久保田直己 不撤不散
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2024年に亡くなったミュージシャン

11/12/2024

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Photo by David Monje on Unsplash
2024年の訃報は、何と言っても年末になっての中山美穂さんである。
一時代を築いたトップ・アイドルの突然の死去は衝撃だった。
他にも、2024年に亡くなったミュージシャンの年齢を眺めてみると、70歳前後の方たちが多いことに気が付く。
まだまだ鬼籍に入るのは早すぎるのではないか。(以下、敬称略)

2月3日 アストン・バレット
​
ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズのベーシスト。
ウェイラーズの一員としてボブが無くなるまでバンドで支え続けた。
フロリダ州のマイアミ大学病院で77歳で亡くなった。77歳だった。

2月9日 ダモ鈴木
​
神奈川出身で、西ドイツのボーカリストとして活躍し、バンドの全盛期の中核となった。
1973年に脱退した後は、ダモ鈴木ネットワークで活動した。
長年抱えていた癌が悪化し、ケルンの病院で亡くなった。
享年74歳。

3月13日 エリック・カルメン

オハイオ出身のソングライター。
ソロ・デビュー・アルバム「サンライズ」からカットされたシングル「オール・バイ・マイセルフ」が全米2位を記録した。
死因は公開されていない。
74歳だった。

4月7日 亀川千代
​
2010年に解散したゆらゆら帝国の元ベーシスト。
メジャーデビュー前は高円寺20000Vなどに出演しており、実は私のバンドも対バンとしてお世話になったことがある。
その後、ゆらゆら帝国はフジロックやサマソニに出演する大物クラスになったが、惜しくも2010年に解散してしまった。
まだ54歳の若さだった。

4月18日 ディッキー・ベッツ
​
オールマン・ブラザーズ・バンドのオリジナルメンバーとして知られるギタリスト。
デュアン・オールマンとのツイン・ギターで「エリザベス・リード」など多くの名曲を世に送り出した。
デュアン亡き後のアルバム「ブラザース&シスターズ」の「ジェシカ」では、これでもかとのソロを繰り広げている。
肺疾患と癌の合併症で、80歳で亡くなった。

5月1日 リチャード・タンディ
​
エレクトリック・ライト・オーケストラのキーボード・プレイヤーで、デビューから1986年までのアルバムに参加し、ストリングスのアレンジも担当した。
ELO脱退後もジェフ・リンのソロ・アルバムに参加している。
享年76歳。

5月9日 ダディ竹千代
​
年配のロックファンには、70年代の「ダディ竹千代&東京おとぼけCATS」として知られているだろう。
80年代以降は、深夜放送オールナイトニッポンのレギュラーやプロデューサー業で活躍していた。
慢性心不全が悪化し70歳で亡くなった。

5月12日 デイヴィッド・サンボーン
​
フュージョン界の大御所。ブレッカー・ブラザースを経て、1975年にソロ・デビュー。
ローリング・ストーンズやエリック・クラプトンなどの多数のアルバムにも参加している。
前立腺がんで享年78歳だった。

7月17日 花岡献治
​
日本が誇るブルース・バンドの雄、憂歌団のベーシスト。
1975年にシングル「おそうじオバチャン」でデビューし、その直後に来日したスリーピー・ジョン・エスティスと共演を果たしている。
1998年のバンド停止後の、ドラムの島田の死去に続いてしまった。
大腸がんを患わせ、70歳だった。

7月22日 ジョン・メイオール
​
エリック・クラプトン、ミック・テイラー、ジョン・マクヴィーらを輩出したブルースブレイカーズの主宰者で、ブリティッシュ・ブルース・ロックの巨匠。
カリフォルニアの自宅で90歳で亡くなった。
没後、2024年のロックの殿堂入りを果たした。

8月15日 ジャック・ラッセル
​
80年代にLAメタルのブームの中で頭角を現したグレイト・ホワイトのボーカリスト。
商業的にはメガヒットに恵まれなかったが、1990年にグラミー賞候補にノミネートされている。
ジャック・ラッセルを中心にバンドの立て直しを図っていた2003年2月20日、ライブ会場の火災によりバンドのギタリストを含む100名もの死者を出す悲劇に見舞われてしまう。
2006年にはオリジナル・メンバーで活動を再開したが、ジャックは体調不良により引退状態となってしまった。
レビー小体型認知症と多系統萎縮症の合併症と言われている。
享年63歳だった。

9月5日 セルジオ・メンデス
​
ボサノバの巨匠。
ビートルズ・ナンバーのカバーや、スティーヴィ・ワンダーらとのコラボでも知られている。
コロナの後遺症を拗らせ命が経たれてしまった。
83歳だった。

9月15日 ティト・ジャクソン
​
ジャクソン5を成すジャクソン一家の次男。
ジャクソン5以降は殆どソロ活動を行っていなかったが、晩年はB.B.キングばりのブルース・ギターを炸裂させていた。
享年70歳。

9月17日 J・D・サウザー
​
デトロイト出身のシンガーソングライター。
イーグルスやリンダ・ロンシュタットらウエスト・コーストのミュージシャンとの交流が深く、イーグルスとは「ニュー・キッド・イン・タウン」「ハートエイク・トゥナイト」などのヒット曲を共作した。
自身でも「ユア・オンリー・ロンリー」を大ヒットさせている。
78歳だった。

10月16日 リアム・ペイン
​
ワン・ダイレクションのメンバーで、グループ休止後は積極的にソロ活動を行っていた。
ワン・ダイレクション時代の盟友、ナイル・ホーランのライブを観戦するために滞在していたブエノスアイレスのホテルで、バルコニーから転落して死亡した。
まだ31歳だった。

10月21日 ポール・ディアノ
​
アイアン・メイデンの初期のボーカルで、1978年から1981年まで在籍し、アルバム「鋼鉄の処女」「キラーズ」を残した。
脱退後もバンド活動を続けていたが、アイアン・メイデンのような成功を収めることはできなかった。
死因は心臓の大動脈破裂と発表されている。
享年66歳。

10月25日 フィル・レッシュ
​
グレイトフル・デッドのベーシストで、創設メンバーの一人。
ジェリー・ガルシアやボブ・ウェアらと、ジェリーの死まで30年にわたってバンドを支え続けていた。
1995年にデッドが解散した後も、ソロ活動を行っていた。
慢性の肝炎を患っており、84歳で亡くなった。

11月3日 クインシー・ジョーンズ
​
トランペット・プレイヤーであり、作曲やプロデューサーとして知られている。
マイケル・ジャクソンのアルバム「スリラー」でプロデューサーの地位を不動のものとし、チャリティー・ナンバー「ウィ・アー・ザ・ワールド」も手がけている。
享年91歳で、死因は膵臓癌と言われている。

11月14日 ピート・シンフィールド
​
プログレ・ファンなら知らない人はいない、キング・クリムゾンのオリジナル・メンバー。
「クリムゾン・キングの宮殿」から「ポセイドンのめざめ」「リザード」「アイランズ」まで手掛けており、フリップとの対立で脱退した後はEL&Pの「恐怖の頭脳改革」やPFMのアルバムに参加する一方、セリーヌ・ディオンに歌詞を提供するなど商業的にも成功していた。
享年80歳だった。

12月6日 中山美穂
​
年末になっての突然の悲報だった。
まだ54歳という若さであり、言葉もない。

年末恒例のブログとは言え、今年はきつい。
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