Photo by Sabbir Ahmed on Unsplash
2020年を目前にした2019年11月、ちょうど50年前にあたる1970年の社会情勢とロック史を整理してみたものの、その直後にコロナ禍に巻き込まれて、続きとなるはずの1971年を記述するタイミングをすっかり見失ってしまった。
既に2021年になって2か月が経過しているが、この辺りで再び50年前を振り返ってみたいと思う。 1970年に解散したビートルズの元メンバー達は、1971年に入るとそれぞれのソロ活動へ最大限のエネルギーを注ぎ込み始めた。 ジョージ・ハリスンは年初に「マイ・スイート・ロード」をヒットさせ、夏にはバングラデッシュ難民の救済コンサートを開催している。 ジョン・レノンはアルバム「ジョンの魂」をリリースし、政治的なメッセージの強いシングル「パワー・トゥ・ザ・ピープル」「イマジン」「ハッピー・クリスマス(戦争は終わった)」を次々とヒットさせた。 さらにこの年、ジョンはニューヨークへの移住を決行している。 ポール・マッカートニーはソロアルバム「ラム」をヒットさせるや、すぐさまウイングスを結成して、年末に「ワイルド・ライフ」をリリースしている。 まさに八面六臂の活躍である。 1971年はまた、歴史に残る多くの名盤がリリースされた年でもあった。 オールマン・ブラザース「ライブ・アット・フィルモア・イースト」、ローリング・ストーンズ「スティッキー・フィンガーズ」、EL&P「タルカス」、ピンク・フロイド「おせっかい」、そして極めつけは「レッド・ツッペリンIV」だ。 一方、社会情勢では世界的な「政治の季節」のピークは過ぎたものの、ベトナムでは戦争が続き、またバングラデッシュ独立をめぐってインドとパキスタンが戦争状態に陥った。 日本でも成田空港や沖縄返還をめぐって激しい衝突が繰り返され、東京・渋谷は暴動状態になっている。 しかしこの年、東京では地下鉄千代田線の開通、新宿西口での初めての超高層ビル建設、多摩ニュータウン開発のように、新しい生活様式が始まろうとしていた。 世界でも中華人民共和国が国連加盟を果たしており、次の時代の幕が開かれた年だったとも言えよう。
1/15 ジョージ・ハリスン「マイ・スイート・ロード」リリース
1/23 エルトン・ジョン「僕の歌は君の歌」全米八位、ジョージ・ハリスン「マイ・スイート・ロード」全米一位 1/24 ザ・タイガース、日本武道館で解散コンサート 1/30 ジョン・レノン「ジョンの魂」全米六位 2/5 アポロ14号が月に着陸 2/8 南ベトナム軍がラオス侵攻 2/17 真岡銃砲店襲撃事件 2/22 成田空港第一次代執行開始 2/27 ジャニス・ジョプリン「パール」全米一位九週 3/1 東パキスタン(現バングラデシュ)で大規模な不服従運動開始 3/5 パキスタン軍が東パキスタンを占領 3/12 アサド、シリア大統領に就任。 3/12 オールマン・ブラザース「ライブ・アット・フィルモア・イースト」レコーディング 3/20 営団地下鉄千代田線の大手町駅 - 霞ケ関駅間が開業 3/20 ジャニス・ジョプリン「ミー・アンド・ボビー・マギー」全米一位、T Rex「ホット・ラブ」英一位 3/25 東パキスタンでパキスタン軍による住民虐殺開始 3/22 ジョン・レノン「パワー・トゥ・ザ・ピープル」リリース 3/26 バングラデシュ建国宣言 3/26 多摩ニュータウンの入居開始 3/27 スリー・ドッグ・ナイト「ジョイ・トゥ・ザ・ワールド」全米一位 3/30 ジミ・ヘンドリックス「クライ・オブ・ラブ」ゴールド 4/10 アメリカ卓球チームが北京に到着、米中ピンポン外交開始 4/10 ローリング・ストーンズ「ブラウン・シュガー」リリース 4/11 大阪府知事選で社会党・共産党推薦の黒田了一が当選 4/20 営団地下鉄千代田線の綾瀬駅 - 北千住駅間が開業 4/20 カンボジア首相、ロン・ノル辞職 4/23 ローリング・ストーンズ「スティッキー・フィンガーズ」リリース 5/6 アイク&ティナ「プラウド・メアリー」ゴールド 5/8 ローリング・ストーンズ「スティッキー・フィンガーズ」英一位 5/12 ミック・ジャガー、ビアンカと結婚 5/14 横綱・大鵬が引退 5/22 ローリング・ストーンズ「スティッキー・フィンガーズ」全米一位 5/23 アイアン・バタフライ解散 5/25 集英社が「non-no」創刊 5/26 オーストリアと中華人民共和国が外交関係樹立 6/5 新宿に京王プラザホテルが開業(新宿副都心超高層ビル第1号) 6/5 ポールマッカートニー「ラム」英一位、ジェームス・テイラー「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」リリース 6/9 ポール・マッカートニー「ラム」ゴールド 6/14 EL&P「タルカス」リリース 6/17 沖縄返還協定調印 6/19 キャロル・キング「つづれおり」英一位15週目 6/26 EL&P「タルカス」英一位 6/27 NYのフィルモア・イースト閉鎖 6/30 富山地裁、イタイイタイ病第一次訴訟にて原告勝訴判決 6/30 フィルモア・ウェスト閉鎖 7/9 キッシンジャー米大統領補佐官が中国を極秘訪問 7/20 マクドナルド日本第1号店「銀座店」オープン 7/22 ドアーズ「LAウーマン」ゴールド 7/24 ジェームス・テーラー「マッド・スライム・スリム」全米二位四週、T. Rex「ゲット・イット・オン」英一位四週 7/30 全日空機雫石衝突事故、旅客機の乗員・乗客162人全員死亡 7/31 ジェームス・テイラー「君のともだち」全米一位、マービン・ゲイ「ホワッツ・ゴーイング・オン」全米六位 8/1 バングラデッシュ難民救済コンサート開催 8/3 ウイングス結成 8/14 ムーディー・ブルース「童夢」英一位、ロッド・スチュワート「マギー・メイ」リリース 8/15 ニクソン・ショック 8/28 円変動相場制移行 8/31 ジョン・レノン、移住のため渡米 9/2 「グレートフル・デッド」リリース 9/5 ウィッシュボーン・アッシュの演奏中にホットドック店員射殺 9/8 中国の林彪がクーデター失敗、飛行機墜落死 9/9 ジョン・レノン「イマジン」リリース 9/11 「フーズ・ネクスト」全米四位 9/16 成田空港第二次代執行、警官3人死亡 9/18 日清食品「カップヌードル」発売 9/18 ピンク・フロイド、モンタレーに出演 9/30 新潟地裁、阿賀野川水銀中毒訴訟で原告勝訴の判決 10/1 ジョン・レノン「イマジン」ゴールド 10/1 フロリダにウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート開園 10/2 ロッド・スチュワート「エヴリィ・ピクチャー・テルズ・ア・ストーリー」全米英一位、「マギー・メイ」全米英一位 10/10 NHKが全放送のカラー化開始 10/25 中華人民共和国が国連加盟 10/30 ジョン・レノン「イマジン」全米英一位 11/8 レッド・ツェッペリン「IV」リリース 11/10 クメール・ルージュがプノンペン攻撃 11/14 渋谷暴動事件で21歳の警察官殉職 11/12 ボブ・ディラン「ジョージ・ジャクソン」リリース 11/13 サンタナ「サンタナIII」全米一位五週、ジョン・レノン「イマジン」全米三位、スレイド「だから君が好き」英一位四週、ピンク・フロイド「おせっかい」リリース 11/19 沖縄協定反対運動激化、火炎瓶で松本楼全焼 12/1 ジョン&ヨーコ「ハッピー・クリスマス(戦争は終わった)」発売 12/2 アラブ首長国連邦建国 12/3 第三次印パ戦争 12/4 「レッド・ツッペリンIV」英一位二週、スライ&ファミリー・ストーン「ファミリー・アフェア」全米一位三週、ザッパがモントルーでレコーディング中に火事 12/7 ウイングス「ワイルド・ライフ」リリース 12/16 東パキスタン内のパキスタン軍降伏、第三次印パ戦争終結 12/17 デヴィッド・ボウイ「ハンキー・ドリー」リリース 12/21 首都高速道路と東名高速道路が接続 12/18 スライ&ファミリー・ストーン「暴動」全米一位二週、T・レックス「電気の武者」英一位八週 12/23 大映倒産 12/24 ニューヨーク・ドールズ、ライブ・デビュー
ジョン・レノンが「ハッピー・クリスマス、戦争は終わった」と歌ってからさらに4年後の1975年、ようやくベトナム戦争が終結することになる。
0 コメント
Photo by Andy Feliciotti on Unsplash
1月6日、米大統領選の選挙人投票集計を行っている連邦議会を、トランプに煽られた極右のデモ隊が襲撃した。
議会は一時中止を余儀なくされ、死者5名、逮捕者54名に達する前代未聞の事態となってしまった。 次期大統領に選出されたバイデン氏や民主党はもとより、共和党の一部も激しく非難しており、また産業界からも強い批判の声があがっている。
こうした事態に対し、ロック・ミュージシャンたちも即座に非難を開始した。
ポール・スタンレーは「これはトランプに煽動されたテロだ。恥を知れ」と指弾している。
スコット・イアンは「南軍、ナチ、トランプは多くの点で共通している。そして負け犬野郎だ」とトランプ支持者たちの本質を喝破。
ディー・スナイダーは「無法のクソ野郎」と吐き捨てている。
トム・モレロは議会での窃盗行為を非難した翌日、「ナチの命なんか知るか」との画像をアップした。
トミー・リーは "GTFOH (Get The Fuck Outta Here)" など最大限の汚い言葉を使い、「おいウイルス野郎、帰れ。ここから出ていけって言ってんだ」と罵倒している。
さらに1月9日、トランプのツイッター・アカウント凍結を受けて、「もたもたしやがって、お前らもあのピエロ野郎と同じくらいクソだ」と、今までトランプの発言を見て見ぬふりをしてきたツイッター社を批判した。
またセバスチャン・バックは、トランプ凍結に関するトランプ長男の「言論弾圧だ」というツイートに対して、「おいバカ、Orwell's ではなくて Orwells だ。あと free と speech の間に '-' は要らない。中学一年からやり直せ」と手厳しく罵倒した。
レディ・ガガは「テロを煽動したトランプを弾劾すべきだ」と主張している。
一方、このテロ行為を擁護する声も、極めて少ないながら見受けられた。
筋金入りのトランプ支持者として知られるテッド・ニージェントは、Facebookにて「アンティファの仕業だ」とのデマ画像をアップした。
しかしこの投稿にはFacebookによって「虚偽の情報」とのフラグが立てられており、「理由を見る」のリンクをクリックすると POLITIFACT の「首都を襲ったのはアンティファではない」との記事が表示されるようになっている。
なおNME誌によると、議会に乱入した暴徒に、アイスド・アースのリード・ギタリストであるジョン・シェイファーが参加していたことが明らかになっている。
ジョン・シェイファーは2020年、トランプ陣営の選挙集会にも参加していた。 1月9日現在、FBIはジョン・シェイファーを指名手配して行方を追っている。 こんな奴にギターを弾く資格なんかない。
Photo by Kelly Sikkema on Unsplash
2017年から2019年まで毎年年末になると、その一年間に観たライブについて書いてきた。
2020年も当然そのつもりだったのだが、まさかこんな事態になろうとは、年初にはまったく予想もついていなかった。 春先にハードロック系のバンドが相次いで来日したり、ボブ・ディランが全国ライブハウス・ツアーを行ったり、ビルボード横浜のオープニングで様々なジャンルの大御所がライブを行うはずだったのである。 加えて2020年はフジロックとサマーソニックのどちらにも行くつもりで準備していたのに、コロナの影響ですべてが吹き飛んでしまった。 秋も深くなった頃、徐々にライブが再開され始めたが、海外からの渡航は叶わず、国内のミュージシャンによるものだけだ。 年末が押し迫ってもコロナが終息するどころか益々拡大する中で、2020年から2021年に延期されたライブがさらに2022年まで再延期されてしまうケースも出てきている。 いったいいつになったら、再びライブを楽しめる日が戻るのだろうか。
スタンリー・クラーク ブルーノート東京 1/3(金)
正月三が日からライブを観に行くのは初めてだったが、この頃はコロナの影響など思いもせず、最前列に陣取って観戦していた。 スタンリー・クラークに加えて、LAジャズの新進気鋭のピアニストのキャメロン・グレイヴスと、アフガニスタン出身のタブラ奏者のサラー・ナダーという変則的なトリオである。 スタンリーが大柄なのでエレクトリック・ベースがテレキャスターのように見えるうえ、でかい手が 4フレットくらい楽勝で押さえてしまう。 さらに右手の力が強いため、通常の指弾きでもスラップ奏法のような音になる。 スラップ奏法自体はむしろウッドベースで全開させていた。 そして超高速のベースのフレーズとタブラの掛け合いが凄まじい。 アンコールは定番の "School Days" で、コード弾きにスラップ奏法にと大炸裂して終了。
クイーン + アダム・ランバート さいたまスーパーアリーナ 1/25(土)
1月25日、さいたまスーパーアリーナにてクイーン + アダム・ランバートの来日が開幕した。 チケット転売を防ぐため身分証明書の携行を求められていたが、結局点検は無し。 またスマホによる写真や動画は撮り放題である。 セットリストは一週間前のソウルでのものとほとんど同じで、初期の怒涛のハードロック・メドレーから始まった。 "Bicycle Race" ではアダム・ランバートがバイクに跨って歌うという、ロブ・ハルフォードのようなパフォーマンスを見せる。 ブライアン・メイによる花道でのアコースティック・ギターのソロ・タイムでは "Teo Torriatte" に続けて "Love of My Life" を演奏し、その終盤にフレディがスクリーンに現れて共演する演出を仕掛けてくれた。 "Under Pressure" ではブライアン、ロジャー、アダムの三人が花道に集まって演奏し、本編は "Bohemian Rhapsody" で締め。 アンコールでも再びスクリーンにフレディが現れて、観客と「レーリヨヨヨヨ!」の大合唱。 最後はお約束の "We Will Rock You" と "We Are the Champions" で大団円となった。 そしてこれが、まさかの2020年最後のスタジアム級ライブとなってしまうのである。
"My Voice, My Liberty" オーサカ=モノレール、ソウル・フラワー・ユニオン 新宿ロフト 2/7(金)
詳細は既に「Anger Is An Energy」で書いたので割愛するが、今から思えば三密のライブハウスでモッシュができたのもこれが最後だった。
カーヴド・エア 川崎 CLUB CITTA' 2/8(土)
既にこの頃、コロナのクラスターと化したクルーズ船が横浜港に入港し、またチャーター機による日本人帰国が始まっていた。 2月12日にWHOが「COVID―19」と命名する直前の緊迫したタイミングである。 そんな状況の中、マイク・ウェッジウッドやカービー・グレゴリーらを迎えて10年ぶりの来日となった。 長丁場のライブは、25分の休憩をはさんだ一部と二部の構成である。 70分ほどの第一部は "Air Cut" セットで、最後は "It Happened Today" で終了。 しかし一本のジャズベース (しかもパチモン) をセッティングもストラップの長さも変えずに3人で使い回すのは、プロのミュージシャンとしてどうなのか。 第二部は "Stay Human" から始まって、"Propositions"、"Vivaldi"、"Back Street Luv" など名曲集だが、最後の "Stretch" でいきなりイントロの構成を間違えて演奏を中断する始末。 しかもアンコールは第一部の最後に演奏した "It Happened Today" をまた演奏。 明らかにバンドとしてのリハ不足で、いろいろと雑過ぎだった。 最近のプログレの「昔の名前で出ています」系は、残念なことしか起こらない。
マイケル・シェンカー・フェスト 東京国際フォーラム 3/10(火)
直前の3月4日に開催中止。
ホワイトスネイク 東京国際フォーラム 3/17(火)
3月5日に再延期、4月22日に中止。
グリーン・デイ 幕張メッセ 3/27(金)
2月28日に2021年まで延期の発表。
ボブ・ディラン Zepp Diver City 4/4(土)
3月13日に開催中止。
スウィング・アウト・シスター ビルボード東京 4/11(土)
3月14日に開催中止。
ストラッツ LIQUIDROOM 4/15(水)
4月3日に開催中止もしくは延期との発表。
ジェーン・バーキン ビルボード東京 4/25(土)
3月26日に開催中止。
野宮真貴 ビルボード横浜 4/29(水)
4月8日に7月まで延期の発表。 結局、6月12日に開催中止。 ビルボード横浜のオープニング・イベントの一つだった。
アヴリル・ラヴィーン 東京ガーデンシアター 5/8(金)
3月3日に延期の発表。 残念ながら5月8分は開催中止。
スティーヴ・ハケット 川崎 CLUB CITTA' 5/16(土)
4月3日に2021年6月まで延期の発表。
ドリーム・シアター 東京ガーデンシアター 5/16(土)
3月17日に10月まで延期の発表。 8月21日に開催中止。
アイアン・メイデン ぴあアリーナMM 5/19(火)
4月13日に開催中止。 ぴあアリーナMMのこけら落としとなるはずだった。
ゼブラヘッド 新木場STUDIO COAST 6/21 (日)
5月13日に開催中止もしくは延期を検討中との発表。 6月15日に2021年6月まで延期となった。
フジロック 苗場 8/21(金)~23(日)
6月5日に一年延期の発表。 2020年は初めて苗場地区でホテルが確保でき楽しみにしていたのだが、そのホテルもコロナの影響で廃業となってしまった。 残念無念。
SUPERSONIC ZOZOマリンスタジアム&幕張海浜公園 9/19(土)~9/21(月)
こちらも8月11日に一年延期の発表。 日程は未定。
寺井尚子 ビルボード横浜 10/16(金)
本来なら春先から営業を始める予定だったビルボード横浜が、7月になってようやく営業を再開した。 入場時の検温とアルコール消毒に加え、ソーシャル・ディスタンスを確保するため、座席は前後の空間を大きく確保している。 演奏は、4月にリリースされたアルバム「フローリッシュ」の曲を中心に、ヴァイオリン、ピアノ、ベース、ドラムのカルテットによるもの。 ライブは8か月ぶりだったが、やはり良い。
カルメン・マキ & OZ 川崎 CLUB CITTA' 11/21(土)
我慢し続けた9か月ぶりの爆音である。 17時に開幕し、途中25分の休憩をはさんだ二部構成で、20時過ぎまでの演奏となった。 代表曲は演奏し尽くし、2部の冒頭はアコースティック・コーナーにするなどの演出で、久しぶりのライブを楽しめた。 チッタでも座席は間を一人分空けており、マスク着用が必須。 さらに「声を出しての応援や声援はご遠慮ください」とのことで、恒例の「六月の詩」でのシンガロングもできず、マキさんが「心の中で歌ってください」とMCするような状態である。 それでも、当たり前だがネットで配信を観るのとは大違いである。 ロックは耳でなく全身で聴くものなのだ。 コロナで奪われたものを一言で言うと「日々の身体性」だということがよく分かった。 奪われたもの、僅かでも取り返したものを思いながら、ハードロックで涙が停まらなくて困ったのも、初めての経験になった。 なお彼らも、2020年は予定していた全国ツアーや初のフジロック出演など、ほとんどの仕事が飛んでしまったとのこと。 本当に悔しい。
MIYAVI ビルボード東京 12/10(木)
まずチケット予約のサイトになかなか繋がらなかった。 それだけライブに飢えている人が多いのだろう。 バンドはドラム、キーボード、コーラスというベースレスの編成で、MIYAVI本人はテレキャスター1本で押し通した。 ここでもマスク着用必須のうえ、歓声は禁止で、拍手で応援してくれとのこと。 MIYAVIもMCで「心の中で踊ってください」「心の中で歌ってください」と繰り返していて、やるせない。 演奏はオリジナルに加えて、沢田研二の "TOKIO" やジョンレノンの "Happy Xmas" などのカバーもあり、大いに盛り上がった。
ビルボード東京のカウンター席は、一人ずつをアクリル板で区切る徹底した防疫体制になっている。
岸谷香 ビルボード東京 12/25(金)
年末は、2017年から4年連続で岸谷さんのライブで締め。 彼女たちもまた10月まで音楽活動ができなかったとのこと。 今回のオープニングはいきなりプリンセス・プリンセスの「ダイヤモンド」だったが、ここでもサビの「アア」という声出しは禁止。 しかしこの酷い年の最後に、元気いっぱいの岸谷さんから、たっぷりの元気をいただくことができた。 心から感謝したい。
12月25日の時点で、英国発の突然変異型のウイルス日本上陸が報じられており、新年からの状況もまったく見通せないままである。
一日も早く、以前のようにライブを心から楽しめるようになることを祈るばかりだ。
Photo by Suhyeon Choi on Unsplash
今年もまた、一年を振り返り故人を偲ぶ季節がやってきた。
2020年はコロナ蔓延による犠牲も加わって、多くのミュージシャンが亡くなる年になってしまった。 多くの方は70代前半で鬼籍に入っているが、エディ・ヴァン・ヘイレンのように60代半ばにして亡くなった方もいる。 本当に残念である。 彼らの冥福を祈りたい。(以下、敬称略)
1月6日 マーティン・グリフィン
ホークウインドのドラマー。 1978年から1979年、1981年から1983年の期間に在籍。 ホウクローズ名義でのアルバム "25 Years On" などを残している。
1月7日 ニール・パート
言わずと知れたラッシュのメンバーで、ロック界最強のドラマーの一人。 脳腫瘍で療養中だった。 享年67才。 この後残されたメンバーは、ラッシュとしての活動はないと明言している。
2月1日 アンディ・ギル
ギャング・オブ・フォーの創設メンバーでギタリスト。 呼吸器疾患で死去。 64才。
3月14日 ジェネシス・P・オリッジ
非常に印象的なジャケットのアルバム "20 Jazz Funk Greats" で知られるスロッビング・グリッスルの創設者。 白血病だった。 享年70才。
3月20日 ケニー・ロジャース
カントリー界の重鎮で、"We Are the World" にも参加している。 80才で老衰による死去。
3月24日 ビル・リーフリン
ミニストリーやR.E.M.などを経て、2013年にキング・クリムゾンへ参加。 体調の悪化でツアーから離れていた。 癌のため、まだ59才の若さでの死去だった。
3月28日 L.A.クヴァリス
激しくメンバーが入れ替わることで知られるライオットのオリジナルのギタリスト。 コロナ感染の犠牲者になってしまった。 66才。
4月1日 アダム・シュレシンジャー
パワー・ポップのファウンテンズ・オブ・ウェインのベーシスト。 彼もまたコロナによる合併症で、52才という若さで亡くなった。
4月13日 相原誠
キャロルやダウン・タウン・ブギウギ・バンドのドラマーとして活躍。 全盛期には黄色い嬌声を浴びていた。 心不全で享年70才。
4月21日 フローリアン・シュナイダー
クラフトワークの創設メンバーの一人でテクノの先駆者。 癌により73才の誕生日直後に死去。
5月3日 デイヴ・グリーンフィールド
ストラングラーズのキーボーディストで、2019年に27年ぶりの来日を果たしたばかりだった。 彼も死因もコロナの合併症。 享年71才。
5月9日 リトル・リチャード
ロックンロールの創設者のひとりで、"Long Tall Sally" や "Tutti Frutti" などの楽曲はビートルズやレッド・ツェッペリンなど多くのミュージシャンに大きな影響を与えた。 癌で死去。 87才だった。
5月12日 浅野孝已
ゴダイゴでギターを担当。 1970年代後半に「ガンダーラ」「モンキー・マジック」などヒット曲を連発。 虚血性心不全で死去。 享年70才。
5月15日 フィル・メイ
プリティ・シングスのフロントマン。 自転車の転倒による怪我が悪化して命取りになってしまった。 75才。
5月28日 ボブ・キューリック
キッスの正式メンバーになることはなかったが、アルバム制作に参加し貢献していた。 ポール・スタンレーのソロアルバムにも参加している。 享年70才。 死因は公表されていない。
6月4日 スティーヴ・プリースト
スウィートの創設メンバーでベーシスト。 彼の死因も公表されていない。 72才だった。
6月9日 ポール・チャップマン
UFOのギタリスト。 66才の誕生日に亡くなった。 彼の死因も未公表。
6月14日 キース・ティペット
ジャズ・ピアニストで、キング・クリムゾンの "In the Wake of Poseidon" と "Lizard" に参加している。 近年はソロ活動やソフト・マシーンのサポートで来日していた。 享年72才。
7月25日 ピーター・グリーン
イギリスを代表するブルース・ギタリストでフリートウッド・マックの創設メンバー。 73才だった。 彼の死後、多くのミュージシャンから死を悼むメッセージが出されている。
8月14日 ピート・ウェイ
UFOのベーシスト。 ポール・チャップマンに次ぐ訃報になってしまった。 交通事故による負傷が悪化しての死去。 69才。
8月20日 フランキー・バネリ
クワイエット・ライオットのドラマー。 昨年から膵臓癌の治療中で、脳卒中も患っていた。 享年68才。
9月1日 イアン・ミッチェル
アイドルとして一世を風靡したベイ・シティ・ローラーズのギタリスト。 咽頭癌で62才にて死去。
9月19日 リー・カースレイク
ユーライア・ヒープに続き、オジー・オズボーンのバンドでドラムを叩いていた。 "Demons and Wizards" などの名盤を残している。 前立腺癌だった。 73才。
9月26日 ルイズルイス加部
ゴールデン・カップスやジョニー、ルイス&チャーで活躍した日本のロック・ベーシストの草分け。 多臓器不全で横浜にて死去。 享年73才。
10月6日 エディ・ヴァン・ヘイレン
ロック・ギターに革命をもたらしたエディ・ヴァン・ヘイレンまで亡くなってしまった。 咽喉癌の治療を受けていたが、全身に転移。 また65才だった。
10月16日 ゴードン・ハスケル
元キング・クリムゾンのベーシストで、アルバム "Lizard" に参加。 ジョン・ウェットン、グレッグ・レイクに次いで、キング・クリムゾンのベーシスト達がいなくなってしまった。 享年74才。
10月17日 近藤等則
ジャンルを超越したトランペッター。 山下洋輔、ハービー・ハンコック、ビル・ラズウェルなど数多くのミュージシャンたちとの共演を残した。 71才。
11月4日 ケン・ヘンズレー
リー・カースレイクに続いて、またユーライア・ヒープのメンバーが亡くなった。 死因は未公開。 75才。
12月23日 レスリー・ウェスト
マウンテンのギタリスト。 訃報の第一報は、長年のビジネス・パートナーであったDean GuitarsのFacebookだった。 心臓発作で享年75才。
コロナの影響で、2020年に予定されていた殆どのライブは、世界規模で中止になってしまった。
ミュージシャンが高齢化する中で、演奏する側もファンの側にも、もう時間は残されていない。 とにかく今はコロナ禍が収まることを祈るしかない。
Photo by Jon Tyson on Unsplash
11月7日、第46代アメリカ合衆国大統領として、ジョー・バイデン氏の当選が確実となった。
この報を受けて、多くのミュージシャンが歓喜のメッセージをツイッターやインスタグラムで表明している。 ここでは、それらを記録として残しておきたい。
アダム・ランバート
アリアナ・グランデ
レディ・ガガ
ラナ・デル・レイ
リヴィング・カラー
ミック・ジャガー
ニール・ショーン
パール・ジャム
R.E.M.
スコット・イアン
セバスチャン・バック
トム・ヨーク
トミー・リー
— T□mmy L33 (@MrTommyLand) November 5, 2020
最後のトミー・リーの写真は少々分かりにくいが、トランプ嫌いで知られる彼のことなので、「さっさと引っ越して出ていけ」というメッセージなのであろう。
ジョン・レノンの80回目の誕生日にあたる2020年10月9日、東京・六本木のソニーミュージック六本木ミュージアムにて「DOUBLE FANTASY John & Yoko展」の開催が始まった。 予約チケットは日時指定になっていて、折しも台風が東京に接近する10月10日分だったのだが、強風は吹いていないので予定通り観に行くことにした。 動画を除く展示物は撮影が可能であったため、できるだけ多くの写真を撮ってみたので紹介する。 とは言え、ここで紹介できるものは展示のごく一部であり、展示会は2021年1月11日(月)まで開催されているので、予約をしたうえで直接ご覧になることをお勧めしたい。 ジョンとヨーコが出会うきっかけとなったヨーコの制作物 ジョンの眼鏡とヨーコのサングラス ジョンによる Two Virgins のイラスト Wedding Album の衣装 ジョンによる Give Peace A Chance のイラスト ベッド・イン 北アイルランド駐留のイギリス軍に抗議するジョンとヨーコ New York City のTシャツ Lost Weekend とドンチャン騒ぎ 長年の闘いでようやく勝ち取ったジョンのグリーンカード 幼いショーンと撮影した家族写真とその衣装 NYのセントラル・パークで、後に Strawberry Fields となるエリアを散策するジョンとヨーコ セントラル・パークの Strawberry Fields エリア 「DOUBLE FANTASY John & Yoko展」の詳細は、こちらをご覧いただきたい。
Photo by Emily Rudolph on Unsplash
10月6日、エディ・ヴァン・ヘイレンがまだ65才という年齢で亡くなった。
既に余りにも多くのことが語られているので、ここでは極力感情を排し、事実の提示に留めるようにしたい。 2013年に久しぶりの来日を果たしたヴァン・ヘイレンは、およそ2年の休暇を経て、2015年7月から全米ツアーを開始した。 (ただしツアーに先立ち、3月30日にロサンゼルスでのライブ、4月2日にテレビ番組 "The Ellen DeGeneres Show" 出演、5月17日にビルボード・ミュージック・アワード出演を果たしている。) 7月5日のワシントン州アーバーンを皮切りに西海岸を総なめにし、8月は東海岸とカナダ、9月に南部の各州を廻ったのち再び西海岸へ戻っている。 そして10月4日、ロサンゼルスのハリウッド・ボウルでのライブが最後となってしまった。 まず、この日のハイライトとも言える、最後のライブとは思えない強烈な "Eruption" をご覧いただきたい。
10月4日のセットリストは次の通り。
まるでベスト・アルバムのような構成である。
また "Eruption" だけではなく、ライブを丸ごと収めた動画も記録されている。
ブート業界でいうところの「オーディエンス録画」ではあるが、マルチ・カメラによる映像を巧みに編集しており、音質も良好で、記録として非常に価値のあるものとなっている。
なお、冒頭で触れた "The Ellen DeGeneres Show" でのライブは公式に映像が公開されており、こちらではプロ・ショットの迫力のある演奏を楽しむことができる。
この映像のセットリストは次の通り。
ここから5年後、エディを失うことになってしまった。
ローリング・ストーンズの「山羊の頭のスープ」2020年リマスター盤がリリースされた。
CD 2枚組のセットは、オリジナル曲のミックスに加え、2枚目に未発表曲やデモ・バージョンが収録される内容となっている。 大型の「スーパー・デラックス・ボックス」にはライブ音源やBlu-rayが追加になるが、こちらは税込みで2万円近い価格であるため、今回は見送ることにした。 ユニバーサルのプレス・リリースによると、このライブ音源は 1973年10月17日にブリュッセルのフォレスト・ナショナル・アリーナで行われたものだ。 さらに setlist.fm で確認してみたところ、実はこの日、ローリング・ストーンズは演奏を2回行っていた。 1回目と2回目のセットリストはほぼ同じだが、6曲目が入れ替わっている。 1回目では "Dancing With Mr. D"、2回目は "Doo Doo Doo Doo Doo Doo Heartbreaker" となっていた。 有難いことに、この2曲も含めて全曲がYouTubeの公式チャネルで公開されているが、残念ながら他の曲は1回目のものか、あるいは2回目のものか判らない。 しかし次のような順で聴けば、当日のライブの全貌は把握することができるだろう。
1. Brown Sugar
2. Gimme Shelter
3. Happy
4. Tumbling Dice
5. Star Star
6. Dancing With Mr. D(1回目)
6. Doo Doo Doo Doo Doo Doo Heartbreaker(2回目)
7. Angie
8. You Can't Always Get What You Want
9. Midnight Rambler
10. Honky Tonk Woman
11. All Down The Line
12. Rip This Joint
13. Jumpin' Jack Flash
14. Street Fighting Man
Photo by Nick Page on Unsplash
これまで1969年から1973年までのレッド・ツェッペリンのライブ音源を整理してきたが、ネブワースに出演した季節になったので、今回は1979年の音源について整理してみたい。
1973年のマディソン・スクェア・ガーデンでのライブを最後にツアーを停止したレッド・ツェッペリンは、1975年になって漸くライブ活動を再開した。 しかしロバート・プラントがギリシャで自動車事故を起こして両足骨折の重傷を負ったため、ツアーは全面キャンセルとなってしまう。 さらに不幸なことに1977年の全米ツアー中、ロバートの長男が感染症で亡くなってしまい、その後ツアーは無期限延期となった。 ネブワース出演は2年ぶりのライブであり、また母国イギリスでのライブとしては実に4年ぶりのものであった。 なお今回も詳細な情報は、ledzeppelin.com を参照させていただいている。 また1969年から1973年までの音源は、下記を参照していただきたい。
1979年2月にアルバム "In Through the Out Door" のミキシング作業を完了させたレッド・ツェッペリンは、8月のネブワース・フェスティバルで久しぶりのライブを行うことになった。
この年のネブワースにはトッド・ラングレンやニュー・バーバリアンズなどが出演しているが、事実上レッド・ツェッペリンの復活の舞台と見てよいだろう。 ネブワースのおよそ二週間前の7月23日と24日、ウォーミング・アップを兼ねて、デンマークのコペンハーゲンでライブが行われた。 いずれもオーディエンス録音のブート音源が残っているが、演奏はむしろネブワースよりもクオリティが高いと思われる。 なおネブワースのアンコールで加えられた "Whole Lotta Love" と "Heartbreaker" は、ここでは省略されている。
ネブワース・フェスティバルでのレッド・ツェッペリンの出演は、8月4日と11日の2回にわたって行われた。
両日共にプロショットの動画が撮影されているため、おそらく公式に編集して世に出す予定だったのだろう。 実際、レッド・ツェッペリンの公式YouTubeチャネルでは "Kashmir" と "Rock And Roll" の映像が公開されているが、残念ながらライブの全貌は流出物のブートに頼らざるを得ない。 初日の8月4日の演奏は後年言われるように、相当に悲惨なものであった。 一曲目の "The Song Remains The Same" ではジミー・ペイジがギターを弾き切らずに適当にごまかしているのが丸わかりで、さらにロバートも声が出ていない。
二回目となる8月11日は、初日と比べて相当改善されている。
ライブでの演奏の出来に大きな波があるのが、レッド・ツェッペリンの音源漁りの醍醐味でもあると言っておきたい。
80年代に出回ったネブワースのブートを購入して、緊張感のない演奏にがっかりした記憶がある。
現物を手放してから既に30年近く経っているため、今となっては確かめるすべがないが、おそらく8月4日の分だったのではなかろうか。
Photo by vale arellano on Unsplash
7月22日、ローリング・ストーンズの「山羊の頭のスープ (2020)」に収録される予定の未発表曲 "Scarlet" の動画が公開された。
ジミー・ペイジがギターで参加していることから大きな話題になっているが、ジミー自身が当時のことを鮮明に記憶しており、ツイッターで投稿してくれているので翻訳してみたい。
2020年の今日、私をフィーチャーしたローリング・ストーンズの "Scarlet" がリリースされる。
リフもソロもジミーの手によるものであったこと、ベースはビル・ワイマンではなくリック・グレッチであったことなどが明らかにされており、非常に興味深い。
なおNew York Post紙によると、"Scarlet" とはジミーとフランス人のモデルのシャルロット・マーティンとの間に生まれた当時2才の娘で、現在は写真家で活躍中のスカーレット・ペイジのことのようである。 |