久保田直己 不撤不散
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2023年に亡くなったミュージシャン

17/12/2023

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Photo by Johannes Plenio on Unsplash
毎年毎年、ミュージシャンの訃報のリストが長くなってしまう。
哀しいことである。
2023年の特徴は、ジェフ・ベックやティナ・ターナーといったベテラン勢のみならず、ザ・ポップ・グループやキリング・ジョークのようなポスト・パンクの連中まで亡くなり始めたことだ。
それもまだ50代、60代である。
日本でも高橋幸宏さんに始まり、坂本龍一さんやHeathまで亡くなってしまった。
あまりにも早すぎるとしか言いようがない。(以下、敬称略)

1月1日 フレッド・ホワイト

いきなり元旦からの訃報である。
兄のモーリスやヴァーダインと共にアース・ウィンド&ファイアーを結成し、フレッドはドラムを担当していた。
絶頂期には "September" "Boogie Wonderland" "Let's Groove" など数々のヒット曲を叩き出している。
死因は公表されていないが、まだ67歳だった。

1月10日 ジェフ・ベック

今更こんなところで紹介するまでもない、ギターの巨人。
正月早々に大きな衝撃を受けた訃報だった。
個人的にはエディ・ヴァン・ヘイレンの訃報以来のショックである。
近年もフィンガー・ピッキングにアームのトレモロを組み合わせた独特な奏法など、最後まで進化を停めなかった。
2017年に東京国際フォーラムで最後の来日を観ることができたのは、生涯忘れないだろう。
細菌性髄膜炎の悪化で、享年78歳。

1月11日 高橋幸宏

2023年は、高橋幸宏さんも坂本龍一さんも亡くなってしまった。
いったい何ということだ。
日本の音楽シーンの損失は計り知れない。

1月12日 リサ・マリー・プレスリー

エルヴィス・プレスリーの娘で、マイケル・ジャクソンやニコラス・ケイジらとの結婚でも知られている。
心臓発作に小腸閉塞の合併症が致命傷となった。
まだ54歳の若さだった。

1月12日 ロビー・バックマン

バックマン・ターナー・オーヴァードライブのオリジナル・メンバーで、ロビーの死後わずか3か月後には弟のティムも亡くなってしまう。
享年69歳で、死因は公表されていない。

1月19日 デヴィッド・クロスビー

CSN&Yの一角であるデヴィッド・クロスビーは、4人の中で最も早く亡くなってしまった。
死因はコロナの急変と言われており、81歳だった。
ニール・ヤングを除くCSNとしての活動も2016年を最後に空中分解してしまったが、デヴィッドの死によって再結成の機会は永遠に無くなった。

1月28日 トム・ヴァーレイン

ニューヨーク・パンク・シーンを代表するテレヴィジョンのギタリスト。
前立腺がんで、73歳だった。
初期パンク・シーンの人たちも、多くがもう70代を迎えている。

2月8日 バート・バカラック

50年代から多くのポップ・ソングを生み出した稀代の作曲家。
カーペンターズやディオンヌ・ワーウィックなどが彼の楽曲を取り上げていることでも知られている。
ビルボード横浜のオープニングを記念して来日する予定だったのが、コロナ蔓延で流れてしまったのが惜しまれる。
94歳だった。

3月2日 ウェイン・ショーター

60年代のマイルス・デイヴィスのクインテットを経て、ジョー・ザビヌルらとウェザー・リポートを結成したサックス奏者。
1986年にウェザー・リポートが解散してからは、アコースティックに回帰した自身のカルテットで活躍していた。
享年89歳。

3月5日 ゲイリー・ロッシントン

レーナード・スキナードの最後のオリジナル・メンバー。
1977年の航空機事故で大半のメンバーを失った後も、ジョニー・ヴァン・ザントらとレーナード・スキナードとして活動を続けてきた。
ゲイリーの死によってオリジナル・メンバーは1人もいなくなってしまったが、バンドは現在もレーナード・スキナードとしてツアーを続けている。
71歳だった。

3月9日 ロビン・ラムリー

フィル・コリンズらを擁したジャズ・ロック・バンドのブランドXのオリジナル・メンバーの一人で、キーボードを担当していた。
メンバーの入れ替わりが激しかったブランドXのほぼ全てのアルバムに参加している。
ブランドX参加の前には、デヴィッド・ボウイのバッキングを務めたこともあった。
75歳で、心不全だった。

3月13日 ジム・ゴードン

デラニー&ボニーでの同僚だったエリック・クラプトンやカール・レイドル、ボビー・ウィットロックと、デレク・アンド・ザ・ドミノスを結成したことで知られている。
1983年に母親を殺害して収監され、生涯釈放されることなく、獄中で亡くなった。

3月14日 ボビー・コールドウェル

いわゆるAORを代表するシンガーの一人。
晩年は毎年のように来日し、ビルボードでライブを行っていた。
抗生物質の副作用など、長い闘病生活の後の死であった。
享年71歳。

3月28日 坂本龍一

今更言うまでもなく、日本を代表するミュージシャンだった。
高橋幸宏さんを追いかけるように、癌で亡くなってしまった。
まだ71歳で、失われた才能はあまりにも大きすぎる。

4月7日 イアン・ベアンソン

アラン・パーソンズ・プロジェクトのギタリスト。
アラン・パーソンズ・プロジェクトは、アラン・パーソンズとエリック・ウールソンによるユニットだが、イアン・ベアンソンは "Ammonia Avenue" などのヒット作を含む殆どのアルバム制作に参加していた。
またケイト・ブッシュの "The Kick Inside" や "Lionheart" などにも参加している。
69歳で認知症を悪化させて亡くなった。

4月21日 マーク・スチュワート

ポスト・パンクのザ・ポップ・グループの中心メンバーで、ボーカルを執っていた。
62歳で亡くなったが、ザ・ポップ・グループを結成した1977年ではまだ17歳であった。
死因は公表されていない。

4月28日 ティム・バックマン

兄のランディやロビーと共に、バックマン・ターナー・オーヴァードライヴのオリジナル・メンバーだった。
1974年に脱退したが、1983年に再加入している。
癌を患っており、兄のロビーを追うように71歳で亡くなってしまった。

5月11日 フランシス・モンクマン

カーヴド・エアーや801などプログレ界で名をはせたキーボード奏者。
70年代後半には、フュージョン系のスカイを結成し、特に日本では評価を受けていた。
73歳で、癌で亡くなった。

5月19日 アンディ・ルーク

80年代に活躍したザ・スミスのベーシスト。
4枚のアルバムを残して1987年にザ・スミスが解散した後は、キリング・ジョークやムーンドッグ・ワンなどで活動していた。
膵臓癌で、まだ59歳だった。

5月24日 ティナ・ターナー

1950年代から活躍し、「ロックンロールの女王」と呼ばれていた。
アルバムやシングルの売上は2億枚を超え、ライブのチケットの枚数も世界最多と観られている。
晩年は腎不全や癌、脳卒中など複数の疾患を患っていたが、死因は公表されていない。

6月20日 ジョン・ワディントン

ザ・ポップ・グループのオリジナル・メンバーの一人で、初期のアルバム二枚でギターを弾いている。
マーク・スチュワートに続いて、2人目の故人となってしまった。
ジョンもまだ63歳だった。

7月21日 トニー・ベネット

1951年に "Because of You" を全米一位に叩き込んでから、数十年にわたり近年まで精力的に活動を続けてきた。
95歳になった2021年には、レディ・ガガとのデュエット・アルバム "Love for Sales" をヒットさせている。
その後、体調維持のため引退生活を送っていたが、アルツハイマーを悪化させて、96歳で亡くなった。

7月26日 シネイド・オコナー

アイルランド出身の歌手で、カトリック教会への複雑な感情を生涯抱え続け、メンタルを悪化させて56歳の若さで亡くなった。
死因は明らかにされていない。
彼女の死の直後に開催されたフジロックのフー・ファイターズのステージでは、アラニス・モリセットと共に、シネイドに捧げる "Mandinka" がカバー演奏された。

7月26日 ランディ・マイズナー

ポコやイーグルスのオリジナル・メンバーでベーシスト。
イーグルスでは "Take it to the limit" や "Try and Love Again" などの名曲を生み出している。
ポコでもイーグルスでも、ランディが脱退した穴はティモシー・シュミットが埋める形になった。
今世紀に入ってからは、心臓疾患やアルコール依存に苦しんでおり、慢性閉塞性肺疾患の合併症で、77歳で亡くなった。

8月9日 ロビー・ロバートソン

ボブ・ディランのバック・バンドが前身であるザ・バンドを経て、1987年からソロ活動やプロデューサー稼業を続けていた。
2019年のアルバム "Sinematic" が最後の作品となった。
享年80歳。

8月24日 バーニー・マースデン

1977年のホワイトスネイクへの参加で知られるギタリスト。
ヒット曲 "Here I Go Again" はバーニーとデヴィッド・カヴァーデールとの共作である。
1982年にホワイトスネイクを解雇された後も、多数のソロ・アルバムやセッションの作品を残している。
72歳で、細菌性髄膜炎で亡くなった。

9月16日 ジョン・マーシャル

1972年にソフト・マシーンへ加入して以来、メンバーが激しく入れ替わる中、一貫してバンドを牽引してきた。
ソフト・マシーンのほか、ブリティッシュ・ロック界の無数のアルバムに参加している。
2018年にはビルボードライブで最後の来日を果たしたが、このとき既に背中が直角に曲がって歩くのがやっとという状態だったが、ドラム・スツールに座ったとたんにドラミングを炸裂させていた。
82歳で亡くなったが、死因は公開されていない。

10月29日 Heath

X Japanのベーシスト。
6月の検査で大腸癌が発見され、そのタイミングで既に手遅れの状態だった。
まだ55歳の若さだった。

11月26日 ジョーディー・ウォーカー

80年代のインダストリアル系ポスト・パンクを代表するキリング・ジョークの中心メンバーで、ギタリスト。
心臓発作で、64歳だった。

11月30日 シェイン・マガウアン

1982年に結成されたケルティック・パンクのザ・ポーグスのボーカリスト。
1996年に解散したが、2001年に再結成されツアーを続けていた。
肺炎を悪化させて、65歳で亡くなった。

12月5日 デニー・レイン

ムーディー・ブルースのオリジナル・メンバーで、さらにその後のウイングスでの活動で知られている。
ウイングスでは、結成から解散までの10年間、終始ポール・マッカートニーを支え続けた。
コロナの後遺症である肺炎で亡くなった。
79歳だった。

ミュージシャン達の年齢を考えると、残念ながらこれから先の5年間くらいは訃報がまだ増えるのだろう。
そこから後の音楽はどうなってしまうのだろうか。
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