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1973年7月29日にニューヨークのマディソン・スクェア・ガーデンで全米ツアーを終了したレッド・ツェッペリンは、映画「永遠の詩」の作業の後、"Physical Graffiti" のレコーディングを開始した。
一時、ジョン・ポール・ジョーンズが脱退をほのめかすなどの揉め事があったものの、レコーディングは翌年1974年まで続き、また1974年はツアーのない初めての年となった。 1974年にはアトランティック・レーベルとの契約が切れたため、独自の「スワン・ソング」レーベルを立ち上げるなど、ツアーに出ないものの、充実した音楽活動が行われていた。 1975年に入ると、オランダとベルギーでの2回のライブの後、大規模な全米ツアーを開始した。 5月にロンドンへ戻ったレッド・ツェッペリンは、アールズ・コートで5日に渡るライブを繰り広げ、その音源は2009年に正式なDVDでリリースされている。 しかし、秋、ギリシャのロードス島でロバートが交通事故を起こして両脚を折る事態となり、この年後半のワールド・ツアーは中止を余儀なくされた。 1975年のブート音源の特徴は、いわゆる「サウンドボード」ものが多いところにあり、その結果、非常に高品質な音を聞くことができる。 また When the Levee Breaks が時たま演奏されたり、"Physical Graffiti" から選曲されているのも興味深い。 なお、以下のライブ会場やセットリストなどの情報は、引き続き ledzeppelin.com を参照させていただいている。 併せて1969年から1972年まで、および1979年の音源は、下記を参照いただきたい。
1975年1月11日、レッド・ツェッペリンは1年半ぶりのツアーをオランダ、ロッテルダムから開始した。
残念ながらこの日の音源は見当たらないが、翌12日のブリュッセルでのライブが記録されている。 この日のセットリストは、Rock and Roll、Sick Again、 Over the Hills and Far Awayで始まっており、この構成は1975年のツアーで殆ど変わっていない。
1月18日、ミネソタ州ブルーミントンから全米ツアーが開始される。
1月20日から22日まで、3夜連続のシカゴでのライブ。
Kashmir, The Wanton Song, In My Time of Dying が登場。
24日にも In My Time of Dying が披露されている。
1月25日、インディアナポリス。
1月29日、ノース・カロライナ。
1月31日、デトロイト。
2月3日、一年半ぶりのマディソン・スクエア・ガーデン。
演奏の一部が8mmで動画として記録されている。
2月6日はカナダのモントリオール。
ここでの締めは、 Black Dog と Heartbreaker。
2月7日は再びマディソン・スクエア・ガーデン。
2月8日のフィラデルフィアも、8mmで記録されていた。
2月10日、ランドオーバーのキャピタル・センター。
2月12日、三回目のマディソン・スクエア・ガーデン。
2月13日と14日は、連夜でニューヨーク州のユニオンデール。
13日は、アンコールでロン・ウッドが登場する。
2月16日、セント・ルイス。
2月26日、再びカナダのモントリオール。
この直前の2月24日に "Physical Graffiti" がリリースされた。
2月28日からはアメリカの南部から西部となる。
ルイジアナ州のバトン・ルージュ。
3月3日、テキサス州のフォトワース。
3月4日と5日は、隣のダラス。
3月10日からアメリカとカナダの西海岸でのツアーが始まる。
3月11日、カリフォルニア州ロング・ビーチ。
3月14日、カリフォルニア州サンディエゴ。
3月17日、ワシントン州シアトル。
Whole Lotta Love のメドレーの中で The Crunge が演奏されている。
3月19日と20日は、カナダのヴァンクーヴァー。
3月21日、再びシアトル。
こちらも8mmの記録が残っている。
3月24、25、27日はロサンゼルスのフォーラムで全米ツアーの締めとなる。
全米ツアーを終えたレッド・ツェッペリンは5月17日から25日まで、ロンドンのアールズ・コートで連夜のライブを繰り広げた。
この後、ツアーは1977年4月まで、およそ二年にわたって中断することになる。
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