Photo by Rob Morton on Unsplash 環境法の規範は権利と義務に大別できるが、従来は主として環境権のあり方を中心に環境権論が規範論の主流であった。 環境権は、公害訴訟に勝利するための戦略として原告(被害者)側から主張されてきており、利益衡量を許さない絶対的権利として構成された。 このような絶対的環境権は、個々の住民が地域における生活環境を破壊する行為に対して、その差止や損害賠償を請求することができる根拠になるとする。 一方、受忍限度論は、不法行為の要件の一つである違法性の有無を、諸要素を比較衡量し、社会生活上受忍すべき限度を超えたかどうかによって判断する考え方である。 受忍限度論は利益衡量論に依拠する法理論であり、環境民事訴訟(損害賠償、差止)における違法性の有無を評価するための理論として機能してきた。 環境権論は原告側の訴訟戦略とされ、損害賠償請求や差止請求の法的根拠として主張されたが、裁判所は環境権を採用せず、利益衡量論の応用である受忍限度論に立脚して問題解決をしてきた。 受忍限度論は判例が一貫して採用している法理論であり、公害訴訟の各判決は受忍限度論など公害法理論の発展に貢献した。
環境権訴訟として有名な伊達火力発電所訴訟では、火力発電所建設禁止に係る差止請求について、原告らの主張する環境権が差止請求の根拠となるかが主たる争点となった。(最判昭60・12・17判時1179号56頁、判タ583号62頁) 本判決は、憲法13条と25条1項は綱領的規定であるとし、「個々の国民に、国に対する具体的な内容の請求権を賦与したものではない」、「私法上の権利としての環境権を認めた規定は、制定法上見出しえない。」と述べ、環境権を認めなかった。 なお、憲法13条は個人の尊重や幸福追求権について規定しており、25条1項は社会権のひとつである生存権を保障している条文である。 第13条 第25条 東海道新幹線訴訟では、列車走行による騒音・振動の差止と損害賠償の各請求につき、差止請求の適法性、差止請求の法的根拠としての人格権侵害、新幹線列車の走行に伴う騒音・振動とこれによる被害の内容、差止請求と受忍限度、新幹線列車の走行と国賠法2条1項の適用、損害賠償請求と受忍限度、後住者と危険への接近の法理、慰謝料額、将来の慰謝料請求の適法性などが争点になった。(名古屋高判昭60・4・12) 本判決は、「環境権を私法上の権利として認めることはできず、本件差止請求の法的根拠とはなし得ないものであり、環境権に基づく原告らの請求は失当である。」と述べ、環境権が絶対的権利として主張されていることについて受け入れられないとしている。 環境権に関するその他の裁判例もほぼ同様の考え方をしており、環境権には実定法上の根拠がないのみならず、その成立要件、内容、法律効果等も極めて不明確であり、これを私法さらには環境法上の権利として承認することは法的安定性を害するなどと指摘されている。
一方、受忍限度論の判例としては、熊本地裁での判決が知られている。(熊本地判昭50・2・27判時772号22頁、判タ318号200頁) 本訴訟では、し尿処理施設からの放流によって漁業や健康の被害が予想されるとして、周辺住民67名が施設の建設禁止の仮処分を請求した。 本判決は、「被申告人において、設置予定の施設が真実海水汚濁の最低基準を守る性能を有するものであるかどうかを精査するほか、少なくとも、本件予定地付近海域の潮流の方向、速度を専門的に調査研究して放流水の拡散、停滞の状況を的確に予測し、また同所に棲息する魚介類、藻類に対する放流水の影響について生態学的調査を行い、これらによって本件施設が設置されたときに生ずるであろう被害の有無、程度を明らかにし」なければならない」と述べ、環境影響事前評価を、代替案の検討や住民との話し合いという手続的要素とともに、重要な要素であると位置づけた。 また、名古屋地裁は、ごみ焼却場の建設差止の請求について、「被申告人の実施したアセスメントは、その規模、内容に照らし、著しく不十分であり、極論すれば、アセスメントの名に値しないと認められる」とし、「被申告人に操業を認めることは、申請人らに対し、公害発生による受忍限度を超える被害をもたらす蓋然性が大である。」と述べ、申請中操業の差止を容認した。(名古屋地判昭59・4・6判時1115号27頁、判自4号95頁) 判例における受忍限度の判断要素は、被害の性質・内容・程度、地域性、加害行為の態様、環境基準、公共性の有無・程度、損害の程度、損害防止措置の有無・内容・効果等があり、違法性の有無はそれら諸事情を比較衡量して総合的に判断されている。 受忍限度論は利益衡量論であるから、環境立法における基準やその他の規律に違反したからといって直ちに違法と評価されるわけではなく、逆に、基準や規律を遵守していたからといって違法にならないというわけでもない。 ここに行政法の規制にはみられない、受忍限度論の弾力性があると考えられている。
以上のように、司法は一貫して、環境権は憲法13条や25条1項から導かれるものではないとの立場をとってきた。 このため、環境権を憲法に明記すべきであるとの主張が根強くされてきた。 そして、その筆頭が政府与党の一角を占める公明党なのである。 公明党は2012年の衆院憲法審査会で、「現行憲法では、環境という文言も環境権という規定もない。個人の尊厳や人権といった概念だけでは把握できないし、13条の幸福追求権や25条の生存権から導き出すことには無理がある」として、現行憲法に環境権を加える必要性を指摘している。 さらに2017年の参院憲法審査会では、「新しい人権」の一つとして、知る権利、プライバシーの権利、生命倫理、犯罪被害者の権利などと共に、環境権が議論された。 ここで、環境権を人権として「加憲」すべしとの主張を展開したのは、公明党と並んで、自由民主党であった。 常々「人権」を理解せず忌み嫌ういっぽうの自由民主党が、環境権に対してとるこの態度を、いったいどう理解すべきなのだろうか。 これについては、実は憲法改悪を目論む一味が、その本音を漏らしてしまっている。 改憲論者の先鋒であるグロービスは2016年、「環境権などの新たな基本的人権を追加するとともに国民の責務を憲法に明記せよ!」なる記事の中で、環境権と憲法13条、そして改憲について次のように述べている。 約70年前の憲法制定以降の社会の変化によって生じた新たに保障すべき人権を、(中略)学説、判例でどこまで認めるかは諸説あるが、環境権、プライバシーの権利、日照権、静謐権、眺望権、平和的生存権などだ。 要するに、「改憲」のために「環境権を餌として利用してやろう」ということに過ぎないのである。 極めて卑劣、卑怯な戦略と言わざるを得ない。 こうした連中の「環境権による加憲」論議になど騙されてはいけない。 本稿は、中央大学法学部通教課程「環境法」でのレポートを元に加筆したものです。
参考文献・引用文献 ・小賀野晶一『基本講義 環境問題・環境法(第2版)』(成文堂、2021年)57~87頁 ・公明新聞(2012年6月8日) ・参議院憲法調査会「日本国憲法に関する調査報告書」(2005年4月20日) ・<第25条(生存権)関連> 持続可能な社会とするための国の環境保全責務の明記を!(2016年11月17日)
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Photo by Matthew Smithon Unsplash 戦後復興に伴う重工業中心の急速な経済発展の結果、大気汚染、水質汚濁、地盤沈下などの環境負荷の増大とその影響を受ける住民の増加が相乗効果を生み、健康・財産被害が大きな社会問題となっていった。 熊本水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜん息という「日本4大公害事件」の被害も、深刻の度を増していた。こうした状況に対し、1958年にいわゆる水質二法(水質保全法、工場排水規制法)が制定され、1962年にはばい煙規制法と地下水採取規制法が制定された。個別法による対応はそれなりに進められてはいたが、公害の未然防止の必要性が強調されるとともに、発生源規制、土地利用規制、公害防止公共施設の整備、科学技術振興などの施策を総合的かつ計画的に推進する枠組的法律の必要性が議論されるようになった。 公害対策基本法は、こうした背景のもとに、1967年に制定された。 新たな基幹法の必要性が議論されるのは、1990年代になってからである。 この時期の環境問題は、それ以前と異なってきた。 第一に、地球規模の環境問題の発生である。オゾン層破壊、酸性雨、地球温暖化、廃棄物の越境移動、野生動植物の違法取引などに関して国際条約が締結され、その国内法対応が求められていた。 第二に、国内的に廃棄物が大きな環境負荷と認識され、リサイクルや省エネルギーの必要性も強く意識されるようになってきた。 第三に、環境影響に関する因果関係についての科学的知見が必ずしも十分ではない物質や活動を制御する必要性が認識されるようになってきた。このような背景を踏まえて、環境基本法が1993年11月に制定された。 環境行政に新たな基幹法が必要とされた理由は、1992年10月の中央公害対策審議会ならびに自然環境保全審議会の答申『環境基本法制のあり方について』において、詳しく述べられている。その内容は、次の通りである。 現在の環境問題は、地球規模という空間的広がりと将来世代への影響という時間的広がりを持っている。 人類の生存基盤たる有限の環境資源を保全し、これを次世代に引き継ぐことは、人類共通の課題である。これまで、1970年の公害国会などにおける法令整備の結果、環境汚染や自然破壊に対して、環境政策は相当程度の効果をあげてきた。 しかし、現在では、都市・生活型公害などの新たな課題が発生し、地球規模の環境問題も深刻さを増している。 こうした状況に的確に対応し、環境の恵沢を現在および将来の国民が享受するためには、従来のような問題対処型・規制的手法中心の法的枠組みでは不十分であり、社会全体を環境負荷の少ない持続的発展が可能なように変える必要がある。 そのために、環境保全に関する種々の施策を総合的・計画的に推進する法的枠組みを含む基本法を制定し、国、自治体、事業者、国民が共通の認識に立って、公平な役割分担を踏まえつつ、それぞれの立場から問題に対処する必要がある。 公害対策基本法と比較しての環境基本法の特徴は、基本理念規定の充実である。 公害対策基本法の目的規定では、「公害の防止」が前面に出ていた。 環境基本法では、3~5条が「基本理念」とされ、国はそれに則って、環境保全に関する基本的かつ総合的な政策を策定・実施する責務を有する(6条)。 3条では、環境の保全の目的を、「環境の恵沢の享受と継承」として明記している。 そして4条では、3条が規定する環境の有限性を踏まえて、現代環境法の究極目的が、「環境への負荷が少ない持続的発展が可能な社会の構築」であることを明らかにしている。 5条では、「国際的協調による地球環境保全の積極的推進を、基本理念のひとつ」としてあげている。 「公害」の定義に関して、環境基本法2条3項は「環境の保全上の支障のうち、事業活動その他の人の活動に伴って生ずる相当範囲にわたる大気の汚染、水質の汚濁、土壌の汚染、地盤の沈下及び悪臭によって、人の健康又は生活環境に係る被害が生ずることをいう。」と定義する。 これは、公害対策基本法2条1項の内容を受け継いだものだからである。 放射性物質による大気汚染と水質汚濁の防止については、1955年に制定されていた原子力基本法にもとづく法体系に委ねて、公害対策基本法のもとでの施策の対象外とされていた。 この整理は環境基本法にも継承されたが、2011年3月の東京電力福島第一原子力発電所爆発による大量の放射性物質の放出事件を契機にして、環境基本法13条の「放射性物質による大気の汚染、水質の汚濁及び土壌の汚染の防止のための措置については、原子力基本法その他の関係法律で定めるところによる。」との規定が、2012年に削除された。 その結果、放射性物質による汚染が規制対象となった。 公害対策基本法では、公害防止計画の策定を規定し、地域を特定して、国の主導のもとにその産業構造や地理的状況に応じた対策を総合的・計画的に講ずるようにした。 しかし、計画的対応は、公害防止計画という手法に関してのみにとどまっている。 公害防止計画は、公害対策基本法から環境基本法へ引き継がれたが、環境法における総合的・計画的な施策推進の中心的手段として、環境基本計画が加えられた。環境基本法13条は、政府に対して環境基本計画の策定を命じている。環境基本計画は、公害防止計画と異なり、適用対象区域を限定しない全国計画である。 公害防止計画は公害対策中心であるが、環境基本計画はそれを含みさらに自然環境、人工環境(都市環境、歴史的文化的環境)、地球環境などにも対象を広げている。通時間的・政策横断的である。 以上のように、公害対策基本法は「公害の防止」が前面に出ていたが、環境基本法では、環境の保全のための配慮に軸足を移したと考えられる。 東京五輪や辺野古基地建設、明治神宮外苑再開発などを強行する国や都は、今一度、環境基本法の基本理念に立ち返るべきではないか。 本稿は、中央大学法学部通教課程「環境法」でのレポートを元に加筆したものです。
参考文献・引用文献 ・北村喜宣『環境法(第5版)』(弘文堂、2020年)273~289頁 ・小賀野晶一『基本講義 環境問題・環境法(第2版)』(成文堂、2021年)105~117頁 |