久保田直己 不撤不散
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レイ・アレンのアウシュビッツ訪問記

13/8/2017

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Photo by Tamara Menzi on Unsplash

元NBA選手のレイ・アレンが8月3日、”Why I Went to Auschwits” と題してアウシュヴィッツ訪問記を公開した。
私の友人のタケウチさんが翻訳してくれたので、全文紹介する。
​また豊富な写真が掲載されているので、ぜひ原文にもアクセスしてほしい。

台所の床に小さな穴があり、その下に秘密の隠し場所がある。
このイメージが私の記憶に焼き付けられている。
その空間はたぶん5フィート四方ほどだったと思う。
家主は「ナチスが来るとなったら、ここに6人の人が隠れました」と語った。

彼の名はタデウシュ・スコツィラス、そして私たちがいる家は彼の家族が第二次大戦中に所有していたものだ。
チェピエルフというポーランドの町にある小さなレンガ造りの家だった。
赤い屋根を持ち、だいぶ古びている。玄関の扉は通りからすぐだ。裏庭には小さな小屋や納屋がいくつかある。
ポーランドにきてすでに数日が経っていたが、私は体験する歴史の恐ろしさに圧倒されていた。
しかし、これはまた少し違っていた。大変個人的なものだったからだ。

私はこの小さな空間を眺めていた。
6人の人間が死を逃れてここに隠れている様子を想像した。
6人の、生身の人間。
私の目の前にある小さな穴をくぐり抜けて。それほど昔の話ではない。
歴史書でもない。
博物館でもない。
それは、まさに、この場所だった。

タデウシュが説明してくれた。
1942年のある日に、密告によってナチの兵士たちがこの家にやってきた。
村の誰かが、一家がユダヤ人をかくまっていると知らせたのだ。
この家にはスコツイラス家の10人家族が住んでいた。
この日、兵士たちがやってきた時、末の息子は家にはいなかった。
ナチは疑惑を深め、家探しを始めた。
彼らは穴と隠し場所を見つけたが、家族がかくまっていたユダヤ人はいなかった。
すでに脱出していたのだ。
 
ナチは何も言わずに隣家へ行き、その一家の息子を連れてきた。
ユダヤ人をかくまった罰は一家皆殺しであり、人数を合わせる必要があったのだ。
 
兵士は10人を裏庭へ連れ出し、まさに今まだそこにある小屋や納屋の前で、処刑した。
小さなスコツィラスの末っ子が戻ってきた時、彼は家族が全員殺されているのを目の当たりにした。
その少年がタデウシュの祖父だ。
その家はずっとスコツィラス家のものであり、祖父はこの家に住んでいた。今はタデウシュと母が暮らしている。
 
信じられない。
家の中を回っている間に、私をそんな感情が襲った。
歴史がまさに私の目の前にある。
それは現実だった。
手を伸ばせば触れることができる。
指先で触れ、空気の匂いを嗅ぐことができる。
感じることができるものだった。
 
この旅をしたのはほんの数ヶ月前だ。
ポーランドを訪れるのは初めてのことだった。
ティーンエイジャーの頃から私がとりつかれていたことについてもっと学ぶためだーホロコーストについて。
たくさんの本や記事を読んできたが、ページ上の文字を読むことは実際に間近に見ることと同じではなかった。
 
そこで、ワシントンDCにあるホロコースト博物館を訪ねた。
1998年、ミルウォーキー・バックスでプレイしていた時のことだ。
夏の間にオーナーのハーブ・コールに会いにDCへ行った。
滞在最終日に少し自由な時間があり、コール氏がホロコースト博物館に行ってはどうかと提案してくれた。
2時間の訪問の後の気持ちは決して忘れることができないだろうー2日間でもそこに過ごすことができたと思う。
まず感じたのは、誰もがここへ行くべきだ、と言うことだった。
 
中でも特にある一室のことをよく思い出す。
それはあるポーランドの町に住んでいたユダヤ人の写真が飾られた部屋だった。
壁一面に並べられた写真は空に向けて伸び、天窓からは光が注いでいた。
この写真の人々の90%は殺された。
強制収容所に送られる前、あるいは処刑される前に、彼らは大切なものを友人や家族に残して行った。
これらのユダヤ人コミュニティの人々は人間の本能の極限にまで追い詰められた。
ただ、生き延びたいと願ったのだ。
そこから生まれた兄弟愛や同胞意識の物語には畏敬の念を覚えるしかない。
人間の精神がどれほどのことが可能なのかー善にも悪にもーを思い起こさせてくれる。
 
率直なところ、私は自分自身がまるで無意味な存在であるかのように感じた。
それは、若いNBAプレイヤーで、世界の頂点にいるような気分にあるはずの人間としては不思議な感覚だった。
この経験は、私の狭い世界の外にもっと大切なことがあるということを気付かせてくれたのだ。
私はチームメイトにも同じことを感じて欲しかった。
そこで、それ以降に所属した全てのチームで、ウィザーズとの対戦でDCを訪れた時にはコーチに頼んで博物館に行く時間を取ってもらった。
体験はその時々で違っていたが、誰もが連れてきてくれてありがとうと礼を言ってくれた。
みんなの目を見れば、彼らがこの経験の後で、人生の新たな視点を知ったということがわかった。
 
私はホロコーストがなんであるか、それが何を意味するかを知っているつもりでいた。
もっと学ぶために親友を何人か連れてポーランドに行った。
しかし、この訪問が私にどれほど深い影響を与えたかは予想を超えていた。
アウシュヴィッツに関する映画やドキュメンタリーをたくさん見てきたが、実際にそこに行く体験の準備となるものは何もなかった。
あの鉄の門を初めてくぐった時私が感じたのは…重さだった。
私の周りの空気が重かった。
囚人が到着する鉄道の線路に立った時、列車がやってきて止まる音が聞こえたような気がした。
深呼吸をして自分の体制を整えなければならなかった。
それはあまりに近かった。
あまりに圧倒的だった。
バラックやガス室を回ったが、私が最も鮮明に覚えているのは聞こえてきたもの--無だ。
これほどの沈黙を経験したことはなかった。
足音以外に何も聞こえない静寂はほとんど不快なほどだった。
薄気味悪く、かつ目が醒めるような。
あれほど多くの命が奪われた場所に立って、その空間で起きたことと精神がなんとか折り合いをつけようとしている。
 
一つの疑問が脳裏に浮かんでは消え続ける。
どうして人間が他の人間にこのようなことができるのか?
どうやってこれを実行することができたのか?自分にはできない。
​
これは歴史ではない。
これは人間だ。
これは今なのだ。
人として我々に突き付けられる、生きた教訓だ。
 
タデウシュ・スコツィラスが家を案内してくれたあと、しばらく外で一人、経験したことを反芻していた。
 
なぜホロコーストを学ぶのか?
このようなことが二度と起きないようにするため?
600万人の人が死んだから?
その通りだが、もっと大きな理由があると私は思う。
ホロコーストは、人間が--現実の、私やあなたと同じような現実の人間が--お互いをどのように扱うかということなのだ。
 
スコツィラス家が命を賭けてよく知りもしない人々を守ったとき、それは彼らが同じ宗教だからでも同じ人種だからでもなかった。
彼らがそうしたのは、まともな、勇気ある人間だったからだ。
彼らはあの小さな穴に隠れていた人々と同じ人間だったからだ。
そして、彼らが不当な扱いを受けているということを知っていた。
 
私は自分に難しい質問を課した。私なら同じことができただろうか?
 
真剣に、私にはできただろうか?
 
アメリカに戻った時、ソーシャルメディアで私の旅行についてうんざりするようなメッセージを受け取った。
私がポーランドに行き、そこで起こったことについての意識を高めるために時間を使ったこと、ブラック・コミュニティをサポートするために時間や労力を使わなかったことが気に入らない人もいた。
お前の祖先がお前のことを恥じるだろうとさえ言われた。
 
ネットにトロールがいることは知っているし、気にするべきでもないのかもしれないが、これには頭にきた。
どういうところからこういう意見が出るかわかっていたからだ。
今、この国に十分すぎるほど問題が溢れていることはわかっている。
だが彼らはこの旅行を曲解している。
私はポーランドに黒人、白人、クリスチャン、ユダヤ人という括りで行ったのではない。
ただ一人の人間として行ったのだ。
 
「このようなことが二度と起こらないようにするために行った」というのは簡単だ。
だが、私はホロコーストで実際に何が起きたのか真実を学ぶため、そしてそこから何を受け取れるかを知るために行ったのだ。
私が自分の時間を正しく使っていないと信じている人たちは、そもそものところがわかっていないのだ。
人に対してお前はこれだ、あれだと名札を貼るべきではない。
そうすることが先入観を植え付け、まさに今のような恐ろしい状況を作り出しているのではないか。
 
私たちは2017年の社会を蝕んでいる無知や視野の狭さ、分断を打ち破っていかなければならない。
 
小学校の時、世界の人と文通をしたりしたことを覚えている。
外国の人から返事が来た時とてもワクワクしたものだ。
彼らがどのような生活をしているのか知りたかった。
彼らの人生を知りたかった。
その感覚を私たちは少し失ってしまっているのではないかと感じている。
私たちは「我々」のことだけを見ているようだ。
「我々」のことだけ気にしていたいようだ。
「我々」が何を意味しているにせよ。
 
タデウシュの家族のことを考える。彼らは「我々」を誰と定義したのか?
 
彼らは「我々」をすべての人間と考えた。
見た目や信仰に関係なくだ。
彼らはすべての人間に守る価値があると考えた。
​そのために命を賭けても惜しくないと思ったのだ。
 
このことは覚えている価値がある。いつまでも。
 
レイ・アレン
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