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"Led Zeppelin III" をリリースした翌年の1971年、遂にレッド・ツェッペリンが待望の初来日を果たした。 ライブ会場は東京と大阪だけでなく、バンド側の強い希望で広島が加えられている。 広島に着いたレッド・ツェッペリン一行は原爆ドームと原爆資料館を訪れ、また広島でのギャラをすべて原爆の被害者に寄贈した。 こうした彼らの思いであろうか、広島はもとより、東京や大阪でも長時間にわたって緊張感の高い演奏が繰り広げられた。 1971年は歴史的名盤 "Led Zeppelin IV" がリリースされており、レッド・ツェッペリンにとっても頂点のひとつを極めた年でもある。 ここでは東京、広島、大阪での全5公演の他、この年のライブ音源をブートで辿ってみることとしたい。 また1969年の音源は「1969年のレッド・ツェッペリン」、そして1970年については「ブートで辿る1970年のレッド・ツェッペリン」を併せて参照いただければ有難い。 なおセットリストなどの詳細な情報は、ledzeppelin.com を参照した。
1970年9月まで怒涛の全米ツアーを繰り広げたレッド・ツェッペリンは、1971年3月5日から北アイルランドのベルファストを皮切りに、ヨーロッパ・ツアーを開始した。
半年ぶりのライブは、前年にリリースされた "III" に収録されている "Immigrant Song" で開幕。 さらにこの時点では未公開だったアルバム "Led Zeppelin IV" から "Black Dog" "Stairway to Heaven" "Rock and Roll" が初めてライブ演奏されている。 翌日3月6日のダブリンでは、"Rock and Roll" がアンコール曲となった。 3月9日から4月1日まで全英ツアーをこなし、一か月後の5月3日と4日にデンマークでライブを行っている。 5月3日もアンコールの "Rock and Roll" で〆られた。 5月10日にリバプールで、また7月5日にはミラノで散発的にライブを行った後、8月7日のスイスに上陸したレッド・ツェッペリンは、続けて大規模な北米ツアーを開始した。 ロサンゼルスでのライブは8月21日と22日と二回続けて行われた。 いずれも最終曲はジョン・ポール・ジョーンズのオルガン・ソロに続く "Thank You" となっている。 23日のテキサス州フォート・ワース、31日のフロリダ州オーランドでのセットリストもほぼ同様。 9月4日、カナダのトロントでは、ライブ前に "Led Zeppelin III" に対するゴールドを受賞した。 9月9日のヴァージニア州ハンプトンでの音源は、残念ながら "Moby Dick" の途中で切れてしまっている。 アンコール曲は、9月11日のニューヨーク州ロチェスターまで "Thank You" だったが、13日のカリフォルニア州バークレーでは再び "Rock and Roll" となった。 14日にもバークレーでライブが行われているが、この日は "Whole Lotta Love" で終了している。
そして9月23日、ついにレッド・ツェッペリンが日本に上陸した。
初日の武道館では、バンドが登場する前に司会者によるMCがあり、「レッド・ツェッペリンの演奏会、今日は第一部も二部もありません」などと話していて、現代とは違う時代の空気を感じさせる。 しかしバンドが登場するやいなや "Immigrant Song" でロバートが吠え、"Heartbreaker" でジミーが炸裂。 "Since I've Been Loving You" も、その後公開されたマディソン・スクェア・ガーデンでの演奏を凌ぐ凄まじさである。 さらに30分にわたる "Whole Lotta Love" では、"How Many More Times" "You Shook Me" なども交えた変幻自在のアドリブ大会。 こんな演奏を突き付けられた当時の観客は、腰を抜かしたであろう。 なおこの日のアンコールは "Communication Breakdown" だった。 武道館の二日目は、初日に無かったジョン・ポール・ジョーンズによるオルガンのソロと "Thank You" で終了し、その後アンコールの "Communication Breakdown" へ突入。 9月27日、東京に続く広島でのライブ。 武道館でのライブも凌ぐ緊張感で演奏されている。 アンコールの "Communication Breakdown" の途中で演奏をいったん停め、ロバートが観客に「ステージに押し寄せるな。落ち着け。そこで座れ」となだめたうえで演奏を再開した様子が判る。 9月28日、大阪の初日ではビートルズの "Please Please Me" と "From Me to You" のサワリを歌って "Celebration Day" に突入するという遊びを見せている。 さらにアコースティック・セットの中では "We Shall Overcome" や "Down by the Riverside" を交え、また最後の "Communication Breakdown" の前に "C'mon Everybody" をカバー。 翌29日、大阪の二日目では "Thank You" に続けて "Rock and Roll" が演奏されるという豪華なセットリストとなった。
来日後およそ一か月の休暇を取り、11月8日に "Led Zeppelin IV" をリリースしたレッド・ツェッペリンは、11月11日のニューキャッスルから全英ツアーを開始する。
11月16日は初めて "Gallows Pole" でライブを終了してみせた。 11月24日、マンチェスターでは再び "Thank You" を最後に持ってきている。 12月21日のサリズビュリーでのライブで、1971年のツアーは終了した。 翌年1972年は、二回目にして最後となった再来日が行われる。
5 コメント
島田博久
8/9/2019 07:53:35
いつも、丁寧な仕事をされていて、感激して
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久保田直己
8/9/2019 10:45:59
シェアいただくのに何も許可も必要ありませんので、ご自由にどうぞ。
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谷澤
29/7/2021 00:26:48
素晴らしい!+
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Happiefox
19/3/2020 00:53:12
アナウンスは糸井五郎だね
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hide tanaka
24/4/2020 08:18:53
j9月23日と24日行ってました17歳でした24日のアフタヌーンショーも確かライブインジャパンとしてレコードをリリースする計画でマルチトラックでレコーディングしていた聞いていますが?
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