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今年もまた、一年を振り返り故人を偲ぶ季節がやってきた。
2020年はコロナ蔓延による犠牲も加わって、多くのミュージシャンが亡くなる年になってしまった。 多くの方は70代前半で鬼籍に入っているが、エディ・ヴァン・ヘイレンのように60代半ばにして亡くなった方もいる。 本当に残念である。 彼らの冥福を祈りたい。(以下、敬称略)
1月6日 マーティン・グリフィン
ホークウインドのドラマー。 1978年から1979年、1981年から1983年の期間に在籍。 ホウクローズ名義でのアルバム "25 Years On" などを残している。
1月7日 ニール・パート
言わずと知れたラッシュのメンバーで、ロック界最強のドラマーの一人。 脳腫瘍で療養中だった。 享年67才。 この後残されたメンバーは、ラッシュとしての活動はないと明言している。
2月1日 アンディ・ギル
ギャング・オブ・フォーの創設メンバーでギタリスト。 呼吸器疾患で死去。 64才。
3月14日 ジェネシス・P・オリッジ
非常に印象的なジャケットのアルバム "20 Jazz Funk Greats" で知られるスロッビング・グリッスルの創設者。 白血病だった。 享年70才。
3月20日 ケニー・ロジャース
カントリー界の重鎮で、"We Are the World" にも参加している。 80才で老衰による死去。
3月24日 ビル・リーフリン
ミニストリーやR.E.M.などを経て、2013年にキング・クリムゾンへ参加。 体調の悪化でツアーから離れていた。 癌のため、まだ59才の若さでの死去だった。
3月28日 L.A.クヴァリス
激しくメンバーが入れ替わることで知られるライオットのオリジナルのギタリスト。 コロナ感染の犠牲者になってしまった。 66才。
4月1日 アダム・シュレシンジャー
パワー・ポップのファウンテンズ・オブ・ウェインのベーシスト。 彼もまたコロナによる合併症で、52才という若さで亡くなった。
4月13日 相原誠
キャロルやダウン・タウン・ブギウギ・バンドのドラマーとして活躍。 全盛期には黄色い嬌声を浴びていた。 心不全で享年70才。
4月21日 フローリアン・シュナイダー
クラフトワークの創設メンバーの一人でテクノの先駆者。 癌により73才の誕生日直後に死去。
5月3日 デイヴ・グリーンフィールド
ストラングラーズのキーボーディストで、2019年に27年ぶりの来日を果たしたばかりだった。 彼も死因もコロナの合併症。 享年71才。
5月9日 リトル・リチャード
ロックンロールの創設者のひとりで、"Long Tall Sally" や "Tutti Frutti" などの楽曲はビートルズやレッド・ツェッペリンなど多くのミュージシャンに大きな影響を与えた。 癌で死去。 87才だった。
5月12日 浅野孝已
ゴダイゴでギターを担当。 1970年代後半に「ガンダーラ」「モンキー・マジック」などヒット曲を連発。 虚血性心不全で死去。 享年70才。
5月15日 フィル・メイ
プリティ・シングスのフロントマン。 自転車の転倒による怪我が悪化して命取りになってしまった。 75才。
5月28日 ボブ・キューリック
キッスの正式メンバーになることはなかったが、アルバム制作に参加し貢献していた。 ポール・スタンレーのソロアルバムにも参加している。 享年70才。 死因は公表されていない。
6月4日 スティーヴ・プリースト
スウィートの創設メンバーでベーシスト。 彼の死因も公表されていない。 72才だった。
6月9日 ポール・チャップマン
UFOのギタリスト。 66才の誕生日に亡くなった。 彼の死因も未公表。
6月14日 キース・ティペット
ジャズ・ピアニストで、キング・クリムゾンの "In the Wake of Poseidon" と "Lizard" に参加している。 近年はソロ活動やソフト・マシーンのサポートで来日していた。 享年72才。
7月25日 ピーター・グリーン
イギリスを代表するブルース・ギタリストでフリートウッド・マックの創設メンバー。 73才だった。 彼の死後、多くのミュージシャンから死を悼むメッセージが出されている。
8月14日 ピート・ウェイ
UFOのベーシスト。 ポール・チャップマンに次ぐ訃報になってしまった。 交通事故による負傷が悪化しての死去。 69才。
8月20日 フランキー・バネリ
クワイエット・ライオットのドラマー。 昨年から膵臓癌の治療中で、脳卒中も患っていた。 享年68才。
9月1日 イアン・ミッチェル
アイドルとして一世を風靡したベイ・シティ・ローラーズのギタリスト。 咽頭癌で62才にて死去。
9月19日 リー・カースレイク
ユーライア・ヒープに続き、オジー・オズボーンのバンドでドラムを叩いていた。 "Demons and Wizards" などの名盤を残している。 前立腺癌だった。 73才。
9月26日 ルイズルイス加部
ゴールデン・カップスやジョニー、ルイス&チャーで活躍した日本のロック・ベーシストの草分け。 多臓器不全で横浜にて死去。 享年73才。
10月6日 エディ・ヴァン・ヘイレン
ロック・ギターに革命をもたらしたエディ・ヴァン・ヘイレンまで亡くなってしまった。 咽喉癌の治療を受けていたが、全身に転移。 また65才だった。
10月16日 ゴードン・ハスケル
元キング・クリムゾンのベーシストで、アルバム "Lizard" に参加。 ジョン・ウェットン、グレッグ・レイクに次いで、キング・クリムゾンのベーシスト達がいなくなってしまった。 享年74才。
10月17日 近藤等則
ジャンルを超越したトランペッター。 山下洋輔、ハービー・ハンコック、ビル・ラズウェルなど数多くのミュージシャンたちとの共演を残した。 71才。
11月4日 ケン・ヘンズレー
リー・カースレイクに続いて、またユーライア・ヒープのメンバーが亡くなった。 死因は未公開。 75才。
12月23日 レスリー・ウェスト
マウンテンのギタリスト。 訃報の第一報は、長年のビジネス・パートナーであったDean GuitarsのFacebookだった。 心臓発作で享年75才。
コロナの影響で、2020年に予定されていた殆どのライブは、世界規模で中止になってしまった。
ミュージシャンが高齢化する中で、演奏する側もファンの側にも、もう時間は残されていない。 とにかく今はコロナ禍が収まることを祈るしかない。
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11月7日、第46代アメリカ合衆国大統領として、ジョー・バイデン氏の当選が確実となった。
この報を受けて、多くのミュージシャンが歓喜のメッセージをツイッターやインスタグラムで表明している。 ここでは、それらを記録として残しておきたい。
アダム・ランバート
アリアナ・グランデ
レディ・ガガ
ラナ・デル・レイ
リヴィング・カラー
ミック・ジャガー
ニール・ショーン
パール・ジャム
R.E.M.
スコット・イアン
セバスチャン・バック
トム・ヨーク
トミー・リー
— T□mmy L33 (@MrTommyLand) November 5, 2020
最後のトミー・リーの写真は少々分かりにくいが、トランプ嫌いで知られる彼のことなので、「さっさと引っ越して出ていけ」というメッセージなのであろう。
ジョン・レノンの80回目の誕生日にあたる2020年10月9日、東京・六本木のソニーミュージック六本木ミュージアムにて「DOUBLE FANTASY John & Yoko展」の開催が始まった。 予約チケットは日時指定になっていて、折しも台風が東京に接近する10月10日分だったのだが、強風は吹いていないので予定通り観に行くことにした。 動画を除く展示物は撮影が可能であったため、できるだけ多くの写真を撮ってみたので紹介する。 とは言え、ここで紹介できるものは展示のごく一部であり、展示会は2021年1月11日(月)まで開催されているので、予約をしたうえで直接ご覧になることをお勧めしたい。 ジョンとヨーコが出会うきっかけとなったヨーコの制作物 ジョンの眼鏡とヨーコのサングラス ジョンによる Two Virgins のイラスト Wedding Album の衣装 ジョンによる Give Peace A Chance のイラスト ベッド・イン 北アイルランド駐留のイギリス軍に抗議するジョンとヨーコ New York City のTシャツ Lost Weekend とドンチャン騒ぎ 長年の闘いでようやく勝ち取ったジョンのグリーンカード 幼いショーンと撮影した家族写真とその衣装 NYのセントラル・パークで、後に Strawberry Fields となるエリアを散策するジョンとヨーコ セントラル・パークの Strawberry Fields エリア 「DOUBLE FANTASY John & Yoko展」の詳細は、こちらをご覧いただきたい。
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10月6日、エディ・ヴァン・ヘイレンがまだ65才という年齢で亡くなった。
既に余りにも多くのことが語られているので、ここでは極力感情を排し、事実の提示に留めるようにしたい。 2013年に久しぶりの来日を果たしたヴァン・ヘイレンは、およそ2年の休暇を経て、2015年7月から全米ツアーを開始した。 (ただしツアーに先立ち、3月30日にロサンゼルスでのライブ、4月2日にテレビ番組 "The Ellen DeGeneres Show" 出演、5月17日にビルボード・ミュージック・アワード出演を果たしている。) 7月5日のワシントン州アーバーンを皮切りに西海岸を総なめにし、8月は東海岸とカナダ、9月に南部の各州を廻ったのち再び西海岸へ戻っている。 そして10月4日、ロサンゼルスのハリウッド・ボウルでのライブが最後となってしまった。 まず、この日のハイライトとも言える、最後のライブとは思えない強烈な "Eruption" をご覧いただきたい。
10月4日のセットリストは次の通り。
まるでベスト・アルバムのような構成である。
また "Eruption" だけではなく、ライブを丸ごと収めた動画も記録されている。
ブート業界でいうところの「オーディエンス録画」ではあるが、マルチ・カメラによる映像を巧みに編集しており、音質も良好で、記録として非常に価値のあるものとなっている。
なお、冒頭で触れた "The Ellen DeGeneres Show" でのライブは公式に映像が公開されており、こちらではプロ・ショットの迫力のある演奏を楽しむことができる。
この映像のセットリストは次の通り。
ここから5年後、エディを失うことになってしまった。
ローリング・ストーンズの「山羊の頭のスープ」2020年リマスター盤がリリースされた。
CD 2枚組のセットは、オリジナル曲のミックスに加え、2枚目に未発表曲やデモ・バージョンが収録される内容となっている。 大型の「スーパー・デラックス・ボックス」にはライブ音源やBlu-rayが追加になるが、こちらは税込みで2万円近い価格であるため、今回は見送ることにした。 ユニバーサルのプレス・リリースによると、このライブ音源は 1973年10月17日にブリュッセルのフォレスト・ナショナル・アリーナで行われたものだ。 さらに setlist.fm で確認してみたところ、実はこの日、ローリング・ストーンズは演奏を2回行っていた。 1回目と2回目のセットリストはほぼ同じだが、6曲目が入れ替わっている。 1回目では "Dancing With Mr. D"、2回目は "Doo Doo Doo Doo Doo Doo Heartbreaker" となっていた。 有難いことに、この2曲も含めて全曲がYouTubeの公式チャネルで公開されているが、残念ながら他の曲は1回目のものか、あるいは2回目のものか判らない。 しかし次のような順で聴けば、当日のライブの全貌は把握することができるだろう。
1. Brown Sugar
2. Gimme Shelter
3. Happy
4. Tumbling Dice
5. Star Star
6. Dancing With Mr. D(1回目)
6. Doo Doo Doo Doo Doo Doo Heartbreaker(2回目)
7. Angie
8. You Can't Always Get What You Want
9. Midnight Rambler
10. Honky Tonk Woman
11. All Down The Line
12. Rip This Joint
13. Jumpin' Jack Flash
14. Street Fighting Man
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これまで1969年から1973年までのレッド・ツェッペリンのライブ音源を整理してきたが、ネブワースに出演した季節になったので、今回は1979年の音源について整理してみたい。
1973年のマディソン・スクェア・ガーデンでのライブを最後にツアーを停止したレッド・ツェッペリンは、1975年になって漸くライブ活動を再開した。 しかしロバート・プラントがギリシャで自動車事故を起こして両足骨折の重傷を負ったため、ツアーは全面キャンセルとなってしまう。 さらに不幸なことに1977年の全米ツアー中、ロバートの長男が感染症で亡くなってしまい、その後ツアーは無期限延期となった。 ネブワース出演は2年ぶりのライブであり、また母国イギリスでのライブとしては実に4年ぶりのものであった。 なお今回も詳細な情報は、ledzeppelin.com を参照させていただいている。 また1969年から1973年までの音源は、下記を参照していただきたい。
1979年2月にアルバム "In Through the Out Door" のミキシング作業を完了させたレッド・ツェッペリンは、8月のネブワース・フェスティバルで久しぶりのライブを行うことになった。
この年のネブワースにはトッド・ラングレンやニュー・バーバリアンズなどが出演しているが、事実上レッド・ツェッペリンの復活の舞台と見てよいだろう。 ネブワースのおよそ二週間前の7月23日と24日、ウォーミング・アップを兼ねて、デンマークのコペンハーゲンでライブが行われた。 いずれもオーディエンス録音のブート音源が残っているが、演奏はむしろネブワースよりもクオリティが高いと思われる。 なおネブワースのアンコールで加えられた "Whole Lotta Love" と "Heartbreaker" は、ここでは省略されている。
ネブワース・フェスティバルでのレッド・ツェッペリンの出演は、8月4日と11日の2回にわたって行われた。
両日共にプロショットの動画が撮影されているため、おそらく公式に編集して世に出す予定だったのだろう。 実際、レッド・ツェッペリンの公式YouTubeチャネルでは "Kashmir" と "Rock And Roll" の映像が公開されているが、残念ながらライブの全貌は流出物のブートに頼らざるを得ない。 初日の8月4日の演奏は後年言われるように、相当に悲惨なものであった。 一曲目の "The Song Remains The Same" ではジミー・ペイジがギターを弾き切らずに適当にごまかしているのが丸わかりで、さらにロバートも声が出ていない。
二回目となる8月11日は、初日と比べて相当改善されている。
ライブでの演奏の出来に大きな波があるのが、レッド・ツェッペリンの音源漁りの醍醐味でもあると言っておきたい。
80年代に出回ったネブワースのブートを購入して、緊張感のない演奏にがっかりした記憶がある。
現物を手放してから既に30年近く経っているため、今となっては確かめるすべがないが、おそらく8月4日の分だったのではなかろうか。
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7月22日、ローリング・ストーンズの「山羊の頭のスープ (2020)」に収録される予定の未発表曲 "Scarlet" の動画が公開された。
ジミー・ペイジがギターで参加していることから大きな話題になっているが、ジミー自身が当時のことを鮮明に記憶しており、ツイッターで投稿してくれているので翻訳してみたい。
2020年の今日、私をフィーチャーしたローリング・ストーンズの "Scarlet" がリリースされる。
リフもソロもジミーの手によるものであったこと、ベースはビル・ワイマンではなくリック・グレッチであったことなどが明らかにされており、非常に興味深い。
なおNew York Post紙によると、"Scarlet" とはジミーとフランス人のモデルのシャルロット・マーティンとの間に生まれた当時2才の娘で、現在は写真家で活躍中のスカーレット・ペイジのことのようである。
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1972年12月に全英ツアーを開始したレッド・ツェッペリンは、クリスマス休暇を挟んでそのままツアーを継続した。
そして1月30日に全英ツアーを終了した後は一か月の休養を取り、早くも3月2日からヨーロッパ・ツアーに乗り出している。 4月2日のパリでのライブを最後に再び一か月間休暇を取った後、5月4日からは全米ツアーに突入した。 この全米ツアーの最後の三日間はニューヨークのマディソン・スクェア・ガーデンで行われ、その模様は映画「永遠の詩」として記録されることになった。 正にレッド・ツェッペリンのライブの絶頂期と言える年であるが、マディソン・スクェア・ガーデンでのライブ以降はツアーを停止し、翌1974年はまったくライブ活動を行っていない。 彼らのライブが再開されるのは一年半後の1975年1月のことであった。 以下、ライブ会場やセットリストなどの情報は、ledzeppelin.com を参照させていただいた。 なお1969年から1972年までの音源は、下記のリンク先にそれぞれ整理しているので参照いただきたい。
1973年、レッド・ツェッペリンは早くも1月2日にシェフィールドから全英ツアーを再開させている。
このツアーでは全部で12公演が行われているが、残念ながらブート音源はあまり残されていない。 まずツアー2日目のオックスフォードでの演奏。
1月22日のサウスハンプトン大学でのライブは、複数の音源が存在する。
1月25日のアバディーンでのライブの後に3公演行って、全英ツアーが終了する。
ヨーロッパ・ツアーは3月2日のデンマークの首都コペンハーゲンを皮切りに開始。
3月6日のストックホルムでのセットリストは、後のマディソン・スクェア・ガーデンでのものとほぼ同じ内容になっている。
3月16日のウィーンでの音源は複数残っているもよう。
3月17日のミュンヘン。"Whole Lotta Love" のメドレーが凄まじく長い。
3月19日はベルリン。この頃は必ず "The Ocean" が演奏されているのが興味深い。
3月22日はドイツのエッセン。この直後の3月28日、アルバム "House of the Holy" が全世界同時発売になる。
そして4月1日のパリがヨーロッパ・ツアーの最終公演となった。
全英ツアーで喉を傷めたと言われるロバートのボーカルはパリで再び炸裂しており、ジミーとボンゾの演奏も鬼気迫るものがある。
ヨーロッパ・ツアーから一か月後の5月4日、三か月にわたる歴史的な全米ツアーがアトランタから開始された。
翌5月5日はフロリダのタンパで6万人近くを動員。
13日のアリゾナのライブでは地元紙が「あまりにもヘヴィだった」とのレビューを残している。
5月16日はアンコールの最後が "Communication Breakdown" になっている。
5月18日と19日は、隣町であるダラスとフォトワースで行われた。残っている音源はダラスのみ。
5月26日はソルトレイク・シティ。
5月28日のサン・ディエゴでは "Moby Dick" が披露された。
6月3日、ロサンゼルスの The Forum では久しぶりに "Thank You" がアンコール最後の曲になった。
シカゴでは7月6日と7日の二日間行われ、そのいずれも音源が残されている。
デトロイトでも7月12日と13日に行われた。こちらは12日分の音源のみである。
7月15日のニューヨーク州バッファローでのライブは3時間近くに及んだ。
再び西海岸に戻り、7月17日はシアトル。
7月21日のローズ・アイランドでは、チケットを持たない群衆が会場へ突入を図ったため警察が出動する騒ぎとなり、13人が逮捕された。
そして7月27日から29日の三日間、ニューヨークのマディソン・スクェア・ガーデンでのライブとなる。
全米ツアー終了後、帰国したレッド・ツェッペリンは映画「永遠の詩」の追加撮影などの作業を行い、11月から "Physical Graffiti" のレコーディングを開始する。
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ジョージ・フロイド氏虐殺を契機とした抗議行動に続き、人種差別主義者たちの彫像を倒す動きが欧米で広がっている。
アメリカではクリストファー・コロンブスが先住民を虐殺した先兵とみなされ、全米各地で彼の像の撤去が始まった。 ヨーロッパでも、ベルギー王だったレオポルド2世の像が倒されている。この人物はアフリカのコンゴを私有地として支配し、ゴムの収穫のノルマを達成できなかった奴隷に対して、彼らの子どもたちの手足を切断して懲罰するという残虐行為をはたらいていた。彼の支配の期間、数百万の現地人が亡くなったとみられている。
こうした中、テネシー州出身のテイラー・スウィフトが州内に残る人種差別主義者の彫像に関する見解を表明した。
ここでは彼女の一連のツイートを翻訳のうえ紹介してみたい。 テネシー人として、邪悪な行為をはたらいた人種差別主義の歴史上の人物を祝う記念碑が私たちの州に立っていることに私はうんざりしている。エドワード・カーマックとネイサン・ベッドフォード・フォレストは私たちの州の歴史の中で特に卑劣な人物であり、そのように扱われるべきである。
Photo in Atlanta by Maria Oswalt on Unsplash
5月25日にジョージ・フロイド氏がミネアポリス警察に虐殺されてから2回目の週末となった6月6日と7日、抗議行動は全米だけでなくヨーロッパ、オーストラリア、そして日本など世界各地へ広がった。
こうした中、ロック・ミュージシャンたちも自らデモに参加する姿があちこちで目撃されたほか、SNSや動画などで連帯の意志を表明している。
6月6日
マドンナは膝の怪我でライブをキャンセルせざるを得ない状態だったにもかかわらず、ロンドンでデモに参加した。
ビリー・アイリッシュは、ロサンゼルスでのデモに参加している様子をツイートしている。
ポール・マッカートニーは Black Lives Matter を支持するツイートの中で、ビートルズ時代にジャクソンヴィルでのライブで観客席の人種隔離に反対したことに言及している。
この時は、人種隔離を撤廃させることを契約に明記させたうえで演奏したとのこと。 — Paul McCartney (@PaulMcCartney) June 5, 2020
リヴィング・カラーは、全米各地での警察による暴力行為を集めた動画をリリースした。
ニール・ヤングはファン・サイトで Black Lives Matter 運動に絡めてトランプを激しく非難する書簡を公開した。
6月7日
日本では、数千人規模となった大阪でのデモに、ソウル・フラワー・ユニオンの中川敬氏が参加した。
ケンドリックス・ラマーは、カリフォルニア州コンプトンでデモに参加。
プリンスの公式YouTubeチャネルは、2015年にボルティモアで警察によって虐殺されたフレディ・グレイ氏に捧げる "Baltimore" の動画をリリースした 。
トム・モレロは、96歳の母と共に写った写真を使って、Black Lives Matter 支持のメッセージをツイートした。
このTシャツのロゴがブラック・サバスのパロディであったため、ギザー・バトラーがさっそく賞賛のツイートで反応している。
6月8日
ABBAのビョルン・ウルヴァースが、抗議デモへの支持を表明。
デモに対する批判的な意見については「世の中はばか者であふれている」と一蹴した。
マイク・ポートノイも、警察による暴力シーンを集めた動画をリリースした。
この動画ではマイクが全楽器を一人で演奏し、ジョン・レノンの "Gimme Some Truth" をカバーしている。
ビリー・アイリッシュ、リアーナ、そしてアリアナ・グランデなど多くの人たちが、ニューヨーク警察法の改正を求めて公開書簡を発表した。
現状の警察法では、警察の不正行為の記録を第三者による監視から隠蔽することができるとしている。
一方このような状況下で本邦のNHKは、7日に放送した番組「これでわかった!世界のいま」で Black Lives Matter 運動を取り上げたものの、極めて差別的なアニメで揶揄し、駐日アメリカ大使館を含む各方面から多くの批判を浴びる事態になった。
謝罪文を出したものの、例によって「不快な思いをされた方にお詫びいたします」というテンプレートに過ぎず、問題の本質を理解していないことを露呈してしまった。 さらに英ガーディアンを皮切りに、独ドイチェベレ、仏AFP、ロイター、アル・ジャジーラなどで瞬く間に世界中で報道されてしまい、またも日本人の人種差別に対する認識の低さと政治への無関心を晒してしまったのである。 まったく恥ずかしいことだ。
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