<![CDATA[久保田直己 不撤不散 - Blog]]>Sat, 20 Dec 2025 17:47:38 +0900Weebly<![CDATA[懲りずに2025年もライブ三昧]]>Sat, 20 Dec 2025 08:09:00 GMThttp://naomikubota.tokyo/blog/live_2025
コロナ禍以前はフジロックかサマーソニックかどちらかを選んでいっていたが、一昨年前から両方行くようになってしまった。
おまけに年初の rockin'on sonic まで加わってしまった。
もはやライブに行くために働いているようなものである。

1月4日(土)~5日(日) 幕張メッセ  rockin'on sonic

ロック誌のロッキング・オンと、「サマーソニック」などを主催するクリエイティブマンのコラボによる、初の新春イベント。
完全に洋楽ファンにフォーカスしたラインナップになっており、スタジアム級のバンドはいないものの、根強い人気を持つ顔ぶれで固めている。
一方、フジロックやサマソニのように、日本の若手バンドは一つもいない。
プロデューサーの山崎洋一郎氏が冒頭の舞台挨拶で「RockinやCountdownより年齢層が近くて嬉しい」と語ったように、他のフェスとは明らかに客層が違う。
20代以下の客はほとんどおらず、どう見てもアラフォー以上である。
海外からの客もとても多い。

初日は、新進気鋭のラヴキャットを皮切りに、プライマル・スクリームやパルプらベテラン勢の演奏が続く。
Primal Screamについては、前日の3日にボビー・ギレスビーが原宿でのパレスチナ支援アクションを応援してきたとのこと。
唸るベースの乗ったギターとサックスが絡み合う、最高のロックンロール・ショーを見せつけてくれた。

2日目は、淡々と爆音を放出するジーザス・アンド・メリー・チェインに続いて、マニック・ストリート・プリーチャーズが炸裂。
こちらもベテランらしいハードなステージをブチかましてくれた。
最高の正月である。

1月11日(土) ビルボードライブ横浜 岸谷香

前年に続けて、岸谷さんのビルボードでのライブが年末から年始に移動になった。
ホーンセクションだけでも7名、総勢10名のビッグバンドを従えたステージも3年目である。
今回は30年も前に書いた曲や、EDM用に制作した曲をビッグバンド用にアレンジするなど、また新しい側面もみせてくれた。
ベッド・ミドラーやアレサ・フランクリンのカバーも圧巻。
終盤にはプリンセス・プリンセス時代の「パパ」を弾き語りで歌ってくれ、落涙するしかない。
最後は例によって「ダイアモンド」で大団円。

1月25日(土) クラブチッタ アンディ・サマーズ

元ポリスのアンディ・サマーズがソロで来日した。
バック・バンドを付けずギター一本だけの演奏なので、文字通りのソロ・ライブである。
ソロ・アルバム "Triboluminescence" に収録されている "The Nature" で幕を開け、セロニアス・モンクのカバーやブラジル音楽など幅広い音楽を展開しつつ、要所要所にポリスのカバーを差し込む贅沢なものだった。
アンディが自分で撮影したという世界中の写真をバックに投影しながら、演奏してはトークを交えるステージで、ギター一本だけでも全く飽きさせない。
ギターを途中で取り換えることもチューニングし直すこともない、職人芸の世界であった。

2月25日(水) 武道館 Mr. Big

2年前にフェアウェル・ツアーと銘打って来日したはずなのに、またフェアウェル・ツアーと称してやってきた。
ほんの2か月前の12月末にはエリック・マーティンをビルボードで観たばっかりである。
同じ日の横浜でのグリーンデイと被ってチケットを買ってしまうという大失敗をやらかしてしまったが、とりあえず忘れることにする。
会場の武道館は二階席の一番上までびっしり満席であった。
セットリストは新旧幅広くピックアップされたヒット・パレードで、"Mr. Gone" で幕を開け、"Daddy, Brother, Lover, Little Boy" ではマキタのドリルを持ち出し、アンコールは定番の "To Be With You" で、安定の予定調和。
前回の来日でも見事にパット・トーピーの穴を埋めてくれたニック・ディヴァージリオが、今回も大活躍だった。
もはやこのまま延々とフェアウェル・ツアーを続けてもいいのではないか。

2月28日(金) ビルボードライブ横浜 トッド・ラングレン

このところ頻繁に来日してくれるトッド・ラングレンだが、2023年はダリル・ホールとの共演だったので、本人名義のライブは2018年のすみだトリフォニー以来である。
思い返せば、1979年の中野サンプラザや、2015年のフジロックのホワイトステージなど、半世紀近くも彼のライブに通ったことになる。
ビルボードでは通常撮影禁止なのに、今回は堂々と「写真・動画撮影OK」との張り紙がされていた。
12年前のビルボードのライブでは、トッドの指示で座席が撤去されて立ち見のみになったこともあったので、この日の撮影解禁もおそらく彼の意向なのだろう。
今回は6名のフル・バンドを従えての演奏で、彼の長いキャリアから幅広く選曲してくれた。
1979年のライブでも演奏してくれたハードなナンバー "Love in Action" とか "A Dream Goes On Forever" あたりを目の前で演奏されたら泣くしかない。
ビルボードなので、演奏時間は70分くらいだったのが残念だが仕方ない。
また大きめのホールでがっつり演奏してほしいものである。

3月27日(木) Zepp Haneda  フレーミング・リップス

ネオ・サイケの雄としてデビューしたフレーミング・リップスも、40年近い経歴を誇る古参のバンドになってしまった。
この日はコーネリアスを対バンに携えてのライブとなった。
今回のワールド・ツアーは "Yoshimi Battles the Pink Robots Tour" と名付けており、2002年にリリースした同名のアルバムを再現する内容であった。
サイケなライティングや、エアで膨らませた巨大な人形 the Pink Robotsなど、目を奪われる演出に加えて、ウェイン・コインのMCによる煽りが冴えまくる。
対バンがコーネリアスだし、ハコは羽田だし、行くまでがダルさ満タンだったが、全て吹き飛んだ。

3月30日(日) 幕張メッセ PUNKSPRING

春先好例のPUNKSPRINGである。
今年はアメリカのペニーワイズやイエローカード、日本からはクロマニヨンズのようなベテランに加えて、さらに超ベテランのセックス・ピストルズ、バッド・リリジョン、イギー・ポップという豪華な顔ぶれとなった。
とりわけセックス・ピストルズは、まだ自分が高校生だったときに衝撃を受けてから半世紀も経過しての初観戦ということもあり、ボーカルがゲストのフランク・カーターであってもとても楽しみであった。
ピストルズは "Holidays in the Sun" で幕を開け、"Pretty Vacant" "God Save the Queen" "E.M.I."といった名曲を次々と繰り出しながら、最後は約束の "Anarchy in the U.K." である。
途中 "Liar" を歌いながら客席にダイブしたまま行方不明になってしまったフランクに戸惑いながら、「これはパンクのショーなんだ。時間も決まってるしな。」と言い放って強引に "God Save the Queen" を弾き始めたスティーヴ・ジョーンズ。
シドやジョンがいたときのトラブルは、こんな程度ではなかったのだろう。

4月5日(土) ビルボードライブ横浜 吾妻光良 & The Swinging Boppers

ニューアルバム "Sustainable Banquet" のリリースを記念したライブ。
総勢12名のバンドに女性ボーカルのLeyonaを迎えた大所帯だった。
吾妻氏が現れる前に全員がソロを取る曲に続けて、ニューアルバムから軽快な "打ち上げで待ってるぜ" や "Big Bug Boogie" などをぶちまけてくれる。
吾妻氏による曲間のMCも実に軽快。
今年は既にビルボードで三回目のライブになるとのことだが、さらに続けてほしい。

4月19日(土) 武道館 エリック・クラプトン

2023年の4月からちょうど2年ぶりにエリック・クラプトンが来日した。
今回は東京・武道館でのみ、8回の公演である。
この日に4月14日、16日、18日と演奏しており、19日はこの来日での4回目に当たる。
予定通り17時ぴったりに客電が落ち、18時45分まで二時間弱の演奏。
思い起こせば、80年代の来日では開幕が一時間押すのも当たり前で、まともに演奏できないくらいべろべろに酔っぱらっていたこともあった。
当時と比べれば、オンスケで始まるだけでも驚異的である。
しかも、途中にアコースティック・セットを挟んだとはいえ、ほぼ立ちっぱなしであった。
これを二週間に渡って連日続けるのだから、恐るべき80歳だ。
思えば、エリック・クラプトンは1975年の二回目の来日からほぼ欠かさず観ているので、実に半世紀に渡る付き合いである。
14歳と30歳が、64歳と80歳になってしまった。
光陰矢の如し。

4月22日(火) 武道館 シンディ・ローパー

2019年秋から6年ぶりの来日。
初日の大阪公演に続く、東京・武道館でのライブである。
ブロンディの "One Way or Another" が爆音で流れる中、客電が落ちると軽快な "She Bop" でスタート。
すっかり立派な体格になったシンディは、とても71歳になったとは思えない強力な声量で歌いきった。
本人のMCによれば、今回は音と映像を合わせたアートだとのことで、強力なバンド演奏に加えて、カラフルな映像も展開してくれた。
何より震災などを通じて日本びいきとなったシンディらしく、MCもすべて通訳を付けて日本語にしてくれる親切ぶりである。
"Time After Time" では「スマホはムカつくんだけど、この曲ではみんな出して!」と促し、武道館いっぱいにスマホのLEDが揺れる景色になった。
またアンコールの "True Color" は、アリーナ席の真ん中に設置した小さなステージまで歩いてきて、巨大なレインボウ・フラッグを振り通した。
途中のMCでも「合法的な妊娠中絶を支援する」など女性の権利強化を訴えており、シンディらしさは全く失われていなかった。
最後はお約束通り "Girls Just Want to Have Fun" で大団円。

5月5日(月) Kアリーナ横浜 ガンズ・ン・ローゼズ

2022年11月以来、3年ぶりの来日である。
前回はすべて、さいたまスーパーアリーナでのライブだったので、横浜での公演は2017年以来となった。
今回の来日公演は一回限りで、ゴールデンウィーク中ということもあり、全国から駆け付けた方々も多かったのではないか。
ツアー直前にサポート・ドラマーのフランク・フェラーが脱退しまい、アジア・ツアーはどうなることかと懸念されたが、急遽参加したアイザック・カーペンターはダフとのツアー経験もあるベテランで、短期間でもキャッチアップして、しっかりとバンドを支えてくれた。
アクセル、スラッシュ、ダフのオリジナル・メンバーに加えて、ディジー・リード、リチャード・フォスター、唯一の女性メンバーであるメリッサらのサポート・メンバーも安定した演奏を見せてくれた。
アクセルとスラッシュは年相応の肥え方だが、ダフの引き締まった痩身が印象的である。
ダフと言えば、今回もラモーンズのTシャツを着ていたが、何着もっているのだろうか。
ライブは予定より20分ほど遅れてのスタートとなったが、とにかく盛りだくさんで、丸三時間も演奏してくれた。
頭の "Welcome to the Jungle" と最後の "Paradise City" はいつものお約束だが、今回は "You Could Be Mine" やシン・リジーのカバー "Thunder and Lightning"、"Don't Cry"、"Hard Skool"、"Absurd"、"Madagascar" が、ライブで初めて演奏されたのではないかと思われる。
また "Sweet Child o' Mine" の直前に、スラッシュのギター・ソロ曲として、ブルース・ブレイカーズ時代のエリック・クラプトンもカバーしたフレディ・キングの "Hide Away" をほぼ完コピで演奏したのも驚きであった。
願わくば、横浜で一回と言わず、全国で数回やってほしかった。

6月13日(金) EX Theater Roppongi  スパークス

スパークスがまた来日した。
このところほぼ一年おきに来日してくれるので、本当に「また」である。
アルバムも新作 "Mad!" がリリースされたばかりだ。
セットリストは新作から5曲演奏され最も多かったが、70年代の名曲 "Kimono My House" や "No.1 in Heaven"、前作の "The Girl Is Crying in Her Latte" に至るまで、幅広いものになった。
特に "Please Don't Fuck Up My World" は恐らくライブで初の演奏であり、"Reinforcements" や "All You Ever Think About Is Sex" "Whippings and Apologies" は17年ぶりと思われる。
全ての演奏が終わった後には観客をバックにバンド・メンバー全員での記念撮影タイムとなった。
その後も心残りなのか、ロンもラッセルもなかなかステージから引っ込まなかったのが印象的だった。

6月25日(水)ビルボードライブ東京 ピート・ロス・トリオ ft. ビル・ブルーフォード

ピート・ロス・トリオのメンバーとして、ビル・ブルーフォードが来日した。
15年くらい前にドラムのワークショップで来日した際に握手してもらった記憶があるが、生で演奏を聴くのは初めてである。
半世紀も前にイエスやキング・クリムゾン、UKを聴いて以来、どれほど待ったことか。
会場はビルボードなので、ライブ中の撮影は厳禁。
しかし幸運にもビルの真ん前の席だったので、ドラムキットや、ステージ上のセットリストを写すことができた。
セットリストは、春のヨーロッパ・ツアーのときのものと大きな変化は無い。
3曲目に何とドボルザークの交響曲第9番「新世界より」をもってきた他、ビルの曲である "If Summer Had Its Ghosts" と "Original Sin" も演奏。
さらにジャズのスタンダード・ナンバーのカバーであるチャーリー・パーカーの "Billie's Bounce" やジョン・コルトレーンの "Mr. P.C." も披露された。
ビルのドラムキットは至ってシンプルなもので、タムは一発だけ。
生音は決して大きなものではなく、チューニングも特殊なものではなかったが、ビルのスネアやタムがカンカンいう正体がリムショットだったことに気づかされた。
50年前のクリムゾンの全盛期でのあの音は、全部リムショットの超速演奏だったのだろう。
恐るべし。

7月25日(金)~27日(日) フジロック

フジロック初日はホワイトステージへ移動して、まず女性ボーカルを中心としたスクリーモ系のエッカ・ヴァンダルや、「ニジェール共和国が産んだサイケ・ヒーロー」と謳われるエムドゥ・モクターを観る。
続けて数年ぶりのライブ観戦となったMiyaviとなった。
演奏はキレッキレだったのに、MCで「この国が一番好きです」とか言い出して、一気に気持ちが萎える。
愛国バカ発言の不意打ちはマジで勘弁してほしい。

二日目はグリーンステージの前方に陣取り、朝一番のカトリエル & パコ・アモロソを観る。
ラテンのリズムにスペイン語でのギャングスタ・ラップという新しさを堪能。
その後昼過ぎから激しい雷雨になってしまい、体がすっかり冷え込んだので早めに撤収。
後は山下達郎だし、未練はない。

三日目はフィールド・オブ・ヘブンで過ごす。
まず、吾妻光良 & The Swinging Boppersを観るため、最前列でかぶりつき。
次は、若手女性ブルース・ギタリストとして一気に知られるようになったグレース・バウアーズ。
ブルース系が続く。
その後のジェイク・シマブクロも、凄かった。
ジェフ・ベックの“Cause We`ve Ended as Lovers”を演奏したかと思えば、ビートルズの "While My Guitar Gently Weeps" になり、さらには亡くなったばかりのオジー・オズボーン追悼の "Iron Man" まで始まった。
もはやウクレレという楽器を完全に超越している。
続く「スティールギター界のジミヘン」と紹介されていたロバート・ランドルフも、非常に良質かつ重量級のハードロック、ブルースロックであった。

8月16日(土) サマーソニック

2025年のサマソニは観たいバンドが初日に集中したので、一日だけの参戦になった。
まずMountain Stageで日本の若手バンドのチャイルドスポットや、英マンチェスター出身のホット・ミルクを観る。
若き日のジョーン・ジェットのようで、とても良い。
ここからモノブロックを観るためにSonic Stageへ移動し、Hydeを観るために再びMountain Stageへと、行ったり来たりである。
Hydeが悪いわけでも無いが、ナルシスティックな演出が斎藤元彦を想起させて気持ち悪くなってきたので、一旦退避して休憩。
体力が回復したところで、Pacific Stageへ移動して、前年も観たバンド・メイド。
昨年と同様に、サウンドチェックのときから全力疾走である。
そしてBabymetalのために、再再度Mountain Stageへ戻る。
Babymetalはこれまでにサマソニに加え、フジロックやガンズのオープニング・アクトなど、通算で10回近く観ているはずだが、もはや全ては思い出せない。
最後は今回の目玉のプロディジー。
長年待ちわびた来日である。
残念ながらキース・フリントが鬼籍に入ってしまったが、マキシムだけでも凄まじい存在感だった。
20曲近い演奏で持ち時間を大幅にオーバーし、丸二時間近くのステージになった。

8月28日(木) EX Theater Roppongi  ウルリッヒ・ロート

久しぶりのウルリッヒ・ロートである。
以前は2015年、ラウドパークの2016年、2019年と立て続けに来てくれたのに、コロナの蔓延により6年ぶりとなった。
今回はウリが「スカイ・オーケストラ」と呼ぶ8名の日本人による管弦楽団を率いての演奏である。
途中に5分間の休憩を挟んでの二部構成で、実に二時間半にわたって演奏してくれた。
一部では、まずオーケストラを従えてのモーツァルトなどのクラシックで開始。
「サンプラが無くなってもうた」とぼやきつつ、新曲の "Cyber Dreams" や "Spirit of the Heart" を披露し、"Hiroshima" に続けてスコーピオンズの "The Sails of Charon" をオーケストラ・アレンジで演奏後、休憩。
休憩後はいったんバンド編成でスコーピオンズの "Sun in My Hand" "Pictured Life" "Catch Your Train" をオリジナルに近い形でハードにぶちかましてくれた。
その後もスコーピオンズのナンバーが続いたが、"We'll Burn the Sky" ではバイオリンの女性がステージに戻り、なんとウリと掛け合いを始めた。
さらに、そのままオーケストラのメンバーが少しずつ戻り、最後の "All Along the Watchtower" では「クラシックのプレイヤーはインプロビゼーションやったことないから」と言い放って、フルートとバイオリンの二人にその場でアドリブのソロを執らせることまでやって見せた。
過去のステージとは大きく変わる内容で、実験的で面白いものだった。

9月1日(月) 武道館 BEAT

元キング・クリムゾンのエイドリアン・ブリューとトニー・レヴィンが、スティーヴ・ヴァイやダニー・ケアリーと組んで、80年代のクリムゾンの曲を演奏するプロジェクト。
ツアーを行わず、東京での一晩限りのステージである。
ライブは、およそ15分ほどの休憩を挟んで、それぞれ一時間ほどの二部構成となった。
一部ではライブで演奏されることが少なかった曲で構成され、二部は怒涛のヒットパレード。
トニー・レヴィンのスティックマンやスティーヴ・ヴァイのソロでは会場がビルボードで、本家のクリムゾンもオーチャードホールだったのに、このメンバーではいきなり武道館満席というのも面白い。

9月17日(水) 武道館 スマッシング・パンプキンズ

90年代を代表するバンドの一つであるスマッシング・パンプキンズが久しぶりに来日した。
今回は2013年のサマソニ以来の来日で、武道館は2000年から実に25年ぶりである。
バンドはビリー・コーガン、ジェームス・イハ、ジミー・チェンバレンの3人に、キキ・ウォンら3人のサポートが加わった6人編成だった。
ステージは19時ジャストに始まり、まるで2時間を測ったかのように21時ピッタリに終了した。
ちょうど折り返し辺りでベルリンの "Take My Breath Away" のカバーなどをスローテンポで演奏した他は、すべてミドルテンポの爆音曲で、観客席ではヘッドバンキングが炸裂していた。
会場がサマソニのメッセあたりだったら、サークルピットやダイブの嵐になったことであろう。

10月1日(火) 武道館 チープ・トリック

チープ・トリックが久しぶりに来日した。
本来は2022年に全国ツアーを行う予定だったが、リック・ニールセンの体調不良のためキャンセルになってしまい、今回もあまり体調が回復しきっていないようで、大阪と東京の二回だけの公演となった。
セットリストは文字通りのヒット・パレードだったが、11月にリリースが予定されている新曲 "Twelve Gates" もライブで初のお披露目となった。
リックは腰を曲げたまま動き回らず、ロビンも高音の音程が思い切りフラットしまくっていた。
年齢が70代中盤にかかっているので、まあ仕方なかろう。

10月7日(火) さいたまスーパーアリーナ フー・ファイターズ

2015年と2023年のフジロック、2017年のサマーソニックのいずれも観に行ったが、単独のライブは2008年以来。
デイヴ・グロール自身も「クローズドな場所での単独ライブは17年ぶりだ」と言っていた。
"My Hero" は「初めてフジロックに出演した際に観た日本のバンドのハイロウズが素晴らしかった」ので、彼らに捧げるとのこと。
また "No Son of Mine" ではモーターヘッドの "Ace of Spades" のカバーを挟んでくれた。
施設の関係上22時ぴったりに終らなければならないため、直前のシンガポールでのセットリストと比較すると数曲カットされてしまっていたのが残念だが、念願の単独公演を観ることができてとても嬉しい。

10月16日(木) 武道館 ナイト・レンジャー

2022年の40周年記念の来日から3年経ち、ナイト・レンジャーがまたやって来た。
前回は人見記念講堂で、それ以前の来日でも渋谷公会堂などほぼ同じ規模の会場だった。
武道館でのライブは1986年以来、実に39年ぶりである。
前々日の大阪でのライブが15分押しだったという話を予め聞いていたが、武道館でも同じである。
ビースティ・ボーイズの "Fight for Your Right" が爆音で流れる中 "This Boy Needs to Rock" で開幕。
途中からディープ・パープルの "Highway Star" に代わる仕掛けだった。
セットリストが大阪のものとは全然違うのにも驚かされた。
バックの映像が殆どロゴだけで、演奏と同期を取る動画のような仕組みになっていないので、変幻自在にできるのであろう。
ステージのセッティングもとてもシンプルである。
またブラッド・ギルスがオジー・オズボーンの最後のステージに参加したこともあり、途中でオジーに黙祷。
そのまま "Crazy Train" になだれ込む反則技である。
最後は "Sister Christian" に "Don't Tell Me You Love Me" とヒット曲を続け、アンコールで "Goodbye" と "Rock in America" というエモーショナルな〆となった。

10月25日(土) 東京ドーム オアシス

長年にわたって仲違いをしていたギャラガー兄弟がようやく和解してオアシスを再結成し、16年ぶりに来日した。
近年ではそれぞれ別々に来日を繰り返しており、ノエルはサマソニとフジロック、リアムが武道館とサマソニで演奏しているが、二人が揃ったステージは本当に久しぶりである。
それだけにチケット争奪戦がすさまじかった。
ステージは爆音の "Hello" で開幕。
"Morning Glory" や "Some Might Say" などヒット曲を惜しげもなく連発し "Supersonic" ではノエルがアコギで弾き語りをかましてくれた。
本編を "Rock 'n' Roll Star" でいったん締めた後は、怒涛のアンコール。
"Don't Look Back in Anger" では5万人の壮大なシンガロングになった。

11月16日(日) ビルボードライブ東京 鈴木茂

「BAND WAGON発売50周年記念ライブ」と題しただけあって、アルバム "ND WAGON" 収録された全曲を頭から順番に演奏してくれた。
アルバム収録曲は9曲しかないので正味のステージで出し尽くし、アンコールでは次のアルバム "Lagoon" に収録された "Lady Pink Panther" などを披露。
アレンジはアルバムとほぼ同じだったが、ギターソロのパートが長く、しかもスライドの炸裂。
ボーカルの高音がきつそうなところまで50年前と全然変わっていない。
"Lagoon" は高校一年のときに購入した愛聴盤だったが、ライブで聴くのは50年も経って初めてだったので、涙腺が決壊してしまった。
来年は「Lagoon 50周年記念ライブ」をやってくれるとのことで、めちゃくちゃ楽しみである。

11月25日(火) EX Theater Roppongi マイケル・モンロー

このところ毎年来日してくれるマイケル・モンロー。
2024年2月のライブはハノイ・ロックスのアルバム "Two Steps from the Move" の再現ライブだったが、今回はいきなり "Dead, Jail or Rock 'n' Roll" で始まり、おなじみの "I Live Too Fast to Die Young" や "Last Train to Tokyo" を演奏。
その後は、新曲を2曲披露してくれたが、これらの新曲をライブ演奏するのは初めてとのことで、東京だからこそだというMC。
有難いことである。
なお途中でジョニー・サンダースの "You Can't Put Your Arms Around a Memory" をカバーしたことにも驚かされた。
後半も "Malibu Beach Nightmare" や "Up Around The Bend" などで大盛り上がり。
ステージ前の観客から受け取った似顔絵のうちわや花輪などのプレゼントをとても嬉しそうに扱うマイケル。
これは毎回のライブで観られる光景だが、彼の温かい人柄が現れていて、いつも嬉しい気持ちになる。

12月6日(土) 東京国際フォーラム 上原ひろみ

Hiromi's Sonicwonder名義での日本ツアーの東京二日目。
ブルーノートではチケットが瞬殺で売り切れてしまうので、大きなホールで演奏してくれるのは本当に有難い。
2012年にサイモン・フィリップスと共にフジロックに出演したのを観て以来である。
一曲目はバンドの名称にもなっている "Sonicwonderland" を20分演奏し、続けて最新アルバム "OUT THERE" からタイトル・ナンバーを40分も演奏。
二曲で既に一時間超えており、ここでいったん20分の休憩。
もはや殆どプログレだ。
休憩後も大曲をたっぷり演奏してくれたので、ライブの正味の時間は二時間を超えた。

12月15日(月) ビルボードライブ横浜 エリック・マーティン

2024年末に六本木のビルボードで観て、二月はMr. Bigとして武道館のライブがあったので、一年間で三回もエリック・マーティンを観ることになった。
この日のライブは17:30からの1stセットが Mr. Vocalist としてカバーを歌い、2ndセットがMr.Bigの曲を中心に歌うというもの。
Mr. Bigは観たばかりなので、1stセットを選ぶことにした。
オープニングは坂本龍一の「戦場のメリークリスマス」で、美空ひばりの「川の流れのように」や、John Lennonの "HAPPY XMAS (WAR IS OVER)"からの山下達郎「クリスマスイブ」の流れに落涙。
唯一、アンコールのみMr. Bigのナンバー "To Be With You" で大満足となった。

2026年も正月から rockin'on sonic で飛ばしていきます。
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<![CDATA[サマーソニック25 観戦記]]>Sun, 17 Aug 2025 04:51:08 GMThttp://naomikubota.tokyo/blog/summersonic25
写真
コロナ禍の前は、フジロックとサマソニのどちらかに必ず行くようにしていた。
コロナの影響で中止となった後再開してからは、ほとんどヤケクソのように両方とも行くようになってしまった。

2025年のサマソニは観たいバンドが初日に集中したので、初日だけにすることとした。
しかも観たいバンドはメッセの屋内ばかりで、炎天下のマリンに一度も行く必要がなかったのでとても助かった。

まず昼食を取ってMountain Stageに入ると、日本の若手バンド chilldspotが演奏中。
全員20代前半とのことで、リードボーカルは女性。
とても元気である。
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そのままMountain Stageに居座って、Hot Milkを観る。
英マンチェスター出身の4人組で、こちらもフロントは女性。
まるで若き日のジョーン・ジェットのようで、気合入りまくり。
とても良い。
写真
ここからモノブロックを観るために、Sonic Stageへ移動。
移動は屋内なので、とても楽である。
ニューヨーク出身のバンドで、ボーカルのティモシーはデヴィッド・カバーデイルを彷彿とさせるルックスだが、いかんせん声量が足りないので、聴いていて辛い。
なお、ベースのニーナはアフリカ系の女性で、ここでも女性が大活躍だった。
写真
写真
次はHydeを観るために、再びMountain Stageへ。
半世紀以上も音楽を聴き続けてきたが、いわゆるV系を生で観るのは、実は初めてである。
Hydeが悪いわけでも何でも無いが、ナルシスティックな演出が斎藤元彦を想起させて気持ち悪くなってきた。
一旦退避して休憩タイムにする。
写真
体力が回復したところで、Pacific Stageへ移動。
一度屋外で出る必要があるが、すぐ隣の建物なので、マリンへの移動と比べて全然楽。
ここでは昨年も観たBand-Maidが目当てである。
昨年と同様に、サウンドチェックのときから全力疾走。
すごく良い。
観客の多くがBabymetalのシャツを着ていたが、Band-MaidとBabymetalをハシゴするつもりなのだろう。
私と同じだ。
写真
そしてBabymetalのために、再再度Mountain Stageへ帰る。
Babymetalはこれまでにサマソニだけでなく、フジロックやガンズのオープニング・アクトなど、通算で10回近く観ているはずだが、もはや全部は思い出せない。
今回も15年にわたるヒット曲満載で大満足。
写真
最後は今回の目玉のプロディジー。
長年待ちわびた来日である。
残念ながらキース・フリントが鬼籍に入ってしまったが、マキシムだけでも凄まじい存在感がある。
アンコールでの5曲を含め20曲近い演奏で持ち時間を大幅にオーバーし、丸二時間近くにもなった。
この間、あちこちでサークルピットやサーフィンが発生し、観客全員がジャンプしまくりで、期待以上の時間を過ごすことができた。
年齢とともにフジロックは体力的につらくなってきたが、サマソニはまだまだいけそうである。
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<![CDATA[フジロック 25 観戦記]]>Mon, 28 Jul 2025 05:59:03 GMThttp://naomikubota.tokyo/blog/fujirock2025
写真
またフェスの夏がやってきた。
2024年のフジロックはヘッドライナーのクラフトワークやノエル・ギャラガーをはじめ、何が何でも観ておきたいバンドが目白押しだったが、2025年は今ひとつ小粒感が否めない。
そうは言っても「これは観ておきたい!」という顔ぶれも多いのである。
結局悩むこともなく、またフジロックに参加することにした。

初日は正午に越後湯沢駅に到着し、荷物を宿へ置いたら速攻で会場へ。
グリーンステージで甲本ヒロトがビートルズの "Money" を歌っているのを横目で眺めつつ、ホワイトステージへ移動。
写真
この日は終日ホワイトステージで過ごすことに決めていた。
まず女性ボーカルを中心としたエッカ・ヴァンダルを観る。
オーストラリア発のスクリーモ系で、なかなか強烈。

​続けて、ニジェールからやってきたエムドゥ・モクター。
これもまた強烈である。
フジロックの公式サイトによると「ニジェール共和国が産んだサイケ・ヒーロー」とのことだが、確かにドアーズの "The End" にリンガラ風味をミックスしたような曲が延々と続く。
正にアフリカン・サイケであった。
これはヤバい。
そして数年ぶりのライブ観戦となったMiyavi。
演奏はキレッキレだったのに、MCで「この国が一番好きです」とか言い出して、一気に気持ちが萎える。
長らく海外にいて、帰国したらそういう気持ちになるのは理解できるが、フジロックの客層の前で言う事ではなかろう。
こういうのが本当にキモいのでRadwimps とか避けているのに、愛国バカ発言の不意打ちはマジで勘弁してほしい。

いったん萎えた気持ちを、アメリカの豪快なロックンロール・バンド OK GO が引き上げてくれた。
なぜか日本語のMCで「お疲れ様でーす!」を繰り返してヒートアップ。
この後はサッチモズやグリーンでのフレッド・アゲインなどが控えていたが、体力温存のため、ここで引き上げ。

二日目は、朝からグリーンステージの前方に陣取った。
目玉は朝一番のカトリエル & パコ・アモロソである。
ラテンのリズムに、スペイン語でのギャングスタ・ラップ。
これは新しい。
彼らが終わった昼くらいまでは晴れ上がって強い日差しだったのに、だんだん雲行きが怪しくなってきた。
よく知らない日本のヒップホップ系のユニットを観ている間に、とうとう激しい雷雨になってしまう。
17時過ぎにジェームス・ブレイクが出てきた辺りで、既に二時間くらい雨に打たれていたので、体がすっかり冷え込んで体温が下がってしまい、生命の危険を感じるレベルになってきた。
残念ながら早めに撤収。
まあこの後は山下達郎だし、もういいや。

三日目。
当分の間、フィールド・オブ・ヘブンで過ごす計画である。
まず、吾妻光良 & The Swinging Boppersを観るため、最前列でかぶりつき。
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吾妻パイセン(中高の大先輩です)、サウンドチェックから飛ばしまくり、本番では最高のジャンプ・ブルースと絶妙なギャグをかまして、観客を沸かせてくれる。
「クリムゾン・キング、ゴ、ゴ、ゴー!」なる歌詞のブギの後、「キング・クリムゾンの "In The Court of the Crimson King" のカバーをお届けしました」とのMCで大笑い。
お盆のための「ビッグ盆ブギ」なる曲では、最後に "Born to be wild!" と叫んだものの、「あくまでも歌詞は、盆と琵琶」なので、剽窃ではないとのこと。
30年前にPlayer誌に連載していた頃から全く変わっていない。
最高です。

​次は、若手女性ブルース・ギタリストとして一気に知られるようになった、グレース・バウアーズ。
彼女もサウンドチェックから飛ばしまくる。
これこそがフィールド・オブ・ヘブンの醍醐味であろう。
コードワークやワウのプレイにジミ・ヘンドリックスの影響がうかがわれるが、まだ若干19歳であり、今後が非常に楽しみだ。
続くジェイク・シマブクロも、サウンドチェックで飛ばしまくった。
ウクレレなのにイングヴェイみたいな超速ソロを披露。
本番では、ジェフ・ベックの“Cause We`ve Ended as Lovers”を演奏したかと思えば、ビートルズの "While My Guitar Gently Weeps" になり、さらには先般亡くなったばかりのオジー・オズボーンに捧げるということでブラック・サバスの "Iron Man" まで始まった。
もはやウクレレという楽器を完全に超越している。

​当初の計画では、ジェイクの後にホワイトステージへ移動して羊文学を観る心づもりだったのだが、いろいろ面倒くさくなってきたので、このままフィールド・オブ・ヘブンに居座って「スティールギター界のジミヘン」と紹介されているロバート・ランドルフを観ることにする。
いきなりクリームの "I`m So Glad" から始まって、またしても度肝を抜かれた。
全然知らない人たちだったが、非常に良質かつ重量級のハードロック、ブルースロックであった。
これもよかったぞ。

ここで20時過ぎたので、離脱することを決断。
まだヴァンパイア・ウィークエンドとかハイムとか残っているけど、体力が限界に達してしまった。
途中、羊文学が演奏中のホワイトステージ脇を通り抜けたが、身動きが取れないくらい人がいて、さらにRadwimpsが捌けた直後のグリーンから大量の人が押し寄せてきているので、転倒事故が起きたら死者が出かねない状態だった。
これは離脱して正解である。

疲れを癒したところで、次は8月のサマソニだ。
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<![CDATA[ライブ、ライブ、またライブの2024年]]>Sat, 28 Dec 2024 12:14:52 GMThttp://naomikubota.tokyo/blog/live_2024
ほとんどヤケクソと言ってもいいくらい、2024年もライブに行きまくってしまった。
2023年に続けて、フジロックもサマソニも参戦である。
体力も財布も相当に消耗することになってしまったが、人生に残された時間が見えてきた今、ライブに行かずしてどうするのか。

1月8日(月) ビルボードライブ横浜  岸谷香

例年は年末に行われていたビルボードでの岸谷さんのライブが、年明けになった。
一年前と同様に、総勢10名を超えるビッグバンドのステージである。
ロック・バンドやチェロとのデュオのようなフォーマットもよかったが、元気な彼女にはビッグ・バンドがぴったりだと思う。
ステージはジャズで始まったものの、プリンセス・プリンセスやソロの曲もふんだんに歌ってくれ、特に「ダイアモンド」では元々ギター・ソロだったパートをトランペットが吹きまくって大迫力であった。
重苦しいニュースが多かった2024年新年の憂鬱な気分を吹き飛ばしてくれた。

1月26日(金) ビルボードライブ横浜  Memory of Jeff Beck plus. 山本恭司、安達久美、Rie a.k.a. Suzaku、須藤満、川口千里

一周忌となるジェフ・ベックを追悼するために、日本を代表する凄腕のギタリストが集まったイベント。
ジェフ・ベックの曲からは "Red Boots" "Goodbye Pork Pie Hat" "Superstition" "Sweet Sweet Surrender" などの有名どころをピックアップし、さらにジミ・ヘンドリックスの "Puple Haze" や "Little wing"、そしてジェフ・ベックっぽいオリジナル曲も数曲繰り広げた。
3人のギタリストも、ベースもドラムもやたら手数が多い、素晴らしいセッションだった。

2月3日(土) EX シアター六本木  ポール・ウエラー

コロナ禍を挟んで6年ぶりの来日。
今回は大阪を皮切りに日本全国をツアーした最後に東京で〆るという流れになった。
東京だけのプレミアムとして、オープニング・アクトでポールの実の娘のリアのバンドが登場。
リアは臨月のうえ、流暢な日本語を話すという、いろいろビックリな人である。
そしてポールのステージは、新旧取り交ぜておよそ二時間強で、ジャムやスタイル・カウンシルの曲もまったく錆びついていない。
アンコールは2回にわたり、曲数は26曲にも及んだ。
実にかっこいいとしか言いようがない。

2月6日(火) Spotify O-EAST  マイケル・モンロー

マイケル・モンローは4年ぶりの来日である。
ステージは15分の休憩を挟んで一部と二部に分かれ、一部ではハノイ・ロックスの "Two Steps from the Move" を丸ごと再現。
続く二部はヒット・パレードとなり、凄まじいロックンロール・ショーである。
アンコールでは、盟友のチャーリー・ハーパーが現れて、マイケルと共に歌った。
マイケルはファンから受け取った似顔絵入りの団扇などをとても大切に扱っていて、とても暖かい気持ちになる。
70年代、80年代のミュージックライフ誌の世界を、そのまま時空を超えて再現してくれたライブだった。

2月13日(火) 東京ドーム  クイーン+アダム・ランバート

ブライアン・メイとロジャー・テイラー、アダム・ランバートによる公演も、コロナ禍を挟んで4年ぶりに実現された。
スタンドまで満席の会場で、ロジャーのボーカルによる "Radio Ga Ga" でスタート。
本編の最後の "Bohemian Rhapsody" やアンコールの"We Will Rock You" "We Are The Champions" まで、2時間以上にわたり25曲を演奏し切った。
"Bicycle Race" でアダム・ランバートがバイクにまたがったり、ブライアンのソロ・パートで宇宙を模した映像を使用したり、ところどころでフレディが画像で登場したりといった演出は、前回の来日のときと同じ。
観客側も目新しさを求めているわけでもないし、こういう予定調和でよいのだろう。

2月13日(火) EX THEATER ROPPONGI  クーラ・シェイカー

何故かここ数年、頻繁に来日してくれている。
クリスピアンのカリスマ性は相変わらずで、さらに前回の来日からオルガンのジェイが復帰してくれている。
セットリストは往年の曲も新曲も一挙にたたみかけ、後半は "Hush" "Tattva" "Hey Dude" "Govinda" などのヒット曲が炸裂。
途中でジョージ・ハリスンのサイケな肖像を映し出したのは、彼らからのリスペクトであろう。

3月4日(月) Zepp DiverCity Tokyo  スラッシュ

ガンズからは1年半ぶり、Conspirators名義では5年ぶりの来日で、新譜「4」を引っ提げての公演になった。
御大は残念ながらいっそう肥えてしまったが、レス・ポールを右足の付け根で支えて弾きまくる奏法は健在。
特に "Wicked Stone" では10分を優に超すギター・ソロを炸裂させた。
またスラッシュがレニー・クラヴィッツのソロ・アルバムに参加した曲 "Always On The Run" も披露した。
スラッシュはギブソンのブランド・アンバサダーに就いているため、レス・ポールだけでなくフライングVやエクスプローラまで持ち出してきた。
フライングVでトーキングモジュレータかます奴なんか見たことがない。
他のメンバーもファイヤーバードやらSGやら全部ギブソン。
ライティングはシンプルなピンスポに徹しており、スタジアムでのライブのような派手な演出はなかったが、これこそハードロックというべきステージだった。

3月16日(土) 幕張メッセ  PUNKSPRING

コロナ禍を凌いだ2023年に7年ぶりに再開されたPUNKSPRINGが、2024年も無事開催された。
しかも2023年に出演がキャンセルされてしまったSUM 41がヘッドライナーである。
オープニングはサマソニでも実力を見せてくれたリンダ・リンダズなので、これは朝一番から行くしかない。
司会者は「モッシュは絶対にやるな。怪我しないように周囲に気を配れ。やっていいとは言ってない」と繰り返していたが、午前中からサークルピットの嵐となる。
出演バンドたちも「左右に分かれてサークルピットやれ」と煽りまくる始末である。
てっきりハードコアだと思っていたスーサイダル・テンデンシーは、ギターにワウをかましてアームやタッピング奏法を多用した速弾きソロを繰り出すし、ベースも終始スラップで速弾きだし、もはやパンクというより、良質なバカテク・バンドである。
ベースのにいちゃんはメタリカのロバート・トゥルヒーヨの息子だと言う事を後で知り、納得。
トリのSUM 41は、メロディアスでキャッチ―な楽曲を繰り出して、会場の盛り上がりが大爆発。
およそ9時間にわたる長丁場のフェスだが、たいへん充実した一日になった。

3月20日(水) 有明アリーナ  ロッド・スチュワート

ロッド・スチュワートが、実に15年ぶりに来日した。
公演は残念ながら東京での一回だけであったが、広い有明アリーナを埋め尽くす観客が集まった。
2月には全米ツアーを行っていたが、連日ほぼ全曲入れ替えに近い形でセットリストが変わっていたので、今回はどうなるのか全く予測がつかなかった。
蓋を開けてみれば "Ooh La La" や "Maggie May" など古典的ヒット曲を繰り出して、その間に "Have You Ever Seen the Rain?" などのカバーをたくさん挟み込むという感涙もののセトリとなった。
ステージはいかにもロッドらしくフロントにブロンドの女性6名を立たせていたが、彼女たちは只者ではなく、コーラスのみならず、バイオリン、マンドリン、ハープ、キーボード、ドラムなどを演奏し、バンドの音に厚みを加えていた。
"Maggie May" のイントロでギターが間違えていったん中断し、最初から演奏しなおしたのもご愛敬である。

4月5日(金) ビルボードライブ横浜  スウィング・アウト・シスター

相変わらずスタイリッシュなコリーンを中心に、8人編成のバンドでの来日になった。
全米6位を記録した "Breakout" から1986年から38年も経っている。
翌1987年の大ヒット曲 "Surrender" で開幕し、"La La Means I Love You" のモータウン・カバーも挟み、最後は "Breakout" で総立ち。
東京での3日間のライブをこなした直後であったこともあり、よくこなれてバランスの取れたライブだった。

5月18日(土) 東京ドーム  レッド・ホット・チリ・ペッパーズ

2023年3月の来日からわずか一年あまりで、再びレッド・ホット・チリ・ペッパーズが来日した。
フジロックやサマソニでの来日と合わせると、4回目の観戦となる。
前回はドームのバルコニー席なる場所で、ステージのほぼ真横のためモニター動画すらまともに見えないという酷い状態だったが、今回はアリーナの正面真ん中の席なのでリベンジを果たした気分である。
2024年は東京ドームでの2回のライブのみだったから、全国から駆け付けた人も多いのではないかと思われ、当日券はソールドアウトで、二階席の上の方まで満席だった。
演奏は18時ぴったりに開始し、アンコールも含めて20時前に終了した。
セットリストは各アルバムから満遍なくピックアップされたヒット・パレードで、アンソニー、フリー、チャド、ジョンが全員大暴れの、たいへん楽しいライブであった。

7月26日(金)~28日(日) フジロック

2024年のフジロックは観たいバンドが目白押しだった。
いきなり初日からヘッドライナーがグリーンのキラーズとフィールド・オブ・ヘブンの上原ひろみが被っている。
そして最終日は、キム・ゴードンとライドが被っているし、どちらかを見たらその直後のオールマン・ベッツにもノエル・ギャラガーにも間に合わないという事態。
結局、初日はだらだらとグリーンで丸一日過ごすことになったが、結果としてキラーズのステージがとてもよかった。

二日目はヘッドライナーのクラフトワークが目当てだったので、午後一番からグリーンのベストな位置を陣取って確保。
ザ・ラスト・ディナー・パーティやマン・ウィズ・ア・ミッションなどを観ながら、クラフトワークを待つ。
クラフトワークのステージは「戦場のメリークリスマス」のカバーというサプライズと、それに続く「レディオアクティビティ」への圧巻の流れ。

最終日は暑い昼間をやり過ごして、夕方のジーザス・アンド・メリー・チェインから参戦し、オールマン・ベッツで〆ることにする。
オールマン・ベッツを観てから撤収のためにグリーンまで戻ったところ、予定を大幅に押しまくったノエル・ギャラガーが "Don't Look Back in Anger" を始める絶妙のタイミングになっており、最後に一曲だけシンガロングに参加することができた。
後日、オアシスが再結成され2025年に来日するとのニュースを目にすることになったが、チケットを取る事ができなかった。
フジロックで少しだけでも観ることができて、本当によかった。

8月17日(土)~18日(日) サマーソニック

フジロックから一か月も経たないうちに、サマーソニックである。
直前に接近した台風で開催が危ぶまれたが、一転して台風一過の酷暑の中での開催となった。

初日の目当ては、バンドメイドとマネスキンと決めていた。
バンドメイドは激しいスラップ・ベースと超高速ギターの絡み合いなど、凄まじい演奏力を見せつけてくれた。
この後はマネスキンを目指してMarine Stageへ移動。
2023年の年末に有明アリーナで観たときは、ヴィクトリアがステージの左側だったので、左袖で待ち構えていたら案の定の大当たり。
"Don't Wanna Sleep" や "Gossip" で開幕し、アンコールの "I Wanna Be Your Slave" まで90分にわたってヒット曲の数々を炸裂させてくれた。
短いスパンでの来日のたびに激しい速度で成長を続けている、今後も楽しみなバンドである。

二日目の日曜は、地獄のサウナのような暑さなので、屋内のSonic Stageに退避。
グラム、ハードロック、エレクトロニカをごちゃまぜにしたイヴ・トゥモア。
イギリス出身のソウル・シンガー、オリヴィア・ディーンのビッグ・バンド。
ブラック・サバスとU2をかけ合わせてグランジを載せたような羊文学の轟音。
最近はラップやボーイズグループなどの参入が目立つサマソニであるが、バンド・サウンドに適うものはない。

9月16日(月) 人見記念講堂  イエス

2019年から4年ぶりの来日ツアーである。
前回はアラン・ホワイトが体調の悪い中参加していたが、その彼もとうとう亡くなってしまった。
この顔ぶれでイエスと呼べるのか甚だ疑問ではあるが、「海洋地形学」メドレーを含む長時間の二部構成でたっぷりと演奏を聴かせてくれたので、これはこれで良いのだろう。

9月28日(土) ぴあアリーナMM  アイアン・メイデン

2020年に来日するはずだったのに、コロナの蔓延で中止。
こちらも聴衆側として4年越しのリベンジである。
日本をモチーフにした最新作 Senjutsu からは5曲を演奏。
ステージのバックのイラストは、道頓堀にセンター街を合体させたような怪しげなものであった。
アイアン・メイデンと言えば、3本のギターであるが、往年の曲 "Iron Maiden" や "The Trooper" などではベースのスティーヴも交えて弦楽器4本が並ぶ圧巻の姿を見せてくれた。

12月12日(木) ぴあアリーナMM  ジューダス・プリースト

2019年のダウンロード・フェスから5年ぶり、単独公演としては2018年のFIREPOWER TOURツアーから6年ぶりの来日。
客電が落ちてブラック・サバスの "War Pig" が轟音で流れた後は、最新アルバムから "Panic Attack" で開始。
"Breaking the Law" や "Sinner" など往年の名曲も取り交ぜて全18曲すべて爆音メタルで通した。
73歳になったロブ・ハルフォードは動作こそヨタヨタするようになってしまったが、ハイ・トーンのシャウトはまったく衰えるところがない。
グレン・ティプトンもK.K.ダウニングもいないが、そんなことはどうでもよくなってしまった。
ダウンロード・フェスのときは終演時にロブが号泣し、観客もつられて泣くという感傷的な場面もあったが、今回は湿っぽさが一切無い、完璧なメタルである。

12月22日(日) ビルボードライブ東京  エリック・マーティン

2025年2月のMr.Big来日がアナウンスされてからさほど時間をおかず、エリック・マーティンのソロでの来日が発表された。
こちらはソロ・アルバム "Mr. Vocalist" 15周年記念のライブである。
バック・バンドは全員日本人で、一曲目は今井美樹の"Pride"で開始。
その後も、"世界中の誰よりきっと" "川の流れのように" "クリスマス・イブ" など日本の楽曲をふんだんに取り入れ、さらにMr.Bigの "Wild World" "To Be With You"も歌ってくれた。
残念ながら声があまり出ておらず、音程を外す場面もあったが、客席を一周してハイタッチをするなど大サービスであった。
ファンには至福の時間である。

2025年は正月からいきなりrockin'on sonicに参戦だし、PUNKSPRINGのチケットも押さえた。
まだまだ続く。
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<![CDATA[2024年に亡くなったミュージシャン]]>Wed, 11 Dec 2024 12:50:29 GMThttp://naomikubota.tokyo/blog/rip_2024
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Photo by David Monje on Unsplash
2024年の訃報は、何と言っても年末になっての中山美穂さんである。
一時代を築いたトップ・アイドルの突然の死去は衝撃だった。
他にも、2024年に亡くなったミュージシャンの年齢を眺めてみると、70歳前後の方たちが多いことに気が付く。
まだまだ鬼籍に入るのは早すぎるのではないか。(以下、敬称略)

2月3日 アストン・バレット

ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズのベーシスト。
ウェイラーズの一員としてボブが無くなるまでバンドで支え続けた。
フロリダ州のマイアミ大学病院で77歳で亡くなった。77歳だった。

2月9日 ダモ鈴木

神奈川出身で、西ドイツのボーカリストとして活躍し、バンドの全盛期の中核となった。
1973年に脱退した後は、ダモ鈴木ネットワークで活動した。
長年抱えていた癌が悪化し、ケルンの病院で亡くなった。
享年74歳。

3月13日 エリック・カルメン

オハイオ出身のソングライター。
ソロ・デビュー・アルバム「サンライズ」からカットされたシングル「オール・バイ・マイセルフ」が全米2位を記録した。
死因は公開されていない。
74歳だった。

4月7日 亀川千代

2010年に解散したゆらゆら帝国の元ベーシスト。
メジャーデビュー前は高円寺20000Vなどに出演しており、実は私のバンドも対バンとしてお世話になったことがある。
その後、ゆらゆら帝国はフジロックやサマソニに出演する大物クラスになったが、惜しくも2010年に解散してしまった。
まだ54歳の若さだった。

4月18日 ディッキー・ベッツ

オールマン・ブラザーズ・バンドのオリジナルメンバーとして知られるギタリスト。
デュアン・オールマンとのツイン・ギターで「エリザベス・リード」など多くの名曲を世に送り出した。
デュアン亡き後のアルバム「ブラザース&シスターズ」の「ジェシカ」では、これでもかとのソロを繰り広げている。
肺疾患と癌の合併症で、80歳で亡くなった。

5月1日 リチャード・タンディ

エレクトリック・ライト・オーケストラのキーボード・プレイヤーで、デビューから1986年までのアルバムに参加し、ストリングスのアレンジも担当した。
ELO脱退後もジェフ・リンのソロ・アルバムに参加している。
享年76歳。

5月9日 ダディ竹千代

年配のロックファンには、70年代の「ダディ竹千代&東京おとぼけCATS」として知られているだろう。
80年代以降は、深夜放送オールナイトニッポンのレギュラーやプロデューサー業で活躍していた。
慢性心不全が悪化し70歳で亡くなった。

5月12日 デイヴィッド・サンボーン

フュージョン界の大御所。ブレッカー・ブラザースを経て、1975年にソロ・デビュー。
ローリング・ストーンズやエリック・クラプトンなどの多数のアルバムにも参加している。
前立腺がんで享年78歳だった。

7月17日 花岡献治

日本が誇るブルース・バンドの雄、憂歌団のベーシスト。
1975年にシングル「おそうじオバチャン」でデビューし、その直後に来日したスリーピー・ジョン・エスティスと共演を果たしている。
1998年のバンド停止後の、ドラムの島田の死去に続いてしまった。
大腸がんを患わせ、70歳だった。

7月22日 ジョン・メイオール

エリック・クラプトン、ミック・テイラー、ジョン・マクヴィーらを輩出したブルースブレイカーズの主宰者で、ブリティッシュ・ブルース・ロックの巨匠。
カリフォルニアの自宅で90歳で亡くなった。
没後、2024年のロックの殿堂入りを果たした。

8月15日 ジャック・ラッセル

80年代にLAメタルのブームの中で頭角を現したグレイト・ホワイトのボーカリスト。
商業的にはメガヒットに恵まれなかったが、1990年にグラミー賞候補にノミネートされている。
ジャック・ラッセルを中心にバンドの立て直しを図っていた2003年2月20日、ライブ会場の火災によりバンドのギタリストを含む100名もの死者を出す悲劇に見舞われてしまう。
2006年にはオリジナル・メンバーで活動を再開したが、ジャックは体調不良により引退状態となってしまった。
レビー小体型認知症と多系統萎縮症の合併症と言われている。
享年63歳だった。

9月5日 セルジオ・メンデス

ボサノバの巨匠。
ビートルズ・ナンバーのカバーや、スティーヴィ・ワンダーらとのコラボでも知られている。
コロナの後遺症を拗らせ命が経たれてしまった。
83歳だった。

9月15日 ティト・ジャクソン

ジャクソン5を成すジャクソン一家の次男。
ジャクソン5以降は殆どソロ活動を行っていなかったが、晩年はB.B.キングばりのブルース・ギターを炸裂させていた。
享年70歳。

9月17日 J・D・サウザー

デトロイト出身のシンガーソングライター。
イーグルスやリンダ・ロンシュタットらウエスト・コーストのミュージシャンとの交流が深く、イーグルスとは「ニュー・キッド・イン・タウン」「ハートエイク・トゥナイト」などのヒット曲を共作した。
自身でも「ユア・オンリー・ロンリー」を大ヒットさせている。
78歳だった。

10月16日 リアム・ペイン

ワン・ダイレクションのメンバーで、グループ休止後は積極的にソロ活動を行っていた。
ワン・ダイレクション時代の盟友、ナイル・ホーランのライブを観戦するために滞在していたブエノスアイレスのホテルで、バルコニーから転落して死亡した。
まだ31歳だった。

10月21日 ポール・ディアノ

アイアン・メイデンの初期のボーカルで、1978年から1981年まで在籍し、アルバム「鋼鉄の処女」「キラーズ」を残した。
脱退後もバンド活動を続けていたが、アイアン・メイデンのような成功を収めることはできなかった。
死因は心臓の大動脈破裂と発表されている。
享年66歳。

10月25日 フィル・レッシュ

グレイトフル・デッドのベーシストで、創設メンバーの一人。
ジェリー・ガルシアやボブ・ウェアらと、ジェリーの死まで30年にわたってバンドを支え続けていた。
1995年にデッドが解散した後も、ソロ活動を行っていた。
慢性の肝炎を患っており、84歳で亡くなった。

11月3日 クインシー・ジョーンズ

トランペット・プレイヤーであり、作曲やプロデューサーとして知られている。
マイケル・ジャクソンのアルバム「スリラー」でプロデューサーの地位を不動のものとし、チャリティー・ナンバー「ウィ・アー・ザ・ワールド」も手がけている。
享年91歳で、死因は膵臓癌と言われている。

11月14日 ピート・シンフィールド

プログレ・ファンなら知らない人はいない、キング・クリムゾンのオリジナル・メンバー。
「クリムゾン・キングの宮殿」から「ポセイドンのめざめ」「リザード」「アイランズ」まで手掛けており、フリップとの対立で脱退した後はEL&Pの「恐怖の頭脳改革」やPFMのアルバムに参加する一方、セリーヌ・ディオンに歌詞を提供するなど商業的にも成功していた。
享年80歳だった。

12月6日 中山美穂

年末になっての突然の悲報だった。
まだ54歳という若さであり、言葉もない。

年末恒例のブログとは言え、今年はきつい。
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<![CDATA[サマーソニック24 観戦記]]>Mon, 19 Aug 2024 11:51:44 GMThttp://naomikubota.tokyo/blog/summersonic24
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フジロックから一か月も経たないうちに、またサマーソニックである。
直前に接近した台風で開催が危ぶまれたが、一転して台風一過の酷暑の中での開催となった。

初日の目当ては、バンドメイドとマネスキンと決めていた。
まずPacific Stageで、タイのトップスターであるヴィオーレット・ウォーティアの初来日ステージを観ながらバンドメイドを待つ。
入れ替えのセッティングの時間を利用してリハを始めたバンドメイドは、ここから全力の剛速球。
一方でPAの調整を指示する言葉がめちゃくちゃ丁寧でもあり、いきなり高感度が上がりまくる。
ステージ本番でも、激しいスラップ・ベースと超高速ギターの絡み合いなど、凄まじい演奏力を見せつけてくれた。
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この後はマネスキンを目指してMarine Stageへ移動。
既に日は落ちているものの、スタジアム内は激しい暑さで、滝のような汗が停まらない。
演奏が始まる前から、倒れて運び出される人が続出という状態だった。

2023年の年末に有明アリーナでマネスキンを観たときは、ヴィクトリアがステージの左側だったので、左袖で待ち構えていたら案の定の大当たり。
"Don't Wanna Sleep" や "Gossip" で開幕し、アンコールの "I Wanna Be Your Slave" まで90分にわたってヒット曲の数々を炸裂させてくれた。
2022年のサマソニ、2023年の単独公演、そして今回のサマソニと、来日のたびに駆け付けて観に行っているが、短い期間に激しい速度で成長を続けている。
これからも楽しみなバンドである。
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二日目の日曜は、Marine Stageで「ちゃんみな」から始めて、グレタ・ヴァン・フリートやクリスティーナ・アギレラを観る予定だった。
ところが、スタンド席で日陰になる位置を心得ていたつもりだったのに、地獄のサウナのような暑さである。
例年、日が差していても、こんなことはなかったはずだ。
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このまま居続けたら確実にぶっ倒れる気がしたので、急遽予定を変更し、屋内のSonic Stageへ移動。
結果として、実はこれが大当たりだった。

まず出てきたのが、アフリカ系アメリカ人のヴォーカルを中心にしたイヴ・トゥモア。
サウンドはグラム、ハードロック、エレクトロニカをごちゃまぜにした先鋭的なミクスチャーだった。
メンバーも、アフリカ系、アジア系、ヨーロッパ系のミクスチャーである。
初めて見聞きするバンドだったが、とてもよい体験をさせてもらった。
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続けて、イギリス出身のソウル・シンガー、オリヴィア・ディーンがフルバンドを引き連れて登場。
イヴ・トゥモアとはまったく異なる音だが、こちらもすごくよい。
近年、ラップやボーイズグループなどの参入が目立つサマソニであるが、どんなジャンルであっても、やはりバンド・サウンドに適うものはない。
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このままSonic Stageに居座って、NY出身のベテラン、AJRを観る。
兄弟によるユニットだが、サポート・メンバーのアフリカ系女性のトランペットの切込みが凄まじい。
またも、すごくよい。
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そして、この日の目当てである羊文学が始まった。
2023年にフジロックのグリーンで初めて観て、すっかりファンになってしまったのだった。
今回は残念ながらドラムのフクダさんが体調不良のため、サポート・ドラマーを迎えてのステージとなったが、ブラック・サバスとU2をかけ合わせてグランジを載せたような轟音は相変わらずである。
とてもよい。すごくよい。
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こうしてみると、2024年のサマソニは、女性たちによる轟音にやられた形になった。
マネスキンと羊文学以外はすべて初体験であったが、いずれも大収穫だった。
来年もまた楽しみである。
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<![CDATA[フジロック 24 観戦記]]>Mon, 29 Jul 2024 10:57:07 GMThttp://naomikubota.tokyo/blog/fujirock2024
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2024年のフジロックは観たいバンドが目白押しだった。
いきなり初日から、ヘッドライナーでグリーンのキラーズとフィールド・オブ・ヘブンの上原ひろみが被っている。
そして最終日は、キム・ゴードンとライドが被っているうえ、どちらかを見たらその直後のオールマン・ベッツにもノエル・ギャラガーにも間に合わないという事態。

初日は結局優柔不断で選択の決断ができず、結果としてグリーンで丸一日過ごすことになってしまったが、キラーズは観てよかった。
このステージでのサプライズは、最前列で「Can I Play Drums?」と書かれたプラカを掲げていたワタルさんという日本人を、ステージに引っ張り上げて飛び入りさせたことである。
こんなプラカードを掲げるだけあって、ワタルさんはキラーズの曲を研究しつくしており、合間のタムのロールまで完璧だった。
なお、この件は朝日新聞が詳しく記事に取り上げている。
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二日目はヘッドライナーのクラフトワークが目当てだったので、午後一番からグリーンのベストな位置を陣取って確保。
ロンドンのガールズ・バンドのザ・ラスト・ディナー・パーティや、マン・ウィズ・ア・ミッションなどを楽しむ。
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マン・ウィズ・ア・ミッションは、これまでもフジロックやサマソニで何回も観てきたが、ほぼ最前列で観るのは初めてである。
足元の悪いグリーンで、サークルピットやダイブを繰り広げる観客も大したものだが、終盤にはバンドのメンバーまでダイブに加わってしまった。
そして二日目最後はクラフトワーク。
既にあちこちで話題になっているが、最大のサプライズは故・坂本龍一さんの「戦場のメリークリスマス」のカバーと、それに続く「レディオアクティビティ」への圧巻の流れ。
これで泣かずして、いつ泣くのか。
最終日は疲労が溜まってきたので、暑い昼間はやり過ごして、夕方のジーザス・アンド・メリー・チェインから参戦。
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最後はノエルではなくオールマン・ベッツで〆ることにして、フィールド・オブ・ヘブンへ移動し、いくつかのダンサブルなバンドを見ながらオールマン・ベッツを待つ。
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バンド登場とともに豪雨になってしまったが、"Blue Sky" の演奏が始まるや、またしても号泣。
びしょ濡れになりながら浴びるオールマン・ベッツの爆音は最高だった。
高齢ファンがヤラれるツボをよく押さえている。

オールマン・ベッツを観て、撤収のためにグリーンまで戻ったところ、予定を大幅に押しまくったノエル・ギャラガーが "Don't Look Back in Anger" を始める絶妙のタイミングになっていた。
最後に一曲だけシンガロングに参加することができたので、何も思い残すことはない。
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<![CDATA[松田聖子さん ご卒業おめでとうございます]]>Mon, 25 Mar 2024 11:51:12 GMThttp://naomikubota.tokyo/blog/matsudaseiko
3月25日の朝、X(旧ツイッター)のトレンド欄に「中央大学法学部通信教育課程」なるワードが上がっていた。
私自身が卒業生であるので、いったい何ごとかとクリックしてみたら、歌手の松田聖子さんがここを卒業されたとの報道記事だった。
私が卒業したのは丁度一年前の2023年3月であり、もし卒業が一年遅れていれば卒業式で松田さんとご一緒できていたかもしれない、あるいは松田さんと同窓生になったのだというミーハーな思いを真っ先に抱いた事は告白せざるを得ない。それと共に、松田さんが4年で卒業されたと拝見して、そのご努力に驚くしかなかった。
松田さんのようなトップスターに対して、私が何か語るのも全く烏滸がましいことではある。しかし卒業生の一人として、また現在も科目等履修生として通教課程での勉強を知る立場であればこそ、松田さんのご努力がわかるところもあると思うので、僭越ながらいくつか書き連ねてみたい。

中央大学法学部通信教育課程は、基本的に高校卒業の資格があれば、書類選考を経て、誰でも入学することができる。
しかし卒業することは極めて難しく、大学側が正式に発表はしていないものの、卒業できる率は10%前後ではないかと言われている。
私が出席した卒業式に集まっていた人数から算定しても、だいたいそのくらいではないかと思われる。
なお「留年」という概念はないので、卒業まで何年かかっても構わないし、社会人であれば6年から8年、場合によっては10年以上かけて卒業する方もいる。
ところが松田さんのケースは、ストレートに4年で卒業とのことで、トップ・クラスの学生だったのだろう。
しかもその間、武道館を含む全国ツアーなど芸能活動をフルに行っていたし、さらにご家族の悲しい出来事もあった。
本当にいったいいつ、どんな形で勉強しておられたのであろうか。
仕事のほとんどがリモートで時間に比較的余裕があった私には想像もつかない、壮絶な努力をしておられたのであろう。

さらに驚くべきことは、松田さんが教養科目まで通信で収められた事実である。
既に別の大学を卒業している場合には、取得済の教養課程の単位を利用することができるので、法学関連の科目の履修だけで最短2年で卒業することができる。
私の場合は正にこのパターンであった。
しかし松田さんの場合は、教養科目として英語や第二外国語、心理学や経済学などの人文系科目、そして自然科学系の科目も履修されたはずである。
これがどれくらい大変かということも記しておきたい。
冒頭にも書いたように、現在私は卒業後も科目等履修生の立場で勉強を続けさせていただいており、2023年度は政治学を履修した。
この一科目の単位を取得するだけでも、文献を10冊近く読み、レポートを4本書き、最後に試験を受けなければならなかった。
実際、この政治学の一科目だけでも、相当の労力が必要だったのである。
松田さんは、それを10科目以上もこなしたのだ。
しかも、他大学での経験があればまだしも、初めて大学という場を経験した松田さんにとって、通信での自学自習やレポートに苦しまれたであろうことは想像に難くない。
それに加えての、法学系の専門科目群である。

それから、試験の環境についても加えておきたい。
私が過ごした2年間はコロナ禍の真っ最中で、全ての試験がオンラインで行われていた。
ところが、2023年度からはオンライン試験が廃止されて、旧来のように、会場でのペーパー試験に戻ったのである。
そして試験に持ち込み可能な参照物はせいぜい六法程度、あるいは一切持ち込み不可の科目も多いのが実態だ。
要するに、松田さんの最後の一年は、ガチで試験勉強をして、会場で受験しなければならなかった。
これがどれくらいたいへんな事か、考えただけで眩暈がする。

そういうわけで、松田聖子さんのご卒業は、驚天動地の人並外れたご努力の結晶であると断言できる。
ご卒業、誠におめでとうございます。
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<![CDATA[2023年に亡くなったミュージシャン]]>Sun, 17 Dec 2023 03:49:40 GMThttp://naomikubota.tokyo/blog/rip_2023
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Photo by Johannes Plenio on Unsplash
毎年毎年、ミュージシャンの訃報のリストが長くなってしまう。
哀しいことである。
2023年の特徴は、ジェフ・ベックやティナ・ターナーといったベテラン勢のみならず、ザ・ポップ・グループやキリング・ジョークのようなポスト・パンクの連中まで亡くなり始めたことだ。
それもまだ50代、60代である。
日本でも高橋幸宏さんに始まり、坂本龍一さんやHeathまで亡くなってしまった。
あまりにも早すぎるとしか言いようがない。(以下、敬称略)

1月1日 フレッド・ホワイト

いきなり元旦からの訃報である。
兄のモーリスやヴァーダインと共にアース・ウィンド&ファイアーを結成し、フレッドはドラムを担当していた。
絶頂期には "September" "Boogie Wonderland" "Let's Groove" など数々のヒット曲を叩き出している。
死因は公表されていないが、まだ67歳だった。

1月10日 ジェフ・ベック

今更こんなところで紹介するまでもない、ギターの巨人。
正月早々に大きな衝撃を受けた訃報だった。
個人的にはエディ・ヴァン・ヘイレンの訃報以来のショックである。
近年もフィンガー・ピッキングにアームのトレモロを組み合わせた独特な奏法など、最後まで進化を停めなかった。
2017年に東京国際フォーラムで最後の来日を観ることができたのは、生涯忘れないだろう。
細菌性髄膜炎の悪化で、享年78歳。

1月11日 高橋幸宏

2023年は、高橋幸宏さんも坂本龍一さんも亡くなってしまった。
いったい何ということだ。
日本の音楽シーンの損失は計り知れない。

1月12日 リサ・マリー・プレスリー

エルヴィス・プレスリーの娘で、マイケル・ジャクソンやニコラス・ケイジらとの結婚でも知られている。
心臓発作に小腸閉塞の合併症が致命傷となった。
まだ54歳の若さだった。

1月12日 ロビー・バックマン

バックマン・ターナー・オーヴァードライブのオリジナル・メンバーで、ロビーの死後わずか3か月後には弟のティムも亡くなってしまう。
享年69歳で、死因は公表されていない。

1月19日 デヴィッド・クロスビー

CSN&Yの一角であるデヴィッド・クロスビーは、4人の中で最も早く亡くなってしまった。
死因はコロナの急変と言われており、81歳だった。
ニール・ヤングを除くCSNとしての活動も2016年を最後に空中分解してしまったが、デヴィッドの死によって再結成の機会は永遠に無くなった。

1月28日 トム・ヴァーレイン

ニューヨーク・パンク・シーンを代表するテレヴィジョンのギタリスト。
前立腺がんで、73歳だった。
初期パンク・シーンの人たちも、多くがもう70代を迎えている。

2月8日 バート・バカラック

50年代から多くのポップ・ソングを生み出した稀代の作曲家。
カーペンターズやディオンヌ・ワーウィックなどが彼の楽曲を取り上げていることでも知られている。
ビルボード横浜のオープニングを記念して来日する予定だったのが、コロナ蔓延で流れてしまったのが惜しまれる。
94歳だった。

3月2日 ウェイン・ショーター

60年代のマイルス・デイヴィスのクインテットを経て、ジョー・ザビヌルらとウェザー・リポートを結成したサックス奏者。
1986年にウェザー・リポートが解散してからは、アコースティックに回帰した自身のカルテットで活躍していた。
享年89歳。

3月5日 ゲイリー・ロッシントン

レーナード・スキナードの最後のオリジナル・メンバー。
1977年の航空機事故で大半のメンバーを失った後も、ジョニー・ヴァン・ザントらとレーナード・スキナードとして活動を続けてきた。
ゲイリーの死によってオリジナル・メンバーは1人もいなくなってしまったが、バンドは現在もレーナード・スキナードとしてツアーを続けている。
71歳だった。

3月9日 ロビン・ラムリー

フィル・コリンズらを擁したジャズ・ロック・バンドのブランドXのオリジナル・メンバーの一人で、キーボードを担当していた。
メンバーの入れ替わりが激しかったブランドXのほぼ全てのアルバムに参加している。
ブランドX参加の前には、デヴィッド・ボウイのバッキングを務めたこともあった。
75歳で、心不全だった。

3月13日 ジム・ゴードン

デラニー&ボニーでの同僚だったエリック・クラプトンやカール・レイドル、ボビー・ウィットロックと、デレク・アンド・ザ・ドミノスを結成したことで知られている。
1983年に母親を殺害して収監され、生涯釈放されることなく、獄中で亡くなった。

3月14日 ボビー・コールドウェル

いわゆるAORを代表するシンガーの一人。
晩年は毎年のように来日し、ビルボードでライブを行っていた。
抗生物質の副作用など、長い闘病生活の後の死であった。
享年71歳。

3月28日 坂本龍一

今更言うまでもなく、日本を代表するミュージシャンだった。
高橋幸宏さんを追いかけるように、癌で亡くなってしまった。
まだ71歳で、失われた才能はあまりにも大きすぎる。

4月7日 イアン・ベアンソン

アラン・パーソンズ・プロジェクトのギタリスト。
アラン・パーソンズ・プロジェクトは、アラン・パーソンズとエリック・ウールソンによるユニットだが、イアン・ベアンソンは "Ammonia Avenue" などのヒット作を含む殆どのアルバム制作に参加していた。
またケイト・ブッシュの "The Kick Inside" や "Lionheart" などにも参加している。
69歳で認知症を悪化させて亡くなった。

4月21日 マーク・スチュワート

ポスト・パンクのザ・ポップ・グループの中心メンバーで、ボーカルを執っていた。
62歳で亡くなったが、ザ・ポップ・グループを結成した1977年ではまだ17歳であった。
死因は公表されていない。

4月28日 ティム・バックマン

兄のランディやロビーと共に、バックマン・ターナー・オーヴァードライヴのオリジナル・メンバーだった。
1974年に脱退したが、1983年に再加入している。
癌を患っており、兄のロビーを追うように71歳で亡くなってしまった。

5月11日 フランシス・モンクマン

カーヴド・エアーや801などプログレ界で名をはせたキーボード奏者。
70年代後半には、フュージョン系のスカイを結成し、特に日本では評価を受けていた。
73歳で、癌で亡くなった。

5月19日 アンディ・ルーク

80年代に活躍したザ・スミスのベーシスト。
4枚のアルバムを残して1987年にザ・スミスが解散した後は、キリング・ジョークやムーンドッグ・ワンなどで活動していた。
膵臓癌で、まだ59歳だった。

5月24日 ティナ・ターナー

1950年代から活躍し、「ロックンロールの女王」と呼ばれていた。
アルバムやシングルの売上は2億枚を超え、ライブのチケットの枚数も世界最多と観られている。
晩年は腎不全や癌、脳卒中など複数の疾患を患っていたが、死因は公表されていない。

6月20日 ジョン・ワディントン

ザ・ポップ・グループのオリジナル・メンバーの一人で、初期のアルバム二枚でギターを弾いている。
マーク・スチュワートに続いて、2人目の故人となってしまった。
ジョンもまだ63歳だった。

7月21日 トニー・ベネット

1951年に "Because of You" を全米一位に叩き込んでから、数十年にわたり近年まで精力的に活動を続けてきた。
95歳になった2021年には、レディ・ガガとのデュエット・アルバム "Love for Sales" をヒットさせている。
その後、体調維持のため引退生活を送っていたが、アルツハイマーを悪化させて、96歳で亡くなった。

7月26日 シネイド・オコナー

アイルランド出身の歌手で、カトリック教会への複雑な感情を生涯抱え続け、メンタルを悪化させて56歳の若さで亡くなった。
死因は明らかにされていない。
彼女の死の直後に開催されたフジロックのフー・ファイターズのステージでは、アラニス・モリセットと共に、シネイドに捧げる "Mandinka" がカバー演奏された。

7月26日 ランディ・マイズナー

ポコやイーグルスのオリジナル・メンバーでベーシスト。
イーグルスでは "Take it to the limit" や "Try and Love Again" などの名曲を生み出している。
ポコでもイーグルスでも、ランディが脱退した穴はティモシー・シュミットが埋める形になった。
今世紀に入ってからは、心臓疾患やアルコール依存に苦しんでおり、慢性閉塞性肺疾患の合併症で、77歳で亡くなった。

8月9日 ロビー・ロバートソン

ボブ・ディランのバック・バンドが前身であるザ・バンドを経て、1987年からソロ活動やプロデューサー稼業を続けていた。
2019年のアルバム "Sinematic" が最後の作品となった。
享年80歳。

8月24日 バーニー・マースデン

1977年のホワイトスネイクへの参加で知られるギタリスト。
ヒット曲 "Here I Go Again" はバーニーとデヴィッド・カヴァーデールとの共作である。
1982年にホワイトスネイクを解雇された後も、多数のソロ・アルバムやセッションの作品を残している。
72歳で、細菌性髄膜炎で亡くなった。

9月16日 ジョン・マーシャル

1972年にソフト・マシーンへ加入して以来、メンバーが激しく入れ替わる中、一貫してバンドを牽引してきた。
ソフト・マシーンのほか、ブリティッシュ・ロック界の無数のアルバムに参加している。
2018年にはビルボードライブで最後の来日を果たしたが、このとき既に背中が直角に曲がって歩くのがやっとという状態だったが、ドラム・スツールに座ったとたんにドラミングを炸裂させていた。
82歳で亡くなったが、死因は公開されていない。

10月29日 Heath

X Japanのベーシスト。
6月の検査で大腸癌が発見され、そのタイミングで既に手遅れの状態だった。
まだ55歳の若さだった。

11月26日 ジョーディー・ウォーカー

80年代のインダストリアル系ポスト・パンクを代表するキリング・ジョークの中心メンバーで、ギタリスト。
心臓発作で、64歳だった。

11月30日 シェイン・マガウアン

1982年に結成されたケルティック・パンクのザ・ポーグスのボーカリスト。
1996年に解散したが、2001年に再結成されツアーを続けていた。
肺炎を悪化させて、65歳で亡くなった。

12月5日 デニー・レイン

ムーディー・ブルースのオリジナル・メンバーで、さらにその後のウイングスでの活動で知られている。
ウイングスでは、結成から解散までの10年間、終始ポール・マッカートニーを支え続けた。
コロナの後遺症である肺炎で亡くなった。
79歳だった。

ミュージシャン達の年齢を考えると、残念ながらこれから先の5年間くらいは訃報がまだ増えるのだろう。
そこから後の音楽はどうなってしまうのだろうか。
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<![CDATA[ライブ三昧復活の2023年]]>Sun, 03 Dec 2023 10:02:46 GMThttp://naomikubota.tokyo/blog/live_2023
2022年に再開したライブは、2023年にはいって完全に復活した。
ディープ・パープルやエリック・クラプトンといったベテラン勢に加えて、リナ・サワヤマやマネスキンのような旬のアーティストまで、多くの人たちが海外から来日してくれたことが大きな特徴であろう。
私自身、昨年末に「時間と財布が許す限り、片っ端から観に行くしかない」と書いたのだが、その通り、ライブがあればとにかく片っ端から参加してみた。
勢いで、2023年はフジロックとサマソニの両方とも行くことになってしまった。

1月20日(金) 東京ガーデンシアター リナ・サワヤマ

2022年のサマソニ以来、半年ぶりの凱旋ライブである。
サマソニ同様に、ギター、ドラム、ダンサー全て女性で編制され、超絶にかっこいい。
アコースティック・コーナーでは、"Dedicating to gay community" とのMCで、性的マイノリティに捧げる歌を歌い、会場中でレインボー・フラッグが掲げられた。
母国でのライブであるため、MCのほとんどはベタな日本語で通していたが、いわゆる "Anime" "Kawaii" "Harajuku" みたいな日系に対するステレオタイプを一切排したド直球の実力で勝負しているので、兎に角かっこいいのである。
ちょうど同時期、グウェン・ステファニーが Harajuku Girls なるプロジェクトで「まるでミンストレル・ショーだ」と文化的簒奪として批判を受け、アメリカのアジア系市民からボコボコにされているのと対照的だった。

2月13日(月) ガーデンホール クーラ・シェイカー

リナ・サワヤマに続き、クーラ・シェイカーも2022年のサマソニから1年もおかずに再び来日した。
サマソニでは時間の制約があったが、今回の単独ステージでは演奏時間も正味1時間半となった。
ノリのよい "Hey Dude" で幕を開け、途中にジョン・レノンのカバー "Gimme Some Truth" などを挟んで突っ走り、これまたノリのよい "Hush" でいったんエンディングとなる。
アンコールは「ジョージ・ハリスンに捧げる」とのMCで、ラーガ・ロックの "Gokula" から "Govinda" まで演奏。
クリスピアンは、サイケなプリントを施した2本のストラトを持ち替えていた。

2月19日(日) 東京ドーム レッド・ホット・チリ・ペッパーズ

2016年のフジロック、2019年のサマソニから4年ぶりの来日。
単独公演としては2007年から16年ぶり、ジョン・フルシアンテが復帰してからは初の来日となった。
広大な東京ドームがスタンドの上のほうまでビッチリと満席である。
セットリストは2022年にリリースされたアルバム "Unlimited Love" と "Return of the Dream Canteen" を中心にしたものだったが、過去のアルバムからも満遍なくピックアップされ、特にアンコールは " Blood Sugar Sex Magik" から2曲演奏された。
ライブのスタートが17時半と非常に早く、アンコールを含めて丸二時間の演奏であったが、まだ19時半という時刻に終了してしまい、若干気抜けしてしまった。
ちなみに今回初めて東京ドームの「バルコニー席」のチケットで入場したが、ステージは遠いうえに真横、モニターすらまともに見えないという状態で、はっきり言って価格が高いだけのクソ席だった。
野球観戦ならいいのだろうが、ライブで座る席ではない。

2月27日(月) 日本武道館 メガデス

こちらも2017年から7年ぶりの来日。
この日のライブはWowWowで生中継された他、全世界に同時配信された。
今回のライブには、旧メンバーで日本在住のマーティ・フリードマンが後半に参加し、"Countdown to Extinction" "Tornado of Souls" "Symphony of Destruction" の3曲を演奏して、激しいギター・ソロを繰り出した。
直前の24日の追加公演ではマーティが参加しなかったが、この日はマーティが参加した3曲がセットリストに追加される形となったとのことで、幸運であった。

3月3日(金) Zepp ダイバーシティ東京 アーチ・エネミー

2018年の六本木EX THEATERでのライブから5年ぶり。
直前にメガデスの来日があったこともあり、なぜかメガデスのシャツを着た観客が多かったのが笑える。
ライブは19時きっかりに始まって、アンコールを含めて丸二時間やってくれた。
クリア・ボイスから突如デスボイスに切り替わるアリッサの変幻自在のボーカルと、激しいヘッドバンキング。
そして、ギターは高速のスラッシュ・リフだけでなく、ブルーノートを多用した泣きのギターの絡みも聴かせてくれた。
デスメタルという狭いカテゴリーに捉われない素晴らしいバンドである。

3月8日(水) ビルボードライブ横浜 PUFFY

毎年必ず一度は見るPUFFY。
六本木のビルボードで観るのが通例だったが、今回は良い席が確保できなかったので、席に余裕のある横浜へ行ってみた。
相変わらずの脱力MCが心地好い。
この日のライブでは、洋楽のメドレーにチャレンジして、これがたいへん楽しかった。
まさかPUFFYの二人からガンズの "Sweet Child O'Mine" やMr. Bigの "More Than Words" が聴けるなんて予想すらしていない。
ビルボードのステージは短いのが残念だが、最後はお約束の「アジアの純真」「これが私の生きる道」で終了。
大満足。

3月11日(土) 有明アリーナ スティング

ポリスとしてデビュー45周年を迎えるタイミングでの、4年ぶりの来日。
今回は息子のジョー・サムナーがアコギ一本で30分ほどのオープニング・アクトを務めた。
ポリスの "Message in a Bottle" で開幕した後はほぼソロの曲が続き、後半になって "Walk on the Moon" "So Lonely" など再びポリスの曲を炸裂させ、最後は "Every Breath You Take"、アンコールは "Roxanne" で盛り上げた。
およそ二時間にわたるライブだったが、使い込んだベースを持ち替えることなく、ステージを走り続けた。
恐るべき71歳。

3月13日(月) 日本武道館 ディープ・パープル

ディープ・パープルも、2018年以来、5年ぶりの来日である。
1972年の初来日から実に51年経っており、当時20代だったイアン・ギランやロジャー・グローバーは77歳、イアン・ペイスは74歳である。
直前に脱退したスティーブ・モースに代わって加入したサイモン・マクブライドは、トリッキーな技を繰り出すわけではないが、しっかりとバンドを支えていた実力者である。
セットリストは新旧取り交ぜてのものとなったが、"Highway Star" で始まり "Black Night" で〆るという、正に51年前のライブを蘇らせる構成だった。
まさか51年も経ってから、この場所で "Highway Star" を演奏するとは、本人たちも夢にも思わなかっただろう。

3月26日(日) 幕張メッセ LOUD PARK

2017年を最後に、さらにコロナの影響もあって6年間開催されてこなかったLOUD PARKが、ようやく復活した。
ナイト・ウィッシュやストラトヴァリウスのようなシンフォ系に、カーカス、クリーター、スレイヤーといったゴリゴリのエクストリーム系、スラッシュ系を取り交ぜた、メタルの幅広いサブ・ジャンルを含むフェスとなった。
観客側にとっても待ちに待ったイベントであったため、午後早い時刻のブリード・フロム・ウィズインから、会場のあちこちでサークル・ピットやモッシュ、ダイブが炸裂。
ヘッドライナーのスレイヤーでは、ザック・ワイルドが超重量級のギターを堪能させてくれた。
バンドとバンドの間にまったく休憩がない、さながらメタル耐久レースのようだったが、とても楽しいイベントであった。

4月1日(土) ビルボード東京 リチャード・カーペンター

カレンが亡くなってから40年も経ってしまった。
カーペンターズとしての最後の来日は1976年なので、実に47年の時を経てのライブである。
まずはリチャードがピアノだけで "Close to You" を弾き始めたので、最初から涙腺決壊。
"Rainy days and Mondays" や "I Need to Be in Love" などのヒット曲が続くが、全てピアノのみの演奏である。
おそらくカレンへのリスペクトなのだろう。
一方、MCの時間はふんだんに取り、しかも通訳まで付けてくれており、日本のファンとのコミュニケーションに十分配慮してくれているのが判る。
しかも観客から質問を受け付けるコーナーまで設けてくれた。
「カレンのボーカルがワン・テイクでOKとなった曲があると聞いたが、どの曲か?」とのマニアックな質問に対して、リチャードは「カレンは才能があったのでワン・テイクの曲はいくつもあったが、"Only Yesterday" もその一つだ」と答えて、「本当はセットリストになかったんだけど」と言いながら、そのまま "Only Yesterday" を演奏してくれた。
この後は楽器をエレピに替えて、リチャードの娘たち3人が登場して、"I’ll be yours" や "Top of the world" を演奏。
さらに日本でのみリリースされていたというカラオケ音源を使っての "Jambalaya"。
観客には予め "Jambalaya" の歌詞が配布されており、シンガロングできるようになっているというサービスぶりである。
アンコールは再びリチャード一人となって "We've Only Just Begun" を演奏した後、娘たちが再度加わって "Yesterday Once More" を観客と共に合唱。
またも涙腺崩壊ライブである。

4月12日(水) 東京ガーデンシアター ボブ・ディラン

2018年のフジロック出演以来、5年ぶりの来日となった。
本来は2021年の春に予定されていたツアーがコロナの影響をもろに受けてキャンセルになってしまい、改めてプランされたものである。
ライブは予定の19時ぴったりに始まって、およそ100分間にわたって17曲を演奏した。
この間、ボブはグランドピアノから離れることなく、またMCもアンコールもないスタイルであった。
東京に先立つ大阪での3公演も東京とまったく同じセットリストであるとの情報を確認しており、さらに直前のヨーロッパ・ツアーでも同じセットリスト通りだったようである。
このライブでは、MC無し、アンコール無し、映像効果やモニター無し、しかもスマホ持ち込み禁止で、スマホは電源を強制的に切らされて、鍵付きのシールド・ケースに入れられてしまった。
いろいろ面倒くさい。

4月15日(土) 日本武道館 エリック・クラプトン

毎回「これが最後」と言われるエリック・クラプトンは、2019年以来、4年ぶりである。
今回は、来日公演100回目を含む記念すべき来日で、しかも初日は、初来日と同じ日本武道館でのライブとなった。
私自身も1975年の2回目の来日からほぼ欠かさず観ており、ライブアルバム "Just One Night" の音源にもなった武道館公演にも行っているので感慨ひとしおである。 
今回のライブの前半はブルースを中心としたエレクトリックなセットで、"Key to the Highway" や "I'm Your Hoochie Coochie Man" を演奏した。
中盤はアコースティック・セットで、"Nobody Knows You When You're Down and Out" や "Tears in Heaven" のような定番曲に加え、ブルースのカバーを数曲演奏した。
なお "Tears in Heaven" の途中にはプロコル・ハルムの "A Whiter Shade of Pale" を挟み込んだ。
この2年間に数名のメンバーが亡くなったことへの追悼だろう。
最後は再びエレクトリックに戻って、"Badge" や "Layla" などのヒット曲を炸裂させた。
ここ近年、車いす姿を目撃されるなどエリックの健康に不安があったが、今回のライブは現役感あふれるものであった。
80年代に一時間以上遅れたうえ泥酔していてボロボロな演奏を見せられた経験からは、開演予定の19時ぴったりに始まるのも考えられないことである。
今回のライブは、この20年くらいの中ではベストに入るのではないか。

4月20日(木) ビルボード横浜 PLAYING FOR CHANGE with Char

日本、アメリカ、ジャマイカ、南アフリカ、コンゴなど8か国からの総勢12名によるワールド・ミュージックの展示会のようなライブ。
ブルージーな曲もあったものの、ほとんどがリンガラやレゲエをベースにした天然のダンスミュージックだった。
Charはソロをあまり取らず、ほぼカッティングに徹していた。
シブくも楽しい時間だった。

5月10日(水) ビルボード東京 ジョージ・クリントン & PARLIAMENT FUNKADELIC

ほぼ一年おきに来日しているジョージ・クリントン & PARLIAMENT FUNKADELICを観るのは3回目である。
80歳を超えているジョージ・クリントン総裁は前回の来日で終始座りっぱなしだったが、今回はいきなり客席に飛び込むなど非常に元気で、半分の時間は歩き回っていた。
彼も健康が回復したようで何よりである。
バンドのメンバーは総勢14名におよび、狭いビルボードのステージはひしめき合うようであった。
今回の来日では、10分に渡るギターソロなど、メンバーそれぞれにスポットを当てる、従来見られなかった配慮がされていた。

5月12日(金) 川崎CLUB CITTA’ スティーヴ・ヒレッジ・バンド & ゴング

スティーヴ・ヒレッジ・バンドとゴングによる2018年以来5年ぶりの来日。
前回はビルボードでゴングにスティーヴがゲスト参加する形だったが、今回はしっかり2本立てのライブとなった。
とは言え、オープニングがゴングで、それにスティーヴとミケット・ジローディが加わったらスティーヴ・ヒレッジのバンドというものである。
ゴングは、複雑な変拍子と構成で、ピエール・モエランが主導権を握っていた頃の演奏を彷彿とさせるものであった。
一方、スティーヴ・ヒレッジが加わると、デヴィッド・アレンによる初期ゴングに近いものとなり、ライティング・ショウも Radio Gnome Invisible のアニメを多用していた。
ワウファズにエコーを効かせたスティーヴのギターが全開である。
しかし間に25分の休憩を挟んだとはいえ、ライブは3時間を超えており、演奏側の集中力と体力は大変なものあっただろう。

6月26日(月) ブルーノート東京 ラリー・カールトン

通常の私の守備範囲から完全に離れたジャンルであるが、たまにはよい。
クルセイダースやスティーリー・ダンの曲をそれぞれ数曲演奏してくれたが、さすがに私でも知っているし、締めは "Room 335"。
リアルタイムで聴いたのは中学生のときだったので、もう半世紀も経っている曲なのかと思うと、しみじみする。
当時はロングヘア―だったラリーも、今や完全なスキンヘッドになってしまった。

6月29日(木) Spotufy O-East ブラッディウッド

世界的に注目を集めている、ニューデリー出身の6人組のメタルバンド。
フロントは2人のリード・シンガー(というよりラッパー)が担い、定番のギター、ベース、ドラムに加え、インドの伝統的な打楽器奏者も参加している。
さらにベーシストは時折伝統的な横笛を吹くのだが、60年代のサイケ系のバンドやクーラ・シェイカーのような「ラーガロック」の風味は欠片も無い。
終始、爆音のメタルで、バンドも観客もヘッドバギングしっ放し、ジャンプしっ放しである。
ハードロックやメタルを半世紀聴いてきたのだが、これは完全に初体験であった。

7月21日(金) 日本武道館 トト

コロナ禍を挟んでの4年ぶりの来日。
残念ながらオリジナル・メンバーはスティーヴ・ルカサーだけになってしまった。
しかし他のメンバーも多くのバンドやレコーディング・セッションで磨き上げた凄腕ばかりで、しかも全員がリードボーカルも執れるため、コーラスも絶妙である。
演奏した曲数は15曲で1時間半を超えるくらいだったが、"Hold the Line" "Rosanna" "Africa" などのヒット・パレードで、お腹がいっぱいになった。
アンコールはビートルズの "Little Help from my Friend"。
スティーヴがリンゴ・スターのバンドでツアーをする際の定番曲だが、スローバラードにアレンジしたもので、こちらも素晴らしい演奏だった。

7月25日(木) Line Cube Shibuya   スパークス

2018年と2022年のサマーソニックで来日しているが、単独公演は2017年以来6年ぶり。
おりしもニューアルバム "The Girl Is Crying in Her Latte" がリリースされた直後であり、3割ほどの曲がここからのものだったが、"A Woofer in Tweeter's Clothing" や "Kimono My House" などからも幅広く選曲された。
飄々としたロンと、踊りまくるラッセルの好対象は相変わらずである。
ワールドツアーの最後が日本、しかも来日の最終日ということもあって、アンコール終了後も涙を浮かべて名残惜しそうに中々袖へ引っ込まない2人が印象的であった。

7月26日(水) 日本武道館 Mr.Big

2017年の来日から6年ぶり。
この間に、残念ながらパート・トーピーがパーキンソン病で亡くなってしまい、今回はニック・ディヴァージリオをサポート・ドラマーに迎えての公演となった。
Wow Wowの生中継が入っていることもあり、19時きっちりに始まり、30曲近くを2時間半繰り広げた。
特にビリー・シーンはダブル・ネックのベースを1時間近く使い続けており、恐るべき体力である。
セットリストはヒット・パレードで、途中のアコースティック・コーナーはアリーナの中心にセリ出た花道での演奏となり感涙。
最後には各メンバーの家族に加えて、パットの遺族をビリーがステージ上で紹介するサプライズもあり、メンバーも観客も全員が涙腺決壊状態になってしまった。

7月28日(金)~  30日(日) フジロック

コロナ蔓延まではフジロックかサマソニのどちらかに行くようにしていたのだが、私自身7年ぶりのフジロックになった。
今回の目当てはフー・ファイターズである。
2015年のフジロックで観たときは、デイヴ・グロールが骨折治療中で、椅子に座ったままだったことを思い出した。
残念ながらテーラー・ホーキンスが亡くなってしまうという事件を挟んでの再度のフジロックだが、デイヴはことあるごとに "For Fuji!" を叫び、まったく湿っぽくならずに最後まで駆け抜けた。
フー・ファイターズの日本でのライブは必ずゲストが参加するので、それも楽しみの一つであるが、今回はアラニス・モリセットが加わって、先日亡くなったばかりのシニード・オコーナーの "Mandink" を演奏。
さらに後半には翌日演奏する予定のウィーザーのパトリック・ウィルソンが現れ、"Big Me" に加わった。
最高である。
それから、フェスならではの楽しみ方の一つは、普段あまり縁のないアーティストやバンドを観ることである。
今まで一度もみたことがない矢沢永吉を見届けようというのも、今回の目的のひとつであった。
はっきり言って最高でした。
斜に構えて臨んだことを心底詫びたい。
「まもなく74歳になります。ストーンズは80歳でもがんばってるからね。ははは、言っちゃった」との自爆MCも素敵だった。
永ちゃんに頭を引っ叩かれたような思いをしたのも、今回最大の成果。

8月14日(月) ブルーノート東京 小野リサ

フジロックとサマソニの谷間の、ブルーノートでボサノヴァ。
いただいていた招待券を使ったので、ミュージック・チャージは無しで観ることができた。
小野リサのバンドでサックスを吹いていたブラジル出身のGustavo Anacletoさんは、直前のフジロックで永ちゃんのライブでも吹いていたことがリサのMCで発覚。
守備範囲が広すぎである。

8月19日(土)~  20日(日) サマーソニック

フジロックから僅か3週間後のサマーソニック。
懸念された台風の影響はなく、空は晴れ渡り、とにかくクソ暑いが、初日は一日中マリン・スタジアムのスタンドから観戦することにした。
正午から始まった韓国の女性チームのニュージーンズから、すでにアリーナは溢れんばかりの人でいっぱいになっており、スタンドもてっぺんまで満席である。
一年前のストラッツでは、アリーナの前のほうに一塊の人がいるだけだったので、一年でこの変わりようには驚いた。
主催者側が「モッシュやダイブやるな」って言ってるのに、バンド自ら率先して客席のど真ん中にダイブするファール・アウト・ボーイ。
9年ぶりの来日となったブラー。
すっかり体が干上がってしまったが、最高であった。
なお、読売新聞が「大量の熱中症による搬送者が発生」と報じていたが、確かに殺人的な日差しだったので、日陰にいなければ多分10分で倒れただろうと思う。
やはりステージまで多少遠くても、スタンドの屋根の下で観戦するに限る。
二日目は、まずメッセ内のマウンテン・ステージで、ノヴァ・ツインズと、ももクロの二組の女性グループを観てから、再びマリンのスタンドへ移動。
この日の目当てはリアム・ギャラガーだったが、それまでK-Popやラップなど普段はほとんど縁のないジャンルの人たちのパフォーマンスをリラックスして楽しんだ。
リアムは、セットリストの半分がオアシス時代の曲で、観客と大合唱。
この時点で既に8時間経過しており、完全に力尽きてしまった。
リアムの後は再度マウンテン・ステージへ戻ってBabymetalを観るつもりだったが、体力も気力も完全に限界を超えていたため、ここで打ち止めである。
やはり真夏の酷暑の下でのフェス二日間はきつい。

9月19日(火) KT Zepp Yokohama エクストリーム

ニューアルバム "Six" を引っ提げての、7年ぶり、10回目の来日。
"It" や "Decadence Dance" といった古典的名曲で幕を開け、2時間にわたり19曲を演奏してくれた。
ニューアルバムからも4曲演奏し、アンコールはすべて新曲で占められていた。
自分達の曲の頭に、クイーンの "We Will Rock You" や "Fat Bottomed Girls"、ヴァン・ヘイレンの "Eruption"、ジェームス・ブラウンの "Sex Machine" を持ってくるような、先人に敬意を払う遊びも見せてくれた。
途中、"Midnight Express" でヌーノが8分に渡るアコースティック・ソロを披露し、そのまま "More Than Words" に突入したが、その他はひたすらファンキーでノリのいいハードロックで押し通した。
メンバー4人とも終演後もなかなか引っ込まず、名残惜しそうにしていたのが印象的であった。

9月21日(木) Zepp DiverCity オリアンティ

2016年のリッチー・サンボラとの公演以来、7年ぶりの来日。
今回は自身のバンドを引き連れてのライブとなった。
途中で2つのアコースティック・ナンバーを演奏したが、それ以外はすべてヘヴィなハードロックとブルースである。
マイケル・ジャクソンのバックで演奏していた "Black and Whie" を披露したほか、自らヒーローと公言するサンタナの "Europa" やジミ・ヘンドリックスの "Voodoo Chile" もカバー。
アンコールも含めて1時間20分程度で、昨今ではコンパクトなセットだが、充実したステージだった。

9月23日(土) Zepp DiverCity テスタメント / エクソダス / デス・エンジェル

西海岸スラッシュ・メタルの3バンドが The Bay Strikes Back と題したパッケージ・ツアーで来日した。
会場側から事前に「モッシュやダイブはお止めください」とのアナウンスがあったにもかかわらず、オープニングのデス・エンジェルから激しいモッシュが開始。
エクソダスは「写真を撮ろうが、ダイブしようが全然かまわないから気を付けてやってくれ」とのMC。
さらに最前列の客に向かって「左右に分かれろ」と指示して、わざわざサークルピットのための準備まで煽る始末である。
最後のテスタメントまでおよそ4時間、立ちっぱなし、暴れっぱなしで、完全に力尽きた。

10月17日(火) 豊洲PIT スティーヴ・ヴァイ

スティーヴ・ヴァイの単独来日公演は2014年以来9年ぶり。
2014年のときはビルボードだったので演奏時間は1時間程度であり、その後の2019年の来日はザック・ワイルドやイングヴェイ・マルムスティーン、ヌーノ・ベッテンコートらとの "Generation X" としてだった。
たびたび来日してくれてはいたものの、2時間半にもわたってスティーヴの演奏を堪能できたのは初めてである。
セットリストはオープニングの "Avalanche" を含め、半分近くがアルバム "Inviokate" からのもので、ほぼインスト。
ギターをボーカルに模してのコール・アンド・レスポンスまでやってみせた。
途中、トリプル・ネックのギター「ハイドラ」を用いた凄まじい演奏の後は、会場に居合わせた日本人製作者を紹介する心遣いもあった。
長時間にわたるインストのライブだったが、まったく飽きることのないものであった。

10月18日(水) TOKYO DOME CITY HALL テデスキ・トラックス・バンド

デレク・トラックスとスーザン・テデスキの夫婦を中心に、ツイン・ドラムやホーン・セクションなど総勢12名の大編成のバンド。
スーザンの強烈なボーカルとギターに絡んで、デレクのスライド・ギターが炸裂する。
来日直前の全米ツアーでは、連日、全曲総入れ替えのセットリストで演奏していたので、曲目はまったく予測がつかない。
この日はデレク・アンド・ザ・ドミノスの "Bell Bottom Blues" をカバーしたが、日によってはオールマン・ブラザースやレオン・ラッセルのカバーになることもあるようだった。
要するに、行けるものなら全日程行けということなのだろう。
21世紀も四半世紀過ぎているのに、こんな音を浴びることができるとは思わなかった。

11月3日(金) Kアリーナ横浜 モトリー・クルー / デフ・レパード

デフ・レパードとモトリー・クルーのダブル・ヘッド・ライナーのライブ。
デフ・レパードは2018年から5年ぶり、モトリー・クルーは2015年以来、実に8年ぶりの来日となった。
この組み合わせで8月まで全米ツアーを行っており、横浜がワールド・ツアー再開の初日となった。
デヴィッド・ボウイの "Heros" が爆音で流れる中、予定の17時ぴったりにデフ・レパードから始まった。
デフ・レパードはニュー・アルバムの "Take What You Want" から始まり、最後の "Photograph" まで全17曲のヒット曲を一時間半にわたって繰り広げた。
後半、ジョーの声がかすれてきたのが残念である。
その後30分のインターバルを挟んで、モトリー・クルーが開始。
こちらも "Wild Side" から "Kick Start My Heart" までヒット・パレード。
引退したミック・マースの後継ギタリストであるジョン5が大活躍しており、さりげないフレーズの中にもトリッキーな技を繰り出して、ミックの穴を埋めるどころか、ライブを完全に牽引していた。

11月19日(日) すみだトリフォニーホール ダリル・ホール / トッド・ラングレン

トッド・ラングレンとダリル・ホールの来日共演。
この二人の組み合わせで全米ツアーを行った直後の来日である。
会場の「すみだトリフォニーホール」は、2019年のトッド・ラングレン単独公演の際にも使った会場だ。
ダリル・ホールは2015年のホール&オーツ以来、8年ぶりの来日になった。
まず第一部はトッド・ラングレンが登場し、およそ一時間の演奏を繰り広げた。
一曲目の "Real Man" から、途中のモータウン・メドレーも含め、トッドらしさが何も変わっていない安定のライブだった。
トッドの後に20分ほどの休憩を挟んで、ダリルが登場。
バンドのメンバーは、トッドのときと変わらない。
ソロ・アルバムやホール&オーツの曲はもちろんのこと、ポール・ヤングに提供した "Everytime You Go Away" やユーリズミックスの "Here Comes the Rain Again" のピアノ弾き語りまで披露してくれた。
そしてアンコール一回目は、トッドも参加して "Wait for Me" や "Can We Still Be Friends" を演奏。
二回目のアンコールはお約束の "Private Eyes" で盛り上がった。

11月24日(金) Line Cube Shibuya   ワイナリー・ドッグス

マイク・ポートノイ、ビリー・シーン、リッチー・コッツェンによるスーパー爆音トリオ。
このバンドとしては2016年以来7年ぶりの来日だが、ビリー・シーンは7月にMr. Bigで来日してから4か月しか経っていない。
客電が落ちて、グランド・ファンクの "We're an American Band" とジョージ・クリントンの "Atomic Dog" が爆音で流れる中、三人が登場。
アンコールの "Regret" でリッチーがピアノを弾いた箇所以外はバラードも無く、すべて爆音のハード・ロックで押し切った。
ビリー・シーンのベース・ソロは8分にも及んでおり、Mr.Bigでは彼なりに抑制をかけていたのだろうと推測された。

12月2日(土) 有明アリーナ マネスキン

2022年のサマソニのマリンステージから1年半を経ての単独初来日で、丸二時間の演奏を繰り広げてくれた。
この期間に人気が世界的にうなぎ上りで、広大な有明アリーナも満席となっていた。
ステージはライティングを駆使した演出で、これも真昼間のサマソニからまったく異なるものであった。
途中、アリーナ席のど真ん中にステージが浮かび上がり、アコースティック・セットを披露するサプライズも。
ギターのトーマスは、4回に渡って客先にダイブして演奏し、ヴォーカルのアミアーノも客席にダイブして歌ってくれた。
現在進行形で最高峰のバンドである。

毎年年末、必ずビルボードで観ていた岸谷香さんのライブが、なぜかこの冬は1月とのことで、マネスキンが年内最後のライブ観戦となった。
年が明ければすぐ、クイーン、ポール・ウェラー、クーラ・シェイカーなどが目白押しなので、とても楽しみである。
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