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1971年に不朽の名盤 "Led Zeppelin IV" をリリースして大きな評価を獲得したレッド・ツェッペリンは、翌1972年1月から "Houses of the Holy" のレコーディングを開始する。 2月に入るとオーストラリアやニュージーランドのツアーでいったんレコーディングを中断するが、5月には作業を完了させ、続けて大規模な北米ツアーに再び乗り出した。 そして10月、レッド・ツェッペリンは2度目にして最後となる再来日を果たす。 前年のライブは東京、大阪、広島で行われたが、この年は東京、大阪と名古屋、京都の四箇所になった。 これら日本での全音源を含め、1972年のライブをブートで追いかけてみたい。 なお、1969年から1971年の音源は、下記のリストを参照いただければと思う。 また今回も詳細な情報は、ledzeppelin.com を参照させていただいた。
2月16日、レッド・ツェッペリンはオーストラリア西部のパースに上陸した。
その後20日、第二の都市メルボルンでライブを決行している。 セットリストは前年とほぼ同様に "Immigrant Song" で始まり、アルバム "I" から "IV" までまんべんなく取り上げられたものとなっている。 2月25日はニュージーランドのオークランド。 ここでは "III" からのアコースティックセットが組まれている。 2月27日、オーストラリアへ戻り、最大の都市シドニーでのライブとなる。 ブート音源は残念ながら出だしの "Immigrant Song" と "Heartbreaker" の二曲が欠けてしまっている。 この日は久しぶりにジョン・ポール・ジョーンズのオルガンを中心にした "Thank You" で〆られた。 ブリスベーンでの2月29日のライブで、オーストラリアとニュージーランドでのツアーは終了した。
5月は27日のアムステルダムと28日のブリュッセルの2箇所だけのヨーロッパ公演が行われた。
いずれもオーストラリアでのセットリストに近いが、"Rock and Roll" が新たに加わっているところに注目したい。 そして6月6日、デトロイトを皮切りにいよいよ北米ツアーの幕が開けた。 この日初めて最後の曲が "Rock and Roll" となった。 6月7日のモントリオールでは、 "Rock and Roll" に続けて "Thank You" が演奏されている。 6月9日のシャルロットと6月11日のボルティモアの〆は "Rock and Roll" から "Communication Breakdown" への流れ。 6月15日、ニューヨーク州ユニオンデールでのセットリストからは "Rock and Roll" がなぜか消えてしまった。 シアトルでは6月18日と19日で二日間連続のライブが行われている。 18日は元々バンクーバーで予定されていたものだったが、バンクーバー市当局の許可が下りず急遽シアトルに変更となった。 18日の演奏は短めになっているが、打って変わって19日は3時間以上にも及ぶ長丁場のライブになり、"Rock and Roll" から "Thank You" などを挟んで "Dancing Day" で終わるという凄まじいセットリストだった。 22日のサン・ベルナルディノからカリフォルニア入りしてからは、連日 "Rock and Roll" で〆る壮絶なライブを展開している。 25日のロサンゼルスでは、ライブは3時間に及んだ。 なお27日のロング・ビーチでの音源の一部は、正式なライブ盤 "How The West Was Won" で聴くことができる。 そして北米ツアーは28日のアリゾナ州タスコンが最終日となった。
北米ツアーからおよそ3か月後の10月2日、遂にレッド・ツェッペリン2度目の来日が武道館で開幕した。
驚くことに、北米ツアーとは変わって先頭の曲が "Rock and Roll" になり、さらに "Houses of the Holy" からふんだんに演奏されることになっている。 これは映画「永遠の歌 "The Song Remains The Same"」で観ることができるマディソン・スクエア・ガーデンでのセットリストの原型と言っていいだろう。
翌3日の武道館二日目は "The Crunge" と "The Ocean" が演奏された。 初日と併せると "Houses of the Holy" の曲がほぼすべて披露されたことになる。 4日は大阪フェスティバル・ホール。 セットリストは武道館初日とほぼ同じ。 5日にいったん名古屋へ移動。 名古屋市公会堂では東京や大阪では演奏されなかった "Thank You" が〆となった。 3日間の休みを挟んで、大阪二回目の10月9日。 セットリスト自体は4日のものと大きな変わりはないが、"Whole Lotta Love" のメドレーが30分に達する長さとなった。 10月10日、来日最終日の京都。 そしてこれが最後の日本でのライブとなった。 キャパの小さい京都会館なので、行かれた方は間近で観ることができたのではないだろうか。
二度目の来日を果たしたレッド・ツェッペリンは、11月末にスイスのモントルーにて二回演奏し、続けて全英ツアーを開始する。
12月3日のグラスゴーや8日のマンチェスターでは、日本でのセットリストとほぼ同様の構成で演奏された。 20日、ブライトンでは "Heartbreaker" で〆るという変則的な形になっている。 12月22日と23日、ロンドンのアレクサンドラ・パレスでのライブ。 この日を最後に、1972年のレッド・ツェッペリンのツアーは終了する。
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"Led Zeppelin III" をリリースした翌年の1971年、遂にレッド・ツェッペリンが待望の初来日を果たした。 ライブ会場は東京と大阪だけでなく、バンド側の強い希望で広島が加えられている。 広島に着いたレッド・ツェッペリン一行は原爆ドームと原爆資料館を訪れ、また広島でのギャラをすべて原爆の被害者に寄贈した。 こうした彼らの思いであろうか、広島はもとより、東京や大阪でも長時間にわたって緊張感の高い演奏が繰り広げられた。 1971年は歴史的名盤 "Led Zeppelin IV" がリリースされており、レッド・ツェッペリンにとっても頂点のひとつを極めた年でもある。 ここでは東京、広島、大阪での全5公演の他、この年のライブ音源をブートで辿ってみることとしたい。 また1969年の音源は「1969年のレッド・ツェッペリン」、そして1970年については「ブートで辿る1970年のレッド・ツェッペリン」を併せて参照いただければ有難い。 なおセットリストなどの詳細な情報は、ledzeppelin.com を参照した。
1970年9月まで怒涛の全米ツアーを繰り広げたレッド・ツェッペリンは、1971年3月5日から北アイルランドのベルファストを皮切りに、ヨーロッパ・ツアーを開始した。
半年ぶりのライブは、前年にリリースされた "III" に収録されている "Immigrant Song" で開幕。 さらにこの時点では未公開だったアルバム "Led Zeppelin IV" から "Black Dog" "Stairway to Heaven" "Rock and Roll" が初めてライブ演奏されている。 翌日3月6日のダブリンでは、"Rock and Roll" がアンコール曲となった。 3月9日から4月1日まで全英ツアーをこなし、一か月後の5月3日と4日にデンマークでライブを行っている。 5月3日もアンコールの "Rock and Roll" で〆られた。 5月10日にリバプールで、また7月5日にはミラノで散発的にライブを行った後、8月7日のスイスに上陸したレッド・ツェッペリンは、続けて大規模な北米ツアーを開始した。 ロサンゼルスでのライブは8月21日と22日と二回続けて行われた。 いずれも最終曲はジョン・ポール・ジョーンズのオルガン・ソロに続く "Thank You" となっている。 23日のテキサス州フォート・ワース、31日のフロリダ州オーランドでのセットリストもほぼ同様。 9月4日、カナダのトロントでは、ライブ前に "Led Zeppelin III" に対するゴールドを受賞した。 9月9日のヴァージニア州ハンプトンでの音源は、残念ながら "Moby Dick" の途中で切れてしまっている。 アンコール曲は、9月11日のニューヨーク州ロチェスターまで "Thank You" だったが、13日のカリフォルニア州バークレーでは再び "Rock and Roll" となった。 14日にもバークレーでライブが行われているが、この日は "Whole Lotta Love" で終了している。
そして9月23日、ついにレッド・ツェッペリンが日本に上陸した。
初日の武道館では、バンドが登場する前に司会者によるMCがあり、「レッド・ツェッペリンの演奏会、今日は第一部も二部もありません」などと話していて、現代とは違う時代の空気を感じさせる。 しかしバンドが登場するやいなや "Immigrant Song" でロバートが吠え、"Heartbreaker" でジミーが炸裂。 "Since I've Been Loving You" も、その後公開されたマディソン・スクェア・ガーデンでの演奏を凌ぐ凄まじさである。 さらに30分にわたる "Whole Lotta Love" では、"How Many More Times" "You Shook Me" なども交えた変幻自在のアドリブ大会。 こんな演奏を突き付けられた当時の観客は、腰を抜かしたであろう。 なおこの日のアンコールは "Communication Breakdown" だった。 武道館の二日目は、初日に無かったジョン・ポール・ジョーンズによるオルガンのソロと "Thank You" で終了し、その後アンコールの "Communication Breakdown" へ突入。 9月27日、東京に続く広島でのライブ。 武道館でのライブも凌ぐ緊張感で演奏されている。 アンコールの "Communication Breakdown" の途中で演奏をいったん停め、ロバートが観客に「ステージに押し寄せるな。落ち着け。そこで座れ」となだめたうえで演奏を再開した様子が判る。 9月28日、大阪の初日ではビートルズの "Please Please Me" と "From Me to You" のサワリを歌って "Celebration Day" に突入するという遊びを見せている。 さらにアコースティック・セットの中では "We Shall Overcome" や "Down by the Riverside" を交え、また最後の "Communication Breakdown" の前に "C'mon Everybody" をカバー。 翌29日、大阪の二日目では "Thank You" に続けて "Rock and Roll" が演奏されるという豪華なセットリストとなった。
来日後およそ一か月の休暇を取り、11月8日に "Led Zeppelin IV" をリリースしたレッド・ツェッペリンは、11月11日のニューキャッスルから全英ツアーを開始する。
11月16日は初めて "Gallows Pole" でライブを終了してみせた。 11月24日、マンチェスターでは再び "Thank You" を最後に持ってきている。 12月21日のサリズビュリーでのライブで、1971年のツアーは終了した。 翌年1972年は、二回目にして最後となった再来日が行われる。
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レッド・ツェッペリンのデビューからおよそ50年が経過した。 デビュー直後の1969年のライブについては、「1969年のレッド・ツェッペリン」と題したSo-netのブログ記事として既に纏めているので、ここでは続編として1970年のライブをブート音源中心に追いかけてみたい。 アルバムとしては、1970年に突入する直前の1969年10月、歴史的名盤 "Led Zeppelin II" がリリースされており、さらに1970年10月には大胆にアコースティックを取り入れた "Led Zeppelin III" が出されている。 ライブでも1970年前半は "I" や "II" に収録されたヘヴィーな楽曲ばかりだったが、早くも6月ころからは "III" の曲が演奏されており、セットリストが大きく変化した一年でもあった。 なおライブの日程や会場などの情報は、ledzeppelin.com を参照させていただいた。
1970年は年明け早々の1月7日から17日まで、全英ツアーで幕開けした。
ツアー3日目の1月9日、ロンドンの Royal Albert Hall でのライブは、正規の映像である「レッド・ツェッペリン DVD」として販売されている。 この頃、オープニングで演奏されていた "We're Gonna Groove" は当時レコードではリリースされておらず、1982年の "Coda" に収録されるまで待つこととなる。 なお1月9日はジミー・ペイジの誕生日であった。 全英ツアー終了から一か月後、2月23日から3月12日はヨーロッパ・ツアーが行われた。 ツアー初日は、フィンランドの首都ヘルシンキである。 3月7日のスイスのモントルー・カジノでのライブの模様は、"Super Pop70" というラジオ番組で放送されている。 3月10日は、ドイツのハンブルグ。 この頃のセットリストの特徴の一つは、"How Many More Times" を即興で崩しまくって、様々なオールディーズをメドレーで演奏しているところにある。 この手法は、後程 "Whole Lotta Love" の演奏に引き継がれることとなった。 ヨーロッパ・ツアーの直後の3月21日から4月19日は、いよいよ北米ツアーの開始である。 北米ツアー初日となった3月21日はカナダのヴァンクーヴァー。 この日、レッド・ツェッペリンはプレス・カンファレンスに応じている。 3月27日はカリフォルニア州の The Forum でのライブ。 この日は夜8時45分から11時15分まで、実に2時間半にわたるライブを繰り広げている。 4月8日のノース・キャロライナ州ラーレーでのライブは、交通渋滞で開演が1時間近くも押してしまった。 悪いことにアンプも故障してさらに遅れる事態となり、観客も我慢の限界で爆発寸前の状態となった。 そこへ現れたレッド・ツェッペリンの怒涛の演奏で、観客のイライラは一気に吹き飛ばされてしまったのである。 4月17日のテネシー州メンフィスでのライブの数日前、レッド・ツェッペリンのメンバーは、メンフィス市の名誉市民を授与されることとなった。 4月18日、アリゾナ州フェニックスではロバート・プラントの体調が優れず、ライブを1時間半ほどに短縮せざるを得ない事態となった。 翌日のラス・ヴェガスでのライブはキャンセルとなっている。 4月19日を最後に北米ツアーを終了したレッド・ツェッペリンは、5月から "III" の録音を開始した。 アルバムの制作は8月までかかっているが、6月22日から7月19日までのヨーロッパ・ツアーと並行しての作業だった。 6月28日にイギリスで行われた Bath Festival の音源では、"III" に収録されている "Immigrant Song" や "Since I've Been Loving You" を聴くことができる。 ヨーロッパ・ツアーに続く8月10日から9月19日の期間は、この年最後の北米ツアーとなった。 北米ツアー初日はヴァージニア州のハンプトンで行われたが、このライブは長年の間、8月15日もしくは17日と考えられていた。 近年確認された記録で、8月10日のことであると判明したらしい。 実際、8月15日のライブの会場は、コネチカット州ニューヘイブンとなっている。 そして8月21日、オクラホマ州タルサのアセンブリー・センター。 ここでは "Whole Lotta Love" の中間部に様々なオールディーズを挟み込むアドリブが披露されている。 このスタイルはその後数年間続けられることとなった。 ワイオミング州ミルウォーキーでの8月31日のライブは、元々27日に予定されていたものだった。 9月2日、カリフォルニア州オークランドでは、アンコールで "Train Kept a Rollin" "Blueberry Hill" "Long Tall Sally" が演奏されている。 9月3日はカリフォルニア州サンディエゴ。 9月4日、カリフォルニア州イングルウッドでのライブは、 "Blueberry Hill" とのタイトルの「ブートの名盤」として知られている。 9月6日、ホノルルでは19時と22時半からツーセットでライブが行われた。 公式YouTubeチャネルでは、セットリスト最後の曲 "Communication Breakdown" が公開されている。 9月19日、ニューヨークのマディソン・スクェア・ガーデン。 前日18日に亡くなったジミ・ヘンドリックスに捧げる内容が含まれている。 なおこの日も一晩でツーセットをこなすという超人的なライブだった。
こうして1970年のレッド・ツェッペリンのツアーは終了し、10月5日の "Led Zeppelin III" リリースを迎えることとなる。
3年ぶりに来日したエリック・クラプトンが、4月13日を皮切りに連日にわたって武道館でのライブを続けている。 セットリストは基本的に変わっていないが、二日目以降は初日に無かった "High Time We Went" をアンコールで演奏しているようだ。 エリックと武道館の縁は深く、初来日公演を武道館で行ったほか、1979年の演奏はライブ・アルバム "Just One Night" として残してもいる。 ここでは Setlist.fm に掲載されている情報を基に、初来日を含む70年代の武道館でのセットリストを振り返ってみたい。 1974年 この年、アルバム "461 Ocean Boulevard" で復活を遂げたエリックが、初来日を果たした。 10月31日からの3日間の武道館公演で始まり、続けて大阪で2日間行われている。 1974年10月31日 1974年11月1日 1974年11月2日 セットリストは連日大きく変わり、アンコールも初日の "Layla" から "Little Wing"、"Blues Power" と入れ替えになっている。 なお、この頃頻繁に演奏されていた "Smile" は当時のアルバムには未収録だったが、後年ライブアルバム "Live In The Seventies" や "461 Ocean Boulevard" デラックス・エディションに記録されている。 また "461 Ocean Boulevard" に続くアルバム "There's One in Every Crowd" のレコーディング直後のタイミングであったため、アルバム発売に先駆けて収録曲 "Singing the Blues" や "Little Rachel" も披露された。 なにしろ長期のドラッグ中毒療養から復活しての初来日だったため、ミュージック・ライフなどの音楽誌が激しく盛り上がっていたことを記憶しているが、私自身はまだ中学2年であったため、残念ながら初来日を見届けることはできなかった。 1975年 初来日からちょうど一年後、再び武道館にて来日公演が開始された。 1975年11月1日 1975月11月2日 この年のセットリストも、二日間で大きく変更されている。 また私自身にとっても初めてのエリック・クラプトンのライブとなり、その後40年以上にわたってほぼ皆勤賞で観続けるきっかけにもなった。 詳細な記憶は既に失っているが、"Farther On Up the Road" で盛り上がったような気もするので、おそらく11月2日に観に行ったのだろう。 当時のバンドには女性コーラスでイヴォンヌ・エリマンとマーシー・レヴィーが参加していたが、マーシーに自身の曲 "Teach Me to Be Your Woman" を歌わせている。 今回の来日でもバンドのメンバーのためにそれぞれソロの見せ場を作っているが、この頃からそうした配慮が成されているのが興味深い。 1977年 1976年の "No Reason to Cry" の発売後で、名作 "Slowhand" のリリースを控えたタイミングでの来日となった。 武道館での演奏は10月6日と7日の二日間行われているが、残念ながら6日分の記録が残っていない。 1977年10月7日 この年の公演で覚えているのは、開始が予定より一時間以上も遅れたうえ、エリックが明らかに泥酔している様子だったことだ。 ニューアルバム "Slowhand" から "Cocaine" が披露されているが、再度アルコールなどの問題を抱えることになっていたのは皮肉である。 1979年 2年を経て、4回目の来日公演、二日連続の武道館となった。 セットリストは両日とも同じものである。 1979年12月3日、4日 この年、エリックはバンド・メンバー全員をイギリス人に替えており、新たなラインナップでの初めての来日であった。 また前述したように、12月3日分の演奏は、ライブアルバム "Just One Night" として翌1980年にリリースされている。 アルバムの曲順は、実際の演奏のセットリストから大きく逸脱はしていない。 自分がその場にいたライブがアルバムとして残るという貴重な体験をしたのは、後にも先にもこの一回きりである。 エリック・クラプトンは80年代以降も頻繁に来日を続けており、武道館で収まりきらなくなった時期には東京ドームや横浜アリーナなどを会場にしている。
歌もので売れていた頃、隣の席のカップルが「クラプトンってギターもうまいのね」などと話しているのを聞いて、倒れそうになったこともあった。 ともあれ、ポール・マッカートニーやジェフ・ベックなどと共に、未だ現役感バリバリでライブを続けている貴重なミュージシャンである。 Photo by Chris Yates on Unsplash 先日作成した記事「始まったCDの寿命問題」について、思いのほか広く関心を持っていただくことができ、一週間で30万近いアクセスと5,000以上の「いいね」を頂戴した。 通常は一日あたり1,500アクセス程度なので、ちょっとしたバイラルである。 なお自分ではFacebookページで紹介しただけなのだが、アクセス元を分析してみるとTwitterからの流入がたいへん多いことが判った。 多くの方にシェアいただいたようで、たいへん有難いことである。 その記事中で「最も確実な対策はバックアップを取っておくこと」と結論付けたのだが、複数の方からバックアップの具体的な方法についてご質問をいただいた。 そこで続編として、簡単なバックアップの方法をご案内しておきたい。 まず、バックアップ用の外付けHDDを予め用意しておこう。 外付けHDDは、既に1TBの容量でも1万円を切っている。 CD 一枚当たりの平均の容量を500MBとして計算すると、1TBあれば2,000枚まで収納できることになる。 数千枚規模で所有している方でも、HDDは安価になっているので、価格について心配する必要はあるまい。 また、バックアップのツールで最も簡単なものは、Windows Media Playerだ。 Windowsに付属しているものなので、別途ソフトウェアを購入する必要もない。 最初にWindows Media Playerを立ち上げたら、CDを挿入して「取り込みの設定」タブをクリックする。 ここでメニューの中から「その他のオプション」を選択。 次に「音楽の取り込み」タブで、HDDのドライブの指定と、取り込み形式の設定を行う。 ここで取り込み形式を「WAV(無損失)」にしておけば、CDの音質を損なうことなく、バックアップを取ることができる。 MP3など圧縮形式にすると容量は小さくなるが、芯のないペラペラな音になってしまうので注意が必要だ。 これではバックアップの意味がない。 そして「OK」をクリックした後、「CDの取り込み」タブをクリックすればバックアップが開始される。 バックアップの時間はCDドライブの性能やUSBポートの転送速度などに左右されるが、ざっくり一枚あたり5分程度とみておけばよいだろう。 枚数によってはそれなりの作業時間が必要になるので、特に古いものや貴重なものから優先的にバックアップすればよいと思う。 また、HDD自体も壊れるものなので、ドライブ丸ごとコピーを作っておけばさらに安心である。 CDのバックアップは、著作権法第30条に定められているように、あくまでも「個人的に又は家庭内」で使用するためのものであり、有償無償を問わず他人に渡したり、業務で使用することは厳禁である。
ネットワーク上に置いて、他のユーザーがアクセスできるようにしてもいけない。 また著作権については共謀罪の対象となっているので、「バックアップを他人に渡す相談」をしただけで、共謀罪として摘発可能な法的要件が成立してしまう。 くれぐれもご注意いただきたい。
Immediateレーベルの "Blues Anytime" シリーズは私もアナログで愛聴し、その後CDで買いなおした経験があるので、同情申し上げるしかない。 ちなみにこのCDは、ジミー・ペイジやエリック・クラプトンらが60年代に自宅録音に近い形で残したブルースのセッション集で、今となっては非常に貴重な音源である。
CDは1982年に商用化された後、音楽用途で急速に普及が進み、早くも1986年には販売数がアナログを超えるに至った。
80年代当時から、CDの物理的な寿命は25~30年くらいではないかと言われていたことを記憶している。 そして今年は、初期に販売されたCDの30年目を過ぎた頃だ。 私自身が購入したアナログ盤として一番最後となったのは Gun's N Roses の "Appetite For Destruction" で、その直後にCDで買いなおしている。
まずこれをチェックしたところ、今の時点では無事だった。
また、1988年にリリースされた Living Colour の "Vivid" 以降は、CDのみの購入になっている。
こちらも無事。
そして90年前後から、アナログ盤で所有していた音源をCDで買いなおすという行為に走ったのであった。 このうちの何枚かをチェックしたところ、Led Zeppelin の "II" で剥離が始まっているのを発見。 ラベル面、データ面共に、端から虫食い状に穴が開いている。
この状態ではまだ再生が可能だった。
なお Led Zeppelin であればいくらでも買いなおしが効くので、被害としてもまだましな方である。 問題はCDが廃盤になっていたりブートだったりと、もはや買いなおしが効かない場合だ。 例えば、Wet Willie の "Left Coast Live"。
この盤は高校生だった70年代に愛聴していたレコードの一枚だが、CDは1989年に発売された際に買いそびれてしまっていた。
その後再発されることがなく、ヤフオクなどでの出品も見当たらないため、中々入手することができなかったが、数年前にスウェーデンの中古盤サイトでたまたま発見して購入できた。 こういう類のものは剥離で崩壊されてしまうと本当に困るが、取り合えずこの一枚は無事だった。 さて、CD単品をある程度ピックアップしてチェックした後は、ボックスセットの状態を確認することにした。 数あるボックスセットの中でも、個人的に最も貴重なのは Derek and the Dominos の Layla 20周年記念盤である。 これは1990年に販売されたものなので、既に29年が経過している。
予想もしていなかった事態だが、ボックス内のスポンジが経年劣化し、粉状になって崩れ落ちていた。
不幸中の幸いでCD自体は問題なく、また崩れたスポンジが融着するような状態にもなっていなかった。 セットのCD一枚目は現在も通常の販路で容易に購入することができるものだが、二枚目と三枚目はアウトテイクやセッション音源なので、腐食は本当に困る。 (余談だが、できれば2020年になったら、50周年記念盤として再発してほしい。)
湿気や直射日光を避けることがCDを剥離から防ぐ予防策になるようだが、いずれにせよ物理的な媒体である以上、CDの経年劣化は避けられない。
最も確実な対策は、バックアップを取っておくことであろう。 ただし著作権法第30条に違反しないように、あくまでも個人使用のためと気を付けなければならない。 さらに数百枚、数千枚のCDのバックアップ作業は現実的でないので、メジャー・タイトルは買いなおせると割り切って、貴重盤に絞るしかない。 もはやこうなってくると、情報システムのバックアップとあまり変わらない気がしてくるが、仕方ない。
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1969年から50年が経過した。 1969年は、アポロ11号による人類初の月面有人着陸で歴史に刻まれた年である。 一方この頃、ベトナム戦争は解決の目途がないまま泥沼化していった。アメリカでリチャード・ニクソンが大統領に就任し、また南ベトナムでは解放戦線側が全土解放を目指して臨時革命政府を樹立する。 日本では、年を越した大学紛争が東大安田講堂攻防で頂点を迎え、さらに秋には国際反戦デーや佐藤首相訪米阻止闘争で全国各地が騒乱状態となった。 また1969年は、映画「男はつらいよ」が初めて製作され、テレビで「コント55号の裏番組をブッ飛ばせ!」「8時だョ!全員集合」「サザエさん」の放送が開始された。 社会的にも文化的にも、来るべき1970年代が予感される年であった。 ロックにおいてもまた、1969年は大きな転換期であった。 1960年代最後のエポックとして、初の大規模なフェスであるウッドストックが開催された。 しかしビートルズは事実上の解散状態になってしまい、ローリング・ストーンズはブライアン・ジョーンズを失ってしまう。 こうした1960年代の終焉と裏腹に、レッド・ツェッペリン、キング・クリムゾン、イエス、EL&Pなど、1970年代に活躍するバンドが次々と登場していった。
1/2 ビートルズ、レット・イット・ビーのプロジェクト開始
1/13 キング・クリムゾンがロンドンでリハーサル開始 1/17 「レッド・ツェッペリン」リリース 1/18 - 19 東大安田講堂攻防戦、600名以上逮捕 1/20 リチャード・ニクソンが米大統領就任 1/30 ビートルズがアップル・ビル屋上でライブ演奏 2/8 ブラインド・フェイス結成 2/24 ジミ・ヘンドリックス最後の英国公演 3/1 ジム・モリスンが公然猥褻罪で逮捕 3/2 中ソ国境紛争(ダマンスキー島事件) 3/12 ポール・マッカートニーとリンダ結婚 3/20 ジョンとヨーコ結婚 3/22 ジョンとヨーコ「ベッド・イン・ピース」開始 3/30 フランシーヌ・ルコント、パリで焼身自殺 4/7 永山則夫、連続射殺事件容疑で逮捕 4/9 キング・クリムゾン、スピークイージーでライブ・デビュー 4/21 ジャニス・ジョプリン、ロイヤル・アルバートでコズミック・ブルースとステージ・デビュー 4/26 ハンブル・パイ結成 4/27 「コント55号の裏番組をブッ飛ばせ!」放送開始 5/13 ビートルズ、赤盤・青盤のジャケット撮影 6/7 ブラインド・フェイス、ハイドパークでデビュー 6/8 南ベトナム解放民族戦線が臨時革命政府樹立 6/9 ミック・テイラーがローリング・ストーンズに加入 6/28 CSN&Yデビュー 7/3 ブライアン・ジョーンズ死亡 7/20 アポロ11号、人類初の月面有人着陸 7/25 イエス、デビュー 8/14 北アイルランド宗教紛争にイギリス軍介入 8/15 - 17 ウッドストック・フェスティバル 8/27 「男はつらいよ」公開 9/13 ジョン・レノンらトロントでロックンロール・リバイバル・ショー出演 9/15 ディープ・パープルがロイヤル・フィルと共演ライブ 10/1 ビートルズ「アビーロード」リリース 10/4 「8時だョ!全員集合」放送開始 10/5 「サザエさん」放送開始 10/12 「クリムゾン・キングの宮殿」リリース 10/17 レッド・ツェッペリン、三回目の全米ツアー開始 10/21 国際反戦デーで1594人逮捕 11/5 赤軍派53人逮捕 11/11 ジム・モリソン、機内泥酔で逮捕 11/15 ジャニス・ジョプリン、ライブで卑猥発言をしたとして逮捕 11/16 佐藤首相訪米阻止闘争で2,500人逮捕 12/6 オルタモントの悲劇 12/16 ジョン・レノンが世界12か国で「ウォー・イズ・オーヴァー」の看板広告、EL&P結成 12/27 「レッド・ツェッペリンII」全米一位七週
何はともあれ、2019年は50周年記念盤商法に思い切り付き合わざるを得ない年になりそうである。
Photo by David Menidrey on Unsplash ちょうど一年前「2017年 ライブ三昧を振り返る」と題した記事を書いたが、2018年もジャンルを問わず、片っ端からライブを観に行くことになってしまった。 いきなり縁起のいい話ではないが、近年はレミーやクリス・スクワイヤなどライブを観た直後に亡くなってしまうミュージシャンも出始めている。 往年のミュージシャンの場合、「もうこれが最後かもしれないな」と考えると、財布が許す限りライブを観に行かざるを得ない。 あまり不吉なことを言いたくはないけれど、こんなことをやっていられるのも、多分あと5年くらいであろう。 何しろ今年元気に来日してくれたポール・マッカートニーだって、もう76才なのである。 ポール・スタンレー ビルボード東京 1/13(土) 2017年のジーン・シモンズに続いて、2018年はポール・スタンレーとエース・フレーリーがそれぞれソロで来日した。 ポール・スタンレーは自身のバンド「ソウル・ステーション」を率いての来日で、キッスの曲は一切演奏せず、モータウンを中心にしたソウル・ナンバーを披露。 彼のボーカルの線の細さが気になるところではあったが、たいへん楽しいライブであった。 なお2019年にはキッスとしての大規模なワールド・ツアーが予定されている。 ポール・ウェラー 横浜 Bay Hall 1/20(土) オールスタンディングの会場にふさわしく、ジャムやスタイル・カウンシル時代の曲も含めたノリのよいステージを観せてくれた。 還暦直前ですっかり白髪になってしまったが、額の血管がぶち切れそうになりながら歌う姿は若い頃から何も変わっていない。 アーチ・エネミー 六本木 EX THEATER 2/20(火) 頻繁に来日してくれるアーチ・エネミーだが、2018年の来日は通算18回目となった。 ボーカルがアンジェラ・ゴゾウからカナダ人のアリッサ・ホワイトグラズに替わってからでも4回目である。 アリッサはデス・ボイスからクリーンなシャウトまで多彩な歌い方ができる人であった。 スティーヴ・ハケット 川崎 Club Citta 4/7(土) スティーヴ・ハケットもこのところ頻繁に来日してくれる。 前回はすべてジェネシスの楽曲だったが、今回は前半がソロ・アルバムからのセットで、後半がジェネシスというマニア向けの構成。 それにしても "The Musical Box" や "Supper's Ready" を全編通して演奏するとは思わなかった。 ギズモドローム 渋谷 オーチャード・ホール 4/9(火) スチュワート・コープランドやエイドリアン・ブリューらによるスーパー・バンド。 特にスチュワートが大活躍で、ドラムのみならずギターも弾きまくり、実に半分近くの曲でギターを手にしていた。 発売されたばかりのアルバムはもちろんのこと、ポリスやキング・クリムゾンの曲も演奏する大サービスであった。 キャメル 川崎 Club Citta 5/19(土) 18年ぶりの来日で、名盤「ムーンマッドネス」完全再現を売り文句にしたライブ。 長期療養から復帰したアンディ・ラティマーの体調が心配されるところだったが、2時間以上にわたるステージを連日こなした。これぞプログレ。 PUFFY ビルボード東京 7/18(水) 長年聴いていたのに、なかなかライブを観る機会に恵まれず、実は初めてのPUFFY。 デビューから20年以上経ち、当然ながら彼女たちもすっかり大人になったが、肩の力を抜いたいいライブだった。 掛け合い漫才のようなMCも最高。 ソフト・マシン ビルボード東京 7/28(土) 結論からはっきり言ってしまうと、2018年のワースト・ライブだった。 全盛期からのメンバーであるロイ・バビントンは指が全然動かず、ベースでリフがまともに弾けない。 ギターのジョン・エサリッジもやたら速弾きをするものの、"Hazard Profile" ではアラン・ホールズワースのパートを弾かず、ゲストのゲイリー・ハズバンドにキーボードで代役させる始末。 さすがにこれには客席から失笑がもれていた。 ドラムのジョン・マーシャルは高齢で背中が曲がり、もはや歩くのもやっとという状態だったので、たぶんこれが最後の来日になるかもしれないが、再度来日してももう観に行かないと思う。 ソニックマニア 幕張メッセ 8/17(金) この数年、夏はフジロックかサマーソニックのどちらかに必ず足を運ぶようにしている。 どちらを選ぶかの判断基準は極めて単純で、爆音が楽しめるかどうかだけである。 そんなわけで2018年の夏は、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン 目当てでソニックマニアの一択になってしまった。 ラウドパークでさえ爆音とは感じられない耳になってしまっているが、さすがにマイブラは凄まじかった。 いや、爆音どころか轟音。深夜の徹夜状態の体にはきつすぎて、吐き気を催すほどの音量だった。 なお後日、ジョーズ・ガレージでこの日のブートを買ってしまったのは内緒である。 ソンズ・オブ・アポロ 恵比寿 Liquidroom 9/12(水) ビリー・シーン、マイク・ポートノイらによる超絶技巧のハードロック・スーパーバンド。 ギターもベースもダブルネックで押し通し、奏法だけでなく体力まで超絶だった。 これでビリー・シーンは還暦である。恐るべし。 また、マイク・ポートノイが終始笑顔であったのも印象的だった。 リアム・ギャラガー 武道館 9/13(木) ノエルのサマーソニックでのライブから一か月後にリアムが来日。 いつまで兄弟喧嘩を続けているのか知らないが、まあいい。 二時間以上のライブが多い中で、あっさりと80分くらいで終了してしまった。 まあいい。 ジョー・ペリー 品川プリンス ステラボール 9/18(火) 2017年のスティーヴン・タイラーのソロ来日に続いて、ジョーもソロで来日。 ボーカルにエクストリームのゲイリー・シェローンを迎え、さらにスペシャル・ゲストはエアロスミスでの同僚のブラッド・ウィットフォード。 最新のソロ・アルバム "Manifesto" からの楽曲に加え、 "Toys in the Attic" や "Sweet Emotion" などエアロスミスの曲もふんだんに演奏してくれた。 ジョーの演奏自体はかなり雑であったが、それも含めてのジョーなので文句は言うまい。 デイブ・スチュワート&バーバラ・ガスキン 青山 月見ル君想フ 10/21(日) ハットフィールズ & ザ・ノースなどでの活躍で知られるカンタベリーの大御所。 小さな会場で、デイブの足元の席を確保することができた。まさにかぶりつきである。 デイブとバーバラのほかに若手のギタリストであるベレン・マシューズを同行させていたが、最新アルバムでのドラマーのギャビン・ハリソンの参加は無し。 この手の音楽での打ち込みはあまりにも残念である。 次回はぜひフル・バンドで来日してほしい。 デフ・レパード 武道館 10/24(水) 3年前の来日に行きそびれてしまったので、今回は個人的に雪辱戦であった。 Hysteriaツアーと称するだけに、アルバム "Hysteria" の曲を中心に、アンコールの "Photograph" までヒット曲のオン・パレード。 特に還暦を過ぎたのに、30代くらいにしか見えないフィル・コリンの鍛え上げたマッチョな体型には驚かされた。 最強のロック・ショーである。 ゴング ビルボード東京 10/31(水) 数年前に原宿のアストロホールで観てから、デヴィッド・アレンもジリ・スミスも亡くなってしまった。 しかし今回はゲストでスティーヴ・ヒレッジが参加とのことなので、これは行くしかない。 なお正直に言うと、他のメンバーはまったく知らない人たちばかりであった。 ステージのバックには初期三部作「ラジオ・ノーム・インヴィジブル」のイラストに合わせたサイケな映像が終始流されており、バンドが原点回帰を狙っているのは判った。 それでもデヴィッド・アレンの強烈なビジュアルとスピリットが欠落した喪失感はあまりにも大きく、とても穴埋めできるものではないことも改めて実感。 ポール・マッカートニー 東京ドーム 11/1(木) この数年、毎年のように来日しているポールだが、飽きずに毎回観に行っている。 プログレ系のライブでは観客がほぼオッサンばっかりという現状の中で、老若男女あらゆる層が来ているポールはさすがと言うしかない。 最後のアビー・ロード・メドレーには、毎度泣かされる。 2CELLOS 武道館 11/19(月) 2CELLOSは今までオーチャードやフジロックのグリーンステージで観てきたが、今回は彼らにとって初めての武道館である。 前半はオーケストラを従えてのアコースティック・セットで、後半がAC/DCやアイアン・メイデンなどのいつものカバー版となっていた。 楽器がエレクトリックだとは言え、チェロの演奏に武道館の音響は悪すぎる。 フジロックの野外での演奏もかなり辛かった。 MCで「次は東京ドーム」だとはったりを噛ましていたが、できればオーチャードのような音響がしっかりしたホールにしてほしい。 ボン・ジョヴィ 東京ドーム 11/26(月) 1990年の大晦日に東京ドームで観て以来、実に28年ぶりのボン・ジョヴィであった。 ニューアルバム "This House is not for Sale" の曲に往年のヒット曲を散りばめての演奏である。 たぶんデビュー当時からファンであったのだろう女性たちが「きゃあ、ジョーーーン!!」と叫んだり泣いたりするのも微笑ましい。 アメリカのスタジアム・ロックの王道だ。 キング・クリムゾン 渋谷 オーチャード・ホール 11/27(火) 前回の来日に同様に、オーチャード・ホールでの観戦となった。 来日初日となるこの日はなんと "21st Century Schizoid Man" を演奏しなかったが、セットリストは以前ならあり得なかった曲 "Moon Child" や "Fallen Angel"、"Lizard" などを含む、全経歴にわたるものだった。 なお、その後のセットリストでは "21st Century Schizoid Man" を演奏する代わりに "Larks' Tongues In Aspic Part II" を外したりと、連日かなり曲が入れ替わっていたらしい。 これは全公演観ろというフリップ翁のメッセージなのかもしれない。 岸谷香 ビルボード東京 12/17(月) 2017年に続いて、2018年のライブの〆もビルボードでの岸谷香になった。 今回は若手の女性メンバーのバンドによるアコースティック・ライブである。 岸谷さんのステージは、とにかくMCが面白い。 2019年5月にはツアーを行うとのことなので、お勧め。 ところで岸谷さんは今年51才だが、プリンセス・プリンセスの頃からテンションが全然下がっていないし、20代のバンド・メンバーにも全く負けてない。
もしかすると、これはあと20年はいけるかもしれない。 冒頭の「あと5年」説はとりあえず取り消しておく。 Photo by Brooke Cagle on Unsplash 先日のビートルズ「ホワイト・アルバム」を追いかけるように、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスの「エレクトリック・レディランド」50周年記念盤が届いた。 既に11月20日に宅配で到着していたのだが、これは開封の儀を執り行うべき神聖な代物なので、この週末まで取っておくことにしておいたのである。 ところで報道で聞くところによると、我が国が誇る100田センセーの信者たちは、例のコピペ本を購入するや否や神棚に供えているらしい。 傍から見たら似たような光景かもしれないが、こちらはもっと崇高なものである。 まあいい。こんなところで張り合っても仕方がない。 ともあれ開封の儀である。 まず全景だが、記念盤全体はLPサイズにデザインされている。 そして音源はCD 3枚とBlu-rayで構成されている。 CD 1枚目が「エレクトリック・レディランド」本体のリミックス盤で、2枚目はデモ音源やアウトテイク集になっている。 3枚目はなぜか「ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル」。 また記念盤自体が写真集と解説書になっており、なかなか読み応えのある内容になっている。 「エレクトリック・レディランド」のオリジナル版のジャケットは女性のヌード写真で知られているが、解説によるとジミ本人はこのジャケットを激しく毛嫌いしていたとのこと。 ジミが不快な表情を全開にして噛みついている写真が収められている。 今回の記念盤のジャケット写真は、ニューヨークのセントラル・パークでリンダ・イーストマン(言うまでもなく、後のリンダ・マッカートニー)が撮影したものが使用されている。 ジミはこちらを望んでいたそうなので、今回の記念盤で本来の形になったのだろう。 なおこの写真は、ジミの権利関係を管理するエクスペリエンス・ヘンドリックスが設立されてから再発された、1997年のリマスター盤のライナーにも収められていた。 ところで肝心の音であるが、ドラムの音が片方のチャンネルにひと塊になったままなど、さすがにリマスターでも音源の古さをカバーしきれていないところが気になってしまった。 ビートルズのように、徹底的にトラックをバラすことができるようなマスターになっていなかったのだろう。 こればかりはどうにもならない。
Photo by Paul Stollery on Unsplash
ポール・マッカートニーの来日ツアーが無事終了した。 最新アルバム "Egypt Station" からの曲のみならず、ビートルズやウイングス時代のヒット曲も惜しみなく大量に演奏し、あらゆる年齢層のファンを楽しませてくれた。 バンドのメンバーである、Rusty Anderson、Brian Ray、Paul Wickens、Abe Laboriel Jr. の顔ぶれも、前回の来日から変わっていない。 ところで、究極のエンターテイメントを見せてくれた彼らのツイッター・アカウントを覗いてみると、実は音楽に関する書き込みはほとんど無く、逆に政治的発言にあふれていることに驚かされる。 ここでは、今回の来日前後のタイミングでの彼らのツイートをいくつか紹介してみたい。
Rusty Anderson(ギター)
アメリカ人である彼は、来日中の期間ですら、母国のファンに中間選挙での投票を呼びかけていた。
日本公演の初日前日となった10月30日には、カリフォルニア州で自身が支持する民主党候補への投票を促していた。
そして、選挙後もトランプ界隈を徹底的に批判し続けている。
Brian Ray(ギター)
Brianもアメリカ人だが、音楽活動に関するツイートは全くと言っていいほどない。 Rustyと比べると、自身によるツイートは少なくRTが多めであるが、それもトランプ政権批判のものばかりだ。 例えば、トランプ就任後にヘイト・クライムが増加したことを伝えるAFPの報道をRTしている。
Paul Wickens(キーボード)
バンドの中では唯一のイギリス人。 来日を挟んだ期間はツイート数が減っているが、11月14日にはジンバブエの密漁対策チームに対しイギリスの入国許可が出なかったことを批判する記事をRTしている。
Abe Laboriel Jr.(ドラム)
アメリカ人である彼もまた、徹底的にトランプをdisりまくっている。
ステージでの演奏からは伺い知れないことであるが、ポール・マッカートニーのバンド・メンバー全員が極めて政治的、しかもリベラルであることを隠そうともしない人たちであった。
日本で時折見かける「ポールの音楽の話に政治を持ち込むな」みたいな発言は、彼らにしてみれば幼稚で、あり得ないものなのだ。 |













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