久保田直己 不撤不散
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2025年に亡くなったミュージシャン

28/12/2025

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Photo by reza shayestehpour on Unsplash
毎年年末にこのリストを作成しているが、ミュージシャンの年齢が上がるにつれ、年々リストの量が多くなってしまう。
悲しいことだが、これも仕方ないのだろう。
健康に気を付けて、長生きしてほしい。(以下、敬称略)

1月7日 ピーター・ヤーロウ

ピーター・ポール&マリーの一人。
1962年のデビュー・アルバム "Lemon Tree" は全米一位を記録し、このアルバムからシングルもいくつかヒットしている。
ワシントン大行進やキング牧師の演説で楽曲が使用され、公民権運動に深くコミットしていた。
癌のため86歳で亡くなってしまい、ポール・ストゥーキーだけが残された。

1月15日 リンダ・ノーラン

アイルランド出身の姉妹グループのノーランズのメンバーで、四女に当たる。
1980年 "I'm in the Mood for Dancing" が大ヒットした。
2006年に乳がんと診断されており、肺炎のため65歳で亡くなった。

1月21日 ガース・ハドソン

ザ・バンドで、キーボードやアコーディオンを担当していた。
ボブ・ディランのバック・バンド時代から1976年の解散まで在籍を続けた。
ニューヨークの老人ホームで87歳にて亡くなり、彼の死によってザ・バンドのメンバーは誰もいなくなってしまった。

1月30日 マリアンヌ・フェイスフル

ローリング・ストーンズのメンバーが作曲した "As Tears Go By" でアイドルとしてデビューしたが、ミック・ジャガーらとの関係で闇落ち。
晩年は女優として活動していた。
78歳で亡くなった。

2月5日 マイク・ラトリッジ

ソフト・マシーンのオリジナル・メンバーでキーボード奏者。
初期のサイケ期からジャズ・ロックへの移行期を牽引した。
81歳だった。

2月7日 マジカル・パワー・マコ

1974年、アルバム「マジカル・パワー」でデビュー。
バンドのフォーマットよりもホーム・レコーディングのスタイルが多く、カルト的な人気を誇った。
69歳だった。

2月17日 リック・バックラー

ザ・ジャムのドラマー。
ザ・ジャム解散後もブルース・フォクストンらと地道に音楽活動を続けていた。
70歳。

2月17日 ジェイミー・ミューア

1972年にパーカッショニストとしてキング・クリムゾンに加入し、名作 "Larks' Tongues in Aspic" の制作に貢献した。
当時のドラマーだったビル・ブルフォードは、ジェイミーから多大な影響を受けたと語っている。
クリムゾンを脱退した後は僧院での隠遁生活に入り、後年は画家に転進していた。
82歳だった。

2月24日 ロバータ・フラック

"The First Time Ever I Saw Your Face" や "Killing Me Softly with His Song" で全米一位を記録し、グラミー賞を立て続けに受賞。
晩年はALSと闘っており、病院へ搬送中に心不全で亡くなった。
88歳だった。

2月28日 デヴィッド・ヨハンセン

70年代のグラムの象徴的なバンドだったニューヨーク・ドールズのボーカリスト。
その後のパンク・シーンにも絶大な影響を及ぼした。
1977年のバンド解散後は、1991年のジョニー・サンダースを筆頭にメンバーが次々死去しており、デヴィッドは最後の一人だった。
癌と脳腫瘍を併発し、75歳で亡くなった。

3月1日 ジョーイ・モーランド

1969年にギタリストとしてバッドフィンガーに参画。
ジョン・レノンの "Imagine" などにも参加している。
彼の死により、バッドフィンガーのメンバーは誰もいなくなってしまった。
77歳だった。

3月6日 ブライアン・ジェイムス

ダムドのオリジナル・メンバーのギタリストで、1977年末に脱退するまで、最初の2枚のアルバムのほぼすべての楽曲を作曲した。
脱退後も、数回の再結成に参加している。
74歳で亡くなったが、死因は明かされていない。

3月21日 ラリー・タンブリン

ロサンゼルス出身のガレージ・ロック、スタンデルズのヴォーカリスト。
1966年のヒット曲 "Dirty Water" は、その後ソフト・セルによるカバーでも知られている。
82歳だったが、死因は公表されていない。

4月6日 クレム・バーク

ブロンディのドラマーで、1975年から亡くなる2025年まで半世紀に渡ってバンドを支え続けた。
死因は公表されていないが、癌を患っていたと言われている。
70歳。

4月23日 デヴィッド・トーマス

米オハイオ州出身のペル・ウブのボーカリストで、唯一のオリジナル・メンバー。
1999年には来日を果たしている。
71歳。

4月27日 ウィズ・ジョーンズ

ブリティッシュ・フォークのギタリストで、ジミー・ペイジやエリック・クラプトンらに大きな影響を与えた。
2月28日のライブを最後に、健康状態が急激に悪化し、ホスピスで亡くなった。
86歳。

4月30日 ジョー・ルイス・ウォーカー

サンフランシスコ出身のブルース・ギタリスト。
2013年にブルースの殿堂入りを果たしている。
ニューヨークの病院で、心疾患で亡くなった。
75歳だった。

5月10日 エディ藩

ザ・ゴールデン・カップスのリード・ギタリスト。
80年代から90年代は、実家の中華料理店「鴻昌」の経営に注力していたが、2003年にザ・ゴールデン・カップスを再結成した。
彼の死でザ・ゴールデン・カップスのオリジナル・メンバーはいなくなってしまった。
77歳。

5月22日 ジェームズ・ロウ

60年代から続くアメリカのサイケ・バンドのエレクトリック・プルーンズのフロント・マンで、生存する最後の一人だった。
また、トッド・ラングレンやスパークスのエンジニアを務めていた。
カリフォルニアの病院で、心停止のため82歳で亡くなった。

5月25日 サイモン・ハウス

1973年にホークウインドに加入したヴァイオリン奏者。
アルバム "Warrior On The Edge Of Time" などの制作に貢献した。
1978年にはデヴィッド・ボウイのバンドに参加している。
76歳。

5月26日 リック・デリンジャー

米オハイオ州出身のギタリスト。
1973年のソロ・シングル "Rock and Roll, Hoochie Koo" は全米チャートの23位まで上がった。
ジョニー・ウィンターとエドガー・ウィンターの兄弟との仕事でも知られている。
77歳だった。

6月9日 スライ・ストーン

スライ&ザ・ファミリー・ストーンとして "Dance to the Music" "Everyday People" などのスマッシュヒットを放ち、アルバム "Stand!" でビルボードとHot R&Bの1位を押さえた。
80年代からの半生は隠遁状態となっていた。
慢性閉塞性肺疾患で、82歳で亡くなった。

6月11日 ブライアン・ウィルソン

ビーチ・ボーイズのフロントマンで、"Surfer Girl" "Fun Fun Fun" などのヒット曲に加え、"Pet Sounds" "Smile" で鬼才ぶりを発揮した。
2024年に妻のメリンダが亡くなった時には既に認知症が進行し、成年後見の対象となっていたことが報じられている。
82歳だった。

6月23日 ミック・ラルフス

モット・ザ・フープルとバッド・カンパニーのギタリストで創設メンバー。
全米チャート一位を記録した "Can't Get Enough" は彼の作品である。
バッド・カンパニー解散後はデヴィッド・ギルモアやイアン・ハンターのツアーに参加していたが、2016年のロンドンでのバッド・カンパニー復活ツアー中に脳卒中で倒れ引退生活となっていた。
81歳だった。

7月11日 デヴィッド・カフィネッティ

イギリスのプログレ・バンド、レア・バードのキーボード奏者。
70年代にはヨーロッパでシングル、アルバム共にミリオン・ヒットとなっている。
79歳だった。

7月13日 デイヴ・カズンズ

70年代前半にプログレの草分けとして活躍したストローブスのフロントマン。
デフ・レパードのデビュー・アルバムにも参加した実績がある。
近年は癌の治療など大手術を繰り返しており、カンタベリーのホスピスで亡くなった。
85歳。

7月14日 渋谷陽一

ミュージシャンではないが、ここで名前を挙げざるをえまい。
ロック専門誌「rockin' on」の創設者にして、ロッキング・オン・グループ代表取締役会長。
2023年から療養していたが、誤嚥性肺炎で亡くなった。
74歳だった。

7月16日 コニー・フランシス

1958年の "Who's Sorry Now?" の大ヒットに続けて、1960年の "Everybody's Somebody's Fool" で全米一位を獲得。
その前後にも多くのヒット曲を放っている。
2025年7月に骨盤骨折を起こし、容態が悪化して87歳で亡くなった。

7月22日 オジー・オズボーン

不死身と思われたオジーも76歳で遂に亡くなってしまった。
ブラック・サバスやソロ活動でロック界に与えた影響はあまりにも大きい。
7月5日にバーミンガムでのフェス "Back to the Beginning " で再起を果たした直後の死だった。

7月22日 チャック・マンジョーネ

ニューヨーク出身のトランぺッターで、1965年にアート・ブレイキーのバンドに参加して知られるようになった。
70年代にはフリューゲルフォーンに持ち替えてフュージョンに転じ、グラミー賞を二回受賞している。
自宅で睡眠中に亡くなった。
84歳だった。

8月5日 テリー・リード

イギリスのシンガーで、レッド・ツェッペリンやディープ・パープルからのオファーを断ったことで知られている。
テリーはそれぞれに、ロバート・プラントとイアン・ギランを紹介した。
75歳だった。

8月10日 ボビー・ウィットロック

エリック・クラプトンとのデレク・アンド・ザ・ドミノスの活動で知られるキーボード奏者だが、デラニー&ボニーやジョージ・ハリスンとの仕事でも活躍した。
デレク・アンド・ザ・ドミノスでは "Tell the Truth" "Anyday" "Why Does Love Got to be So Sad" などの作曲に貢献し、バンドの解散後は地道にソロ・アルバムを出し続けていた。
テキサスの自宅にて、73歳で亡くなった。

8月20日 ブレント・ハインズ

アトランタ出身のメタルバンド、マストドンのリードギタリスト兼ボーカリストとして知られている。
2025年3月にバンドと喧嘩別れした後、アラスカで制限速度の倍を超える速度のバイク事故を起こして亡くなった。
51歳だった。

8月28日 レイ・マフュー

80年代のキワモノ・バンド、ジグ・ジグ・スパトニックのドラマー。
ドラムの経験がないにも関わらず、ルックス重視でスカウトされ加入した。
まだ60歳だった。

9月4日 橋幸夫

舟木一夫、西郷輝彦とともに「御三家」と称された、昭和の日本を代表する歌手。
ロックというフィールドからは遠い人だが、1967年の怪作「恋のメキシカン・ロック」は記憶されておくべきだろう。
82歳。

9月6日 リック・デイヴィス

スーパートランプの創設者。
1979年の "Breakfast in America" は全米ビルボード・チャートの一位を獲得した。
10年以上にわたる多発性骨髄腫の闘病の末、81歳で亡くなった。

9月16日 トーマス・リンドバーグ

スウェーデンのデスメタル・バンド、アット・ザ・ゲイツのリード・ヴォーカリスト。
腺様嚢胞癌のため、52歳の若さで亡くなった。

9月25日 クリス・ドレヤ

ヤードバーズでリズムギターとベースを担当していた。
アルバム "Roger The Engineer" のジャケットのイラストは彼の作品。
ヤードバーズ後は写真家に転じ、レッド・ツェッペリンのデビュー・アルバムのジャケット裏面のメンバー写真の撮影でも知られている。
79歳。

10月10日 ジョン・ロッジ

ムーディー・ブルースのベーシストで、1964年のデビューから60年以上もバンドを支えてきた。
プログレの草分けとして、60年代から70年代にかけて数々のヒット・アルバムを放っている。
82歳で、死因は公開されていない。

10月16日 エース・フレーリー

言わずと知れたキッスのオリジナル・メンバーでリード・ギタリスト。
1977年の "Shock Me" ではリード・ボーカルを執っている。
1982年にキッスを脱退したが、1996年から2002年までバンドに復帰していた。
9月の転倒事故で脳出血を起こし、帰らぬ人となった。
74歳だった。

10月18日 サム・リヴァース

リンプ・ビズキットのベーシストで、1994年にバンドを結成して以来のオリジナル・メンバー。
死因はアルコール依存を拗らしての肝障害で、まだ48歳だった。

10月21日 スティーヴ・クロッパー

60年代のブッカー・T&ザ・MG'sでの活躍をはじめ、ブルース・ブラザーズ・バンドのギタリストとしても知られている。
ジェフ・ベックやリンゴ・スターなど数多くの著名なミュージシャンたちとの仕事も残している。
84歳だった。

10月22日 デイヴ・ボール

マーク・アーモンドと共にソフト・セルのメンバーだった。
1981年のシングル "Tainted Love" は全英チャートで一位を獲得し、全米チャートでも八位まで上がった。
近年健康状態が悪化しており、自宅で眠っている間に66歳で亡くなった。

10月26日 ジャック・ディジョネット

シカゴ出身のジャズ・ドラマー。
1968年にトニー・ウィリアムスの後任としてマイルス・デイヴィスのグループに参加して、マイルスのエレクトリック期に貢献した。
ニューヨークの病院にて、83歳で亡くなった。

11月19日 ジェリービーン・ジョンソン

ミネアポリスを拠点にしたザ・タイムのドラマー。
プリンスと関連が深いバンドで、映画「パープル・レイン」にも出演している。
69歳だったが、死因は公開されていない。

11月20日 マニ

ストーン・ローゼズやプライマル・スクリームのベーシスト。
マンチェスター・ムーヴメントの中心的な存在だった。
呼吸器の疾患と言われており、まだ63歳だった。

11月24日 ジミー・クリフ

1962年にデビューしたレゲー界のアイコン。
映画「ハーダー・ゼイ・カム」では主演を張った。
肺炎で、81歳で亡くなった。

12月4日 山内テツ

70年代のブリティッシュ・ロックを代表するフリーとフェイセズでベーシストとして活躍した。
帰国後はソロ活動を行っていたが、2011年以降はほとんど音楽活動を行わなかった。
2023年にライブを再開したものの心不全で逝ってしまった。
79歳。

12月24日 ペリー・バモンテ

1990年にザ・キュアーに参加し、一時解雇されたが2022年に復帰した。
2026年のツアーに向けて準備していたが、病に倒れた。
65歳だった。



合掌。
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