<![CDATA[久保田直己 不撤不散 - Blog]]>Mon, 18 Dec 2023 10:48:06 +0900Weebly<![CDATA[2023年に亡くなったミュージシャン]]>Sun, 17 Dec 2023 03:49:40 GMThttp://naomikubota.tokyo/blog/rip_2023
写真
Photo by Johannes Plenio on Unsplash
毎年毎年、ミュージシャンの訃報のリストが長くなってしまう。
哀しいことである。
2023年の特徴は、ジェフ・ベックやティナ・ターナーといったベテラン勢のみならず、ザ・ポップ・グループやキリング・ジョークのようなポスト・パンクの連中まで亡くなり始めたことだ。
それもまだ50代、60代である。
日本でも高橋幸宏さんに始まり、坂本龍一さんやHeathまで亡くなってしまった。
あまりにも早すぎるとしか言いようがない。(以下、敬称略)

1月1日 フレッド・ホワイト

いきなり元旦からの訃報である。
兄のモーリスやヴァーダインと共にアース・ウィンド&ファイアーを結成し、フレッドはドラムを担当していた。
絶頂期には "September" "Boogie Wonderland" "Let's Groove" など数々のヒット曲を叩き出している。
死因は公表されていないが、まだ67歳だった。

1月10日 ジェフ・ベック

今更こんなところで紹介するまでもない、ギターの巨人。
正月早々に大きな衝撃を受けた訃報だった。
個人的にはエディ・ヴァン・ヘイレンの訃報以来のショックである。
近年もフィンガー・ピッキングにアームのトレモロを組み合わせた独特な奏法など、最後まで進化を停めなかった。
2017年に東京国際フォーラムで最後の来日を観ることができたのは、生涯忘れないだろう。
細菌性髄膜炎の悪化で、享年78歳。

1月11日 高橋幸宏

2023年は、高橋幸宏さんも坂本龍一さんも亡くなってしまった。
いったい何ということだ。
日本の音楽シーンの損失は計り知れない。

1月12日 リサ・マリー・プレスリー

エルヴィス・プレスリーの娘で、マイケル・ジャクソンやニコラス・ケイジらとの結婚でも知られている。
心臓発作に小腸閉塞の合併症が致命傷となった。
まだ54歳の若さだった。

1月12日 ロビー・バックマン

バックマン・ターナー・オーヴァードライブのオリジナル・メンバーで、ロビーの死後わずか3か月後には弟のティムも亡くなってしまう。
享年69歳で、死因は公表されていない。

1月19日 デヴィッド・クロスビー

CSN&Yの一角であるデヴィッド・クロスビーは、4人の中で最も早く亡くなってしまった。
死因はコロナの急変と言われており、81歳だった。
ニール・ヤングを除くCSNとしての活動も2016年を最後に空中分解してしまったが、デヴィッドの死によって再結成の機会は永遠に無くなった。

1月28日 トム・ヴァーレイン

ニューヨーク・パンク・シーンを代表するテレヴィジョンのギタリスト。
前立腺がんで、73歳だった。
初期パンク・シーンの人たちも、多くがもう70代を迎えている。

2月8日 バート・バカラック

50年代から多くのポップ・ソングを生み出した稀代の作曲家。
カーペンターズやディオンヌ・ワーウィックなどが彼の楽曲を取り上げていることでも知られている。
ビルボード横浜のオープニングを記念して来日する予定だったのが、コロナ蔓延で流れてしまったのが惜しまれる。
94歳だった。

3月2日 ウェイン・ショーター

60年代のマイルス・デイヴィスのクインテットを経て、ジョー・ザビヌルらとウェザー・リポートを結成したサックス奏者。
1986年にウェザー・リポートが解散してからは、アコースティックに回帰した自身のカルテットで活躍していた。
享年89歳。

3月5日 ゲイリー・ロッシントン

レーナード・スキナードの最後のオリジナル・メンバー。
1977年の航空機事故で大半のメンバーを失った後も、ジョニー・ヴァン・ザントらとレーナード・スキナードとして活動を続けてきた。
ゲイリーの死によってオリジナル・メンバーは1人もいなくなってしまったが、バンドは現在もレーナード・スキナードとしてツアーを続けている。
71歳だった。

3月9日 ロビン・ラムリー

フィル・コリンズらを擁したジャズ・ロック・バンドのブランドXのオリジナル・メンバーの一人で、キーボードを担当していた。
メンバーの入れ替わりが激しかったブランドXのほぼ全てのアルバムに参加している。
ブランドX参加の前には、デヴィッド・ボウイのバッキングを務めたこともあった。
75歳で、心不全だった。

3月13日 ジム・ゴードン

デラニー&ボニーでの同僚だったエリック・クラプトンやカール・レイドル、ボビー・ウィットロックと、デレク・アンド・ザ・ドミノスを結成したことで知られている。
1983年に母親を殺害して収監され、生涯釈放されることなく、獄中で亡くなった。

3月14日 ボビー・コールドウェル

いわゆるAORを代表するシンガーの一人。
晩年は毎年のように来日し、ビルボードでライブを行っていた。
抗生物質の副作用など、長い闘病生活の後の死であった。
享年71歳。

3月28日 坂本龍一

今更言うまでもなく、日本を代表するミュージシャンだった。
高橋幸宏さんを追いかけるように、癌で亡くなってしまった。
まだ71歳で、失われた才能はあまりにも大きすぎる。

4月7日 イアン・ベアンソン

アラン・パーソンズ・プロジェクトのギタリスト。
アラン・パーソンズ・プロジェクトは、アラン・パーソンズとエリック・ウールソンによるユニットだが、イアン・ベアンソンは "Ammonia Avenue" などのヒット作を含む殆どのアルバム制作に参加していた。
またケイト・ブッシュの "The Kick Inside" や "Lionheart" などにも参加している。
69歳で認知症を悪化させて亡くなった。

4月21日 マーク・スチュワート

ポスト・パンクのザ・ポップ・グループの中心メンバーで、ボーカルを執っていた。
62歳で亡くなったが、ザ・ポップ・グループを結成した1977年ではまだ17歳であった。
死因は公表されていない。

4月28日 ティム・バックマン

兄のランディやロビーと共に、バックマン・ターナー・オーヴァードライヴのオリジナル・メンバーだった。
1974年に脱退したが、1983年に再加入している。
癌を患っており、兄のロビーを追うように71歳で亡くなってしまった。

5月11日 フランシス・モンクマン

カーヴド・エアーや801などプログレ界で名をはせたキーボード奏者。
70年代後半には、フュージョン系のスカイを結成し、特に日本では評価を受けていた。
73歳で、癌で亡くなった。

5月19日 アンディ・ルーク

80年代に活躍したザ・スミスのベーシスト。
4枚のアルバムを残して1987年にザ・スミスが解散した後は、キリング・ジョークやムーンドッグ・ワンなどで活動していた。
膵臓癌で、まだ59歳だった。

5月24日 ティナ・ターナー

1950年代から活躍し、「ロックンロールの女王」と呼ばれていた。
アルバムやシングルの売上は2億枚を超え、ライブのチケットの枚数も世界最多と観られている。
晩年は腎不全や癌、脳卒中など複数の疾患を患っていたが、死因は公表されていない。

6月20日 ジョン・ワディントン

ザ・ポップ・グループのオリジナル・メンバーの一人で、初期のアルバム二枚でギターを弾いている。
マーク・スチュワートに続いて、2人目の故人となってしまった。
ジョンもまだ63歳だった。

7月21日 トニー・ベネット

1951年に "Because of You" を全米一位に叩き込んでから、数十年にわたり近年まで精力的に活動を続けてきた。
95歳になった2021年には、レディ・ガガとのデュエット・アルバム "Love for Sales" をヒットさせている。
その後、体調維持のため引退生活を送っていたが、アルツハイマーを悪化させて、96歳で亡くなった。

7月26日 シネイド・オコナー

アイルランド出身の歌手で、カトリック教会への複雑な感情を生涯抱え続け、メンタルを悪化させて56歳の若さで亡くなった。
死因は明らかにされていない。
彼女の死の直後に開催されたフジロックのフー・ファイターズのステージでは、アラニス・モリセットと共に、シネイドに捧げる "Mandinka" がカバー演奏された。

7月26日 ランディ・マイズナー

ポコやイーグルスのオリジナル・メンバーでベーシスト。
イーグルスでは "Take it to the limit" や "Try and Love Again" などの名曲を生み出している。
ポコでもイーグルスでも、ランディが脱退した穴はティモシー・シュミットが埋める形になった。
今世紀に入ってからは、心臓疾患やアルコール依存に苦しんでおり、慢性閉塞性肺疾患の合併症で、77歳で亡くなった。

8月9日 ロビー・ロバートソン

ボブ・ディランのバック・バンドが前身であるザ・バンドを経て、1987年からソロ活動やプロデューサー稼業を続けていた。
2019年のアルバム "Sinematic" が最後の作品となった。
享年80歳。

8月24日 バーニー・マースデン

1977年のホワイトスネイクへの参加で知られるギタリスト。
ヒット曲 "Here I Go Again" はバーニーとデヴィッド・カヴァーデールとの共作である。
1982年にホワイトスネイクを解雇された後も、多数のソロ・アルバムやセッションの作品を残している。
72歳で、細菌性髄膜炎で亡くなった。

9月16日 ジョン・マーシャル

1972年にソフト・マシーンへ加入して以来、メンバーが激しく入れ替わる中、一貫してバンドを牽引してきた。
ソフト・マシーンのほか、ブリティッシュ・ロック界の無数のアルバムに参加している。
2018年にはビルボードライブで最後の来日を果たしたが、このとき既に背中が直角に曲がって歩くのがやっとという状態だったが、ドラム・スツールに座ったとたんにドラミングを炸裂させていた。
82歳で亡くなったが、死因は公開されていない。

10月29日 Heath

X Japanのベーシスト。
6月の検査で大腸癌が発見され、そのタイミングで既に手遅れの状態だった。
まだ55歳の若さだった。

11月26日 ジョーディー・ウォーカー

80年代のインダストリアル系ポスト・パンクを代表するキリング・ジョークの中心メンバーで、ギタリスト。
心臓発作で、64歳だった。

11月30日 シェイン・マガウアン

1982年に結成されたケルティック・パンクのザ・ポーグスのボーカリスト。
1996年に解散したが、2001年に再結成されツアーを続けていた。
肺炎を悪化させて、65歳で亡くなった。

12月5日 デニー・レイン

ムーディー・ブルースのオリジナル・メンバーで、さらにその後のウイングスでの活動で知られている。
ウイングスでは、結成から解散までの10年間、終始ポール・マッカートニーを支え続けた。
コロナの後遺症である肺炎で亡くなった。
79歳だった。

ミュージシャン達の年齢を考えると、残念ながらこれから先の5年間くらいは訃報がまだ増えるのだろう。
そこから後の音楽はどうなってしまうのだろうか。
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<![CDATA[ライブ三昧復活の2023年]]>Sun, 03 Dec 2023 10:02:46 GMThttp://naomikubota.tokyo/blog/live_2023
2022年に再開したライブは、2023年にはいって完全に復活した。
ディープ・パープルやエリック・クラプトンといったベテラン勢に加えて、リナ・サワヤマやマネスキンのような旬のアーティストまで、多くの人たちが海外から来日してくれたことが大きな特徴であろう。
私自身、昨年末に「時間と財布が許す限り、片っ端から観に行くしかない」と書いたのだが、その通り、ライブがあればとにかく片っ端から参加してみた。
勢いで、2023年はフジロックとサマソニの両方とも行くことになってしまった。

1月20日(金) 東京ガーデンシアター リナ・サワヤマ

2022年のサマソニ以来、半年ぶりの凱旋ライブである。
サマソニ同様に、ギター、ドラム、ダンサー全て女性で編制され、超絶にかっこいい。
アコースティック・コーナーでは、"Dedicating to gay community" とのMCで、性的マイノリティに捧げる歌を歌い、会場中でレインボー・フラッグが掲げられた。
母国でのライブであるため、MCのほとんどはベタな日本語で通していたが、いわゆる "Anime" "Kawaii" "Harajuku" みたいな日系に対するステレオタイプを一切排したド直球の実力で勝負しているので、兎に角かっこいいのである。
ちょうど同時期、グウェン・ステファニーが Harajuku Girls なるプロジェクトで「まるでミンストレル・ショーだ」と文化的簒奪として批判を受け、アメリカのアジア系市民からボコボコにされているのと対照的だった。

2月13日(月) ガーデンホール クーラ・シェイカー

リナ・サワヤマに続き、クーラ・シェイカーも2022年のサマソニから1年もおかずに再び来日した。
サマソニでは時間の制約があったが、今回の単独ステージでは演奏時間も正味1時間半となった。
ノリのよい "Hey Dude" で幕を開け、途中にジョン・レノンのカバー "Gimme Some Truth" などを挟んで突っ走り、これまたノリのよい "Hush" でいったんエンディングとなる。
アンコールは「ジョージ・ハリスンに捧げる」とのMCで、ラーガ・ロックの "Gokula" から "Govinda" まで演奏。
クリスピアンは、サイケなプリントを施した2本のストラトを持ち替えていた。

2月19日(日) 東京ドーム レッド・ホット・チリ・ペッパーズ

2016年のフジロック、2019年のサマソニから4年ぶりの来日。
単独公演としては2007年から16年ぶり、ジョン・フルシアンテが復帰してからは初の来日となった。
広大な東京ドームがスタンドの上のほうまでビッチリと満席である。
セットリストは2022年にリリースされたアルバム "Unlimited Love" と "Return of the Dream Canteen" を中心にしたものだったが、過去のアルバムからも満遍なくピックアップされ、特にアンコールは " Blood Sugar Sex Magik" から2曲演奏された。
ライブのスタートが17時半と非常に早く、アンコールを含めて丸二時間の演奏であったが、まだ19時半という時刻に終了してしまい、若干気抜けしてしまった。
ちなみに今回初めて東京ドームの「バルコニー席」のチケットで入場したが、ステージは遠いうえに真横、モニターすらまともに見えないという状態で、はっきり言って価格が高いだけのクソ席だった。
野球観戦ならいいのだろうが、ライブで座る席ではない。

2月27日(月) 日本武道館 メガデス

こちらも2017年から7年ぶりの来日。
この日のライブはWowWowで生中継された他、全世界に同時配信された。
今回のライブには、旧メンバーで日本在住のマーティ・フリードマンが後半に参加し、"Countdown to Extinction" "Tornado of Souls" "Symphony of Destruction" の3曲を演奏して、激しいギター・ソロを繰り出した。
直前の24日の追加公演ではマーティが参加しなかったが、この日はマーティが参加した3曲がセットリストに追加される形となったとのことで、幸運であった。

3月3日(金) Zepp ダイバーシティ東京 アーチ・エネミー

2018年の六本木EX THEATERでのライブから5年ぶり。
直前にメガデスの来日があったこともあり、なぜかメガデスのシャツを着た観客が多かったのが笑える。
ライブは19時きっかりに始まって、アンコールを含めて丸二時間やってくれた。
クリア・ボイスから突如デスボイスに切り替わるアリッサの変幻自在のボーカルと、激しいヘッドバンキング。
そして、ギターは高速のスラッシュ・リフだけでなく、ブルーノートを多用した泣きのギターの絡みも聴かせてくれた。
デスメタルという狭いカテゴリーに捉われない素晴らしいバンドである。

3月8日(水) ビルボードライブ横浜 PUFFY

毎年必ず一度は見るPUFFY。
六本木のビルボードで観るのが通例だったが、今回は良い席が確保できなかったので、席に余裕のある横浜へ行ってみた。
相変わらずの脱力MCが心地好い。
この日のライブでは、洋楽のメドレーにチャレンジして、これがたいへん楽しかった。
まさかPUFFYの二人からガンズの "Sweet Child O'Mine" やMr. Bigの "More Than Words" が聴けるなんて予想すらしていない。
ビルボードのステージは短いのが残念だが、最後はお約束の「アジアの純真」「これが私の生きる道」で終了。
大満足。

3月11日(土) 有明アリーナ スティング

ポリスとしてデビュー45周年を迎えるタイミングでの、4年ぶりの来日。
今回は息子のジョー・サムナーがアコギ一本で30分ほどのオープニング・アクトを務めた。
ポリスの "Message in a Bottle" で開幕した後はほぼソロの曲が続き、後半になって "Walk on the Moon" "So Lonely" など再びポリスの曲を炸裂させ、最後は "Every Breath You Take"、アンコールは "Roxanne" で盛り上げた。
およそ二時間にわたるライブだったが、使い込んだベースを持ち替えることなく、ステージを走り続けた。
恐るべき71歳。

3月13日(月) 日本武道館 ディープ・パープル

ディープ・パープルも、2018年以来、5年ぶりの来日である。
1972年の初来日から実に51年経っており、当時20代だったイアン・ギランやロジャー・グローバーは77歳、イアン・ペイスは74歳である。
直前に脱退したスティーブ・モースに代わって加入したサイモン・マクブライドは、トリッキーな技を繰り出すわけではないが、しっかりとバンドを支えていた実力者である。
セットリストは新旧取り交ぜてのものとなったが、"Highway Star" で始まり "Black Night" で〆るという、正に51年前のライブを蘇らせる構成だった。
まさか51年も経ってから、この場所で "Highway Star" を演奏するとは、本人たちも夢にも思わなかっただろう。

3月26日(日) 幕張メッセ LOUD PARK

2017年を最後に、さらにコロナの影響もあって6年間開催されてこなかったLOUD PARKが、ようやく復活した。
ナイト・ウィッシュやストラトヴァリウスのようなシンフォ系に、カーカス、クリーター、スレイヤーといったゴリゴリのエクストリーム系、スラッシュ系を取り交ぜた、メタルの幅広いサブ・ジャンルを含むフェスとなった。
観客側にとっても待ちに待ったイベントであったため、午後早い時刻のブリード・フロム・ウィズインから、会場のあちこちでサークル・ピットやモッシュ、ダイブが炸裂。
ヘッドライナーのスレイヤーでは、ザック・ワイルドが超重量級のギターを堪能させてくれた。
バンドとバンドの間にまったく休憩がない、さながらメタル耐久レースのようだったが、とても楽しいイベントであった。

4月1日(土) ビルボード東京 リチャード・カーペンター

カレンが亡くなってから40年も経ってしまった。
カーペンターズとしての最後の来日は1976年なので、実に47年の時を経てのライブである。
まずはリチャードがピアノだけで "Close to You" を弾き始めたので、最初から涙腺決壊。
"Rainy days and Mondays" や "I Need to Be in Love" などのヒット曲が続くが、全てピアノのみの演奏である。
おそらくカレンへのリスペクトなのだろう。
一方、MCの時間はふんだんに取り、しかも通訳まで付けてくれており、日本のファンとのコミュニケーションに十分配慮してくれているのが判る。
しかも観客から質問を受け付けるコーナーまで設けてくれた。
「カレンのボーカルがワン・テイクでOKとなった曲があると聞いたが、どの曲か?」とのマニアックな質問に対して、リチャードは「カレンは才能があったのでワン・テイクの曲はいくつもあったが、"Only Yesterday" もその一つだ」と答えて、「本当はセットリストになかったんだけど」と言いながら、そのまま "Only Yesterday" を演奏してくれた。
この後は楽器をエレピに替えて、リチャードの娘たち3人が登場して、"I’ll be yours" や "Top of the world" を演奏。
さらに日本でのみリリースされていたというカラオケ音源を使っての "Jambalaya"。
観客には予め "Jambalaya" の歌詞が配布されており、シンガロングできるようになっているというサービスぶりである。
アンコールは再びリチャード一人となって "We've Only Just Begun" を演奏した後、娘たちが再度加わって "Yesterday Once More" を観客と共に合唱。
またも涙腺崩壊ライブである。

4月12日(水) 東京ガーデンシアター ボブ・ディラン

2018年のフジロック出演以来、5年ぶりの来日となった。
本来は2021年の春に予定されていたツアーがコロナの影響をもろに受けてキャンセルになってしまい、改めてプランされたものである。
ライブは予定の19時ぴったりに始まって、およそ100分間にわたって17曲を演奏した。
この間、ボブはグランドピアノから離れることなく、またMCもアンコールもないスタイルであった。
東京に先立つ大阪での3公演も東京とまったく同じセットリストであるとの情報を確認しており、さらに直前のヨーロッパ・ツアーでも同じセットリスト通りだったようである。
このライブでは、MC無し、アンコール無し、映像効果やモニター無し、しかもスマホ持ち込み禁止で、スマホは電源を強制的に切らされて、鍵付きのシールド・ケースに入れられてしまった。
いろいろ面倒くさい。

4月15日(土) 日本武道館 エリック・クラプトン

毎回「これが最後」と言われるエリック・クラプトンは、2019年以来、4年ぶりである。
今回は、来日公演100回目を含む記念すべき来日で、しかも初日は、初来日と同じ日本武道館でのライブとなった。
私自身も1975年の2回目の来日からほぼ欠かさず観ており、ライブアルバム "Just One Night" の音源にもなった武道館公演にも行っているので感慨ひとしおである。 
今回のライブの前半はブルースを中心としたエレクトリックなセットで、"Key to the Highway" や "I'm Your Hoochie Coochie Man" を演奏した。
中盤はアコースティック・セットで、"Nobody Knows You When You're Down and Out" や "Tears in Heaven" のような定番曲に加え、ブルースのカバーを数曲演奏した。
なお "Tears in Heaven" の途中にはプロコル・ハルムの "A Whiter Shade of Pale" を挟み込んだ。
この2年間に数名のメンバーが亡くなったことへの追悼だろう。
最後は再びエレクトリックに戻って、"Badge" や "Layla" などのヒット曲を炸裂させた。
ここ近年、車いす姿を目撃されるなどエリックの健康に不安があったが、今回のライブは現役感あふれるものであった。
80年代に一時間以上遅れたうえ泥酔していてボロボロな演奏を見せられた経験からは、開演予定の19時ぴったりに始まるのも考えられないことである。
今回のライブは、この20年くらいの中ではベストに入るのではないか。

4月20日(木) ビルボード横浜 PLAYING FOR CHANGE with Char

日本、アメリカ、ジャマイカ、南アフリカ、コンゴなど8か国からの総勢12名によるワールド・ミュージックの展示会のようなライブ。
ブルージーな曲もあったものの、ほとんどがリンガラやレゲエをベースにした天然のダンスミュージックだった。
Charはソロをあまり取らず、ほぼカッティングに徹していた。
シブくも楽しい時間だった。

5月10日(水) ビルボード東京 ジョージ・クリントン & PARLIAMENT FUNKADELIC

ほぼ一年おきに来日しているジョージ・クリントン & PARLIAMENT FUNKADELICを観るのは3回目である。
80歳を超えているジョージ・クリントン総裁は前回の来日で終始座りっぱなしだったが、今回はいきなり客席に飛び込むなど非常に元気で、半分の時間は歩き回っていた。
彼も健康が回復したようで何よりである。
バンドのメンバーは総勢14名におよび、狭いビルボードのステージはひしめき合うようであった。
今回の来日では、10分に渡るギターソロなど、メンバーそれぞれにスポットを当てる、従来見られなかった配慮がされていた。

5月12日(金) 川崎CLUB CITTA’ スティーヴ・ヒレッジ・バンド & ゴング

スティーヴ・ヒレッジ・バンドとゴングによる2018年以来5年ぶりの来日。
前回はビルボードでゴングにスティーヴがゲスト参加する形だったが、今回はしっかり2本立てのライブとなった。
とは言え、オープニングがゴングで、それにスティーヴとミケット・ジローディが加わったらスティーヴ・ヒレッジのバンドというものである。
ゴングは、複雑な変拍子と構成で、ピエール・モエランが主導権を握っていた頃の演奏を彷彿とさせるものであった。
一方、スティーヴ・ヒレッジが加わると、デヴィッド・アレンによる初期ゴングに近いものとなり、ライティング・ショウも Radio Gnome Invisible のアニメを多用していた。
ワウファズにエコーを効かせたスティーヴのギターが全開である。
しかし間に25分の休憩を挟んだとはいえ、ライブは3時間を超えており、演奏側の集中力と体力は大変なものあっただろう。

6月26日(月) ブルーノート東京 ラリー・カールトン

通常の私の守備範囲から完全に離れたジャンルであるが、たまにはよい。
クルセイダースやスティーリー・ダンの曲をそれぞれ数曲演奏してくれたが、さすがに私でも知っているし、締めは "Room 335"。
リアルタイムで聴いたのは中学生のときだったので、もう半世紀も経っている曲なのかと思うと、しみじみする。
当時はロングヘア―だったラリーも、今や完全なスキンヘッドになってしまった。

6月29日(木) Spotufy O-East ブラッディウッド

世界的に注目を集めている、ニューデリー出身の6人組のメタルバンド。
フロントは2人のリード・シンガー(というよりラッパー)が担い、定番のギター、ベース、ドラムに加え、インドの伝統的な打楽器奏者も参加している。
さらにベーシストは時折伝統的な横笛を吹くのだが、60年代のサイケ系のバンドやクーラ・シェイカーのような「ラーガロック」の風味は欠片も無い。
終始、爆音のメタルで、バンドも観客もヘッドバギングしっ放し、ジャンプしっ放しである。
ハードロックやメタルを半世紀聴いてきたのだが、これは完全に初体験であった。

7月21日(金) 日本武道館 トト

コロナ禍を挟んでの4年ぶりの来日。
残念ながらオリジナル・メンバーはスティーヴ・ルカサーだけになってしまった。
しかし他のメンバーも多くのバンドやレコーディング・セッションで磨き上げた凄腕ばかりで、しかも全員がリードボーカルも執れるため、コーラスも絶妙である。
演奏した曲数は15曲で1時間半を超えるくらいだったが、"Hold the Line" "Rosanna" "Africa" などのヒット・パレードで、お腹がいっぱいになった。
アンコールはビートルズの "Little Help from my Friend"。
スティーヴがリンゴ・スターのバンドでツアーをする際の定番曲だが、スローバラードにアレンジしたもので、こちらも素晴らしい演奏だった。

7月25日(木) Line Cube Shibuya   スパークス

2018年と2022年のサマーソニックで来日しているが、単独公演は2017年以来6年ぶり。
おりしもニューアルバム "The Girl Is Crying in Her Latte" がリリースされた直後であり、3割ほどの曲がここからのものだったが、"A Woofer in Tweeter's Clothing" や "Kimono My House" などからも幅広く選曲された。
飄々としたロンと、踊りまくるラッセルの好対象は相変わらずである。
ワールドツアーの最後が日本、しかも来日の最終日ということもあって、アンコール終了後も涙を浮かべて名残惜しそうに中々袖へ引っ込まない2人が印象的であった。

7月26日(水) 日本武道館 Mr.Big

2017年の来日から6年ぶり。
この間に、残念ながらパート・トーピーがパーキンソン病で亡くなってしまい、今回はニック・ディヴァージリオをサポート・ドラマーに迎えての公演となった。
Wow Wowの生中継が入っていることもあり、19時きっちりに始まり、30曲近くを2時間半繰り広げた。
特にビリー・シーンはダブル・ネックのベースを1時間近く使い続けており、恐るべき体力である。
セットリストはヒット・パレードで、途中のアコースティック・コーナーはアリーナの中心にセリ出た花道での演奏となり感涙。
最後には各メンバーの家族に加えて、パットの遺族をビリーがステージ上で紹介するサプライズもあり、メンバーも観客も全員が涙腺決壊状態になってしまった。

7月28日(金)~  30日(日) フジロック

コロナ蔓延まではフジロックかサマソニのどちらかに行くようにしていたのだが、私自身7年ぶりのフジロックになった。
今回の目当てはフー・ファイターズである。
2015年のフジロックで観たときは、デイヴ・グロールが骨折治療中で、椅子に座ったままだったことを思い出した。
残念ながらテーラー・ホーキンスが亡くなってしまうという事件を挟んでの再度のフジロックだが、デイヴはことあるごとに "For Fuji!" を叫び、まったく湿っぽくならずに最後まで駆け抜けた。
フー・ファイターズの日本でのライブは必ずゲストが参加するので、それも楽しみの一つであるが、今回はアラニス・モリセットが加わって、先日亡くなったばかりのシニード・オコーナーの "Mandink" を演奏。
さらに後半には翌日演奏する予定のウィーザーのパトリック・ウィルソンが現れ、"Big Me" に加わった。
最高である。
それから、フェスならではの楽しみ方の一つは、普段あまり縁のないアーティストやバンドを観ることである。
今まで一度もみたことがない矢沢永吉を見届けようというのも、今回の目的のひとつであった。
はっきり言って最高でした。
斜に構えて臨んだことを心底詫びたい。
「まもなく74歳になります。ストーンズは80歳でもがんばってるからね。ははは、言っちゃった」との自爆MCも素敵だった。
永ちゃんに頭を引っ叩かれたような思いをしたのも、今回最大の成果。

8月14日(月) ブルーノート東京 小野リサ

フジロックとサマソニの谷間の、ブルーノートでボサノヴァ。
いただいていた招待券を使ったので、ミュージック・チャージは無しで観ることができた。
小野リサのバンドでサックスを吹いていたブラジル出身のGustavo Anacletoさんは、直前のフジロックで永ちゃんのライブでも吹いていたことがリサのMCで発覚。
守備範囲が広すぎである。

8月19日(土)~  20日(日) サマーソニック

フジロックから僅か3週間後のサマーソニック。
懸念された台風の影響はなく、空は晴れ渡り、とにかくクソ暑いが、初日は一日中マリン・スタジアムのスタンドから観戦することにした。
正午から始まった韓国の女性チームのニュージーンズから、すでにアリーナは溢れんばかりの人でいっぱいになっており、スタンドもてっぺんまで満席である。
一年前のストラッツでは、アリーナの前のほうに一塊の人がいるだけだったので、一年でこの変わりようには驚いた。
主催者側が「モッシュやダイブやるな」って言ってるのに、バンド自ら率先して客席のど真ん中にダイブするファール・アウト・ボーイ。
9年ぶりの来日となったブラー。
すっかり体が干上がってしまったが、最高であった。
なお、読売新聞が「大量の熱中症による搬送者が発生」と報じていたが、確かに殺人的な日差しだったので、日陰にいなければ多分10分で倒れただろうと思う。
やはりステージまで多少遠くても、スタンドの屋根の下で観戦するに限る。
二日目は、まずメッセ内のマウンテン・ステージで、ノヴァ・ツインズと、ももクロの二組の女性グループを観てから、再びマリンのスタンドへ移動。
この日の目当てはリアム・ギャラガーだったが、それまでK-Popやラップなど普段はほとんど縁のないジャンルの人たちのパフォーマンスをリラックスして楽しんだ。
リアムは、セットリストの半分がオアシス時代の曲で、観客と大合唱。
この時点で既に8時間経過しており、完全に力尽きてしまった。
リアムの後は再度マウンテン・ステージへ戻ってBabymetalを観るつもりだったが、体力も気力も完全に限界を超えていたため、ここで打ち止めである。
やはり真夏の酷暑の下でのフェス二日間はきつい。

9月19日(火) KT Zepp Yokohama エクストリーム

ニューアルバム "Six" を引っ提げての、7年ぶり、10回目の来日。
"It" や "Decadence Dance" といった古典的名曲で幕を開け、2時間にわたり19曲を演奏してくれた。
ニューアルバムからも4曲演奏し、アンコールはすべて新曲で占められていた。
自分達の曲の頭に、クイーンの "We Will Rock You" や "Fat Bottomed Girls"、ヴァン・ヘイレンの "Eruption"、ジェームス・ブラウンの "Sex Machine" を持ってくるような、先人に敬意を払う遊びも見せてくれた。
途中、"Midnight Express" でヌーノが8分に渡るアコースティック・ソロを披露し、そのまま "More Than Words" に突入したが、その他はひたすらファンキーでノリのいいハードロックで押し通した。
メンバー4人とも終演後もなかなか引っ込まず、名残惜しそうにしていたのが印象的であった。

9月21日(木) Zepp DiverCity オリアンティ

2016年のリッチー・サンボラとの公演以来、7年ぶりの来日。
今回は自身のバンドを引き連れてのライブとなった。
途中で2つのアコースティック・ナンバーを演奏したが、それ以外はすべてヘヴィなハードロックとブルースである。
マイケル・ジャクソンのバックで演奏していた "Black and Whie" を披露したほか、自らヒーローと公言するサンタナの "Europa" やジミ・ヘンドリックスの "Voodoo Chile" もカバー。
アンコールも含めて1時間20分程度で、昨今ではコンパクトなセットだが、充実したステージだった。

9月23日(土) Zepp DiverCity テスタメント / エクソダス / デス・エンジェル

西海岸スラッシュ・メタルの3バンドが The Bay Strikes Back と題したパッケージ・ツアーで来日した。
会場側から事前に「モッシュやダイブはお止めください」とのアナウンスがあったにもかかわらず、オープニングのデス・エンジェルから激しいモッシュが開始。
エクソダスは「写真を撮ろうが、ダイブしようが全然かまわないから気を付けてやってくれ」とのMC。
さらに最前列の客に向かって「左右に分かれろ」と指示して、わざわざサークルピットのための準備まで煽る始末である。
最後のテスタメントまでおよそ4時間、立ちっぱなし、暴れっぱなしで、完全に力尽きた。

10月17日(火) 豊洲PIT スティーヴ・ヴァイ

スティーヴ・ヴァイの単独来日公演は2014年以来9年ぶり。
2014年のときはビルボードだったので演奏時間は1時間程度であり、その後の2019年の来日はザック・ワイルドやイングヴェイ・マルムスティーン、ヌーノ・ベッテンコートらとの "Generation X" としてだった。
たびたび来日してくれてはいたものの、2時間半にもわたってスティーヴの演奏を堪能できたのは初めてである。
セットリストはオープニングの "Avalanche" を含め、半分近くがアルバム "Inviokate" からのもので、ほぼインスト。
ギターをボーカルに模してのコール・アンド・レスポンスまでやってみせた。
途中、トリプル・ネックのギター「ハイドラ」を用いた凄まじい演奏の後は、会場に居合わせた日本人製作者を紹介する心遣いもあった。
長時間にわたるインストのライブだったが、まったく飽きることのないものであった。

10月18日(水) TOKYO DOME CITY HALL テデスキ・トラックス・バンド

デレク・トラックスとスーザン・テデスキの夫婦を中心に、ツイン・ドラムやホーン・セクションなど総勢12名の大編成のバンド。
スーザンの強烈なボーカルとギターに絡んで、デレクのスライド・ギターが炸裂する。
来日直前の全米ツアーでは、連日、全曲総入れ替えのセットリストで演奏していたので、曲目はまったく予測がつかない。
この日はデレク・アンド・ザ・ドミノスの "Bell Bottom Blues" をカバーしたが、日によってはオールマン・ブラザースやレオン・ラッセルのカバーになることもあるようだった。
要するに、行けるものなら全日程行けということなのだろう。
21世紀も四半世紀過ぎているのに、こんな音を浴びることができるとは思わなかった。

11月3日(金) Kアリーナ横浜 モトリー・クルー / デフ・レパード

デフ・レパードとモトリー・クルーのダブル・ヘッド・ライナーのライブ。
デフ・レパードは2018年から5年ぶり、モトリー・クルーは2015年以来、実に8年ぶりの来日となった。
この組み合わせで8月まで全米ツアーを行っており、横浜がワールド・ツアー再開の初日となった。
デヴィッド・ボウイの "Heros" が爆音で流れる中、予定の17時ぴったりにデフ・レパードから始まった。
デフ・レパードはニュー・アルバムの "Take What You Want" から始まり、最後の "Photograph" まで全17曲のヒット曲を一時間半にわたって繰り広げた。
後半、ジョーの声がかすれてきたのが残念である。
その後30分のインターバルを挟んで、モトリー・クルーが開始。
こちらも "Wild Side" から "Kick Start My Heart" までヒット・パレード。
引退したミック・マースの後継ギタリストであるジョン5が大活躍しており、さりげないフレーズの中にもトリッキーな技を繰り出して、ミックの穴を埋めるどころか、ライブを完全に牽引していた。

11月19日(日) すみだトリフォニーホール ダリル・ホール / トッド・ラングレン

トッド・ラングレンとダリル・ホールの来日共演。
この二人の組み合わせで全米ツアーを行った直後の来日である。
会場の「すみだトリフォニーホール」は、2019年のトッド・ラングレン単独公演の際にも使った会場だ。
ダリル・ホールは2015年のホール&オーツ以来、8年ぶりの来日になった。
まず第一部はトッド・ラングレンが登場し、およそ一時間の演奏を繰り広げた。
一曲目の "Real Man" から、途中のモータウン・メドレーも含め、トッドらしさが何も変わっていない安定のライブだった。
トッドの後に20分ほどの休憩を挟んで、ダリルが登場。
バンドのメンバーは、トッドのときと変わらない。
ソロ・アルバムやホール&オーツの曲はもちろんのこと、ポール・ヤングに提供した "Everytime You Go Away" やユーリズミックスの "Here Comes the Rain Again" のピアノ弾き語りまで披露してくれた。
そしてアンコール一回目は、トッドも参加して "Wait for Me" や "Can We Still Be Friends" を演奏。
二回目のアンコールはお約束の "Private Eyes" で盛り上がった。

11月24日(金) Line Cube Shibuya   ワイナリー・ドッグス

マイク・ポートノイ、ビリー・シーン、リッチー・コッツェンによるスーパー爆音トリオ。
このバンドとしては2016年以来7年ぶりの来日だが、ビリー・シーンは7月にMr. Bigで来日してから4か月しか経っていない。
客電が落ちて、グランド・ファンクの "We're an American Band" とジョージ・クリントンの "Atomic Dog" が爆音で流れる中、三人が登場。
アンコールの "Regret" でリッチーがピアノを弾いた箇所以外はバラードも無く、すべて爆音のハード・ロックで押し切った。
ビリー・シーンのベース・ソロは8分にも及んでおり、Mr.Bigでは彼なりに抑制をかけていたのだろうと推測された。

12月2日(土) 有明アリーナ マネスキン

2022年のサマソニのマリンステージから1年半を経ての単独初来日で、丸二時間の演奏を繰り広げてくれた。
この期間に人気が世界的にうなぎ上りで、広大な有明アリーナも満席となっていた。
ステージはライティングを駆使した演出で、これも真昼間のサマソニからまったく異なるものであった。
途中、アリーナ席のど真ん中にステージが浮かび上がり、アコースティック・セットを披露するサプライズも。
ギターのトーマスは、4回に渡って客先にダイブして演奏し、ヴォーカルのアミアーノも客席にダイブして歌ってくれた。
現在進行形で最高峰のバンドである。

毎年年末、必ずビルボードで観ていた岸谷香さんのライブが、なぜかこの冬は1月とのことで、マネスキンが年内最後のライブ観戦となった。
年が明ければすぐ、クイーン、ポール・ウェラー、クーラ・シェイカーなどが目白押しなので、とても楽しみである。
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<![CDATA[Kアリーナ横浜 終演後の混雑]]>Sat, 25 Nov 2023 09:05:15 GMThttp://naomikubota.tokyo/blog/k2
2023年9月にオープンしたばかりの「Kアリーナ横浜」で、ライブ終演後の混雑がひどいと報道されている。
これを受けて、会場の運営会社が「退場についてのお詫びとご報告」をアナウンスする事態になっていた。
このアナウンスには、退場ルートの図が掲載されている。
私自身も、11月3日にモトリー・クルーとデフ・レパードのライブを観戦した際、大渋滞に巻き込まれた。
その時の経験を踏まえると、運営会社作成の図には、重要な情報がいくつも欠けていると言わざるを得ない。
それらの情報を書き加えると、こんな感じであろう。
まず、通路が全て鉄柵で封鎖され、数メートル幅しかなかった。
さらに直角に曲がる箇所が2地点あり、そこに人が滞留してしまう。
そして滞留の先は下り階段になっていた。

さて、ここで兵庫県警が作成した資料「雑踏警備の手引き」を見てみたい。
これは、2001年に死者11名、負傷者229名という大惨事を引き起こした、明石市の花火大会での事故の反省を踏まえて作成されたものだ。
現在、各種イベントやデモ行動まで、安全を確保するために幅広く活用されているようである。
この資料の35頁に、こんな図が掲載されている。
「動線が直角に近い状態に曲折している場合に、危険が増大する。さらに、階段や下り坂であれば最悪である」とのことである。
これは正にKアリーナでの動線そのものではないか。
そして、このような状態の中で、明石の大事故が発生したのだ。

この危険な状態を解消するのは、それほど難しいことではあるまい。
要は、「鉄柵」も「歩道へ出る箇所への出場規制」も解除すればよいだけだ。
環状線となっている道路「高島台第298号線」は車両通行が殆ど無いんだから、一時的に歩道として確保すればいいだろう。
アンパンマン・ミュージアム横の通路を封鎖する意味もわからない。
結局、要所要所に配置すべき要員の準備に手を抜いているだけの話なのではないか。
まず運営会社には、兵庫県警の「雑踏警備の手引き」を熟読して、研究してもらいたい。
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<![CDATA[フジロックとサマソニに参戦]]>Sat, 26 Aug 2023 10:57:21 GMThttp://naomikubota.tokyo/blog/fes2023
コロナ蔓延の前までは、毎年フジロックとサマーソニック(以下「サマソニ」)のどちらかに必ず参戦していた。
この夏、コロナ自体は第9波で高止まりしたままだが、フジロックもサマソニも通常の開催に戻ったので、この際両方フルに参加してみることにした。

まず7月28日から30日の3日間がフジロックである。
天気に恵まれたのはよかったが、とにかく日差しとの闘いだった。
メインのグリーン・ステージは、日陰を求めて数少ない樹木の下の奪い合い。
フィールド・オブ・ヘブンは最後方に若干の日陰があったものの、時間とともに一面日向になってしまった。
10分も日に当たっていると、意識を失いそうになるほど暑い。
しかたないので、現場にあった工作物と木の間にビニールシートをぶら下げて、簡易テントを作ってみた。
テントの持ち込みや日傘が禁止事項であるのはもちろん判ったうえでの事なのだが、ここから後ろには藪で誰もいないし、見逃してくれたようである。
ところで今回のフジロックでは、全ての飲食で現金が使えず、電子決済が導入されていた。
これが超絶ポンコツな代物で、特にパスモなど交通系カードは処理に数分かかる始末である。
おかげでどの店舗も長蛇の列で、稲荷寿司を買うだけで30分もかかっってしまった。
店側もこんな回転率では商売にならず、「お客様からも運営に苦情入れてください」と頼まれるような状況だった。
当然ながら初日に相当数の苦情が主催側にあったと思われ、二日目からは「現金不可」があっさり撤回された。
まるで某マイナ保険証のような大失態である。
客は待たされ、店側はピンハネされ、誰も幸せにならない仕組みなので、来年は止めてもらいたい。
個人的に、今年のフジロックの最大の目当ては、2日目のフー・ファイターズだった。
テイラー・ホーキンズ亡き後どうなることかと思ったが、デイヴ・グロールを中心に、完璧なショーを繰り広げてくれた。
そして思わぬ収穫だったのが、初日の永ちゃんである。
いままで全く縁のない人だったが、本当に最高だった。
なんでファンがあんなに熱くなるのかも、よくわかった。
これは一緒にタオル投げしたくなりますよね。
こういう体験があるから、フェスは止められないのである。
フジロックの最大の問題は、宿泊と交通機関であろう。
苗場から下山するためのバス待ちを避けるため、フー・ファイターズの最後の数曲を残してグリーン・ステージからバス乗り場に向かったのだが、これがまったく甘かった。
既にバス待ちの列は乗り場が見えないところまで伸びており、しかもまったく動かない。
22時過ぎに並び始めたのに、バスに乗れたときはもう日付が変わっていた。
過去には、越後湯沢から苗場へ向かうバスも2時間以上待ったことがある。
これは本当にどうにかならないのだろうか。

フジロックから3週間経過して、8月19日と20日の2日間がサマソニである。
こちらも心配された台風が逸れて、朝から雲一つない晴天。
初日はマリン・スタジアムに腰を落ち着けて、一日過ごすことにした。
マリンはステージに向かって右側のスタジアム席なら終日日陰になっていることを経験上わかっていたので、さっそく居場所を確保。
しかしスタジアムから眺めるアリーナの人出は凄まじいものである。
昼過ぎのNewJeansから、身動きも取れないであろうほどの立ち見客になっている。
昨年の同じ時刻帯では、アリーナの前方に一塊の人たちがいるだけだったので、数倍どころか数十倍の人出になっていたのではないか。
翌日の報道で知ったが、案の定100人以上が救護室に運び込まれ、救急搬送された人もいたとのこと。
ステージの前のほうで観たい気持ちは痛いほどわかるが、真夏のフェスは無理せず安全第一で過ごしたほうがよいだろう。
それから主催者側が「モッシュやダイブやるな」と警告しているのに、ファール・アウト・ボーイのようにバンド自ら率先して客席のど真ん中にダイブする連中もいるから、アリーナはいろいろ覚悟したうえで臨まないと本当に危険である。
そしてサマソニ2日目は、まずメッセ内のマウンテン・ステージで、ノヴァ・ツインズとももクロを観る。
ノヴァ・ツインズはイギリスの女性二人組で、楽器は歪みまくった爆音ベースとドラムのセットが殆ど。
初めて聴いたが、これは大収穫だった。
この後は例によってマリンへ移動し、目当てのリアム・ギャラガーまでのんびり過ごす。
リアムのステージの半分はオアシス時代の曲で占められ、大合唱大会になる。
当初の予定では、ここで再びマウンテン・ステージに移動してベビメタを観るつもりだったが、もう力尽きてしまい、撤退することにした。
ベビメタのライブも凄くよかったらしいので残念であるが、体力の消耗には勝てないので仕方ない。

さて、フジロックとサマソニを続けてハシゴしたのは初めてなので、いろいろ比較しておきたい。

フジロックは宿泊関連がとにかく最悪。
毎度、苗場周辺で宿を確保できるはずもなく、越後湯沢やかぐら周辺、場合によっては新幹線で一駅乗って、浦佐に宿を取ることもあった。
今年泊まった宿は、なんと風呂無し、トイレ無し、さらに空調無しという驚愕の環境だった。
これで幕張のホテルのツイン一人使用とほぼ同価格なのであるから、これをボッタクリと言わずして何と言えばいいのか。
それから、前述したように、苗場のバス待ち時間も最悪である。
自宅からサマソニまでの移動時間と、苗場のバス待ちの時間がほぼ一緒。
首都圏に住んでいれば、サマソニ日帰りも全然苦にはならない。
フジロックのバス待ちは苦行である。

加えて、サマソニではマダニに咬まれない。
うまくスケジュールを考えれば、直射日光を避けられる。
そして何と言ってもトイレが清潔だし、一歩会場の外に出れば普通に食事ができる。
結局、出演者の顔ぶれ以外においては、すべての点でサマソニに軍配を上げざるを得ない。
もう自分の年齢的にも、フジロックは無茶になってきているのだろう。
残念である。
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<![CDATA[ポピュリズムとしての維新の危険性]]>Sun, 25 Jun 2023 07:52:09 GMThttp://naomikubota.tokyo/blog/ishin_populism
Photo by Marija Zaric on Unsplash
近年、先進諸国で、ポピュリズムと呼ばれる政党や運動が大きく伸張しており、日本もまた例外ではない。
水島治郎の「ポピュリズムとは何か」によれば、ポピュリズムには二つの定義が与えられている。
  • 第一の定義は、固定的な支持基盤を超えて、民衆に幅広く直接訴えかける政治スタイルである。
  • 第二の定義は、政治変革を目指すという名目で既成の政治やエリートを批判する政治運動である。

​そして水島は、ポピュリズムの特徴を次のように四点挙げている。
  • 第一の特徴は、政治エリート、メディア、高学歴層などの「特権層」に対する「普通の人々」のルサンチマンを代弁する手法をとることである。このような主張は同質的な集団を形成し、外国人や民族的・宗教的もしくは性的マイノリティに対する排外主義へ容易に転換する。
  • 第二の特徴は、政治的・経済的のみならず社会的・文化的にもひと握りの人々が支配を固めているとするプロパガンダである。
  • 第三の特徴は、いわゆる「カリスマ的リーダー」の存在と、彼らによる明確で端的な言語表現である。
  • 第四の特徴は、イデオロギーとしての薄さが挙げられる。

ポピュリズムは必ずしもデモクラシーと対立的な関係にあるものではなく、ポピュリズムの主張の多くは、デモクラシーの原理原則から派生しており、むしろデモクラシーの理念と重なり合う面が多い。
デモクラシーを立憲主義的に解釈すると、法の支配、個人的自由の尊重、議会制を通じた権力抑制などを重視することになる。
一方、ポピュリズムの立場からデモクラシーを解釈すると、統治者と被治者の一致、直接民主主義の導入など、民衆の意思に重点が置かれる。
さらにポピュリズムとデモクラシーの関係を分析すると、ポピュリズムにはデモクラシーの発展を促進する面と、阻害する面が存在することが明らかになる。

デモクラシーの発展を促進する面としては、三点考えられる。
  1. 政治から排除されてきた集団の政治参加の促進が考えられる。
  2. 社会的な壁を越えた、新たなイデオロギーを提供する可能性がある。
  3. 対立的な側面を呼び起こすとこで、政治の活性化が可能になる。

他方、ポピュリズムは、デモクラシーの発展を阻害する面も持つ。
  1. 民衆の意思を重視する一方、権力の分立や抑制など立憲主義の原則を軽視する。
  2. 敵と味方の峻別により、対立や紛争を先鋭化させ、深刻な分断を生み出す。
  3. 投票によって一挙に決することを重視するあまり、熟議による統治を破壊する危険がある。

21世紀の我が国におけるポピュリズムの具体的な事象・現象としては、地域政党「大阪維新の会」を母体とする政党「日本維新の会」(以下「維新」)が挙げられる。
維新による政治の第一の特徴は、明確で端的な言葉を使って敵と味方を峻別し、民衆の情念に訴えて対立を先鋭化させる手法に長けていることである。
例えば、橋下徹が2008年に大阪府知事選に出馬した際、「机を蹴り飛ばす勢いで府庁を変える」と発言するなど、役所や公務員をスケープゴートに設定し、公然と敵に回す態度を取り続けた。
「敵の認定」は、社会的エリートにも向けられた。
例えば、維新が提唱した「大阪都構想」を批判した大学教授らを、橋下は「バカ学者の典型」「抜群に地頭が悪い」「この小チンピラ」と罵倒した。
「敵の認定」は、しばしばマイノリティに対するヘイト扇動にまで突き抜ける。
その極端な例は、維新の衆議院予定候補だった長谷川豊による「自業自得の腎臓透析患者なんて、全員実費負担にさせよ。無理だと泣くならそのまま殺せ」という発言である。
第二の特徴は、メディアに対する恫喝と取り込みである。
橋下は知事就任当初から、批判的なメディアの記者を実名で吊し上げ、執拗に攻撃を続けた。
例えば、維新の政策に批判的な質問した毎日放送の女性記者に対し、「勉強不足」「そんな事も知らずに取材に来るな」と感情をむき出しにして攻撃した。
NHK、朝日新聞、毎日新聞などに対しても同様の攻撃が加えられている。
その結果、在阪メディアは委縮し、維新に対する批判をほとんど行わなくなってしまった。

第三の特徴は、住民投票へのこだわりである。
住民投票は、熟議を根幹とする議会制民主主義を補完する制度としての意義を否定することはできない。
そして、住民の直接請求に基づく首長や議員の解職は、住民の権利の正当な行使である。
一方、維新が二回にわたって住民投票を推し進めた「大阪都構想」の内容は、2015年2月の「特別区設置協定書」によると、①大阪市の現行24区を廃止し新たに5特別区を設置、②府と市で重なっていた「二重行政」の解消、③これによる新たな財源の創出、といったものだった。
しかし議論の段階でも、区割りの妥当性、「無駄な二重行政」は本当に存在するのか、財源の根拠が不確かで甘すぎるのではないか、といった指摘がなされていた。
このような複雑な利害関係やテクニカルな諸問題は、府議会、市議会、法定協議会で熟議に熟議を重ねて検討されるべきであり、単純に投票で決着をつけるような性質のものではない。

以上のように、維新による政治をポピュリズムの一形態として検討すると、デモクラシーの発展を促進する面としては、「大阪都構想」の欺瞞に気が付いた市民が中核となり、自民党から共産党まで既存の政党が緊張感をもって「反維新」の統一戦線を一時的にせよ生み出したことが挙げられよう。
(もっともこの統一戦線は公明党の裏切りによって瓦解してしまった。)
その他には、デモクラシーの発展を促進する面はほとんど見当たらない。

逆に分断や差別を先鋭化させ、統治機構を破壊して、人心を荒廃させるような、デモクラシーを阻害する弊害ばかりが際立っている。
​維新は、ファシズムへ突き進む危険性を孕んでいる、警戒すべき集団と看做すべきであろう。

参考文献・引用文献
・水島治郎『ポピュリズムとは何か』(中央公論新社、2016年)3~28頁
・松本創『誰が「橋下徹」をつくったか』(140B、2015年)18~19、199~202頁
・富田宏治『維新政治の本質』(あけび書房、2022年)90頁、112~113頁
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<![CDATA[改憲論議における環境権論の欺瞞]]>Sat, 13 May 2023 07:10:49 GMThttp://naomikubota.tokyo/blog/env_law_2
Photo by Rob Morton on Unsplash
環境法の規範は権利と義務に大別できるが、従来は主として環境権のあり方を中心に環境権論が規範論の主流であった。
環境権は、公害訴訟に勝利するための戦略として原告(被害者)側から主張されてきており、利益衡量を許さない絶対的権利として構成された。
このような絶対的環境権は、個々の住民が地域における生活環境を破壊する行為に対して、その差止や損害賠償を請求することができる根拠になるとする。
一方、受忍限度論は、不法行為の要件の一つである違法性の有無を、諸要素を比較衡量し、社会生活上受忍すべき限度を超えたかどうかによって判断する考え方である。
受忍限度論は利益衡量論に依拠する法理論であり、環境民事訴訟(損害賠償、差止)における違法性の有無を評価するための理論として機能してきた。
環境権論は原告側の訴訟戦略とされ、損害賠償請求や差止請求の法的根拠として主張されたが、裁判所は環境権を採用せず、利益衡量論の応用である受忍限度論に立脚して問題解決をしてきた。
受忍限度論は判例が一貫して採用している法理論であり、公害訴訟の各判決は受忍限度論など公害法理論の発展に貢献した。

  • 環境権の判例

環境権訴訟として有名な伊達火力発電所訴訟では、火力発電所建設禁止に係る差止請求について、原告らの主張する環境権が差止請求の根拠となるかが主たる争点となった。(最判昭60・12・17判時1179号56頁、判タ583号62頁)
本判決は、憲法13条と25条1項は綱領的規定であるとし、「個々の国民に、国に対する具体的な内容の請求権を賦与したものではない」、「私法上の権利としての環境権を認めた規定は、制定法上見出しえない。」と述べ、環境権を認めなかった。
なお、憲法13条は個人の尊重や幸福追求権について規定しており、25条1項は社会権のひとつである生存権を保障している条文である。
第13条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第25条
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
​東海道新幹線訴訟では、列車走行による騒音・振動の差止と損害賠償の各請求につき、差止請求の適法性、差止請求の法的根拠としての人格権侵害、新幹線列車の走行に伴う騒音・振動とこれによる被害の内容、差止請求と受忍限度、新幹線列車の走行と国賠法2条1項の適用、損害賠償請求と受忍限度、後住者と危険への接近の法理、慰謝料額、将来の慰謝料請求の適法性などが争点になった。(名古屋高判昭60・4・12)
本判決は、「環境権を私法上の権利として認めることはできず、本件差止請求の法的根拠とはなし得ないものであり、環境権に基づく原告らの請求は失当である。」と述べ、環境権が絶対的権利として主張されていることについて受け入れられないとしている。
環境権に関するその他の裁判例もほぼ同様の考え方をしており、環境権には実定法上の根拠がないのみならず、その成立要件、内容、法律効果等も極めて不明確であり、これを私法さらには環境法上の権利として承認することは法的安定性を害するなどと指摘されている。

  • 受忍限度論の判例

一方、受忍限度論の判例としては、熊本地裁での判決が知られている。(熊本地判昭50・2・27判時772号22頁、判タ318号200頁)
本訴訟では、し尿処理施設からの放流によって漁業や健康の被害が予想されるとして、周辺住民67名が施設の建設禁止の仮処分を請求した。
本判決は、「被申告人において、設置予定の施設が真実海水汚濁の最低基準を守る性能を有するものであるかどうかを精査するほか、少なくとも、本件予定地付近海域の潮流の方向、速度を専門的に調査研究して放流水の拡散、停滞の状況を的確に予測し、また同所に棲息する魚介類、藻類に対する放流水の影響について生態学的調査を行い、これらによって本件施設が設置されたときに生ずるであろう被害の有無、程度を明らかにし」なければならない」と述べ、環境影響事前評価を、代替案の検討や住民との話し合いという手続的要素とともに、重要な要素であると位置づけた。
また、名古屋地裁は、ごみ焼却場の建設差止の請求について、「被申告人の実施したアセスメントは、その規模、内容に照らし、著しく不十分であり、極論すれば、アセスメントの名に値しないと認められる」とし、「被申告人に操業を認めることは、申請人らに対し、公害発生による受忍限度を超える被害をもたらす蓋然性が大である。」と述べ、申請中操業の差止を容認した。(名古屋地判昭59・4・6判時1115号27頁、判自4号95頁)
判例における受忍限度の判断要素は、被害の性質・内容・程度、地域性、加害行為の態様、環境基準、公共性の有無・程度、損害の程度、損害防止措置の有無・内容・効果等があり、違法性の有無はそれら諸事情を比較衡量して総合的に判断されている。
受忍限度論は利益衡量論であるから、環境立法における基準やその他の規律に違反したからといって直ちに違法と評価されるわけではなく、逆に、基準や規律を遵守していたからといって違法にならないというわけでもない。
ここに行政法の規制にはみられない、受忍限度論の弾力性があると考えられている。

  • 環境権をめぐる改憲論の動き

以上のように、司法は一貫して、環境権は憲法13条や25条1項から導かれるものではないとの立場をとってきた。
このため、環境権を憲法に明記すべきであるとの主張が根強くされてきた。
そして、その筆頭が政府与党の一角を占める公明党なのである。
公明党は2012年の衆院憲法審査会で、「現行憲法では、環境という文言も環境権という規定もない。個人の尊厳や人権といった概念だけでは把握できないし、13条の幸福追求権や25条の生存権から導き出すことには無理がある」として、現行憲法に環境権を加える必要性を指摘している。
さらに2017年の参院憲法審査会では、「新しい人権」の一つとして、知る権利、プライバシーの権利、生命倫理、犯罪被害者の権利などと共に、環境権が議論された。
ここで、環境権を人権として「加憲」すべしとの主張を展開したのは、公明党と並んで、自由民主党であった。
常々「人権」を理解せず忌み嫌ういっぽうの自由民主党が、環境権に対してとるこの態度を、いったいどう理解すべきなのだろうか。
これについては、実は憲法改悪を目論む一味が、その本音を漏らしてしまっている。
改憲論者の先鋒であるグロービスは2016年、「環境権などの新たな基本的人権を追加するとともに国民の責務を憲法に明記せよ!」なる記事の中で、環境権と憲法13条、そして改憲について次のように述べている。
約70年前の憲法制定以降の社会の変化によって生じた新たに保障すべき人権を、(中略)学説、判例でどこまで認めるかは諸説あるが、環境権、プライバシーの権利、日照権、静謐権、眺望権、平和的生存権などだ。
社会の変化に対応して、新たに人権を憲法に追加すべきだという議論は、国民的な賛同が得られやすい。
このため、憲法改正の運動論としても、最大限に手厚い人権保障を憲法に盛り込むことは、ぜひとも実現させたい。
要するに、「改憲」のために「環境権を餌として利用してやろう」ということに過ぎないのである。
極めて卑劣、卑怯な戦略と言わざるを得ない。
こうした連中の「環境権による加憲」論議になど騙されてはいけない。

本稿は、中央大学法学部通教課程「環境法」でのレポートを元に加筆したものです。

参考文献・引用文献
・小賀野晶一『基本講義 環境問題・環境法(第2版)』(成文堂、2021年)57~87頁
公明新聞(2012年6月8日)
参議院憲法調査会「日本国憲法に関する調査報告書」(2005年4月20日)
<第25条(生存権)関連> 持続可能な社会とするための国の環境保全責務の明記を!(2016年11月17日)
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<![CDATA[旧公害対策基本法から環境基本法への発展 ~ 国は環境基本法の理念に立ち返れ]]>Sun, 16 Apr 2023 09:00:18 GMThttp://naomikubota.tokyo/blog/env_law_1
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戦後復興に伴う重工業中心の急速な経済発展の結果、大気汚染、水質汚濁、地盤沈下などの環境負荷の増大とその影響を受ける住民の増加が相乗効果を生み、健康・財産被害が大きな社会問題となっていった。
熊本水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜん息という「日本4大公害事件」の被害も、深刻の度を増していた。こうした状況に対し、1958年にいわゆる水質二法(水質保全法、工場排水規制法)が制定され、1962年にはばい煙規制法と地下水採取規制法が制定された。個別法による対応はそれなりに進められてはいたが、公害の未然防止の必要性が強調されるとともに、発生源規制、土地利用規制、公害防止公共施設の整備、科学技術振興などの施策を総合的かつ計画的に推進する枠組的法律の必要性が議論されるようになった。
公害対策基本法は、こうした背景のもとに、1967年に制定された。

新たな基幹法の必要性が議論されるのは、1990年代になってからである。
この時期の環境問題は、それ以前と異なってきた。
第一に、地球規模の環境問題の発生である。オゾン層破壊、酸性雨、地球温暖化、廃棄物の越境移動、野生動植物の違法取引などに関して国際条約が締結され、その国内法対応が求められていた。
第二に、国内的に廃棄物が大きな環境負荷と認識され、リサイクルや省エネルギーの必要性も強く意識されるようになってきた。
第三に、環境影響に関する因果関係についての科学的知見が必ずしも十分ではない物質や活動を制御する必要性が認識されるようになってきた。このような背景を踏まえて、環境基本法が1993年11月に制定された。

環境行政に新たな基幹法が必要とされた理由は、1992年10月の中央公害対策審議会ならびに自然環境保全審議会の答申『環境基本法制のあり方について』において、詳しく述べられている。その内容は、次の通りである。

現在の環境問題は、地球規模という空間的広がりと将来世代への影響という時間的広がりを持っている。
人類の生存基盤たる有限の環境資源を保全し、これを次世代に引き継ぐことは、人類共通の課題である。これまで、1970年の公害国会などにおける法令整備の結果、環境汚染や自然破壊に対して、環境政策は相当程度の効果をあげてきた。
しかし、現在では、都市・生活型公害などの新たな課題が発生し、地球規模の環境問題も深刻さを増している。
こうした状況に的確に対応し、環境の恵沢を現在および将来の国民が享受するためには、従来のような問題対処型・規制的手法中心の法的枠組みでは不十分であり、社会全体を環境負荷の少ない持続的発展が可能なように変える必要がある。
そのために、環境保全に関する種々の施策を総合的・計画的に推進する法的枠組みを含む基本法を制定し、国、自治体、事業者、国民が共通の認識に立って、公平な役割分担を踏まえつつ、それぞれの立場から問題に対処する必要がある。

公害対策基本法と比較しての環境基本法の特徴は、基本理念規定の充実である。
公害対策基本法の目的規定では、「公害の防止」が前面に出ていた。
環境基本法では、3~5条が「基本理念」とされ、国はそれに則って、環境保全に関する基本的かつ総合的な政策を策定・実施する責務を有する(6条)。
3条では、環境の保全の目的を、「環境の恵沢の享受と継承」として明記している。
そして4条では、3条が規定する環境の有限性を踏まえて、現代環境法の究極目的が、「環境への負荷が少ない持続的発展が可能な社会の構築」であることを明らかにしている。
5条では、「国際的協調による地球環境保全の積極的推進を、基本理念のひとつ」としてあげている。

「公害」の定義に関して、環境基本法2条3項は「環境の保全上の支障のうち、事業活動その他の人の活動に伴って生ずる相当範囲にわたる大気の汚染、水質の汚濁、土壌の汚染、地盤の沈下及び悪臭によって、人の健康又は生活環境に係る被害が生ずることをいう。」と定義する。
これは、公害対策基本法2条1項の内容を受け継いだものだからである。

放射性物質による大気汚染と水質汚濁の防止については、1955年に制定されていた原子力基本法にもとづく法体系に委ねて、公害対策基本法のもとでの施策の対象外とされていた。
この整理は環境基本法にも継承されたが、2011年3月の東京電力福島第一原子力発電所爆発による大量の放射性物質の放出事件を契機にして、環境基本法13条の「放射性物質による大気の汚染、水質の汚濁及び土壌の汚染の防止のための措置については、原子力基本法その他の関係法律で定めるところによる。」との規定が、2012年に削除された。
その結果、放射性物質による汚染が規制対象となった。

公害対策基本法では、公害防止計画の策定を規定し、地域を特定して、国の主導のもとにその産業構造や地理的状況に応じた対策を総合的・計画的に講ずるようにした。
しかし、計画的対応は、公害防止計画という手法に関してのみにとどまっている。
公害防止計画は、公害対策基本法から環境基本法へ引き継がれたが、環境法における総合的・計画的な施策推進の中心的手段として、環境基本計画が加えられた。環境基本法13条は、政府に対して環境基本計画の策定を命じている。環境基本計画は、公害防止計画と異なり、適用対象区域を限定しない全国計画である。
公害防止計画は公害対策中心であるが、環境基本計画はそれを含みさらに自然環境、人工環境(都市環境、歴史的文化的環境)、地球環境などにも対象を広げている。通時間的・政策横断的である。

以上のように、公害対策基本法は「公害の防止」が前面に出ていたが、環境基本法では、環境の保全のための配慮に軸足を移したと考えられる。
東京五輪や辺野古基地建設、明治神宮外苑再開発などを強行する国や都は、今一度、環境基本法の基本理念に立ち返るべきではないか。

本稿は、中央大学法学部通教課程「環境法」でのレポートを元に加筆したものです。

参考文献・引用文献
・北村喜宣『環境法(第5版)』(弘文堂、2020年)273~289頁
・小賀野晶一『基本講義 環境問題・環境法(第2版)』(成文堂、2021年)105~117頁
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<![CDATA[中央大学法学部通信教育課程 卒業にあたって]]>Sun, 02 Apr 2023 08:20:48 GMThttp://naomikubota.tokyo/blog/grad_chuo_univ
Photo by Dom Fou on Unsplash
この2023年3月、中央大学法学部通信教育課程を卒業することができた。東大の工学部を卒業したのが1983年3月だから、実に40年ぶりの大学卒業である。3月25日には立派な卒業式に出席させていただくこともできた。40年前の東大では卒業式らしい卒業式はなく、実験の途中で白衣を着たまま教室に集まって、卒業証書を受け取ったらそのまま研究室へ戻って実験を再開した記憶しかない。当時の状況と比べると、なかなか感慨深いものがあった。
これで工学部と法学部を卒業したことになるので、ダブルメジャーとかダブルディグリーと呼ばれるものに当たるのかと思ったものの、これらはどうやら「同時」に複数の学位を取得することらしい。ともあれ理系と文系の二つの学位を取得したことになるのは確かである。

そもそもなぜ還暦を過ぎてから改めて大学で勉強しようと決意したのか、これにはいくつか理由がある。一つはこの年齢になっても人文系の教養が圧倒的に足りないとの自覚である。例えば日本史について言えば、鎌倉時代と室町時代の先後すら覚束ない有様であった。(なお、この問題は、日本法制史を学ぶことで克服することができた。この度の成果の一つである。)こんな状態で生涯を終えるわけにはいかないのである。
そしてもう一つの大きな理由は、武器としての法学を身につけたかったからだった。この10年間近くに渡る安倍政権の下で、日本社会は急激に右傾化した。人種差別主義者やファシストが恥じることなく堂々と路上に現れるようになったばかりか、むしろ政権やメディアの中枢を連中に乗っ取られてしまった状態である。こうした反知性的な連中との闘いには、知性を武器として臨むしかない。さらに有態に言えば、ネトウヨを相手に訴訟を提起する場合、弁護士の方への委任に先んじて、訴訟戦略の立案や証拠収集くらいは或る程度自分でできるスキルを身につけたかったのである。

40年前とはいえ一旦は大学を卒業しているので、今回の入学は3年次への編入となり、修学期間は最短で2年ということになった。たまたまコロナ禍でのリモート・ワーク中心の期間と重なったため、勉学のための時間は余裕をもって確保することができたのである。そうは言っても働きながらの勉強は簡単なものではない。どのように時間をやり繰りして勉強を進めていったのかという話については、それだけで長くなってしまうので今回は割愛し、後日改めて整理することにしたい。

さて、卒業に当たっての思いを一言で表すと「幅も深さも全然足りなかった」ということになろう。実はこの思いには既視感がある。40年前に工学部を卒業したときと似ているのだ。当時は、専攻していた有機化学の研究者になりたいという身の程知らずの考えを抱いていた。実際、研究者として身を立てるには、修士課程を修了していることが最低限の条件だった。だからこそ大学院へ進学したのだが、逆に自分には化学実験の才能が根本的に欠如していることを思い知らされる結果となった。化学の研究者になるためには単に知識だけではなく、昼夜を厭わず化学反応を観察し続ける根気や、生成物を丁寧に取り扱うための手先の器用さなどが必要だったのである。結局、修士課程の修了後は研究の道に進むことを断念し、IT業界へ転身することになるのだが、大学院へ進学しなければ自分の才能の無さに気づくこともなく、進学しなかったことを生涯後悔していたかもしれない。そう考えれば、修士課程の2年間も、己の無力さを知ることで無駄な時間ではなかったような気もする。

40年前の話から、今回の法学部卒業に戻したい。まず、法学の専門性の深さが圧倒的に足りていないとの思いは、工学部卒のときと同じである。加えて今回は、学んだ各科目が有機的に連携した総合的な知識を形成し切れていないことに気づいてしまった。例えば、民法の債権を例にしてみたい。これらの科目、あるいは条文自体、このような体系になっている。
民法総則 – 債権総論 – 債権各論
いわゆるバンデクテンと呼ばれる体系であるが、IT業界的な言い方をすれば、まず民法総則で全体のデフォルト値を設定し、その一部を債権総論で置き換え、さらにまたその一部を債権各論で上書きするという構造になっている。したがって最終的には、民法総則から債権各論までを一体として理解していなければならないのだが、履修が終わった後でも、なかなかそうなっていないのが現実であった。
科目の内容として、もう少し細かく説明しておきたい。民法総則では行為能力や代理、時効などが中心になる。そして債権総論では債務不履行や債権者代位権などが中心になり、債権各論でようやく契約に関する条文を学習することになる。しかしこれらの科目の理解がばらばらのままで、一気通貫の理解ができていないと、例えば「成年後見人は、成年被後見人の行為に対する代理権、追認権、取消権を有するが、同意権を有しない」というような問題を理解することができないのである。
そして民法の体系の理解を「縦の連関」とすれば、さらに「横の連関や包含関係の理解」も必要であった。例えば行政訴訟法を理解するためには民事訴訟法の知識が前提になるし、環境法と行政法に至っては両方を学んで初めてそれぞれに腹落ちする構造になっている。これらはシラバスだけでは判らないし、実際に勉強してこそ初めて気が付くポイントであった。
要するに、法学の学習は、各科目の単位を取得すればいいというものではなく、法学という学問のメタ構造を頭の中に構築する作業が必要だったのである。そして卒業にあたってもなお、これが全然できていないことに気が付いてしまったのだった。

さらに付け加えると、法学以外の教養課程の科目については、東大で取得した単位を利用して免除してもらったことが仇となり、法学科目以外の人文系科目がほぼ手つかずという状態での卒業になってしまった。具体的には、政治学、社会学、哲学、経済学、心理学など、人文系の学生なら学んでいて当然と思われる科目の履修がごっそり抜け落ちているのである。これは「人文系の教養を身に着けたい」という当初の目的を振り返ると、致命的な事態と言わざるを得ない。そして、法学としての教養を広げる科目群である、法哲学、外国法なども修了できていない。さらに法学の専門性をより深めるという観点でも、民事訴訟法に続くべき民事執行・保全法や倒産処理法、租税法などが履修できていない。(特にネトウヨ対策には民事執行法の知識は必須であろう。)冒頭で書いたように「幅も深さも全然足りない」ままであり、このまま卒業という言葉に甘んじるわけにはいかないのである。

そういう訳で、卒業したばかりであるものの、引き続き聴講生として学習を続けていくことにした。むしろもう卒業を気にする必要もないので、これからじっくりと腰を据えて学習に取り組めると思う。
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<![CDATA[在日インド人コミュニティを狙った特殊詐欺の横行 Rampant phone fraud targeting the Indian community in Japan]]>Thu, 23 Feb 2023 11:06:45 GMThttp://naomikubota.tokyo/blog/rampant-phone-fraud-targeting-the-indian-community-in-japan
Photo by Growtika on Unsplash
English follows Japanese
大変残念だが、日本は特殊詐欺大国である。
特殊詐欺とは、京都府警察によれば、次のように定義されている。
特殊詐欺とは、被害者に電話を掛けるなどして対面することなく信頼させ、指定した預貯金口座への振り込みその他の方法により、不特定多数の者から現金をだまし取る犯罪の総称です。
日本では、ほぼ毎日、特殊詐欺の被害が報道されている。
例えば、2月23日、大分県で、警察官を騙る手口で1000万円をだまし取られる特殊詐欺事件が発生したと報じられている。

そして驚くべきことに、在日外国人をターゲットにした特殊詐欺が現れるに至った。
在日インド大使館は、サイトのトップページで、次のように注意を促している。
詐欺電話の手口:

在日インド邦人を狙う詐欺電話は、在日インド大使館の代表番号03-3262-2391を含む複数の電話番号から発信されています。大使館の代表番号は、公的に登録された電話番号ですが、犯人は発信元番号を大使館代表番号に変更して発信しているようです。中には発信元電話番号が表示されないというケースもあるようです。

応答すると、日本の当局(または在日インド大使館)に対し、虚偽の情報提供を行ったため、即時に「罰金」を送金する必要があり、もし送金しなければインドへ強制送還されるか、刑務所に収監される、と告げられます。多くの場合、大使館職員からの電話であると信じさせるため、詐欺師はSNSといったオープンソースを通じ、事前に個人情報を収集した上で電話をかけてきます。

中にはインド政府が行うVande Bharat Mission への選考対象になれると、金銭を要求する場合もあるようです。

詐欺師は、電話を受けた方をパニックに陥れようとし、多くの場合成功します。そして、違反金や罰金の支払いが停滞すると、強制送還手続きが始まってしまうので、ウェスタン・ユニオンからの送金や、I-Tuneギフトカードの購入、クレジットカードまたはデビットカード等で速やかに納入するよう求めてきます。
私の友人の一人であるインド人男性は、「インド大使館勤務のJohn Milon」を名乗る男から、「パスポートに虚偽の記載があるから、即刻インドへ戻って修正するか、もしくはコンビニから金を払え」との電話があったそうである。
彼は一瞬パニックになりかけたが、インド大使館へ電話をし確認したところ、同様の詐欺が多発しているので十分注意するよう促されたとのことだ。
在日外国人にとって最もセンシティブな在留資格を手玉に取る、最低最悪に卑劣なやり口と言わざるを得ない。
なお、「John Milon」を名乗る人物の話す英語は、アメリカやイギリス、インドのそれではなく、いかにも日本人的な発音だったとのことである。
このような卑劣な詐欺は、わが国では日常茶飯であるので、くれぐれもご注意いただきたい。

It is very unfortunate, but Japan is a nation of phone frauds.
Phone fraud is defined by the Kyoto Prefectural Police as follows
Phone fraud is a generic term for crimes that defraud an unspecified number of people out of their cash by making victims trust them without meeting them face-to-face, for example, by calling them on the phone, and then transferring money to a designated savings account or by other methods.
In Japan, victims of phone fraud are reported almost daily basis.
For example, on February 23, it was reported that in Oita Prefecture, a phone fraud case in which 10 million yen was swindled by tricking a victim into believing a caller was a police officer occurred.

Then, surprisingly, phone fraud targeting foreigners living in Japan began to appear.
The Embassy of India in Japan cautions on the top page of its website as follows.
The method adopted by the criminals is often as follows:

Calls originate from many numbers, including 0332622391. While this is the registered Embassy number, these callers have been able to spoof this Sometime calls have no caller ID i.e. show no number.

Most often, the fraudsters claim that the call recipient has provided wrong or incomplete information to the Japanese authorities (or the Indian Embassy), and that if they do not transfer ‘penalty’ money immediately, they would either be sent back to India, or be sent to jail. They are in possession of personal details (usually through open sources like social media platforms), which lends authenticity to their claims.

In some cases, they have now begun to ask for money so that their names could be included for consideration in the Vande Bharat Mission flights being organised by the Government of India.

The perpetrators aim to – and are able to – cause panic and urgency, and demand that the fine or penalty needs to be paid through Western Union money transfer/purchase I-tune Gift Cards, through credit/debit cards immediately or else deportation proceedings would be initiated.
One of my friends, an Indian gentleman, told me that he received a call from a man claiming to be "John Milon, who works at the Indian Embassy" telling him that his passport had a false entry and that he should immediately return to India to correct it or pay the money from a convenience store.
He almost panicked for a moment, but called the Indian Embassy to confirm and was urged to be very careful as similar scams are common.
I must say that this is the most despicable way to take advantage of the most sensitive status of residence for foreign residents in Japan.
The English spoken by the person claiming to be "John Milon" was not American, British, or Indian, but had a distinctly Japanese pronunciation.
Please be aware that such despicable scams are an everyday occurrence in our country.
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<![CDATA[1973年のロック・シーン]]>Wed, 25 Jan 2023 07:44:23 GMThttp://naomikubota.tokyo/blog/rock_in_1973
写真
Photo by Stefano Zocca on Unsplash
2022年に亡くなったミュージシャンを追悼する記事の中で、「ロック黄金期の70年代から半世紀」と書いたのが昨年末である。
それから既に1か月が経過し、50周年盤の企画が耳に入り始めてきたので、このあたりで半世紀前に当たる1973年のロック・シーンを振り返ってみたい。
まず、この年はプログレ・シーンにとっても絶頂期であった。
リリースされたアルバムは、ピンク・フロイド「狂気」、イエス「イエスソングス」、EL&P「恐怖の頭脳改革」など大作そろいで、その後、長期にわたって聴き継がれてきたものが多い。
アルバム名を敢えて邦題で書いてみたが、ぶっ飛んだ意訳のものが多く、しかもそれが的を得ているところが面白い。
プログレ以外でも、レッド・ツェッペリン「聖なる館」、クイーン「炎のロックンロール」、ザ・フー「四重人格」など、ぶっ飛んだ邦題ですっかり定着しているのではないか。

様々な新しい音楽が興る中、60年代の大御所が変わろうともがいていたのも、この年の特徴である。
イギリスではエリック・クラプトンがドラッグで何年も引き籠った状態だったが、ピート・タウンジェントらの助けを得て、レインボー・シアターでリハビリを兼ねたライブを行った。
翌年1974年には、大きく変貌を遂げた "461 Ocean Boulevard" で復活を果たすことになる。
一方、ビートルズは解散からまだ3年しか経っておらず、再結成を期待する空気が強かった。
ポールはウィングスでツアーを開始し、ジョンは "Mind Game" を、ジョージは "Living in the Material World" をそれぞれリリースし、ソロ活動で既に成功している。
年末にはリンゴのアルバム "Ringo" に、ポール、ジョン、ジョージ全員が楽曲を提供し、再結成の期待がますます高まったが、遂に叶うことはなかった。
そしてアメリカでも、グランド・ファンク・レイルロード、オールマン・ブラザース、ニューヨーク・ドールズなど様々なジャンルが入り乱れての百花繚乱状態であった。

時代は混乱の60年代から落ち着きを取り戻しつつあったが、ベトナム戦争が終結するまでさらに2年待たなければならなかった。
そして南米チリでは民主的に選出されたアジェンデ政権が、CIAにバックアップされた軍部ファシストのクーデターで倒され、暗黒の時代を迎えることになってしまった。 

1月6日 カーリー・サイモン “You're So Vain” 全米一位。

1月9日 ローリング・ストーンズの来日、ミック・ジャガーのドラッグを理由に入国できずキャンセル。
1月13日 エリック・クラプトンがレインボー・コンサートで復帰、カーリー・サイモン ”No Secret” 全米一位五週、スレイド “Slade” 英一位三週。
1月18日 ローリング・ストーンズがニカラグア大地震被災者救済コンサート開催。

1月27日 スティーヴィ・ワンダー “Superstition” 全米一位。
1月30日 キッス、ステージ・デビュー。

2月3日 エルトン・ジョン “Crocodile Rock” 全米一位、スティーヴィ・ワンダー “Talking Book” 全米三位。

2月10日 エルトン・ジョン “Don't Shoot Me I'm Only the Piano Player” 英一位六週、3月3日には全米一位。
2月17日 ウォー “The World Is A Ghetto” 全米一位、フリー最後のライブ。

2月24日 バーズ、米国で最後のライブ。

3月3日 グラミー賞で “The Concert for Bangla Desh” が最優秀アルバム受賞。
3月8日 ポール・マッカートニー、スコットランドにてマリファナ所持で罰金。

3月10日 ピンク・フロイド “The Dark Side of the Moon“ (邦題「狂気」)リリース、28日に全米一位。
3月24日 アリス・クーパー “Billion Dollar Babies” 英一位。

3月28日 レッド・ツェッペリン “Houses of the Holy” リリース、4月10日に全英一位、5月12日に全米一位。
4月2日 ビートルズ、いわゆる赤盤・青盤リリース、青盤は5月26日全米一位。
4月9日 クイーン、マーキーでライブ・デビュー。

4月13日 ロジャー・ダルトリー “Daltrey” リリース。 

4月25日 スウィート “Little Willie” ゴールド。

4月28日 フェイセス “Ooh La La” 英一位。
5月1日 バックマン・ターナー・オーヴァードライヴ “Bachman-Turner Overdrive” リリース。

5月7日 ジョージ・ハリスン “Give Me Love” リリース。
5月11日 ウィングス初の全英ツアー。

5月14日 スティーヴィ・ワンダー “You Are the Sunshine of My Life” 全米一位。

5月17日 “Yessongs” ゴールド。
5月21日 エドガー・ウィンター “Frankenstein” 全米一位、6月19日にゴールド。
5月23日 ボブ・ディランとザ・バンドのベイスメント・テープス公開。

5月26日 ディープ・パープル “Smoke on the Water” リリース、8月28日にゴールド。
5月28日 ロニー・レイン、フェイセスを脱退。

5月29日 バーズ解散、マイク・オールドフィールド “Tubular Bells” リリース。

6月1日 ロバート・ワイアット骨髄損傷。

6月2日 ウイングス “My Love” 全米一位、”Red Rose Speedway” 全米一位。
6月23日 10CC “Rubber Bullets” 英一位。ジョージ・ハリスン “Living in the Material World” 全米一位。

6月29日 第二期ディープ・パープル解散。

6月30日 ジョージ・ハリスン “Give Me Love” が、ポールの “My Love” を蹴落とし全米一位。

7月2日 イーノ、ロキシー・ミュージックを脱退。

7月6日 クイーン “Keep Yourself Alive” でデビュー。
7月7日 ビリー・プレストン “Round in the Circles” 全米一位二週。

7月13日 クイーン “Queen” リリース。

7月14日 ゲイリー・グリッター、ライブ・デビュー。

7月27日 ニューヨーク・ドールズ “New York Dolls” リリース。
7月28日 グランド・ファンク・レイルロード “American Band” 、9月27日に全米一位。
7月29日 レッド・ツェッペリン、18万ドルの盗難被害。

8月7日 映画 “Jesus Christ Superstar” リリース。

8月11日 エドガー・ウィンター・グループ “Free Ride” リリース。

8月18日 ジェスロ・タル “A Passion Play” 全米一位、ドゥービー・ブラザース “China Grove” リリース。
8月20日 ローリング・ストーンズ “Angie”、10月に全英・全米共に一位。
8月26日 10CCライブ・デビュー。

8月31日 ローリング・ストーンズ “Goats Head Soup” リリース。

9月1日 ロッド・スチュワート “Sing It Again Rod” 英一位三週、キャンディーズがシングル「あなたに夢中」で歌手デビュー。
9月8日 マーヴィン・ゲイ “Let's Get It On” 全米一位、オールマン・ブラザース “Brothers and Sisters” 全米一位五週。
9月15日 チリ軍事独裁政権がヴィクター・ハラを虐殺。
10月6日 スレイド “Sladest” 全英一位四週。
10月12日 エルトン・ジョン “Goodbye Yellow Brick Road” ゴールド。

10月15日 キース・リチャード、フランス入国禁止評決。

10月24日 ジョン・レノン、米政府を盗聴などで告訴。

10月27日 エアロスミス、ボストンでモット・ザ・フープルの前座。

10月29日 ジョン・レノン “Mind Game” リリース、ザ・フー “Quadrophenia” リリース。
11月2日 リンゴ・スター “Ringo” リリース。

11月3日 デヴィッド・ボウイ “Pinups” 英一位五週、ホール&オーツはアルバム・デビュー。
11月9日 ビリー・ジョエル “Piano Man” リリース。

11月10日 ジョン・レノンがフィル・スペクターに “Rock’n Roll” のプロデュースを依頼。

11月24日 リンゴ・スター “Photograph” 全米一位。
12月1日 カーペンターズ “Top of the World” 全米一位。
12月2日 ザ・フー、モントリオールのホテル破壊でメンバーとクルー全員逮捕。 

12月3日 リンゴ・スター “You're Sixteen” リリース。

12月10日 CBGB開店。

12月12日 EL&P “Brain Salad Surgery”(邦題「恐怖の頭脳改革」) ゴールド。
12月15日 スレイド “Merry Xmas Everybody” 英一位五週。
12月24日 ドゥービー・ブラザースのトム・ジョンストン、マリファナ所持で逮捕。

12月31日 AC/DCがシドニーで、ジャーニーはサンフランシスコでライブ・デビュー。

ローリング・ストーンズの“Goats Head Soup”は既に2022年に50周年記念盤がリリースされ、ピンク・フロイドの "The Dark Side of the Moon" も予定が見えてきた。
こうなったら、とことん付き合ってやろうと思う。
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