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ロック・ミュージシャンの高齢化に伴い、亡くなる方が年々増えている。 たいへん悲しいことだが、こればかりは自然の摂理であり、どうすることもできない。 せめて故人となってしまった方々の記録を今年も残しておきたいと思う。(以下、敬称略)
1月28日 ポール・ウィアリー
ヘヴィ・メタルの元祖、ブルー・チアーのドラマー。 バンドが活躍していた60年代から2009年の活動終了まで、脱退と再加入を繰り返していた。 ドイツの自宅で心不全により死去。72才。
1月29日 ジェームス・イングラム
ボーカルとしてのみならず、プロデューサーとしても知られていた。 U.S.A. For Africa の "We Are the World" でも、その姿を見ることができる。 脳腫瘍。66才。
2月12日 ゲラルド・コェスター
ユーロ・ロック・マニアの間で知られているオランダのプログレ・バンド「アース・アンド・ファイアー」のオリジナル・メンバー。 なおファンクで有名な「アース・ウィンド・アンド・ファイアー」とは何の関係もない。 享年71才。
2月21日 ピーター・トーク
モンキーズでベースを担当。 1965年にオーディションで選ばれたメンバーの一人だった。 リード・ボーカルのデイビー・ジョーンズも2012年に鬼籍に入っている。 死因は癌とのこと。77才。
2月25日 マーク・ホリス
80年代に一世を風靡したニューロマンティック勢にカテゴライズされるトーク・トークのボーカル。 「急病」であったこと以外に死因は報じられていない。64才。
2月26日 アンディ・アンダーソン
1983年から1984年の間にザ・キュアーでドラマーを務めていたが、アルコールのトラブルでバンドを解雇されていた。 癌で死去。68才。
2月28日 ステファン・エリス
80年代に "Eye Of The Tiger" をヒットさせたサバイバーのベーシスト。 1999年に脱退している。69才。
3月4日 キース・フリント
プロディジーのフロントマンだった。 地元エセックスの自宅で自殺しているところを発見された。 49才。
3月17日 内田裕也
1959年にデビューし、フラワー・トラベリン・バンドなどで活躍。 1973年からニュー・イヤーズ・ワールド・ロック・フェスティバルを開催し、若手からリスペクトされていた。 79才。
3月22日 スコット・ウォーカー
60年代にウォーカー・ブラザースとして多くのヒット曲を飛ばした。 後のデヴィッド・ボウイやレディオヘッドにも大きな影響を与えている。 76才。
3月26日 萩原健一
テンプターズやPYGなど、GSからポストGS時代のシーンを牽引。 「ショーケン」で知られる俳優でもあった。 消化管間質腫瘍にて死去。68才。
4月13日 ポール・レイモンド
UFOでギターとキーボードを担当し、バンドを支え続けてきた。 1978年のライブ・アルバム "Strangers In The Night" ではマイケル・シェンカーと共に脂の乗り切った演奏を聴かせてくれる。 心不全で死去。73才。
4月22日 デイヴ・サミュエルズ
80年代に活躍したフュージョン・グループのスパイロ・ジャイラのオリジナル・メンバーで、ヴィブラを担当していた。 死因は公表されていないが、長期にわたり療養中だった。 70才。
4月25日 遠藤ミチロウ
ザ・スターリンのボーカリストで、ステージから豚の臓物を投げるなどライブでの奇行が有名だった。 膵臓癌による長い闘病生活を経て亡くなった。 68才。
5月31日 ロッキー・エリクソン
1965年から1969年の間に活動したアメリカのサイケ・バンド、13thフロア・エレベーターズのフロントマン。 パンクやグランジ・シーンにも影響を与えている。 ドラッグで心を壊して長期入院し、健康状態の悪化に生涯苦しめられていた。 71才。
6月6日 ドクター・ジョン
ニューオリンズを拠点にしたスワンプ・ミュージックの教組。 1972年の "Dr. John's Gumbo" で高い評価を受けたほか、ローリング・ストーンズなど多くのミュージシャンとの共演を果たしている。 心臓発作により77才で他界。
6月29日 ゲイリー・ダンカン
西海岸を代表するサイケデリック・バンド、クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスのギタリスト。 80年代以降も自らのバンドを率いて、サンフランシスコのミュージック・シーンを牽引していた。 合併症で死去。72才。
8月1日 ナイジェル・ベンジャミン
1974年にモット・ザ・フープルから脱退したイアン・ハンターの後を継いで、ボーカルとして加入した。 バンド名をモットに変更し再生を図るものの、1977年に脱退している。 心不全。64才。
8月19日 ラリー・テイラー
アメリカのブルース・ロック・バンド、キャンド・ヒートで1967年からベースを担当していた。 ウッドストックやモンタレーなどの巨大なフェスで演奏している。 10年以上にわたる癌との闘病の末に死去。77才。
9月13日 エディ・マネー
1978年にデビューし、80年代にかけて "Take Me Home Tonight" などのヒット曲を飛ばした。 2019年4月、テレビ番組でステージ4の食道癌であることを明かしていた。 70才。
9月15日 リック・オケイセック
カーズのボーカルで、楽曲のほとんどの作詞・作曲を行っていた。 80年代に盛り上がったMTVに合う独特のビデオを展開し、数々のヒット曲を放っている。 ニューヨークのアパートで亡くなっているところを発見された。 循環器障害。75才。
9月20日 ヨンリコ・スコット
デレク・トラックス・バンドにドラマーとして1995年に参加。 モータウン系のセッション・ドラマーとしても活躍し、ソロ・アルバムも3枚残している。 死因は明らかにされていない。63才。
10月6日 ラリー・ヤンストロム
レーナード・スキナードのオリジナル・メンバーで、38スペシャルでもベースを弾いていた。 2014年に手術を要する大怪我を負って以来、引退していた。 70才。
10月6日 ジンジャー・ベイカー
言わずと知れたクリームのドラマー。 クリーム解散後は、ワールド・ミュージックやジャズなど多方面にわたって活躍し、死の直前まで音楽活動を積極的に続けていた。 心不全。80才。
10月12日 モーリー・ダンカン
アヴェレージ・ホワイト・バンドの創設メンバーで、1982年までテナーを吹いていた。 またセッション・ミュージシャンとしても、レイ・チャールズやマーヴィン・ゲイなどのアルバム、ライブに数多く参加している。 癌で死去。74才。
10月26日 ポール・バレア
リトル・フィートのギタリストとしてローウェル・ジョージと共にバンドを支え、ファンキーな曲作りに貢献してきた。 ローウェルの死後もリトル・フィートとしてバンドを続けていた。 肝臓癌。71才
11月2日 バート・ウォルシュ
1999年からデヴィッド・リー・ロスのバンドでリード・ギターを弾いており、ポイズンやモトリー・クルーのメンバーとも親交があった。 癌を患っていたが、消化管出血と脱水が直接の死因となった。 56才。
12月9日 マリー・フレデリクソン
スウェーデン出身のデュオ、ロクセットの女性ボーカル。 "Listen To Your Heart" をはじめ、80年代に全米チャート一位や二位となるヒット曲をいくつも放った。 2002年に脳腫瘍を患い、順調に回復していると伝えられていたが、癌で死去。 61才。 ベテラン勢では年齢が既に70代半ばを超えているケースも多い。 長年ファンだったミュージシャンの訃報に接するのは非常にきつい。 もはや心の準備をしておくしかないのだろうか。 合掌。
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2019年は、安倍晋三らの「桜を見る会」での不正行為で記憶される年になるだろう。 しかしこの一年間の自民党による悪事は、「桜を見る会」関連だけにとどまらない。 有権者への贈賄、そして暴行や準強制性交など、れっきとした犯罪行為が堂々と繰り返されてきた一年でもあった。 ここではこの一年間の自民党の国会議員による不祥事を列挙してみたい。 だがこれらは、あくまでも発覚したものだけであり、また国会議員に絞られている氷山の一角に過ぎないことに留意いただきたい。 未だ隠蔽されているもの(実際「桜を見る会」の不正は何年も見過ごされてきた)や、地方議員による不祥事も含めれば、とてもこんな分量では済まないはずだ。
2月
田畑毅衆院議員、準強制性交の疑いで告訴され辞職 田畑毅衆院議員(46)が衆院に議員辞職願を提出した。元交際相手の女性が準強制性交の疑いで愛知県警に告訴状を提出したことを受け、自民党を離党していたが、辞職に追い込まれた。 女性は昨年十二月の田畑氏との飲酒を伴う会食後、自宅で就寝中に乱暴されたとする告訴状を愛知県警に提出。田畑氏の携帯電話に女性の裸の画像が保存されていたとして、軽犯罪法違反容疑でも被害届を出した。二十八日発売の週刊誌でも女子高校生への淫行疑惑が報じられるもようだ。
4月
桜田義孝五輪相、「復興以上に議員大事」と失言し辞任 桜田氏は十日夜、東京都内での高橋比奈子衆院議員のパーティーであいさつし「復興以上に大事なのは高橋さんだ」と述べた。その後、官邸を訪れて首相に辞表を提出し、受理された。記者団に「被災者の気持ちを傷つけるような発言をして申し訳ない」と陳謝した。 数々の失言を重ねてきた桜田義孝五輪担当相が10日、ついに辞任に追い込まれた。新元号と新紙幣の相次ぐ発表による政権浮揚効果は完全に吹き飛んだ。
5月
桜田義孝前五輪相、「子供最低3人くらい産むように」発言で大炎上 桜田義孝前五輪相が、また我々市民の心を踏みにじるような、許しがたい発言をした。29日に千葉市市内で開かれた猪口邦子元少子化担当相のパーティーにて少子化問題に言及し「お子さんやお孫さんにぜひ、子どもを最低3人くらい産むようにお願いしてもらいたい」と来場者に呼び掛けたのだ。同会合では彼は「結婚しなくていいという女性がみるみる増えちゃった」とも発言したという。 なぜ結婚・出産ができない社会になりつつあるのか.... 脳みそついてないの?
6月
大塚高司防災担当副大臣、周囲の制止にもかかわらず新潟・山形地震直後もホステスと飲酒 6月18日夜10時22分頃、最大震度6強を観測した新潟・山形地震。その発生直後、防災担当の国交副大臣・大塚高司衆院議員(54)が、周囲の制止にもかかわらず、赤坂の老舗クラブでホステスらと飲み続けていた。 国交省によると、震度6以上の地震が起きた場合、3段階ある警戒態勢のうち最高レベルの「非常態勢」をとり、災害対策本部を立ち上げて事務次官以下、関係幹部が集まることになっている。
7月
石崎徹衆院議員が秘書に「死ね」パワハラで雲隠れ 石崎徹衆院議員(35)が、自身に暴行を受けたとして30代の男性秘書に被害届を出された問題を受けて行われた同党新潟県連の聴取に対し、パワハラがあったと認めたことが分かった。 “死ねお前”“バカが”魔の3回生「石崎徹」代議士のパワハラ音声 デイリー新潮 石崎氏の秘書を務めていた30代の男性が、今年5月に石崎氏から複数回にわたり殴る蹴るの暴行を受けたとして、6月以降に複数回にわたって新潟県警に被害届を提出。
9月
上野宏史前厚労政務官、派遣会社に口利き疑惑、さらにライバル議員のポスター破壊 外国人在留資格を巡る口利き疑惑により、厚生労働政務官を辞任した自民党の上野宏史衆院議員(48)。 外国人在留資格を巡る口利き疑惑により、厚生労働政務官を辞任した自民党の上野宏史衆院議員が、同じ群馬を地盤とする中曽根康隆衆院議員のポスターを損壊していたことがわかった。
10月
菅原一秀経産相、支援者の葬儀に秘書が香典を持参し辞任 10月25日午前、菅原一秀経済産業大臣(57)が辞表を提出した。菅原大臣をめぐっては、地元有権者へのメロンやカニなどの贈答、そして支援者の葬儀に秘書が香典を持参していたことを「週刊文春」が報じていた。
河井克行法相、妻陣営の公職選挙法違反疑惑で辞任
週刊文春は30日、広島選挙区から立候補した案里氏の陣営が、選挙カーから名前などを連呼する運動員13人に対し、公職選挙法で定められた日当の上限額1万5千円を超える3万円を報酬として支払ったなどと報じた。 なお菅原一秀、河井克行・案里の三人は国会からバックれたまま、12月になっても説明責任を果たしていない。 「政治とカネ」をめぐる疑惑で辞任した菅原一秀前経済産業相と河井克行前法相に対し、与野党からは5日、説明責任を果たすよう求める声が相次いだ。 1か月以上、国会に姿を現さず疑惑についての説明もない。菅原一秀前経産相、本人の姿をとらえ直撃した。 自民党に所属する河井案里参院議員、夫の河井克行衆院議員、菅原一秀衆院議員の3人の国会議員。週刊誌などで報道された疑惑について「説明責任を果たす」としながら、長い間、国会を欠席し続けています。本当に説明する考えはあるのでしょうか。
萩生田文科相、受験「身の丈」発言を陳謝
「裕福な家庭は回数受けてウオーミングアップできることはもしかしたらあるかもしれないが、そこは身の丈に合わせて、二回を選んできちんと勝負して頑張ってもらえば」などと発言。インターネット上などで高校生らの反発を招いた。
11月
また私物化疑惑…安倍首相「等身大パネル」選挙区内に設置 安倍首相のお膝元で、新たな公選法違反と公金私物化の疑惑が浮上した。総理大臣の在職日数が歴代最長となったのを記念して下関市内の複数箇所に設置された安倍首相の等身大パネルのことだ。
江藤拓農林水産大臣、松下新平参議院議員、長峯誠参議院議員が、宮崎県職員に政治資金パーティーを手伝わせる
東京都内であった宮崎県選出の松下新平参院議員(53)の政治資金パーティーで、県東京事務所の職員4人が受け付けや会場誘導を手伝っていたことが26日、わかった。議員側から頼まれたという。 地方公務員法は、特定の政党や団体を支持する目的の自治体職員による政治的な行為を禁止しています。
12月
だまされる人間が悪い? 衛藤消費者担当相の暴言が大炎上 この男は消費者庁の仕事が「消費者の保護」であることすらわからないのか? 衛藤晟一消費者担当相が、悪質なマルチ商法で多数の被害者を出した「ジャパンライフ」の元会長が安倍晋三首相主催の「桜を見る会」の招待状を顧客勧誘に悪用していたとされる問題で、「だまされる人間が悪い」と言わんばかりの暴言だ。
萩生田文科相も公選法違反?!「桜を見る会」疑惑と同じ構造
グラウンドゴルフ大会などの赤字補填分が公選法に違反する疑い。
萩生田文科相の口利きで、都有地を特定の少年野球チームが独占的に使用
「萩生田大臣からのオーダーを実現するために、市役所が知恵を絞っておかしな形態をとったのでしょう」(地元に詳しい政界関係者)
小泉進次郎環境相 “幽霊会社”に高額発注で政治資金4300万円を支出
「ポスター1200枚であればせいぜい30~40万円が相場です。腕のいいデザイナーを使って高く見積もっても70~80万円。
IR事業を巡る贈収賄で衆議院議員・秋元司を逮捕
カジノを含むIR(統合型リゾート)担当の副大臣などを務めた自民党の秋元司衆議院議員(48)を東京地検特捜部は収賄の疑いで25日午前に逮捕しました。 民進党(当時)などの反対を押し切って法案の採決を強行した衆院内閣委員会で、委員長を務めていたのが秋元だった。
秋元司逮捕に絡み、白須賀貴樹と勝沼栄明の事務所もガサ入れ
東京地検特捜部が関係先として千葉県印西市にある自民党の白須賀貴樹衆議院議員の事務所を捜索したことが関係者への取材で分かりました。 衆院議員秋元司容疑者が収賄容疑で逮捕された事件に絡み、東京地検特捜部は25日、宮城県石巻市にある自民党の勝沼栄明前衆院議員の事務所を家宅捜索した。
こうした自民党の国会議員による不祥事に関する総括は、牧原出・東京大学先端科学技術研究センター教授の言葉をお借りしておきたい。
一つ一つは小さな綻びのように見えなくもない。だが、これら一連の不祥事は一つの線で結びついている。すなわち、長期政権が政権のまわりにいる一部の「サークル」へ利益供与を続けた結果、もはや国全体を見渡せなくなっているという実態である。
こんな状況で沈黙を続けるのは、彼らの悪事に加担することでしかない。
腐敗し切った自民党政権に対し、いまこそ多くの市民から「NO!!」の声を突き付けよう。
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クラッシュやスティール・パルスらがコミットし、1970年代から80年代にかけて展開された反人種差別の運動 “Rock Against Racism” について調べていく中で、発端となった1976年のエリック・クラプトンによる差別発言に辿り着いた。 エリック・クラプトンが人種差別発言を行ったということを薄々知ってはいたが、この機会に発言の原文を読んでみたところ、吐き気を催す酷いものであった。 私自身は40年以上にわたって彼のファンであり続け、当ブログでも「エリック・クラプトン 70年代の武道館セットリスト」を書き起こすなどしている。 しかしこの差別発言に関してあまりにも無知かつ無自覚であったと猛省するしかなかったので、その内容を記録しておくことにした。
エリック・クラプトンがライブ会場のMCで露骨な人種差別発言を行ったのは、1976年のイギリス・バーミンガムでのことだった。
事の一部始終は書籍「ロック・クロニカル 現代史のなかのロックンロール」(広田寛治著 河出書房新社)に詳しいので引用させていただく。 76年9月、バーミンガムで開かれたエリック・クラプトンのコンサートで、時間が凍りついてしまったかのような奇妙な静寂の時が流れたという。
この時の実際の発言そのものは様々な報道やサイトで断片的に掲載されており、またFacebookグループのComunidade Cultura e Arte がそれらを取りまとめている。
この中に出てくるwogsやcoonなどの差別語は、現在の欧米の報道ではwxxx、cxxxなどとマスクされるものであるが、ここでは敢えてそのまま引用しておく。 Do we have any foreigners in the audience tonight?
あまりにも酷い内容なのでとても全文翻訳する気にはなれないが、ざっくり要約するとこんな塩梅だ。
「この会場に外国人のクソ野郎はいるか?いるなら出ていけ。会場だけじゃない、国からもだ。よく聞け。エノック・パウエルに投票しろ。黒人やアラブ人やジャマイカ人は出ていけ。イギリスは白人のための白人の国だ。」 言うまでもなく、エリック・クラプトンはブルースでキャリアを開拓し、この発言の数年前にレゲエで復活を遂げた人物である。 その彼が黒人やジャマイカ人を差別し罵倒するとは。 さらに驚くべきことに、エリック・クラプトンはこの年、ボブ・マーリーのライブを観に行き、またフレディ・キングとセッションを行った記録が残っているのである。 1977年に発刊された写真集「エリック・クラプトン」(新興楽譜出版社)の巻末の年表には、次のような記載がある。 1976/5/25
当然ながらこの後、エリック・クラプトンは人種差別発言を生涯にわたって非難されることになった。
2017年に伝記映画 “Life in 12 bars” (邦題「エリック・クラプトン~12小節の人生~」)が制作されたが、この映画に関するメディアとのQ&Aセッションでも、1976年の人種差別発言について質問されている。 ローリングストーン誌に掲載されたエリック・クラプトンの発言は次のようなものだった。 根拠もなく半人種差別主義者のようだった。
一応反省の弁は見せているが、発言の前半は文字通り差別主義者の典型的な言い訳 “I have a black friend” である。
本当に反省しているのか、疑問に思わざるを得ない。 また差別発言をアルコールのせいにしているが、酔っているときほど本音が出やすいものではないのだろうか。
残念ながら “Rock Against Racism” を経ても、ロック・ミュージシャンによる人種差別発言が止むことはなかった。
近年ではモリッシーが差別主義者になってしまったことで知られている。 例えば2016年8月、モスリム系として初のロンドン市長となったサディク・カーン氏についてモリッシーは「ハラルを食ってる野郎が早口で話すからさっぱりわからねえ」と発言している。 また本邦でも最近、小沢健二が次のようなツイートを残している。
「圧死笑」。何なんだ。 いい加減にしてもらいたい。 再び「ロック・クロニカル 現代史のなかのロックンロール」から引用しておく。 歴史的にみれば、自国の植民地支配を正当化し、偏狭な愛国主義をテコに失業問題を人種差別の理由にする考え方こそが、世界中で差別を生み出してきた原因であったのだ。
なお “Rock Against Racism” の詳細は、HEAPSの記事「ステージとフロアの上でぶち壊した「音楽と人種の壁」パンクとレゲエ、白と黒が混ざり合った音楽ムーブメント、あの5年間」を一読いただければと思う。
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1971年に不朽の名盤 "Led Zeppelin IV" をリリースして大きな評価を獲得したレッド・ツェッペリンは、翌1972年1月から "Houses of the Holy" のレコーディングを開始する。 2月に入るとオーストラリアやニュージーランドのツアーでいったんレコーディングを中断するが、5月には作業を完了させ、続けて大規模な北米ツアーに再び乗り出した。 そして10月、レッド・ツェッペリンは2度目にして最後となる再来日を果たす。 前年のライブは東京、大阪、広島で行われたが、この年は東京、大阪と名古屋、京都の四箇所になった。 これら日本での全音源を含め、1972年のライブをブートで追いかけてみたい。 なお、1969年から1971年の音源は、下記のリストを参照いただければと思う。 また今回も詳細な情報は、ledzeppelin.com を参照させていただいた。
2月16日、レッド・ツェッペリンはオーストラリア西部のパースに上陸した。
その後20日、第二の都市メルボルンでライブを決行している。 セットリストは前年とほぼ同様に "Immigrant Song" で始まり、アルバム "I" から "IV" までまんべんなく取り上げられたものとなっている。 2月25日はニュージーランドのオークランド。 ここでは "III" からのアコースティックセットが組まれている。 2月27日、オーストラリアへ戻り、最大の都市シドニーでのライブとなる。 ブート音源は残念ながら出だしの "Immigrant Song" と "Heartbreaker" の二曲が欠けてしまっている。 この日は久しぶりにジョン・ポール・ジョーンズのオルガンを中心にした "Thank You" で〆られた。 ブリスベーンでの2月29日のライブで、オーストラリアとニュージーランドでのツアーは終了した。
5月は27日のアムステルダムと28日のブリュッセルの2箇所だけのヨーロッパ公演が行われた。
いずれもオーストラリアでのセットリストに近いが、"Rock and Roll" が新たに加わっているところに注目したい。 そして6月6日、デトロイトを皮切りにいよいよ北米ツアーの幕が開けた。 この日初めて最後の曲が "Rock and Roll" となった。 6月7日のモントリオールでは、 "Rock and Roll" に続けて "Thank You" が演奏されている。 6月9日のシャルロットと6月11日のボルティモアの〆は "Rock and Roll" から "Communication Breakdown" への流れ。 6月15日、ニューヨーク州ユニオンデールでのセットリストからは "Rock and Roll" がなぜか消えてしまった。 シアトルでは6月18日と19日で二日間連続のライブが行われている。 18日は元々バンクーバーで予定されていたものだったが、バンクーバー市当局の許可が下りず急遽シアトルに変更となった。 18日の演奏は短めになっているが、打って変わって19日は3時間以上にも及ぶ長丁場のライブになり、"Rock and Roll" から "Thank You" などを挟んで "Dancing Day" で終わるという凄まじいセットリストだった。 22日のサン・ベルナルディノからカリフォルニア入りしてからは、連日 "Rock and Roll" で〆る壮絶なライブを展開している。 25日のロサンゼルスでは、ライブは3時間に及んだ。 なお27日のロング・ビーチでの音源の一部は、正式なライブ盤 "How The West Was Won" で聴くことができる。 そして北米ツアーは28日のアリゾナ州タスコンが最終日となった。
北米ツアーからおよそ3か月後の10月2日、遂にレッド・ツェッペリン2度目の来日が武道館で開幕した。
驚くことに、北米ツアーとは変わって先頭の曲が "Rock and Roll" になり、さらに "Houses of the Holy" からふんだんに演奏されることになっている。 これは映画「永遠の歌 "The Song Remains The Same"」で観ることができるマディソン・スクエア・ガーデンでのセットリストの原型と言っていいだろう。
翌3日の武道館二日目は "The Crunge" と "The Ocean" が演奏された。 初日と併せると "Houses of the Holy" の曲がほぼすべて披露されたことになる。 4日は大阪フェスティバル・ホール。 セットリストは武道館初日とほぼ同じ。 5日にいったん名古屋へ移動。 名古屋市公会堂では東京や大阪では演奏されなかった "Thank You" が〆となった。 3日間の休みを挟んで、大阪二回目の10月9日。 セットリスト自体は4日のものと大きな変わりはないが、"Whole Lotta Love" のメドレーが30分に達する長さとなった。 10月10日、来日最終日の京都。 そしてこれが最後の日本でのライブとなった。 キャパの小さい京都会館なので、行かれた方は間近で観ることができたのではないだろうか。
二度目の来日を果たしたレッド・ツェッペリンは、11月末にスイスのモントルーにて二回演奏し、続けて全英ツアーを開始する。
12月3日のグラスゴーや8日のマンチェスターでは、日本でのセットリストとほぼ同様の構成で演奏された。 20日、ブライトンでは "Heartbreaker" で〆るという変則的な形になっている。 12月22日と23日、ロンドンのアレクサンドラ・パレスでのライブ。 この日を最後に、1972年のレッド・ツェッペリンのツアーは終了する。
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毎年4月に新宿御苑で開催される「桜を見る会」の、首相・安倍晋三による私物化が指摘されて久しい。 この問題について2019年11月8日、参院予算委員会で日本共産党の田村智子議員が安倍を徹底的に追及した。 安倍は例によってまともに答えることもできず、答弁を押し付けられた官房審議官・大塚幸寛ともども、壊れたテープレコーダーのように無意味な言葉を発するだけであった、 その全ては下記の動画により一目瞭然であるが、ここでは動画からテキストを書き起こすとともに、田村氏が安倍に突き付けたブログなどのエビデンスも紹介してみたい。 田村議員 共産党の田村智子です。 大塚審議官 あのお答えいたします。
田村議員
まあ総理主催ですからね、総理に答えていただきたいんですね。 一番経費がかかっているのは飲食物提供ですね。 これ、あの毎年閣議に配布がされているということなんですけれども、この中の招待範囲、いま色々言いました。
大塚審議官
お答えをいたします。
田村議員
各省庁から推薦をいただいて功労功績が認められる方ってことなんですね、「等」を含めて。 世耕弘成後援会ニュース、2016年新年号。 2016年に初入閣された松本潤衆院議員の国会奮戦記。 その後2015年4月18日。 もう一人ご紹介します。
萩生田
「桜を見る会」については各界において功績功労のある方々を各省庁からの意見等を踏まえ幅広く招待してものと承知しており、最終的な取りまとめは内閣官房及び内閣において行われていると承知しております。
議場騒然、議事停まる。
萩生田 自分の知り合いの方をのべつまくなし呼べるという仕組みになっておりません。
田村議員
常任幹事会って何ですか?
萩生田
2014年の常任幹事会というのは後援会の中の常任幹事の方ということだと思います。
田村議員
後援会なんですよ。
安倍
いやあの今説明しますから。
田村議員
いやちょっと安倍総理の事でお訊きしますよ。 ホテルから貸し切りバスで移動すると。
安倍
あの今申し上げましたように「桜を見る会」についてはですね、これは昭和27年以来、内閣総理大臣が各界において功績功労のあった方々をお招きをし、日ごろの労苦慰労をするためなどのため開催しているものと承知をしておりますが、萩生田大臣からも答弁させていただいた通りですねえ、様々な例えば地元において自治会等等等ですね、あるいはPTA、PTA等で役員をされている方々もおられるわけでございますから、当然そういう方々とですね、これはあの後援会入っている方々がこれは重複することも当然あるわけでございました。
田村議員
これねえ、じゃあちょっと調べてくださいよ、例えば友田県議。
大塚審議官
あの、具体的なその招待者のその推薦、例えば推薦名簿ですが推薦に係る書類は、これはあの毎回のその「桜の会」の資料を以って使用目的を終えるということをございますし、それから個人情報を含んだ膨大な量の文書を適切に管理すると必要が生じることもございました。
田村議員
いやあの、本当にね、検証ができない状態なんですよね。
大塚審議官
あのお尋ねの招待状につきましては、あの正しく各府省と通じてもともとご推薦いただいておりますしその各府省等通じて発送いただくなど、まあ最も効率的と考える方法で招待者の手元に届くように毎回しているところでございます。
田村議員
あのね、そんなことを訊いているんじゃないんですよ。
大塚審議官
あのその具体的な各推薦者の最初の取りまとめの検討過程に係る情報につきましては、あのこれを明らかにすることは内閣官房内閣府を受けます円滑な取りまとめに支障を及ぼす恐れがあると考えてございまして、あのただいまのお尋ねにつきましてはお答えを差し控えさせていただきたいと考えております。
田村議員
これで私たちはね、総理、お答えくださいよ。
安倍
あの、これは先ほどあの赤旗の取材に私の後援者があの応えたいということは、私も寡聞にして存じ上げないのですが、あのそこでですね、今も既に申し上げておりますように、個別の方については招待されたかを含め個人に関する情報であるため、回答を差し控えさせているというのは、従来からの政府の立場でございます。
田村議員
これね、開催要領の逸脱が疑われてるんですよ。
ここで大塚が現れ、田村氏が「ちょっと何であなたが答えるの」と猛抗議。
大塚審議官 あの、先ほど総理からもご説明したしましたが、その個々の方についてその功績功労は何か、その以前にその招待されたかどうかということは、これはあの個人に関する情報でございまして、あのお答えを従来から差し控えさせていただきことでございます。
田村議員
これね、いま後ろからもありましたが、税金を使った公的行事なんですよ。
また出張る大塚を田村氏が「あなたもういい、もういい、手を上げないで」と叱りつける。
安倍 あの先ほど来、答弁をさせていただいておりますようにですねえ、「桜を見る会」については昭和27年以来、内閣総理大臣が各界において功績功労があった方々をお招きをし、日ごろの労苦をですね、日頃の労苦を慰労するため開催をしているものでございます。
議場騒然、議事停まる。
田村議員 そしたらね、委員長ね、私の質問にも全然お答えいただいてませんので。
予算委員長
じゃあ後刻理事会で協議をさせていただきます。
田村議員
もうちょっとブログ見てみたいんですよ。
(なお、藤井律子は予算委員会直後にブログの関連記事をすべて削除して隠滅を謀っている。)
まあこういうのはねぇ、もういっぱいあるんです、インターネットで検索すると。 総理ね、これで総理しか答えられないんです。
安倍
あの「桜を見る会」につきましては、既に政府委員から答弁をしている通りでございまして、個々の個人名等等についてはお答えは差し控えさせていただきたいということでございます。
田村議員
前夜祭と一体でしょ。 (指摘された防府ライオンズクラブの会報には「まずこの会は望んでも出席できないと言う事です。安倍総理の後援会、事務所、そのような経緯を通してでないと出席は出来ないそうで、今回お誘いがあったのでチャンスとばかりに出席を決めました。」との記載がある。) 安倍 あのその懇親会にですね、私が出席をして写真等を撮っているのは事実でございます。
田村議員
セットなんですよ。
議場騒然、議事停まる。
大塚審議官 あの「桜を見る会」のあの開演時間につきましては、開催を(聞き取り不能)通り、午前8時半から午前10時30分の間の随時入園参観ということになっております。
安倍
あの、これは招待者のですねえ、そのそれぞれの受付時間の方対応に関するこの情報につきましては、これはあのセキュリティに関することであるため回答を差し替えさせていただきたいと、このように思います。
田村議員
だから、なんで開門前に山口の後援会の皆さんと、あなた写真撮ってるんですかってことなんですよ。
安倍
あのこれについてはですね、どういう形で私が動くかということにもかかってまいりますので、そのセキュリティに関わることでございますので、回答を控えさせていただきたいと思います。
田村議員
しんぶん赤旗の取材でね、下関市の後援会の男性。
議場騒然、議事停まる。
大塚審議官 お答えいたします。
安倍
あの今、あの政府参考人からお答えをさせていただきましたように、受付の仕方等々を持ちしましてもですね、これはあのまさに、これは例えば、その後の私との関係においてもですね、これはセキュリティに関わることでございますから、これはお答えを差し控えさせていただきたいとこのように思います。
田村議員
開園前にね、手荷物検査もしないで大量に入ったらそれこそセキュリティ上の問題じゃないですか。 Photo by Helloquence on Unsplash 2019年3月、ツイッターで「ヘイトの先頭に立っていた」と指摘されていた「凪論」なる人物が名誉毀損の民事訴訟を起こしたが、東京高裁は2019年9月、その主張をすべて退ける判決を下した。 東京高裁の判決は「凪論」の目論見に反し、ヘイトスピーチ解消法(判決内では「差別的言動解消法」)に基づいて、原告である「凪論」のヘイトスピーチを指弾する画期的な内容となってしまった。 最高裁へ上告する2週間の期限が過ぎ判決が確定したため、このほど入手した判決文に沿って詳細に紹介していきたい。 なお個人情報に配慮し、「凪論」を含め関係者の本人特定につながる情報には可能な限りマスクをさせていただいている。 1. 訴状の概要 対象となったツイートの内容は次のようなものである。 あろうことかaaaのbbbの職員、「凪論」ことccc某がヘイトの先頭に立っていたことが発覚。きっちり社会的責任取ってください。ブログ削除して逃亡程度では落とし前つかんよ。 要は当ツイートでの「ヘイトの先頭に立っていた」との記述、およびブログのリンクを張り付けた行為が名誉毀損に当たるから損害賠償を払えという告訴である。 なお以下の判決文引用において判りやすくするために、原告である「凪論」を「N」、被告を「H」、上記ブログの持ち主を「B」として記載させていただくこととした。 2. 東京高裁の判断 東京高裁は、以下に引用するように、Nの主張を「すべて理由がないもの」として退けた。 違法性阻却ないし責任阻却事由が認められ、また評価を述べた部分も論評としての域を超えた人身攻撃であるとまでは認められず、違法な侮辱により名誉感情を侵害したとはいえないから、NのHに対する請求はすべて理由がないものと判断する。 3. 判断の理由 東京高裁は上記のような判断に至った理由を、ツイートの内容と趣旨、およびリンク先のブログの内容に大別して列挙している。 ツイートについてはNが「ヘイトの先頭に立っていた」ことを「事実を摘示したもの」と認めた。その根拠は、Bがブログで指摘していたN自身によるブログの内容そのものであった。まさに告訴したら返り討ちに会ったというしかない。 また何より重要なのは、Nのブログの内容について「本邦外出身者を不当に差別し、地域社会から排除することを扇動することにつながりかねない言動として、差別的言動解消法のヘイトスピーチに該当する可能性がある」として、ヘイトスピーチ解消法に基づく判断を下した箇所であろう。 以下、判決文から引用する。 「本件ツイートの趣旨・内容はいかなるものか」 「事実の真実性、又は真実と信じることについて相当の理由があるか」 4. ツイートに関する結論 前述したように、東京高裁はツイートの「ヘイトの先頭に立っていた」との記載について「真実性があるか、又は真実と信じるについて相当の理由がある」と断じた。 本件ツイートの「ヘイトの先頭に立っていた」との記載は、Nが率先してヘイトスピーチを行っていた事実を摘示するものであるが、上記「凪論」の記載が、ヘイトスピーチに該当する可能性があるということができるから、真実性があるか、又は真実と信じるについて相当の理由がある。 5. Bブログに関する結論 またBによるブログでのNに関する記述も悉く「真実性があるか又は真実と信じるについて相当の理由がある」とされている。 ヘイトスピーチの被害者に対し酷薄な感情しかもっていない事実およびその被害者をブログで貶めている事実を摘示しているが、上記「凪論」の記載が、同被害者を揶揄し、貶めている記載であるということが可能であるから、真実性があるか又は真実と信じるについて相当の理由がある。 6. 総合的な結論 以上のように、「凪論」ことNにとって完膚なきまでの敗訴となった。 本件ツイート及びそれにリンクする本件B投稿中の本件各B記述の内容は、名誉侵害の不法行為の違法性ないし責任を欠くものというべきで、NのHに対する損害賠償請求は理由がない。
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国民民主党・参院議員の森ゆうこ氏による質問内容が事前に漏れ、質問が予定されていた予算委員会よりも前にネット・メディアで公開されたうえ批判を受けるという事態が発生した。 まず当件のおおよその流れを整理するため、10月19日の朝日新聞の紙面から引用させていただく。 国民民主党の森ゆうこ参院議員が政府側に事前通告していた質問内容が外部に流出していたとされる問題で、野党側の「質問通告漏洩問題調査チーム」が18日、内閣府からの聞き取り調査の結果を発表した。
記事内では実名を伏せられているが、この大学教授とは嘉悦大学の高橋洋一氏である。
右派論客、あるいは安倍晋三応援団として知られている人物だ。 当の高橋氏は10月18日にツイッターで次のように吠えている。
「いじめのための質問」なのかはさておき、実は高橋氏のこの主張はあながち間違っているわけでもない。 某国会議員のベテラン元秘書に確認したところ、実は質問通告に関しては明確な規定がないとのことである。規定がないから罰則もない。 特に野党側の質問には、所轄省庁から民間に問い合わせを求めるものも含まれるため、省庁から外部へ関係ない質問内容が送られてしまうことは従来もあったそうだ。 とても法治国家とはいいがたいが、与野党ともに紳士協定として運営してきた。 それを国会よりも前にネットで晒しものにするという形で踏みにじる人物が現れたのだから、たまったものではない。 この件を踏まえて自民党側でも民間側に守秘義務や罰則を課す動きがあるようだが、当然であろう。 ところで野党側の質問についてあれこれ言われているようだが、自民党が野党だった時の質問内容はどうだったのか。 これについては、立憲民主党の有田芳生・参院議員が、小泉進次郎氏の質問要旨を実例として公開している。
1. 政権交代について 事前に用意した答弁資料を読み上げる無難なデビューを選択したようだ。
官僚が用意した文面を読み上げるだけの答弁。
「無能」の誹りを受けても反論のしようがあるまい。 こうした事態を受けて、野党側の怒りも限界を超えてしまったようである。 10月17日のテレビ朝日は次のように伝えている。 野党の統一会派は、政府側に事前に通告した国会での質問内容が外部に漏れていた疑いがあるとして、今後は詳細な質問内容を通告しないと決めました。
当面、質問の詳細な内容は事前通告されないことになってしまった。
石炭火力発電をどのように減らしていくのかと国連で質問されて答えに窮するような環境大臣・小泉進次郎をはじめ、閣僚として居座る安倍内閣の無能な面々は、官僚による事前の準備無しで、これからどのように答弁するつもりなのだろうか。 高橋洋一氏が不用意にも与党側へ加えてしまった傷はあまりにも深い。
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2019年のノーベル化学賞を吉野彰氏が受賞した。 吉野氏らによるリチウムイオン電池の開発がスマホの普及に大きく貢献したことは、私ごときが言うまでもない。 しかし、リチウムイオン電池も軽く吹っ飛ぶ驚くべき技術を体験した方がいる。 自由民主党所属の衆議院議員である杉田水脈氏である。 なんと電源を切ってあるスマホからデータを丸ごと抜くことができるのだそうだ。 とりあえずご本人の弁を記録した動画をご覧いただきたい。
以下、動画から肝心のポイントを抜粋しておく。 でももう仕方がないじゃないですか。
一言で「スマホのデータ」と言っても当然ながらサイズは様々であるが、とりあえず私自身のiPhoneの環境で杉田氏のご高説を検証してみたい。
機種は iPhone X で、ストレージの容量は256GBである。 このうちOSも含めて、現在はおよそ60GBの領域を使用している。 ビットに換算すると480Gbitになる。 キャリアはソフトバンクでLTE回線なので、理論上の最大速度は150Mbpsとなっている。 しかし「データを抜かれる」速度を計算するためには、実際のアップロードの速度が必要だ。 10月13日15時時点での、私のiPhoneからのアップロード実測値は24.2Mbpsであった。
この環境でiPhoneに入っているデータをすべて抜くためには、5時間30分の時間を要する。
空港でチェックインして搭乗するまでの時間では収まらないだろう。 なお現在導入が進められている5Gでは、速度が桁違いに速くなる。 2019年4月に、Verizonの広報担当であるDavid Weissmann氏が計測したところ、ダウンロードで762Mbpsもの速度が出たとのことだ。
残念ながらアップロードのデータは公開されていないが、ダウンロードとほぼ同じ速度が出ると仮定して計算してみたい。 その結果、10分強の時間で私のiPhoneのデータを転送可能であることが判った。 それにしても10分以上も送信しっぱなしであればスマホ本体がかなり発熱するので、注意深い人であれば、スマホが何か不審な挙動を執っていることに気づくだろう。 さらにキャリアの回線以外でデータを抜く手段としては、WiFiのアクセスポイントを悪用することが考えられよう。 ちなみに私の自宅のネットワーク環境は、2Gの光回線にIEEE802.11ac対応の無線ルータで構成されている。 個人ユーザーのスペックとしては、高速の部類に入るであろう。 実際にアップロードの速度を測ったところ、401Mbpsであった。
この環境でiPhone内のすべてのデータをアップロードすると、およそ20分の時間を要することになる。
LTEほどの長さではないが、先ほどの5Gの場合と同様に、スマホ本体が発熱するレベルである。 なお、2019年7月にリリースされたiOS 12.4以降のOSを搭載したiPhone同士であれば、ネットワークを経由せずにデータを移行することも可能である。 しかし2台のiPhoneをペアリングさせるなど、いくつかの手順を踏む必要があるため、他人のiPhoneの中身をコピーすることは不可能だ。 またApple製品の専門誌であるMacRumorsの検証によると、iPhone同士のデータ転送は「iCloudよりは速かった」ということなので、WiFiより多少速い程度と思われる。 ここまでiPhoneのケースで検証してみたが、Androidはどうだろうか。 Androidの場合、あらかじめバックドアを仕掛けておけば、データを抜くことは技術的に可能である。 実際フォーブス誌は、一部のAndroid系廉価スマホに出荷時点で "Triafa" なるバックドアが仕込まれていたことを報じている。 しかしバックドアを悪用したデータ伝送でも、先ほど計算したような時間が必要であることには何ら変わらない。 そして何といっても大前提となるのは「スマホに電源が入っていること」である。 ここで話を杉田水脈議員に戻したい。 彼女によると「スマホを電源を切って鞄の中に入れておいても、空港なんかをこう通過したりとかするときに、全部データを抜かれる」技術が存在するそうだ。 このような技術があれば、5Gすら不要であろう。 しかも当のAppleやGoogle自身も持ち合わせていない技術である。 とにかく極右やネトウヨの皆さんは、前代未聞・驚天動地の技術を数々ご存知のようで、まったく驚かされるばかりである。 例えば、ツイートの文面だけで相手の国籍を読み取ってしまう「国籍透視」能力も、広く普及しているようだ。 一般社会ではまったく知る由もない技術だが、ここはひとつノーベル賞でも目指してもらいたいものだ。
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「アビー・ロード」50周年記念のボックスセットが到着した。 2017年の「サージェント・ペパーズ」、2018年の「ホワイト・アルバム」に続く企画である。 早速アマゾンの段ボールを開封したところ、ボックスセットの上にミニ・ポスターが張りつけられていた。 ひっくり返してボックスの裏面を見ると、セットの内容が一目でわかるようになっている。 セット自体はLPサイズで、リミックスのCD 1枚とアウトテイクやデモが収録されたCD 2枚、さらにオーディオのBlu-rayで構成されている。 また写真集を兼ねたボックス本体ですべての曲が詳細に解説されており、さらに日本盤では付属のライナーで翻訳を読むことが可能だ。 なお開封の儀はビートルズの公式YouTubeチャネルでも公開されているので、こちらも参考にしてほしい。 肝心のリミックスの音だが、オーバーダビングされたコーラスやギターなどの分離がはっきりして、定位もクリアになった。 特にピアノやパーカッションなど、今まで気づかなかったような音まで聴こえるようになっており、オリジナルから50年も経っているのに新たな発見があることに驚かされる。 ボックスセットのリリースに合わせて "Here Comes The Sun" のプロモ動画が9月27日に公開されているが、特にこの曲で楽器の輪郭が顕著に改善されているのが判るので、聴いてみてほしい。 ところでApple Musicでは、このスーパー・デラックス・エディションのリミックスのみならず、アウトテイクやデモも含めた全曲を試聴できるようになっている。 ボックスセットの購入を検討する際には、こちらも是非利用いただければと思う。 いよいよ来年2020年は、怒涛の1970年から50年目に当たる。 これから10年は50周年記念商法に付き合うことになりそうだが、こうなったらとことん付き合うしかあるまい。
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"Led Zeppelin III" をリリースした翌年の1971年、遂にレッド・ツェッペリンが待望の初来日を果たした。 ライブ会場は東京と大阪だけでなく、バンド側の強い希望で広島が加えられている。 広島に着いたレッド・ツェッペリン一行は原爆ドームと原爆資料館を訪れ、また広島でのギャラをすべて原爆の被害者に寄贈した。 こうした彼らの思いであろうか、広島はもとより、東京や大阪でも長時間にわたって緊張感の高い演奏が繰り広げられた。 1971年は歴史的名盤 "Led Zeppelin IV" がリリースされており、レッド・ツェッペリンにとっても頂点のひとつを極めた年でもある。 ここでは東京、広島、大阪での全5公演の他、この年のライブ音源をブートで辿ってみることとしたい。 また1969年の音源は「1969年のレッド・ツェッペリン」、そして1970年については「ブートで辿る1970年のレッド・ツェッペリン」を併せて参照いただければ有難い。 なおセットリストなどの詳細な情報は、ledzeppelin.com を参照した。
1970年9月まで怒涛の全米ツアーを繰り広げたレッド・ツェッペリンは、1971年3月5日から北アイルランドのベルファストを皮切りに、ヨーロッパ・ツアーを開始した。
半年ぶりのライブは、前年にリリースされた "III" に収録されている "Immigrant Song" で開幕。 さらにこの時点では未公開だったアルバム "Led Zeppelin IV" から "Black Dog" "Stairway to Heaven" "Rock and Roll" が初めてライブ演奏されている。 翌日3月6日のダブリンでは、"Rock and Roll" がアンコール曲となった。 3月9日から4月1日まで全英ツアーをこなし、一か月後の5月3日と4日にデンマークでライブを行っている。 5月3日もアンコールの "Rock and Roll" で〆られた。 5月10日にリバプールで、また7月5日にはミラノで散発的にライブを行った後、8月7日のスイスに上陸したレッド・ツェッペリンは、続けて大規模な北米ツアーを開始した。 ロサンゼルスでのライブは8月21日と22日と二回続けて行われた。 いずれも最終曲はジョン・ポール・ジョーンズのオルガン・ソロに続く "Thank You" となっている。 23日のテキサス州フォート・ワース、31日のフロリダ州オーランドでのセットリストもほぼ同様。 9月4日、カナダのトロントでは、ライブ前に "Led Zeppelin III" に対するゴールドを受賞した。 9月9日のヴァージニア州ハンプトンでの音源は、残念ながら "Moby Dick" の途中で切れてしまっている。 アンコール曲は、9月11日のニューヨーク州ロチェスターまで "Thank You" だったが、13日のカリフォルニア州バークレーでは再び "Rock and Roll" となった。 14日にもバークレーでライブが行われているが、この日は "Whole Lotta Love" で終了している。
そして9月23日、ついにレッド・ツェッペリンが日本に上陸した。
初日の武道館では、バンドが登場する前に司会者によるMCがあり、「レッド・ツェッペリンの演奏会、今日は第一部も二部もありません」などと話していて、現代とは違う時代の空気を感じさせる。 しかしバンドが登場するやいなや "Immigrant Song" でロバートが吠え、"Heartbreaker" でジミーが炸裂。 "Since I've Been Loving You" も、その後公開されたマディソン・スクェア・ガーデンでの演奏を凌ぐ凄まじさである。 さらに30分にわたる "Whole Lotta Love" では、"How Many More Times" "You Shook Me" なども交えた変幻自在のアドリブ大会。 こんな演奏を突き付けられた当時の観客は、腰を抜かしたであろう。 なおこの日のアンコールは "Communication Breakdown" だった。 武道館の二日目は、初日に無かったジョン・ポール・ジョーンズによるオルガンのソロと "Thank You" で終了し、その後アンコールの "Communication Breakdown" へ突入。 9月27日、東京に続く広島でのライブ。 武道館でのライブも凌ぐ緊張感で演奏されている。 アンコールの "Communication Breakdown" の途中で演奏をいったん停め、ロバートが観客に「ステージに押し寄せるな。落ち着け。そこで座れ」となだめたうえで演奏を再開した様子が判る。 9月28日、大阪の初日ではビートルズの "Please Please Me" と "From Me to You" のサワリを歌って "Celebration Day" に突入するという遊びを見せている。 さらにアコースティック・セットの中では "We Shall Overcome" や "Down by the Riverside" を交え、また最後の "Communication Breakdown" の前に "C'mon Everybody" をカバー。 翌29日、大阪の二日目では "Thank You" に続けて "Rock and Roll" が演奏されるという豪華なセットリストとなった。
来日後およそ一か月の休暇を取り、11月8日に "Led Zeppelin IV" をリリースしたレッド・ツェッペリンは、11月11日のニューキャッスルから全英ツアーを開始する。
11月16日は初めて "Gallows Pole" でライブを終了してみせた。 11月24日、マンチェスターでは再び "Thank You" を最後に持ってきている。 12月21日のサリズビュリーでのライブで、1971年のツアーは終了した。 翌年1972年は、二回目にして最後となった再来日が行われる。 |