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毎年この季節に続けている企画であるが、かなり憂鬱な作業である。
2020年は新年早々、ニール・パートが亡くなったと思ったら、2021年はいきなりティム・ボガートとシルヴェイン・シルヴェインだ。 (まったくの私事であるが、私の誕生日でもあった。まったく何という年だ。) しかも秋にはチャーリー・ワッツが逝ってしまった。 ローリング・ストーンズは不死身だと思い込んでいたが、違ったのか。 本当に何ということだ。(以下、敬称略) (最終更新 2021年12月31日 18:00)
1月13日 ティム・ボガート
泣く子も黙るBB&Aのベーシスト。 唸りまくるベースで、ロック界に大きな影響を残した。 BB&Aの結成前には、ヴァニラ・ファッジでカーマイン・アピスとリズム隊を務め、さらにカクタスで活躍した。 享年76才。
1月13日 シルヴェイン・シルヴェイン
ニューヨーク・ドールズで、ジョニー・サンダースと共にギターを担当した。 死因は癌で、69才だった。 既にジョニー・サンダース、アーサー・ケイン、ジェリー・ノーランが亡くなっており、これで残されたメンバーはデヴィッド・ヨハンセンだけになってしまった。 ジャパンのデヴィッド・シルヴィアンのステージ・ネームは、彼がファンだったシルヴェイン・シルヴェインから採られたのは有名な話。
1月16日 フィル・スペクター
60年代から「ウォール・オブ・サウンド」と呼ばれる分厚い音創りで知られたプロデューサー。 ビートルズの「レット・イット・ビー」も担当したが、ポールに無断で "The Long And Winding Road" にストリングスやコーラスを盛りつけてしまい、ポールを激怒させた。 晩年は殺人罪で収監され、カリフォルニア州立刑務所の薬物中毒治療施設でコロナに感染して亡くなった。 81才。
1月29日 ヒルトン・ヴァレンタイン
アニマルズのギタリストで結成メンバーの一人。 1994年に「ロックの殿堂」入りを果たしている。 死因は明かされていない。 享年77歳だった。
2月9日 チック・コリア
リターン・トゥ・フォーエヴァーでロック側からのファンも多い、ジャズ・ピアニスト。 2011年に、ジャン・リュック・ポンティを加えたメンバーで来日している。 上原ひとみとのデュオなど、無数のアルバムを残した。 79才で癌で亡くなった。
3月2日 バニー・ウェイラー
ザ・ウェイラーズのオリジナル・メンバーで、ボブ・マーリーやピーター・トッシュらと活動していた。 脳卒中のため73才で亡くなった。
3月4日 アラン・カートライト
プロコル・ハルムのベーシスト。 1972年に加入し、アルバム「プロコルズ・ナインズ」を最後に、オリジナル・メンバーのクリス・コッピングと再度交代した。 2020年に胃癌と診断されていた。 享年75才。
3月8日 ジェイムス・マック・ガウ
フランスのプログレ・バンド、マグマのギタリストで、1997年に加入し2021年まで活動を続けていた。 2010年にフジロックへ出演し、2015年にはバンド単独で来日を果たしている。 脳腫瘍で、まだ52才だった。
4月3日 ラルフ・シュケット
トッド・ラングレンが率いるユートピアのキーボード担当。 1973年から活動していたが、2018年に健康状態が悪化し、ツアーから離脱していた。 死因は明かされていない。 享年73才。
4月20日 レスリー・マッコーエン
一世を風靡したベイ・シティ・ローラーズのボーカリスト。 アラン・ロングミュラーやイアン・ミッチェルも既に鬼籍に入っている。 心臓発作で65才で亡くなった。
5月7日 タウニー・キティン
ホワトスネイクの "Is This Love" のPVや、ラットのジャケ写で有名になったアメリカの女優。 心不全で60才を前に亡くなってしまった。
6月26日 ジョニー・ソーリンガー
1999年から2015年まで、スキッド・ロウのリード・ボーカルを務めていた。 まだ55才だった。 肝臓障害の悪化。
7月4日 リック・レアード
アイルランド出身のベーシストで、バークレー入学のために渡米し、ジョン・マクラフリンとオリジナル・メンバーとしてマハヴィシュヌ・オーケストラを結成を結成し、1973年までメンバーであった。 解散後は、チック・コリアやスタン・ゲッツらと活動をしている。 80才だった。
7月14日 ジェフ・ラバー、ゲイリー・コルベット
シンデレラの中心メンバーで日系のギタリストのジェフ・ラバーと、キーボードのゲイリー・コルベットが、同じ日に亡くなった。 ジェフの死因は明かされていないがまだ58才、ゲイリーは肺癌で62才だった。
7月17日 ロビー・スタインハート
アメリカン・プログレの雄のカンサスの中心メンバーで、ヴァイオリンとボーカルを担当していた。 死因は不明。 享年71才。
7月28日 ダスティ・ヒル
ZZトップのベーシスト。 腰の痛みを訴えて7月のライブをキャンセルし、72才でそのまま帰らぬ人となった。 ZZトップは、サポート・メンバーを迎えて、ツアーを継続している。
8月24日 チャーリー・ワッツ
改めて言うことはない。 正直言って、この人たちが死ぬことはないと思い込んでいた。 ローリング・ストーンズのメンバーもやっぱり人間だったのである。 80才。合掌。
8月29日 ロン・ブッシー
アイアン・バタフライのオリジナル・メンバーで、ドラマー。 17分にも及ぶ "In-A-Gadda-Da-Vida" で知られている。 何回も解散と再結成を繰り返してきたが、ロンは最後までオリジナル・メンバーとしてバンドをけん引してきた。 食道癌で79才だった。
9月21日 リチャード・H・カーク
インダストリアル・ミュージックの雄、キャバレー・ヴォルテールの創設メンバー。 1994年に活動を停止していたが、2020年に26年ぶりとなるアルバムをリリースしたばかりだった。 65才で、死因は公表されていない。
11月6日 テレンス・アストロ・ウィルソン
イギリスのレゲエ・バンド UB40 で、1979年から2013年の間、ボーカル、パーカッション、トランペットを担当していた。 死因は「短い期間の病」とだけ公開されている。 享年64才。
11月11日 ジョン・グッドソール
ブランドXのギタリストで、アトミック・ルースターやビル・ブラッフォードとの共演でも知られている。 パトリック・モラーツとのツアーを行ったこともあった。 68才で、死因は未公表。
11月18日 ミック・ロック
ロック・フォトグラファー。 クイーン、デヴィッド・ボウイ、イギー・ポップ、ルー・リードなどの広く知られた多くの作品を残した。 72才だった。
12月2日 リチャード・コール
レッド・ツェッペリンのツアー・マネージャーを長年務めていた。 バンドのメンバーとは不仲で、解散直前の1980年、追われるように解任されていた。 それでもロバート・プラントらは、追悼の意を表明している。 75才。
12月10日 マイク・ネスミス
モンキーズのオリジナル・メンバーで、ボーカルとギターを担当していた。 直前の11月までツアーに出ていたが、カリフォルニアの自宅で心不全により亡くなった。 78才だった。
何十年も見続けてきた風景が、この数年、次々と書き換わってしまっている。
2022年は、こんな記事のネタが少ないことを願わずにはいられない。.
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10月15日、ビートルズの最後のアルバム「レット・イット・ビー」のスペシャル・エディションのボックス・セットがリリースされた。
オリジナルのリリースは1970年なので、ちょうど50年目ということにはならず、「50周年記念盤」にはならなかったが、いずれにしても半世紀ぶりに曰くつきの音源が公開されたことになる。 ビートルズのアルバムで巨大ボックス・セットとしてリリースされるのは4作目になり、2017年の「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」、2018年の「ホワイト・アルバム」、2019年の「アビー・ロード」に続くものである。 いずれも非常に大きなセットだったが、今回の「レット・イット・ビー」もディスク6枚と、100ページを超えるハードカバーのブックレットで構成される大がかりなものとなっている。
日本盤の裏面では、内容の構成が分かる。
なお内容物は、動画でも紹介されている。
今回のセットには、ポスターや絵葉書などは着いておらず、ブックレットとディスクを収めた2つのハードカバーで構成されている。
しかし、ブックレットの写真は感涙もの。
また、日本盤には、ポールのコメントや、各曲の詳細を解説したライナーが付属している。
肝心のディスクだが、オリジナルのリミックスに加え、デモやリハーサルの音源などから構成されている。
そして驚くべきことに、ボーナス・トラックも含めてボックス・セットに収録されている57曲が、全曲フル・コーラスで公開された。
57曲が試聴できるYouTubeのリンクは、ここから。 さて「レット・イット・ビー」といえば、ポール・マッカートニーがフィル・スペクターによるオーヴァーダビングを毛嫌いしていたことを思い出さずにはいられない。 ポール・マッカートニー自身、ライナーのまえがきで、この点に触れている。 ぼくらがつくったアルバムは、最後の仕上げのために、レコード・プロデューサーのフィル・スペクターに手渡された。
既に半世紀の時間が流れたためか、ポールは言葉を選んで穏やかな言い回しをしているが、ケヴィン・ハウレットによる回想の中では、当時のポールの態度に関して、非常に強い言葉が並んでいる。
1970年4月1日にオーケストラのオーヴァーダブがおこなわれた時点で、ポールはまったくそうした事態を把握していなかった。
その「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」だが、ボックスにはオリジナル・アルバムのものと、デモ版を聴くことができる。
この両方を聴けば、ビートルズのメンバーの手によらないボテボテのアレンジが、フィル・スペクターによって加えられたことがよくわかる。
もっとも、既に2003年にリリースされたアルバム「レット・イット・ビー...ネイキッド」でも、フィル・スペクターによるアレンジを徹底的に排除してリミックスされており、制作の時点でポールが望んでいたであろう音を聴くことができる。
今回のボックス・セットは誰にでもお勧めできるものではないが、「ネイキッド」と併せて歴史的価値の高い資料となった。
写真はSweet Virginiaの動画からキャプチャー
2021年8月24日、チャーリー・ワッツが亡くなった。
チャーリー、そしてローリング・ストーンズの偉大さや業績について、私ごときが何か述べるのはあまりにも僭越すぎるので、せめてチャーリーの最後のライブの姿を記録しておくことにする。 2019年8月30日のマイアミ、ハード・ロック・スタジアムでのライブで、セットリストは以下の通り。 こちらは Setlist.com から引用させていただいた。 Jumpin' Jack Flash
ライブの動画は "Before They Make Me Run" 以外の全ての曲を集めることができた。
オーディエンス録画ばかりなので、粗いのは仕方がない。
Jumpin' Jack Flash
It's Only Rock and Roll
Tumbling Dice
Out of Control
Under My Thumb
You Can't Always Get What You Want
Sweet Virginia
Dead Flowers
Sympathy For The Devil
Honky Tonk Woman
You Got the Silver
Miss You
Paint it Black
Midnight Rambler
Start Me Up
Brown Sugar
Gimme Shelter
(I Can't Get No) Satisfaction
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2021年は、多くの名盤が生み出された1971年からちょうど50年目に当たる。
既に4月には「ジョンの魂」の50周年記念盤がリリースされており、さらにジョージ・ハリスンの「オール・シングス・マスト・パス」が続くことになった。 「ジョンの魂」は超重量級であったが、「オール・シングス・マスト・パス」もディスク6枚で構成されており、価格も20,000万円弱というなかなかのものである。 (なおアナログ盤は35,000円を超えている。) まず、こちらが開封前のパッケージ。
2011年にリリースされた40周年記念盤と比較してみる。
圧倒的にでかい。
ボックス裏面には、各ディスクの収録曲が掲載されている。
CD 1枚目と2枚目は、オリジナルの音源をリマスターしたもの。 なおCD 2枚目には10~14曲目にジャム音源(いわゆる Apple Jam)が追加されており、40周年記念盤では入れ替わっていた曲順がオリジナル通りに戻っている。 CD 3~5枚目は、アウトテイクやデモ音源集。 ディスク 6枚目はBlu-rayになっており、HDステレオ、5.1サラウンド、ドルビー・アトモスのオーディオが収録されている。
各ディスクは、ジャケット写真に登場する小人たちをフィーチャーしたデザイン。
なお、CD 2枚目に収録されている "All Things Must Pass" の他、CD 4枚目の "Cosmic Empire"、5枚目の "Isn't It A Pity (Take 27)" と "Run Of The Mill (Take 36)" は、動画として公開されている。
さらに50ページにわたる写真集と、ポスターも付属している。
内容物は公式トレーラーとして紹介されているので、ぜひこちらもご覧いただきたい。
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1973年7月29日にニューヨークのマディソン・スクェア・ガーデンで全米ツアーを終了したレッド・ツェッペリンは、映画「永遠の詩」の作業の後、"Physical Graffiti" のレコーディングを開始した。
一時、ジョン・ポール・ジョーンズが脱退をほのめかすなどの揉め事があったものの、レコーディングは翌年1974年まで続き、また1974年はツアーのない初めての年となった。 1974年にはアトランティック・レーベルとの契約が切れたため、独自の「スワン・ソング」レーベルを立ち上げるなど、ツアーに出ないものの、充実した音楽活動が行われていた。 1975年に入ると、オランダとベルギーでの2回のライブの後、大規模な全米ツアーを開始した。 5月にロンドンへ戻ったレッド・ツェッペリンは、アールズ・コートで5日に渡るライブを繰り広げ、その音源は2009年に正式なDVDでリリースされている。 しかし、秋、ギリシャのロードス島でロバートが交通事故を起こして両脚を折る事態となり、この年後半のワールド・ツアーは中止を余儀なくされた。 1975年のブート音源の特徴は、いわゆる「サウンドボード」ものが多いところにあり、その結果、非常に高品質な音を聞くことができる。 また When the Levee Breaks が時たま演奏されたり、"Physical Graffiti" から選曲されているのも興味深い。 なお、以下のライブ会場やセットリストなどの情報は、引き続き ledzeppelin.com を参照させていただいている。 併せて1969年から1972年まで、および1979年の音源は、下記を参照いただきたい。
1975年1月11日、レッド・ツェッペリンは1年半ぶりのツアーをオランダ、ロッテルダムから開始した。
残念ながらこの日の音源は見当たらないが、翌12日のブリュッセルでのライブが記録されている。 この日のセットリストは、Rock and Roll、Sick Again、 Over the Hills and Far Awayで始まっており、この構成は1975年のツアーで殆ど変わっていない。
1月18日、ミネソタ州ブルーミントンから全米ツアーが開始される。
1月20日から22日まで、3夜連続のシカゴでのライブ。
Kashmir, The Wanton Song, In My Time of Dying が登場。
24日にも In My Time of Dying が披露されている。
1月25日、インディアナポリス。
1月29日、ノース・カロライナ。
1月31日、デトロイト。
2月3日、一年半ぶりのマディソン・スクエア・ガーデン。
演奏の一部が8mmで動画として記録されている。
2月6日はカナダのモントリオール。
ここでの締めは、 Black Dog と Heartbreaker。
2月7日は再びマディソン・スクエア・ガーデン。
2月8日のフィラデルフィアも、8mmで記録されていた。
2月10日、ランドオーバーのキャピタル・センター。
2月12日、三回目のマディソン・スクエア・ガーデン。
2月13日と14日は、連夜でニューヨーク州のユニオンデール。
13日は、アンコールでロン・ウッドが登場する。
2月16日、セント・ルイス。
2月26日、再びカナダのモントリオール。
この直前の2月24日に "Physical Graffiti" がリリースされた。
2月28日からはアメリカの南部から西部となる。
ルイジアナ州のバトン・ルージュ。
3月3日、テキサス州のフォトワース。
3月4日と5日は、隣のダラス。
3月10日からアメリカとカナダの西海岸でのツアーが始まる。
3月11日、カリフォルニア州ロング・ビーチ。
3月14日、カリフォルニア州サンディエゴ。
3月17日、ワシントン州シアトル。
Whole Lotta Love のメドレーの中で The Crunge が演奏されている。
3月19日と20日は、カナダのヴァンクーヴァー。
3月21日、再びシアトル。
こちらも8mmの記録が残っている。
3月24、25、27日はロサンゼルスのフォーラムで全米ツアーの締めとなる。
全米ツアーを終えたレッド・ツェッペリンは5月17日から25日まで、ロンドンのアールズ・コートで連夜のライブを繰り広げた。
この後、ツアーは1977年4月まで、およそ二年にわたって中断することになる。
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ウィキリークス創設者のジュリアン・アサンジ氏の解放を求めるイベントにスピーカーとして出席したロジャー・ウォータースが、Facebookのマーク・ザッカバーグから巨額のオファーを受けていたことを暴露し、全力で罵倒し倒した。
発言のもようは、以下のツイートやYouTubeの動画で確認できる。
ロジャーの発言の翻訳と、その原文の英文書き起こしは次の通り。
手短に言いたいことがある。 俺が言いたいのは、これが狡猾だからだ。 このプロジェクトを考えてくれる皆さんには感謝したい。
ここから、Facebookが元々はスタンフォードの学生たちによる、女子学生の「品評会」のために開発されたという歴史を持ち出して、さらに罵倒が続く。
この間抜け野郎がこう言って始めたんだ、「彼女はかわいいから4点」「このコはブスだから1点」みたいなやつだ。
書き起こしや翻訳のミスのご指摘がある際には、コメント欄にいただけると、たいへんに有難いです。
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4人のティーンの女性バンド The Linda Lindas によるロサンゼルス公共図書館でのミニ・ライブの動画が、投稿からわずか1日で200万回以上も再生されて、話題を集めている。
曲のタイトルは「人種差別・性差別野郎 (Racist, Sexist Boy)」というもの。
歌詞も、
お前ら人種差別・性差別野郎が娯楽で破壊したものを、私たちが立て直してやる お前らは聞きたくないものから目をそらす
のように、反人種差別、反性差別に満ちた内容になっている。
彼女たちのFacebookページによると、このライブはアジア・太平洋系米国人の文化遺産継承月間である5月に合わせて、全米人文科学基金の協力のもと、アジア・太平洋アメリカ図書館連合会が共催した。 The Linda Lindas は、アジア系とヒスパニック系のベラ、エロイーズ、ルシア、ミラの4人の少女たちで構成されている。 このうちアジア系メンバーの父はマーティン・ウォンで、アジア系アメリカ人向けのカルチャー雑誌 "Giant Robot" の創設者として知られている。 またヒスパニック系メンバーの父のカルロス・デ・ラ・ガルザは、パラモアやベスト・コースト、バッド・レリジョンなどのエンジニア、プロデューサーである。 折しもトランプが扇動したアジア系市民に対するヘイト・クライムが全米に広がる中、差別主義者に投げつける歌詞 "Poser! Blockhead! Riffraff! Jerk face!" は時勢を得たものとなった。 図書館でのライブの全編は、バンドのFacebookページで視聴が可能。 またNetflixによるプロモも公開されている。
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「ジョンの魂」50周年を記念した記念ボックス・セットが4月23日にリリースされた。
久しぶりの大型商品なので、4月29日の祝日まで待ってから開封の儀を執り行うことにした。 ずっしりと重量級の全景。
ボックス裏面。
音源はBlu-Ray 2枚とCD 6枚から構成されている。 Blu-Ray 1枚目にはCD 1、2、3と6の一部を拡張した内容から構成され、さらに5.1サラウンドになっている。 またBlu-Ray 2枚目はアウトテイクやジャム音源などだが、CDに収録されているものの2倍くらいの量がある。 CDが単純にBlu-Rayに置き換えられているわけではないので、要注意。
付録の "WAR IS OVER!" の特大ポスター。
絵葉書も2点付いている。
130ページを超える圧巻のブックレット。
なお、ボックス・セットの内容紹介の動画や、新しいミックスの音源がいくつか公開されているので、購入の参考にしていただければと思う。
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米ミネソタ州で2020年5月、46歳のアフリカ系アメリカ人男性ジョージ・フロイド氏の首に9分29秒にわたってひざまずき、「息ができない」との悲鳴を無視して殺害した元警察官のデレク・ショーヴィンに対して、有罪の評決が下った。
CNNによると、デレク・ショーヴィンは第2級殺人、第3級殺人、第3級過失致死の3つの罪状で訴追されていたが、陪審はすべてを有罪と判断した。 これらの禁錮刑を合算すると、最大で75年となる。 この評決を受けて、人種の属性やジャンルを超えて、幅広いロッカーたちが歓迎の意を表している。
アフリカ系米市民として被差別当事者でもあるラッパーたちは、ストレートに感情を爆発させた。
LL・クール・Jの "Hell year" は「やった、ざまあ」といったところか。
ギタリストとしてはジャンルもタイプもまったく異なるヴァーノン・リードに対して、スティーヴ・ルカサーが同意のリプライを返している。
またレニー・クラヴィッツの「歴史はどちら側にあるのか」というツイートに、セバスチャン・バックがリツイートで自分の見解を加えている。
ジェーンズ・アディクションのペリー・ファレルは「あなたは天国から微笑んでいるでしょう」とツイートした。
レイジ・アゲインスト・ザ・マシンは当然ながら有罪を歓迎。
アダム・ランバートもその気持ちを一連のタグの列挙で表した。
メタル系でも、クイーンズライクのトッド・ラ・トゥーレや、テスタメントのアレックス・スコルニックが歓迎を示す画像を投下している。
特にアレックスは、昨年からのBlack Lives Matterのデモの写真を数多くツイートした。
今回の件に限らず、ロッカーたちが率先して政治的なメッセージを出すことは、米社会では当たり前となっている。
翻って、日本はなんと幼稚な国であろうか。
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2020年4月に「COVID-19によるミュージシャン達の健康被害」と題して、ウイルスに直撃されたミュージシャン達を取り上げてみた。
それからおよそ一年が経過し、ワクチンが開発されるなど改善の兆しは見えてきたものの、ウイルスの蔓延が収まる見通しは残念ながら立っていない。 こうした中で、さらに多くのミュージシャン達に被害が広がっているため、その実態を改めて振り返ってみたい。 また毎度の繰り返しであるが、私自身は医学的知識を持ち合わせていないことを予めお断りしておく。
2020年4月19日 サム・スミス全快
Apple Musicのインタビューで、サム・スミスが感染していたことを語っている。 3週間の自主隔離後、容態は安定しているとのこと。
2020年10月6日 トレイ・ソングス陽性
R&Bシンガーのトレイ・ソングスは、幼い息子がいるため定期的に検査を受けていたところ、感染が発覚した。 インスタグラムの動画の中で「手を洗え、トランプの真似をするな」と話している。 トレイ・ソングはCOVOD-19で祖父を亡くしたことも明かしている。
2020年11月12日 バーナード・サマー陽性
ニュー・オーダーのバーナード・サマーが The Current誌のインタビューで、感染から回復中であることを明かした。 発病中は4日間の高熱が続き、ひどい二日酔いのような倦怠感に襲われたと話している。 インタビューの時点でも、嗅覚が完全に失われたままであった。
2020年12月2日 グロリア・エステファン陽性
グロリア・エステファンが11月初頭に感染したことを明らかにしている。 本人のスペイン語によるインスタグラム投稿によると、味覚障害と嗅覚障害があったとのこと。 Billboardの記事では、朝食の味がわからず、また石鹸の匂いもしなくなって、恐怖を感じたと話している。
2021年2月3日 メイナード・ジェームス・キーナン 2回目の感染
トゥールのフロントマンであるメイナード・ジェームス・キーナンが、Apple Musicとのインタビューで、2020年11月に2回目の感染に見舞われたと語った。 彼は2020年2月にも発病して一旦回復したものの、再度の感染になってしまった。 「酷い、酷い。息ができなかった。一語一語の間に咳がでる始末だ。結局、肺炎になってしまった」と話している。 |