久保田直己 不撤不散
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2022年に亡くなったミュージシャン

19/12/2022

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Photo by Noah Silliman on Unsplash
ロック黄金期の70年代から半世紀、当時憧れ、愛聴していたミュージシャンたちは後期高齢者となり、年々亡くなる人も増えてきた。
特にそのころ絶頂だったハードロックやプログレ系のバンド・メンバーに顕著である。
今年亡くなった顔ぶれには、キング・クリムゾン、イエス、プロコル・ハルム、ナザレスなどのバンド出身者が目に着く。
そして2022年、いよいよ80年代、90年代に活躍した人たちまで亡くなり始めた。
ディペッシュ・モード、ハッピー・マンデーズ、ボン・ジョヴィのメンバーがこんなに早く亡くなるとは年初に予想されたであろうか。
フー・ファイターズのテイラー・ホーキンズに至っては、まだ50歳だった。
フー・ファイターズの単独ライブを観ることはかなわなかったが、今にして思えばフジロックやサマソニで観ることができたのは不幸中の幸いであった。
年齢とともにミュージシャンの演奏力がグダグダに落ちていく姿に触れるのも辛いものだが、それでも生きていてこそのものである。
薬物のオーバードースなんてバカなことは止めて、健康体で長生きしてほしい。(以下、敬称略)

​(最終更新 2022年12月24日 21:00)

1月7日 ボビー・ハリスン

プロコル・ハルムの創設期のドラマー。
「青い影」のリリース直後に脱退し、フリーダムやスナフーというバンドに参加していた。
享年82歳で、死因は公開されていない。

1月10日 バーク・シェリー

1968年にデビューしたウェールズ出身のハード・ロック・トリオ、バッジーのベーシスト。
バッジ―はメンバー交代を繰り返しながら、バークは亡くなるまでオリジナル・メンバーとして残っていた。
71歳。

1月18日 ディック・ハリガン

ブラス・ロックの草分けであるブラッド・スウェット・アンド・ティアーズの創設メンバーの一人で、1968年から1971年まで在籍。
トロンボーンやキーボードを担当し、作曲でも大きな貢献をしている。
BS&T脱退後は作曲活動を中心に活躍していた。
ローマにて78歳で「自然死」したと伝えられている。

1月20日 ミートローフ

60年に渡るキャリアで多くのヒット・アルバムをとばした、テキサス出身のボーカリスト。
映画「ロッキー・ホラー・ショー」での怪演でも有名。
トッド・ラングレンのプロデュースによるソロ・アルバムは、長期間にわたってチャート入りしていた。
死因はコロナ感染によるものと伝えられている。
74歳だった。

2月9日 イアン・マクドナルド

キング・クリムゾンやフォリナーの創設メンバーとして知られており、キング・クリムゾンではフルート、サックス、メロトロンなどのマルチ・プレイヤーとして才能を発揮した。
ダリル・ウェイやスティーヴ・ハケットのバンドにも参加しており、プログレ界に大きな軌跡を残した。
癌で亡くなった。享年75歳。

2月19日 ゲイリー・ブルッカー

ボビー・ハリスンに続き、プロコル・ハルムの創設メンバーであるゲイリー・ブルッカーも亡くなってしまった。
大ヒット曲「青い影」ではピアノとリード・ボーカルを担当しており、バンドの主宰者でもあった。
76歳で、癌だった。

3月25日 テイラー・ホーキンズ

テイラー・ホーキンズの突然の死は、ロック界に大きな衝撃をもたらした。
フー・ファイターズのツアー中、コロンビアのボゴタのホテルで亡くなっているのが発見された。
薬物の過剰摂取が原因とみられている。
フー・ファイターズは直ちにツアーを中止したが、ロンドンとロサンジェルスで大規模な追悼コンサートが開催され、多くのミュージシャンが参加した。
50歳はあまりにも若すぎた。

4月20日 アンドリュー・ウールフォーク

アース・ウィンド・アンド・ファイアーのトランぺッターで、1973年から1985年、1987年から1993年の黄金期に活躍した。
同僚のフィリップ・ベイリーがグラミー賞を受賞したソロ・アルバムにも参加している。
近年は長い闘病生活を送っていたと伝えられる。
71歳だった。

4月26日 クラウス・シュルツ

ジャーマン・クラウトロックの雄、タンジェリン・ドリームやアシュ・ラ・テンペルのメンバーで、74年の生涯で60枚以上のアルバムを残している。
2022年にリリースされたアルバム "Deus Arrakis" が遺作となった。
死因は公開されていない。

5月17日 ヴァンゲリス

ギリシャ出身のキーボード奏者。
プログレ・ファンなら誰しも、アフロディテス・チャイルド名義の「666」を知っているだろう。
イエスのジョン・アンダーソンとのコラボでも知られている。
79歳で心不全。

5月26日 アラン・ホワイト

キング・クリムゾンに加入するため脱退したビル・ブルフォードの後釜で、イエスに参加した。
ライブ・アルバムの名盤「イエスソングス」がイエスでの初の作品となった。
イエス以前にはセッション・ドラマーとして活躍しており、1969年のトロント・ロック・アンド・ロール・フェスティバルに、ジョン・レノンやエリック・クラプトンらと共にプラスチック・オノ・バンドとして出演した。
来日は2019年のイエスが最後となったが、この時既にリズムが揺れまくっていたので、体力が相当落ちていたのだろう。
死因は発表されていないが、72歳だった。

5月26日 アンディ・フレッチャー

80年代初頭のニュー・ウェーブ全盛期にデビューしたディペッシュ・モードでベースとキーボードを担当していた。
自宅で大動脈解離を発症して急逝したと伝えられている。
まだ60歳だった。

6月5日 アレック・ジョン・サッチ

ボン・ジョヴィの創設メンバーで、1994年の脱退までベースを担当していた。
アレックは1951年生まれで、1962年のジョン・ボン・ジョヴィや1958年のリッチー・サンボラらよりも一回り年長だった。
ボン・ジョヴィ脱退後はオートバイの販売など、音楽活動からは距離を置いていたという。
心不全で、享年70歳だった。

7月5日 マニー・チャールトン

スコットランド出身のハードロック・バンド、ナザレスのギタリスト。
1974年のアルバム "Hair of the Dog" で、ハードロック・バンドとしての名声を獲得した。
ナザレスは現在も続いているが、マニーは1990年に脱退している。
80歳だった。

7月15日 ポール・ライダー

80年代中盤のマンチェスター・ムーブメントの中心的なバンドであるハッピー・マンデーズのベーシスト。
死因は公開されていない。
まだ58歳であった。

8月8日 オリビア・ニュートン=ジョン

オーストラリア出身のイギリス人ポップ・シンガー。
女優としても知られており、1978年の「グリース」でジョン・トラボルタと共演している。
80年代から90年代にかけて多くのヒット曲を飛ばしており、なかでも1981年の "Physical" はビルボード10週連続1位のメガヒットとなった。
1992年に乳がんに罹患したことを公表し、長年の闘病生活を送っていた。
73歳だった。

10月28日 ジェリー・リー・ルイス

1950年代のロックンロールの始祖の一人で、"Whole Lotta Shakin' Goin' On" や "Great Balls of Fire" などのヒットで知られており、ジョニー・ウィンターなど多くのロッカーにカバーされている。
60年代後半にカントリーに転向し、さらに多くのヒット曲を飛ばした。
21世紀に入ってからも "Last Man Standing" や "Mean Old Man" といったアルバムをヒット・チャートに叩き込んだ。
2019年に脳卒中で倒れて療養生活を送っていたものの回復せず、87歳でなくなった。

11月8日 ダン・マッカファーティー

ナザレスは、マニー・チャールトンに続いて、ボーカルのダン・マッカファーティーまで失ってしまった。
ダンは体調を崩し、2013年に脱退していた。
享年76歳。
バンドとしてのナザレスは存続しているが、オリジナル・メンバーはベーシストのピート・アグニューだけになっている。

11月9日 ギャリー・ロバーツ

アイルランド出身のブームタウン・ラッツのギタリスト。
ボーカリストのボブ・ゲルドフがバンド・エイドやライブ・エイドで名声を集める中、バンドとしては停滞し、1986年に解散した。
2013年に再結成し、2020年には36年ぶりのアルバムを制作したものの、72歳で亡くなってしまった。

11月10日 ニック・ターナー

スペース・サイケ・ロックの草分けであるホークウィンドでのキャリアで知られている。
サイケなメイクを施して、サックスとフルートを演奏した。
ソロ・アルバムやゲスト参加したアルバムも数多く残している。
享年82歳。

11月11日 キース・レヴィン

ザ・クラッシュの創設メンバーにして、パブリック・イメージ・リミテッドのギタリスト。
特に "Metal Box" に代表される初期から中期のPILのアルバム制作に多大な貢献をしている。
PIL脱退後はレッド・ホット・チリ・ペッパーズのプロデュースなどを行っており、2010年にジャー・ウーブルと共にPILに戻っていた。
肝臓癌の合併症で、65歳で亡くなった。

11月21日 ウィルコ・ジョンソン

2013年に膵臓癌を宣告され、10年にわたる闘病を続けてきたウィルコ・ジョンソンが、遂に力尽きてしまった。
闘病中にも関わらず来日を果たし、ライブも行っている。
ウィルコがギターを弾いていたドクター・フィールグッドはパブ・ロックの代表的なバンドで、日本のロック・シーンにも多大な影響を与えている。
75歳だった。

11月25日 アイリーン・キャラ

1983年の映画「フラッシュダンス」の主題歌である "Flashdance... What a Feeling" の大ヒットで知られている。
その後はほとんど音楽活動を行っていない。
享年63歳。

11月30日 クリスティン・マクヴィー

ブルース・ロックのチキン・シャックを経て、1970年にフリートウッド・マックに参加。
半世紀にわたるキャリアを誇る。
初期のフリートウッド・マックのブルース系アルバムの後、1976年にアルバム "Rumours" を大ヒットさせた。
晩年はソロ活動で活躍していたが、2022年11月に体調を崩し、そのまま帰らぬ人となった。
79歳だった。

12月4日 マニュエル・ゲッチング

クラウス・シュルツに続いて、アシュ・ラ・テンペルの元メンバーであるマニュエル・ゲッチングが亡くなってしまった。
2000年にはクラウス・シュルツェとアシュ・ラ・テンペルを再結成していた。
享年70歳で、老衰とみられている。

12月6日 ジェット・ブラック

ジェット・ブラックは、ストラングラーズのオリジナル・ドラマーだった。
2020年にはキーボードのデイヴ・グリーンフィールドがコロナで亡くなっている。
パンクスとしては高齢なバンドで、ジェットは84歳だった。

12月16日 リック・アンダーソン

チューブスのベーシストで、創設者のひとり。
70年代のハチャメチャなショーで知られるところになった。
4月17日には、ステージ・アクトやボーカルを担当していたリ・スタイルスも72歳で亡くなっている。
死因は公開されていないが、75歳だった。

12月18日 マーティン・ダフィ

80年代から90年代にかけて活躍したプライマル・スクリームのキーボード。
マーティンはセカンド・アルバムから参加している。
夏のサマソニで来日したばかりだった。
まだ55歳のあまりにも早い死に、暗澹たる気持ちにならざるを得ない。

12月19日 テリ-・ホール

スペシャルズのリード・ボーカルとして、英スカ・シーンを牽引した。
スペシャルズを離れた後も、ファン・ボーイ・スリーなどで活躍していた。
享年63歳で、すい臓がんだった。

来年の今頃、どんな記事を書くことになるか、想像もしたくない。
それより、まず自分自身も、いつまでも爆音を楽しめるように、健康にだけは気を付けたい。
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