC薬の購入についてアドバイスすることなども業務になる。 さらには医師の処方箋についてもただ調剤するだけでなく、薬剤師の観点からチェックする機能ももつ。 万に一つのミスも許されない、人の生命に直接関わる重大な責任を負った仕事なのである。 まったくどうしたら「有害無益な免許の最たるもの」などと言えるのだろうか。
このような専門知識、あるいは専門職に対する誤解と軽視は、2020年に予定されている東京五輪に向けて全開となる。
2016年12月に東京都とJOCが公開した文書「東京 2020 大会に向けたボランティア戦略」を紐解いてみたい。 もうタイトルからして「タダで人を使うぞ」感が満々である。 この文書によると、東京五輪のボランティアは、競技会場や選手村などの大会施設での「大会ボランティア」と、空港や主要駅・最寄り駅などでの「都市ボランティア」に大別される。 「大会ボランティア」の種類は、物流、通訳、医療など幅広い専門的業務に及んでいる。 そして「人数の多い活動においては、ボランティアの中にリーダー役をおく。 リーダー役は、メンバーへの連絡調整や出欠確認、シフト調整などを行う」とされている。 街頭で観光・交通案内を担うことになる「都市ボランティア」についても「語学能力以外にも、様々な専門的知識・技能を有する方」を募集条件とするそうだ。 こんな専門職かつ管理職の能力を備えた人たちを二週間に渡って拘束するのである。 これを「ボランティア」と呼んでしまっていいのだろうか。 しかも「原則として、東京までの交通費を負担していただくことと、宿泊場所の確保に当たっては自己手配をお願いする」とのことだ。 五輪期間中の東京での宿泊手配なんか困難を極めるであろうことは、誰が考えても明白である。 ロジスティックスの観点からも最初から完全に破綻していると言わざるを得ない。 しかもこの「ボランティア」の内容は、明らかに政府の施策と矛盾している箇所もある。 例えば「都市ボランティア」に相当する業務、すなわち外国語を用いて旅行に関する案内を「有償」で行う場合には、通訳案内士法により通訳案内士試験に合格し、都道府県知事の登録を受けなければならない。 これは他でもない日本政府の観光局が明らかにしていることだ。 通訳案内士の試験の科目は、外国語に加えて、日本地理、日本の歴史、そして産業・経済・政治及び文化に関する一般常識となっており、なかなかの難関試験である。 このような専門性を要求する政策を取る一方、他方では専門性を備えた人たちを無償で使おうとする。 そこに専門職スキルに対する敬意は感じられない。 専門職スキルによる業務への正当な対価を否定してしまえば、たった二週間の宴の後にやってくるのは、各業界に対するダンピングの嵐であろう。 経済的効果なんて甘いものではない。
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この数年、プログレ系の集まりで知り合った人たちの中で、周辺諸国に対する根拠なき蔑視を口にしたり、ファシズムを公然と肯定する連中がいて閉口したことがある。 その都度たしなめはするのだが、中には頑迷な排外主義を意地でも変えようとしない人物もいた。 こういった人たちとの付き合いに時間を費やすほどこちらも暇ではないので、同じ趣味を持つ間柄と言えどもSNSでのつながりを含め一切の関係を断つことにしている。 プログレの様式美がファシズムと相性がいいのではと仮説を立ててみたが、プログレ・マニアの多くが排外的なわけではないので、音楽的な好みとの有意性はないと信じたい。 またミュージシャンの側はむしろ積極的に反レイシズム、反ファシズムの立場を表明しているのが事実である。 ここでは、そのいくつかのサンプルを見てみたい。
ピーター・ガブリエル
ジェネシスのヴォーカルだったピーター・ガブリエルは、三枚目のソロ・アルバム「III」に”Biko”という曲を収めている。 これは南アフリカの反アパルトヘイト活動家で、1977年に30才の若さで獄死したスティーヴン・ビコ氏に捧げられたものである。 ピーターは、ライブでのMCで「非暴力でレイシズムに立ち向かい、南アフリカの刑務所に収監、拷問で殺された勇敢な男、スティーヴン・ビコ」と紹介している。
ゲディ・リー
カナダの人気トリオ、ラッシュのベーシストであるゲディ・リーの両親はユダヤ系ポーランド人で、ナチスのダッハウ強制収容所とベルゲン・ベルゼン強制収容所からの生還者である。 その後二人はカナダに移住し、1953年にゲディが生まれた。 ゲディは、幼少時に母親からホロコーストの話を聞き、悪夢を見て眠れなかったことがあると話している。 また両親のホロコーストの体験に基づいて ”Red Sector A” という曲を書いた。
ブライアン・イーノ
ロキシー・ミュージック出身のブライアン・イーノは、デヴィッド・バーンやロジャー・ウォータースらと共に、パレスチナ問題にコミットしているミュージシャンの一人である。 2014年7月、イーノはデヴィッド・バーンへの書簡という形で、イスラエル軍によるガザ侵攻を強く非難した。(なお書簡全文を翻訳したので、こちらを参照いただきたい。) また2017年7月には、難民救済のNGO “MOAS” を支援するため、コールドプレイとシングル “A L I E N S” を共作、プロデュースし、アニメとして発表している。
ロジャー・ウォータース
ロジャーは、イーノのパレスチナ問題に関する書簡に対して、自身のFacebookで強い賛同の意を表明した。 この中で「沈黙と無関心は最大の罪」(To stand by silent and indifferent is the greatest sin of all.)と明言している。 また最近のライブでは、ピンク・フロイド時代の曲 “Pig” の演奏で米大統領トランプのイメージを使い、「豚野郎」と断じている。
トッド・ラングレン
トッドもまた、反トランプの意志を明確に表明している一人である。 2017年5月には、スティーリー・ダンのドナルド・フェイゲンとの共作で、反トランプの楽曲 “Man in the Tin Foil Hat” を制作し、徹底的にトランプをこき下ろしている。 この曲の動画で登場する「ビル・オランウータン」(Bill O’Rangutan)とは、トランプの御用メディアとして知られるFox NewsのBill O’Reilly を揶揄したものであるのは明白だ。
レイシストやファシストがジェネシス、ラッシュ、ロキシー・ミュージック、ピンク・フロイド、トッド・ラングレンを聴くのは、彼らに対する冒涜であり、また人類に対する冒涜である。
スティーリー・ダンも禁止。彼らの音楽を聴きたいのであれば、まずレイシストやファシストであることを止めるべし。
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堀江貴文がヒットラーのイメージをプリントしたTシャツを着用してNHKの番組に出演したことにより、NHKが謝罪を発表する事態となった。 ところが、Tシャツに「No War」との文字があることを言い訳にして、本人は「シャレわかんねー奴多いなあ」「頭悪いな」と開き直る始末である。
出来の悪い小学生のような言い訳が国際的に受け入れられるはずもなく、イスラエルを含む世界中のメディアで報じられたあげくに、遂にはナチス政権下での戦犯追及で知られるサイモン・ヴィーゼンタール・センターが非難の声明を出すに至った。 堀江の言い訳を一刀両断である。(原文はこちら) ヒットラーが反戦のシンボル? 日本のビジネスマンが公共テレビでヒットラーの画像のTシャツを着用 こんなガサツで幼稚な行為を「ノリ」で誤魔化そうとしても、国際社会で通用するわけがない。 冷笑サブカルはめちゃくちゃダサいうえに有害でしかないことを知るべきだ。 もう一度言う。ダサい。
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1972年のファミリーマート1号店、1974年のセブンイレブン1号店が開店して以来、既に50年以上が経過し、コンビニは日本の小売業の有力な業態として全国津々浦々、完全に定着した。
現在では、各種公共料金の支払いや証明書発行、ATM設置、宅配便の集荷など、小売業の枠を超えた社会インフラとしても重要な機能を担っている。 さらに震災や豪雨などの大規模な天災が発生した際には、ヘリによる食料供給といった、本来的には政府が担うべき役割まではたすようになった。 また、まだ広くは知られていないが、現在のネット社会における民主主義を支えるためのインフラとしても、重要な位置を持ち始めている。 いわゆるネットプリントのことである。 ネットプリントは、PCやスマホから文書や写真を登録し、全国のコンビニ店舗のマルチコピー機で簡単にプリントアウトできるサービスだ。 単価は一枚20円程度なので大量印刷には割高であるが、数枚印刷する分には非常に便利である。 元々はスマホで撮影した写真を印刷するなど、プリンターを個人で所有しない人たちが利用することを狙ったものと思われる。 各コンビニチェーンのうちセブンイレブンは富士ゼロックスと、ファミリーマートやローソン、サークルKなどはシャープとパートナーシップを組んでいる。 一般社団法人 日本フランチャイズチェーン協会の調べによると、2017年5月時点での全国のコンビニ店舗数は54,999軒に及ぶため、複合機メーカーにとってもネットプリントは重要な市場となっていると言えよう。 さて、ネットプリントがなぜ民主主義のプラットフォームになっているのか。 一言で言えば、プラカードの印刷である。 7月1日の秋葉原における安倍首相の演説に対して、「安倍辞めろ」「帰れ」との大コールが沸き起こったのは記憶に新しい。 そしてそこでは、巨大横断幕と共に、数多くのプラカードが掲げられた。 この場所で同じようなプラカードが並んだことに対して、組織的な工作ではないかとの陰謀論までSNSに書き込まれたが、何のことはない。 デザインに長けた人たちがプラカードを制作してネットプリントにアップロードし、その情報がツイッターなどで拡散され、多くの人がコンビニでプリントアウトして持ってきただけの話である。 そして7月9日、森友疑惑や加計疑惑から逃げるかのように欧州へ飛び立った安倍首相の不在の間、日本全国で一斉に「安倍政権に退陣を求める緊急デモ」が企画された。 この行動では更に数多くのプラカードが「勝手」に作成され、SNSとネットプリントを通じて拡散、共有されていった。
なかには、作家で法政大学教授の中沢けい氏自ら作成し共有したものもある。
2011年のチュニジア民主化では、FacebookやTwitter、YouTubeなどのSNSが大きな役割を担ったと伝えられている。 さらに現在の日本では、SNSにコンビニという社会インフラが複層的に絡み合うことになった。 政府与党側は先の参院選で巨額の費用を投じ、リアルタイムでSNSを分析する外部のサービスを利用したとの報道があった。 しかしそんな費用を持たない民衆は、自らの知恵をもって容易に乗り越えていく。 為政者には有権者を「あんな人たち」などと舐めてかかる余裕などない。
追記 (22:00 9/7/2017)
事前の予測を遥かに上回る大規模なデモになった。 朝日新聞:「安倍1強」の政治に反対、新宿で抗議デモ 8千人参加 毎日新聞:緊急デモ「安倍内閣は退陣を」新宿に「8000人」集う 神奈川新聞:「安倍政権にNO!」新宿で大規模デモ Photo by Glenn Carstens-Peters on Unsplash PCで作業をしていて、フォルダー内のファイルのリストをExcelなどで作成しなければならない場合がある。 ファイルの数が少なければ、ファイルを右クリックして「名前の変更」にしておいて、Ctrl+C と Ctrl+V でコピペを繰り返すという地道な人力作業で何とかできるが、ファイルの数が数十、数百となるととてもやっていられない。 また、コマンドプロンプトを立ち上げて、dirコマンドでリストする方法もあるが、一文字違わずパスを記述しなければならないし、Windows 10以前ではコマンドプロンプトにペーストできないのでお勧めしかねる。そもそもWindows 3.1のconfig.sysの編集みたいこと、今更やってられるかよ。 しかしフォルダーとファイルの紐づけは、WindowsがOSとして必ず持っているはずなので、何等かの手段はあるはずだと思い、いろいろ弄っていたら、ほとんど裏メニューではあるが非常に簡単な方法を見つけてしまった。 1. まず対象となるフォルダーを開く。 2. 次に名前をリスト化したいファイルを、Shiftと右クリックで選択。 3. ここでShiftを押しながら、右クリックすると、メニューが表示される。この中から「パスのコピー」をクリック。 これで、必要なファイル名がパスと共にコピーされるので、ひとまずテキストファイルにペーストすればよい。
その後はExcelでCSVファイルとして開けば、パスなどファイル名以外で不要な情報は簡単に編集、除去できる。 実は冒頭に記載した方法で何時間も掛けていた作業が、30秒もあれば完了してしまったので、正直かなり脱力してしまった。 無意味な機械的作業は出来る限り省力化しましょう。 Nishi Shinjuku,Tokyo - Bootleg, HeavenPhoto by Josh Wilburne on Unsplash 3月に「ブートレグ流通の変遷」というタイトルでブート流通について書いたが、過去のブートの扱いは今ほど堂々とはしていなかったはずだとの記憶が、もやもやと燻り続けていた。 そこで手元に残っている古雑誌で、いくつか確認してみることにした。 これは、1984年のFool’s Mateでの広告。この雑誌はいつの間にかビジュアル系専門誌になってしまったが、当時はプログレやポスト・パンクが中心だった。 メジャーレーベルの広告は表紙裏くらいで、あとはほとんどの広告がブート屋である。 その中でブートに対して「プライベート盤」という表現が使われていた。 次に同じ1984年のDOLL。 こちらはパンクに焦点を当てた月刊誌で、広告は自主制作盤が中心。なかには手書きのものまである。 ここで見つけたのは「プライベート・ビデオ」なるブートの広告。 「プライベート盤」の派生語みたいなものだろう。 更に12年経過した1996年のrockin’ on。今でこそメジャーな音楽誌になっているが、当時の広告はグラビアのカラーページを除けば、他は全部ブート屋といってもいい状態だった。 もう1996年ともなれば媒体は完全にCDへ置き換わっているため、ここでは「コレクターズCD」という言葉が使われている。 「プライベート盤」といい「コレクターズCD」といい、後ろめたさが醸し出されていて趣き深い。 やはり今ほど開き直った商売ではなかった。 さて、ここから本題。これまでブートのような著作権侵害は親告罪だったので、権利者が訴えなければ摘発されることはなかった。
ところが著作権侵害は、この度成立した共謀罪(いわゆるテロ等準備罪)に含まれているので状況が一変した。 ブート制作・販売は明らかに不法行為である。 とは言え、さすがにどう見てもテロ行為の準備とは思えない。 しかし二人以上の集団が準備行為を行えば、それだけで共謀罪の構成要件を十分満たすのである。 しかも共謀罪は親告罪とは到底考えにくいので、捜査当局がその気になればいつでも摘発できる。 では共謀罪の対象となりえるのはブート屋だけなのだろうか。 共謀罪における「組織的犯罪集団」の定義は結局曖昧なままで可決されてしまった。 ブート屋はもとより、音楽ファンが二人以上で無断録音や撮影の計画を相談すれば、たとえ実際に録音や撮影を行わくてもそれだけで法的には共謀罪として摘発可能になっているのである。 実際のところ、共謀罪の運用は暴対法に近いような形で、ある程度国民世論に受け入れられるようなところから開始されるだろう。 しかし共謀罪は、到底テロとは無縁な様々な分野で、いつでも権力者が恣意的に運用できる。 そしてこのような法の成立を許してしまったのは、他でもない自民党に投票した有権者自身である。 実はブート屋の間抜けぶりを笑っている場合ではない。 ライブ会場で写真を撮ってSNSにアップしたいなら、そのたびに自分の投票行動をよく思い返しておくべきである。
6月15日早朝、「共謀罪」を新設する改正組織犯罪処罰法が参議院本会議で可決され成立した。
「組織犯罪とは何か」など、法の適用要件が明らかにならないまま、しかもテロとの直接的な関係もない多くの刑法を含むという内容の酷さ。 さらに参議院法務委員会での審議継続や公聴会を省略する一方、緊急事態でもないのに中間報告を行って直ちに本会議決議に持ち込むなど、70年かけて積み上げてきた国会の民主的手続き・運営を悉く踏みにじるものであった。 すべてがデタラメと言わざるを得ない。 こうした刑法の体系を根本から変えるものであるにもかかわらず、日本のメディアは一部を除き、まったく腰が引けたものであった。 では、対して海外のメディアはどのように報じたのか。共謀罪可決直後の報道を追ってみる。 アルジャジーラ Alijazeera 見出しでは「オリンピック開催に不可欠との政府の主張に対し、人権侵害の懸念」と伝えている。 さらに日本の反差別団体C.R.A.C.のツイートを引用し、連日数千人が国会前で抗議を繰り広げたことを紹介している。.
記事中では、共謀罪の権力による濫用や、表現の自由に対する憲法違反の攻撃との批判と併せ、著作権違反や森林の違法伐採まで含まれる法令のいい加減さが指摘されている。 後半は、国連人権理事会特別報告者のケナタッチ氏の懸念が大きなスペースを取って引用されている。 ブルームバーグ Bloomberg 見出しから「安倍、監視能力を増加する法案を推進」と名指しである。 本文でも「共謀罪は安倍の長年の野望である平和憲法の変更に道を開いた」と、政権の本質をばっさりと喝破。 そして後半は、やはり国連の懸念について大きく紹介している。 ドイチェ・ヴェレ Deutsche Welle こちらの見出しも「日本の共謀罪は民主主義に手錠をかける」と、法令の真の目的を突いている。 そして、抗議の市民の大きな写真。 また安倍の「オリンピックまで三年しかない」との発言を引用して、政府がオリンピック開催を政治利用していることに言及。 さらに、共謀罪によって277もの犯罪を「共謀」として起訴する権力を捜査当局に与える一方、法令はテロ対策と直接関係する内容がほとんどなく、キノコ狩り、切手偽造、デモでの座り込み、無許可の競輪などを含むデタラメなものであることを暴いている。 また共謀罪は、安倍の「連合軍に押し付けられた」とする憲法の書き直し策動に直結していることを明確に指摘し、さらに日弁連や国連からの批判も大きく取り上げている。 ガーディアン Guardian 見出しでは、「市民の自由に対する懸念に反し、野蛮な反テロ法成立」と表記。まさに野蛮としか言いようがない。 ガーディアンも、安倍政権がオリンピックを言い訳にしているものの、法令にはテロや組織犯罪とまったく関係ないものが多数含まれており、マンション建設反対の座り込みや、音楽のコピーなども対象となると指摘している。 またケナタッチ氏の懸念に対し「極端にバランスを欠いている」とする安倍政権の不誠実な対応も紹介されている。 アイリッシュ・タイムス Irish Times アイリッシュ・タイムスは、日本について「殺人は10万人に0.3で世界でも最も安全な国であり、大きなテロは20年以上発生していない」のに、なぜ共謀罪が今必要なのか疑問を呈しており、また日本政府がさっそくマンチェスターのテロ事件を口実としていると批判している。 記事の後半はケナタッチ氏の懸念と併せ、デヴィッド・キー氏による「メディアへの脅威の懸念」を紹介している。 ストレート・タイムス Strait Times 管理社会の先鋒であるシンガポールのエスタブリッシュ・メディアでさえ、抗議の市民の写真と併せ、共謀罪が著作権違反や森林の違法伐採などテロ対策と無関係なものを多数含んでいることを報じている。 ワシントン・ポスト Washington Post ワシントン・ポストの見出しも「懸念の高い反共謀法案を首相が先導」と、いきなり名指しである。 記事本文では共謀罪が改憲の動きと連動していることに触れ、中野晃一氏の「安倍の傲慢さと弱さを示すものだ」との発言を引用するとともに、可決へ向けての拙速な動きは籠池や加計の不正問題から関心をそらすものと断じている。 さて、国会での審議の中継すらまともに行わず、メディアとしての役割を放棄したNHKが、共謀罪成立当日の15日夕方、共謀罪で何が変わるのか詳細に解説する報道を行った。日本経済新聞も同様である。なぜ審議中にこうした解説を行わなかったのか憤るよりも、むしろ「共謀罪が成立してこうなったんだから、お前ら黙っていろ」との恫喝としか思えない。 しかし、こんなことで委縮し沈黙するわけにはいかない。既に私たちは海外報道に頼らざるを得ないところまで来ているのだ。そして私たちの未来は、まともな民主主義国家の運営を取り戻すことにしかないのである。 |






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